もしも鉄道があったなら

   今年ほど、一日も早い梅雨明けを望む年はないでしょう。7月4日(土)未明から朝にかけて熊本県南部に未曽有の豪雨災害が発生したうえに、それ以後も梅雨前線が停滞し、県北部で土砂崩れ、河川の氾濫等の災害が続きました。その爪痕はいまだ深く、広域にわたるため復旧が思うように進んでいません。また、本校のある上益城郡も断続的に強い雨が降り続きました。そのため、生徒の皆さんの多くが保護者の車の送迎となり、朝の登校時は車が長蛇の列でした。

 4月当初の調査では、本校生(全校生徒525人)の通学手段で最も多いのは自転車で約300人。次が単車で約120人、そして路線バスが60人ほどです。残りが徒歩、保護者の車での送迎となっています。平常は20~30台の車で、正門から入って、「天神の森」の前の芝生広場ロータリー付近で生徒を下ろして、Uターンで正門から出てもらう流れです。しかし、雨天時、特に今月に入っての強雨の日は、自転車や単車の通学生たちの多くが車での送りに変わり、百台を超える車で校内及び正門周辺が大渋滞となりました。雨合羽を着用して自転車や単車で通学する生徒も一定数いるため、交通安全の確保のため、雨天時の車は「天神の森」の横の道路に縦列して、生徒を下ろしたら、そのまま校内を通り抜け南門から出るという流れに変更しました。毎朝、数人の職員がローテーションで出て、雨合羽を着て車の誘導に努めました。

 本校の正門は昭和の終わりに建立されており、幅が狭く、普通自動車の離合ができません。また、正門前の町道も幅が狭く、雨天の朝は、多数の自動車に自転車、単車、そしてバス停から歩いてくる生徒と危険な交通渋滞が起きます。車への生徒たちの乗り合わせや近距離の生徒には雨合羽着用での自転車、単車通学の協力を呼び掛けていますが、根本の解決に至っていません。

 朝の渋滞状況を目の当たりする度、「鉄道があったなら」と思います。前回の「校長室からの風」で触れたように、前任の人吉・球磨地域は第3セクターの「くま川鉄道」があり、五つの高校(現在は4校)は最寄り駅からいずれも徒歩10分以内でした。このため、強雨の日でも、生徒たちは自宅の最寄り駅まで車で送ってもらい、列車に乗って通学してきたので、学校の正門付近が車の渋滞になることはありませんでした。

 実は、この御船町、そして上益城郡にはかつて鉄道がありました。このことも「校長室からの風」で何度か紹介してきましたが、豊肥線の南熊本駅から上益城郡(嘉島町、御船町、甲佐町)を通り、下益城郡の砥用(ともち)駅まで約28.6㎞を結んだ私鉄の「熊延(ゆうえん)鉄道」です。残念ながら昭和39年(1964年)に廃止されており、70歳代以上の同窓生から「汽車通学」の思い出話を時々聴くことがあるくらいです。

 しかし、「もし鉄道があったなら」と令和の今日、思わずにはいられません。