校長室からの風

時代の風の推進力 ~ 高校生パラ・アスリート 

  「練習すれば練習するほど記録が伸びるのが魅力です!」と車いすマラソンのことを見﨑(みさき)さんは熱っぽく話します。一方、「坂道を上らなければならない時はとても苦しく、腕が上がらずに車いすが前に進まない感じです」と競技の本質も語ってくれます。

 御船高校2年生の見﨑真未さんは中学時代に交通事故に遭い、日常を車椅子で過ごすことになりましたが、本校入学後に車いす陸上に出会いました。御船高校陸上部員として、筋力トレーニングは他の部員たちと一緒に行いながら、熊本県車いす陸上競技連盟に所属し、水・金・土・日は車いす陸上競技の選手達と県総合運動公園等で練習する日々です。持ち前の負けん気の強さで、ハードな練習を重ね、肩をはじめ上半身が強化され、着実に記録が伸びています。

 去る8月に開催された「はまなす車いすマラソン」(札幌市)のハーフの部(マラソンの半分の距離)で優勝。9月末に実施された「第31回全国車いすマラソン大会 ハーフの部」(兵庫県丹波篠山市)でも優勝を飾りました。そして、来る10月12日(土)から開かれる「第19回全国障害者スポーツ大会」(茨城県)の熊本県代表選手として車いす陸上競技の100mと1500mに出場することになりました。10月1日(火)、全校朝礼の時に、体育館で見﨑さんの全国大会壮行会を開きました。そして、10月3日(木)、御船高校同窓会の役員方が来校され、全国大会出場を祝っての奨励金が校長室で伝達されました。

 ハーフマラソンをはじめロード(一般道路)の長距離を得意とする見﨑さんにとって、全国障害者スポーツ大会では久しぶりの競技場内のトラックでの短距離で、戸惑いはあるそうです。しかし、全力を尽くしたいと力強く抱負を述べました。

 学校生活と車いす陸上競技の両立に向け懸命に努力する彼女は御船高校にとっては大きな存在です。彼女の頑張りを、生徒と職員の全員が知っており、心から応援しています。その応援の輪は同窓会、地域の人々と広がっています。

 「私はまだまだメンタルが弱いんです。一緒に練習する先輩から、もっとメンタルを強くと言われています。」と見﨑さんは語りました。約21㎞のハーフマラソンを一人で走行することがいかに大変なことか、私たちには分かりません。上り坂をあえぎながら前へ前へと車いすを推進しようとする見﨑さんの姿を想像するしかありません。

 来年は「東京2020パラリンピック」の年です。パラスポーツへの人々の関心、注目度は今高まっています。見﨑さん、時代の風をうけ、推進力にしてください。東京の次はパリでパラリンピックが予定されています。

 熊本県を代表するパラ・アスリートがいることは御船高校の誇りです。

 

地域を知る ~ 1学年「総合的な探求の時間」

 

 金曜日の6限目、1年生は「総合的な探究の時間」です。現在の2年生までは「総合的な学習の時間」でしたが、新しい学習指導要領実施に伴い、今年度の新入生から「総合的な探究の時間」と変わりました。教科を横断し、総合的な学習活動を行う点は同じですが、「探究」という言葉が示すように、課題解決に向け仮説を立て、情報を収集し、調べていく過程(プロセス)が重視されることになります。自ら課題を見つけ、その課題の解決に取り組むことで、自らの進路や生き方も考えることにつながるものと期待されます。

 9月27日(金)の1年生の「総合的な探究の時間」には多くのゲストティーチャー(外部講師)がお見えになりました。1学期は上益城郡の産業や伝統文化を知る活動を行いました。それをふまえ、2学期は自らが住む地域について深く知り、住みやすい、あるいは住んでみたい「まち」を考えることがテーマです。そこで、実際に御船町でまちづくりに取り組んでいらっしゃる方々に説明や生徒へ助言をお願いすることにしたのです。

 1組 御船町企画財政課 藤本様

    住みよい御船町づくりの総合計画等について説明されました。

 2組 御船町企画財政課 高橋様

    町の人口増加に向け「移住・定住」の取り組みを述べられました。

 3組 御船町企画財政課 後藤様

    企業誘致の取り組みを紹介されました。

 4組 御船町観光協会 丸山様

    御船しあわせ日和(地元住民有志の組織)の活動を話されました。

 A組 御船町商工観光課 作田様

    町の振興における観光の役割を説かれました。

 B組 御船町商工会青年部 永本様

    商工会青年部の活動を伝えられました。

 授業の後半では、生徒たちが班をつくり、それぞれのゲストティーチャーの話をうけての話し合い活動を展開しました。誰もが住みやすい町にするにはどうすればよいのか? 産業、福祉、教育、交通、人口など様々な観点から長い期間をかけ検討されている事実に直面しました。高校生が好む商業施設ができれば解決できるような単純な問題ではないことを理解したようです。

 先ず、自分たちの地域を知ること。これが一歩目です。3割の生徒は上益城郡外から通学していますが、学校のある御船町について考えることは汎用性があります。家庭と学校だけでなく、地域社会という世界が広がっているのです。 

 生徒たちに新しい扉を開いてあげること。これが「総合的な探究の時間」のねらいと言えるかもしれません。今後学習が深まり、生徒の職業観や人生観が徐々に変容していくことを期待しています。

 

目指せ、V奪還! ~ 全国大会に向けて準備するロボット部

 

    最近、放課後は電子機械科の第3実習棟2階によく行きます。ここで、マイコン制御部ロボット班の部員たちが、一か月後の全国大会に向け準備の山場を迎えているのです。大会には2チーム出場しますが、本番用のロボット2台はほぼできあがりました。今、最後の調整に努めています。生徒に言わせれば「足回りに工夫した」とのことで、自信作のようです。

    全国大会を想定して作られたコートでは、練習用ロボットを使い操作の練習が繰り返し行われています。1チーム6人編成ですが、本番ではフロアに3人が出て、ロボットを動かすことになります。時間を計って操作の練習に取り組む生徒たちは、声を掛け合い、本番さながらに真剣です。操縦用コントロールボックスを持ち、ロボットを動かす担当の生徒は「細かい動きがまだまだです。」と語りました。毎日、十数人の生徒が出入りして、ロボットの調整、操縦の練習等を分担しており、部屋には緊張感がみなぎっています。

   第27回全国高等学校ロボット競技大会(全国産業教育フェア新潟大会の一環)が10月26日(土)、27日(日)に新潟県長岡市で開催されます。マイコン(マイクロコンピュータの略)と呼ばれる小さなコンピュータの制御(コントロール)によって動くロボットを操作して、制限時間内に規定の課題をクリアしていく競技で、モノづくりの技術やアイデア、チームワークで競われるものです。

 この全国高等学校ロボット競技大会において、御船高校はこれまで九度の優勝を果たしています。初優勝は平成16年の広島大会でしたが、それから4連覇を成し遂げ、「ロボットの御船高校」の名前は一躍広まりました。その後も優勝を重ね、平成26年の宮城大会で9回目の全国制覇を達成しました。これはひとえに電子機械科の教職員の熱心な指導とマイコン制御部ロボット班の生徒たちの努力が合体した成果であり、誠に誇りに思います。

 しかしながら、その後は熊本地震の被災もあり、優勝から遠ざかりました。けれども、昨年の山口大会では3位入賞し、復活の手応えを職員、生徒共につかみました。今年こそ悲願の十度目の全国制覇に向けて、生徒たちの意気があがっています。

 まだ一か月あると私には思えるのですが、生徒たちは、もう一か月しかないという気持ちだそうです。「焦っています」と言いながらも、生徒たちの眼は輝いています。何かに熱中する高校生の姿を見ていると、こちらも元気がわいてきます。彼らが目指しているのは、学校近くの飯田山ではなく、日本一の富士山なのです。準備と覚悟が全く違います。高い目標を持ち、それに向け努力することで高校生は飛躍的に成長します。これから一か月、マイコン制御部ロボット班の生徒たちを応援していきたいと思います。

 

あとから来る者のために ~ 教育実習

 「先生と呼ばれる喜びと、その責任の重さを感じた二週間でした。」と教育実習生の水町さん(平成音楽大学音楽学科4年)が職員朝会で挨拶されました。9月9日(月)から20日(金)まで2週間、水町さんは教育実習に取り組まれました。19日(木)の2限目、1年A・B組(電子機械科)の音楽選択者対象に研究授業が行われました。「ボディパーカッションでリズム表現を工夫しよう」という主題で、生徒たちは楽器ではなく自らの身体の部位を叩きリズムを表現します。四つのグループに分かれての発表では、それぞれ創意工夫した表現がありました。生き生きと活動する生徒たちの様子を見て、水町さんの指導力の高さを実感しました。

 教員免許を取得するには、実際に学校で教育活動を体験する「教育実習」が原則必要となっています。教員になるために誰もが通る関門と言えます。母校で実習することが一般的で、水町さんも御船高校普通科芸術コース音楽専攻を卒業し、現在、平成音楽大学音楽科でファゴットを専門的に学んでいます。生徒たち、特に音楽専攻者にとっては先輩が教育実習に来てくれたことは大きな影響を受けたことでしょう。音大の学生として、音楽の面白さや奥の深さ等について熱心に伝えたもらったことは、学校として誠に有り難いことです。

 また、教育実習生の存在は、教職員にとっても貴重な刺激となります。自らの若き実習生の日々を思い出し、教師として初心に返ったような気持ちになります。さらに、教育実習生が高校生だった頃に指導した職員にとっては更に感慨深いものがあります。水町さんの担任は残念ながら他校へ異動していますが、副担任、または教科を指導した職員が数多く留任しています。当時、英語を教えたS教諭は、「本当に立派に成長していて、嬉しかった」と私に思いを伝えられました。まさに、論語で云う「後生畏るべし」です。年若い者は努力しだいで、どんなにも優れた人物になりうることを大人は畏(おそ)れなければならないのです。「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」という言葉もあります。

 高校生が進学し、母校へ教育実習に帰ってきて、改めて教師という仕事の魅力を認識して、教職を目指していくというのは理想の流れなのです。私たち教師は、自分よりも「大きな者」をつくっていく使命があります。

 教える者が一番教わります。水町さんも教育実習を通じて、音楽教育についてさらに深く学んだことでしょう。この経験を原動力に教職を目指していってほしいと期待します。そしてまた、フレッシュな教育実習生の姿に自分の将来を投影した御船高校生が幾人もいたであろうことを信じています。

 

御船の母なる源流 ~ 吉無田水源

  「御船町の宝物ですよ!吉無田水源は!」と御船町観光協会前会長の永本文宣氏が私に言われた言葉は深く印象に残っています。吉無田水源は御船町の大字田代地区にあり、御船高校から一般道を走行し約17~18㎞の距離です。阿蘇の南外輪山の南麓にあたり、一帯はゆるやかな高原で「吉無田高原」と呼ばれます。水源のある場所は標高およそ600mで、豊かな国有林に囲まれていて、車から降りると清爽感に包まれます。御船の町の中心部とは気温が7~8度くらい違うのではないかと地元の人は言われます。

 水源の脇には水神社が建立されており、水を汲みに来た人は神社に参り、ポリタンクを抱えて水汲み場に降ります。説明板によると毎分8トンの清水が湧き、私も手で掬(すく)って飲んでみましたが、甘みが感じられる澄んだ水です。この吉無田水源には先人の計り知れない労苦の物語があります。

 江戸時代後期、上益城郡の水不足解消のために肥後藩(細川家)は、この地一帯に大規模な植林を奨励しました。江戸時代の行政区では御船の大部分は木倉(きのくら)手永(てなが)に属していましたので、木倉手永の領民が力を合わせ植林に従事しました。文化12年(1815年)から延々と続き、慶応3年(1867年)まで52年間に及び、植林352万本の大事業が成し遂げられたのです。これによって大規模な藩有林(官山)ができあがり、水源涵養林(かんようりん)としての機能を発揮することになりました。樹木は雨水を効果的に吸収し水源を保つと共に、山地の土砂崩れを防ぐ機能も持っています。山に木を植えることの大切さは今も昔も変わりません。

 幕末の木倉手永の惣庄屋の光永平蔵(みつながへいぞう)は、植林事業の成果を活かすべく、吉無田水源から水を引き、総延長28㎞に及ぶ大水路(用水路)の難工事を指揮しました。嘉永6年(1853年)に起工し、安政6年(1859年)に竣工したこの難事業には地域の村々から農民が動員されました。現代のように重機もない当時、人力に頼った水利土木工事がいかに過酷なものであったか想像するしかありません。長い水路の途中、田代台地では873mものトンネルが穿(うが)たれました。今も、「九十九(つづら)のトンネル」として地元の人々によって顕彰されています。

 先人たちの大規模な植林と嘉永井手(かえいいで)と呼ばれる水路建設のおかげで、その後、現在に至るまで御船は水不足に悩まされたことはありません。現在の社会を造ってくれたのは歴史なのです。このことを私たちは忘れてはいけないでしょう。

    (参考)手永(てなが)とは江戸時代の肥後藩で設けられた行政区画制で、数村から数十村で構成され、責任者として   惣庄屋が置かれた。郡と村の中間に位置する。