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! ある壺の話 その2

 図書館の宮本先生が継続調査中です!
 前回以降 分かったことをご紹介します。

 前回,「小川広山さんが ひょっとして旧制天草中学校の窯業部を指導かも」,としていましたが,実際に指導していたのは,丸尾焼三代目金澤武雄(かなざわ たけお)さんでした。

『AMACUSA NO TOUJIKI Kako.Genzai.Mirai』(金澤一弘編 天草陶磁器振興協議会 平成12年10月)にその記述ありました。以下,関係個所を抄出します。
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明治24年(1891年)3月18日,丸尾焼二代目金澤久四郎の四男として生まれた武雄は,
明治37年(1904年)熊本県立中学済々黌天草分校に入学し,
明治39年(1906年)佐賀県立有田工業学校に転入。
明治43年(1910年)3月,同校陶業科を卒業。農商省工業試験所を皮切りに山形県下各所で窯業所や製瓦会社を新設し,所長として技術指導に尽力した。
大正11年(1921年)30歳で天草に戻り,天草窯業株式会社技術顧問。続けて工務部長,技師長となる。
同年7月 同社退社後営農に従事しながら丸尾焼にも携わり,主に甕類,壺容器の製造に従事する。
大正14年(1924年)には,熊本県から陶器製造講習会講師を嘱託され,後に熊本県地方商工技師に任命される。
昭和2年(1927年),商工省より沖縄県商工技師に任ぜられ渡沖。
昭和4年(1929年)新設された沖縄旭窯業株式会社の技術指導にも尽力した。
昭和7年(1932年)父金澤久四郎病没のため沖縄での公職を辞して天草に帰郷。
帰郷後,三代目金澤武雄として,家業に勤しむこととなったが,時代の動きと社会の変化に伴い,小規模経営による陶磁器製造では工業的な製品に太刀打ちできない状況となっており、戦争拡大の機運により,資源枯渇に対抗する陶磁器製品の工業的大量生産を必要とする声も高まっていた。


そこで武雄は,昭和7年(1932年)天草中学校の嘱託となり,校内に窯業部を創設すべく奔走した。そして,同年、天草中学校内に窯業部実習工場が設置されている。(※天草中学校窯業部の教育開始は昭和9年度(1934年度),窯業試験場創設は昭和10年度(1935年度))。

       写真右奥に立つのが金澤武雄氏 ➡
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 『天草高校百年史』の中にも「嘱託」として,「金澤武雄 昭和7・6~昭和10・12」という記述が見られます。
 旧制天草中学校で窯業部を立ち上げ,窯業試験場完成まで技術指導にあたっていたのは,丸尾焼三代目・金澤武雄さんでした。

 前掲書の編集子は,武雄氏が,天草中学校での指導と同時期に肥洲窯業株式会社の総務部長になっていることを指摘しながら「武雄が,次世代の技術者を養成し,陶磁器製品の工業的大量生産によって地域振興を目指し,製陶業を元にした産業化をねらっていたことがよく伺える」と評しています。

 全国の窯業試験場を立ち上げながら次世代の育成に力を注いでいた武雄にとって,天草はまさに「宝島」と映っていたのでしょう。近代工業殖産期の浪漫が感じられる展開になってきました。

 しかし,肝心の天草高校校長室に置かれている優美な壺の正体は,いまだ判然としません。金澤武雄さんが関わっているであろうことは想像に難くないのですが。とりあえず,今回の調査報告はここまで。

 前・平田浩一校長先生から
「壺の底には「苓州」という署名が入っている。何かヒントになれば」と連絡をいただきました。

 引き続き調査を続けます!

?! ある壺の話

 天草高校校長室に入ってすぐ左手に 乳白色の釉薬が光る高さ1mちょっとの大きさの優美な壺が置かれています。「銘板もなく,どなたの作なのだろうか?」と,歴代校長先生の間でも話題になっていたそうです。

 今朝(6月15日),天草高校同窓会の安田会長と池田副会長がお見えになり,「昨日,丸尾焼の金澤さんと会って話している時にこの壺の話題となりました。金澤さんが仰るには『昭和16,17年ごろの天草中学窯業試験場の時のものではなかろうか?』ということだったので,確かめに来ました」とのこと。
 また池田副会長が仰るには,「この壺の釉薬の感じからすると,小川広山(おがわ こうざん)さんの指導によるものじゃなかろうか。小川広山さんは,知る人ぞ知る,近代の天草を、いやいや日本を代表する作陶家ですよ」と。

「天草高校の前身である旧制天草中学校に,窯業試験場があった?」にわかには信じがたい話なので,図書館の宮本先生にレファレンスを申し込むと,日本史の宮部先生と2時間がかりで,いくつかの資料を見つけ出してくれました。

 結論から言うと,確かに昭和10年代,旧制天草中学校には「窯業試験場」が設置されていました。

「天草の(中略)製陶業が発展する中で,昭和10年4月より天草中学校内に窯業試験場が創設された。従来は利用されていなかった酸化鉄含有量の多い廃石を原料とする製品の研究を目的とした。」(『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 天草』鶴田文史編著 昭和54年11月 国書刊行会)
 写真はその当時の天草中学につくられた窯業試験場の写真です。


 場所は,現在の天草高校のプールがあるところの横,町山口川沿いの場所に建てられていたようです。同様の記事は『天草陶磁焼の歴史研究―苓州白いダイヤの巧』(鶴田文史著 天草民報社)にも「昭和10年4月 本渡の天草中学校に窯業試験場を創設」と見られます。

 また,『天草高校百年史』(「天草高校百年」編集委員会編 平成10年3月 イナガキ印刷刊)の記述によると,昭和10年代の天草高校の授業科目・教育課程の欄に「實業『商業・窯業』」という記述も見られ,旧制天草中学校で新しい製陶を目指して,窯業の授業が行われていたことも間違いないようです。

 では,その指導者は誰なのか? 池田副会長が仰るように小川広山さんなのでしょうか?
 当時の天草中学校教職員名簿には,氏名と教科名が載っているのですが,實業または窯業という科目名は見当たりません。ということは外部から教授者を招聘していたのではなかろうかと想像されます。

 宮部先生・宮本先生がまた興味深い資料を見つけておいでになりました。

 当時天草には4つの近代窯業株式会社があったというのです。
「天草の窯業は近代に入って伝統的なもののほかに新しく株式会社形態が成立し創業する。その一つは大正9年12月創業の南九州窯業株式会社で,これは近代楠浦焼の和田・森下製陶所のあとにできた小川富作の大門工場と,小川製陶所に出来た小川富彦の廣瀬工場からなっていた。さらに昭和8年3月には楠浦の錦島に肥州窯業株式会社が創立された。(中略)天草の近代的窯業の株式会社はもう一か所志岐(苓北町)に創業する。大正9年4月創業の天草窯業株式会社である。」(『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 天草』同前)

 本当に近代期の天草は、製陶業の一大中心地とも呼べそうな勢いがあったんですね。

 ところで 楠浦の大門にあった「南九州窯業株式会社」大門工場,
 同じく広瀬にあった「南九州窯業株式会社」廣瀬工場,
 楠浦錦島に出来た「肥州窯業株式会社」,
 苓北町志岐に出来た「天草窯業株式会社」。
 この4つの窯業株式会社で,地理的な位置関係でみると,旧制天草中学校に一番近いのは「南九州窯業株式会社」廣瀬工場です。正確な位置は分かりませんが,学校まで1.5~2kmといったところでしょうか。
他は楠浦ならば約7km,志岐ならば約20km程度。授業に頻繁に指導にやってくるとしたら,この廣瀬工場が最も可能性は高いでしょう。

 そして,その廣瀬工場の責任者は,小川富彦さん。池田副会長が仰っていた小川広山の本名は,小川富彦。何やら急に運命の糸が絡みだしたようですね。

 しかし,今回の調査はここまで。
 また,調査に進展がありましたら,ご報告いたします。

 「調べる」って面白いですね。宮部先生,宮本先生の話を聞きながら,私もワクワクしてきました。
 天草高校の生徒諸君,「調査・探究活動」は奥が深いよー。 楽しいよー!

? 21世紀を拓く力

 いま教育界は、世界的な産業構造の変化により「知育偏重」から「自ら考え、行動する主体的な人間育成の教育」に大転換しつつあります。
 本校でも新教育計画(雛鵬プラン)を作成し、「SSH指定校」「一人一台端末先行実践校」「学力向上研究指定校」として「探究学習」及び「ICT活用授業」の先行研究を行っております。今春、東京大学を始め大阪大学、九州大学、慶応大学、早稲田大学等の難関大学や、三年連続で熊本大学医学部医学科に合格者を出したのも、その成果の一つであろうと考えております。

 しかし本校が目指すのは、単純な大学合格者数ではありません。「21世紀型スキル」を備えた人材の育成です。

「何を理解しているかを自ら振り返り、その知識を使ってどのように自分が世界と関わるか、どのように社会に適応するかを考え、周囲を巻き込みながら実践できる」能力と実践力を備えた人間の育成
―言葉で記すと至極当り前の資質能力ですが、様々な価値観が対立し、容易に解決の糸口が見いだせない新世紀のとば口に立っている若者たちだからこそ、日々の教育活動で常に主体的に思考させ、世界を視野に入れた「21世紀を支える人間」を育てていきたいと思います。

 例えば、これまで生徒たちに提示した課題に「水不足の解決」があります。世界で水を使わない水洗トイレの開発にしのぎを削っている様子等を紹介し、あなたならどうすると問いかけました。3年生の廊下掲示板には「再生可能エネルギーの可能性」について、様々な資料が掲示されています。本校のSSH研究班でも潮力発電の可能性を研究し始めています。

 そして、いま私が、身近な問題として関心を寄せているのが、「緑との共生」問題です。
 最近、熊本日日新聞でも取り上げられるようになり私も知ったのですが、熊本市の街路樹再生計画をめぐり様々な立場の意見が表出しているようです。
 興味ある方は、5月22日の熊本日日新聞「SNSこちら編集局」、6月4日「『森の都』原点帰り再考を」矢加部和幸氏の署名記事、6月8日射程「緑との共生」浪床敬子氏の署名記事等をお読みください。

 概要は、熊本市の電車通り及び熊本県庁前を抜けて第二空港線沿線の街路樹の約6割をこれから3年間かけて伐採するという計画についての是非です。
「SNSこちら熊日編集局」によると、「熊本市内の街路樹は249路線に約1万5千本の樹木があり、成長しすぎた木が歩行者の妨げになったり、根が歩道を押し上げたりするようになり、強風による倒木も発生している。管理費も年々増大し、2018年度の6億1400万円が10年後には10億円に膨らむという試算もある。沿線住民からは「害虫がいる」「落ち葉で側溝が詰まる」「鳥の糞が汚い」などの苦情も寄せられているため、熊本市は対応を迫られている。」ということのようです。
 そのため熊本市は令和2年(2020年)3月に「街路樹再生計画」を策定し、重点路線に電車通りと第二空港線を選定し、前段のとおり、約6割の樹木が伐採対象となったというわけです。

 しかし、調べてみるとこれは熊本市だけの問題にはとどまらないようです。
 熊本市が策定した「街路樹再生計画書」を読んでいくと、現在の熊本市の担当の方々が置かれている状況、苦悩が窺われます。
 平成27年(2015年)に改正された国土交通省の「道路緑化技術基準」は、それまでの柱としてきた〈自然環境の保全〉から、〈道路交通機能の確保〉を前提とする価値基準への大転換であり、〈交通の安全、適切な維持管理及び周辺環境との調和に留意しなければならない〉とする「道路緑化基本方針」の文言は、地域住民や運転者等からの苦情・不安には、積極的に対応する義務が生じているようにも読めます。
 そのために、苦肉の策として、熊本市の街路樹の問題を、安全性の低下や景観性の低下、維持管理における経済的課題を含めて抜本的に解決しようと今回の計画を策定し、審議会で協議を行ってきたという流れが透けて見えてきます。
 また一方で、この計画を知った人々が、「6割も伐採を行うのはちょっと待って。“森の都”熊本にはふさわしくない計画です」「緑と共生できる方法はないかを探りましょう」との声を上げ始めているのです。

 この「道路緑化技術基準」は、街路樹等を管理するすべての市町村に当てはまります。決して他所事ではありません。

 前置きが大変長くなってしまいました。
 そこで、それでは、次世代を担う若者たち、次の街づくりを主体的に進める若者たちが、この問題に対し、どのようにアプローチし、どのような解決策を見出そうとするのか、私としては大いに興味があります。自分たちの将来Visionに直結する問題ですから。

 簡単に解決策が見つかる問題ではないでしょう。
 しかし、だからこそ粘り強く皆の智慧を絞り合って考え抜く必要があるのではないかと考えています。

「何を理解しているかを自ら振り返り、その知識を使ってどのように自分が世界と関わるか、どのように社会に適応するかを考え、周囲を巻き込みながら実践できる」能力と実践力を備えた人間の育成―天草高校の教育の旗印に、この「21世紀型スキル」の理想を掲げる以上、これからも答えの出ない課題を提示し続けます。
 そして、一つでも二つでも解決に向かって歩みをスタートさせる若者が出れば、と願っているところです。

ハート 揺れながら咲く花

6月8日(火)
天草高校と交流している韓国土坪(トピョン)高校の生徒 キム ガヒョンさんから
私に一通の手紙が届きました。

「こんにちは 馬場純二校長先生
 私は トピョン高校3年に在学中のキム ガヒョンと申します。
 私は 高校3年生なので 大学入試に対するストレスが多いですが,
 楽しい国際交流活動をする時には,そのストレスを振り払うことができます!

 今年も 去年のようにcovid-19で直接お会いできなくて 本当に残念です。
 しかし,オンライン国際交流のおかげで校長先生にお目にかかれて本当にうれしいです!!
 最近covid-19でとても大変な時間を過ごされそうなので,
 私が好きな韓国の詩を翻訳してみました。」

この言葉に続けて,可愛らしいチマチョゴリの便せんに,次のような詩が記されていました。

   揺れながら咲く花
                 ド ジョンファン(訳キム ガヒョン)

 ぐらつかずに咲く花が どこにあろうか
 この世の どんな美しい花たちも みな 揺れながら咲きました
 揺らぎながら 茎をまっすぐにたてました
 揺らがずに行く愛は どこにありますか

 雨に降られないで咲く花が どこにあろうか
 この世で どんなに輝く花たちも みな 雨に濡れて咲きました
 風と雨に濡れて 花びらをあたたかく咲かせました
 濡れない人生なんて ありえないでしょう

 

素敵な詩です。
日本語を学びながら この詩を日本の友人たちにも紹介したいと
そして 一日も早くcovid-19が終息し 平穏な日々が戻ってくることを願う
ガヒョンさんの優しいぬくもりも伝わってきます。

厳しい韓国の大学受験を前にして,
日本の高校生たちと将来を語り,未来を切り拓く夢に向かって手を携える存在を得たということは,
彼女にとっても,力強い支えとなっているのでしょう。

困難な出来事はあっても
困難の分だけ 美しい花を咲かせることができる!
私たちも「揺れながら咲く花」を口ずさみながら,前を向いて誠実に生きていきましょう。

キラキラ 世界が一つになる

5月21日(金)韓国土坪高校とのオンライン交流が始まりました。

 16時20分開始予定が 音声の不調で20分ずれて 16時40分スタートです。
 お互いに 与えられた時間をいっぱいに使って(少々オーバーもしていましたが)自己紹介です。
 名前の発音を韓国語で解説したり
 (例えば メ〈매일 매일 メイルメイル〉 グ〈구빤찌グーパンチ〉 =意味は毎日毎日 グーパンチ!!
  ずいぶんストレスが溜まっているのねと思ったら 横に可愛らしいアンパンマンのイラストが^^)
 メッセージボードを使ったり
 パワーポイントで韓国のはやりのファッションを披露したり
 グループダンスを披露したり と
 ちょっとした文化祭並みです。笑いが出て 拍手が沸き起こり あっという間の1時間半でした。

その後,韓国の土坪高校 朴仁淑校長先生からメールが届きました。

 「今回,長い歴史を持っている天草高校の伝統や勤勉な国民性を実感しました。
  天草高校の生徒たちが,自己紹介を,韓国語まで学んで発表してくれる姿に,心から拍手を送ります。

  本校には,授業で第二外国語に日本語を選択している生徒がいます。
  上手な生徒もいますし,これから学んでいく生徒もいます。
  今までは,表現力が良い生徒は 女学生に多かったのですが,
  今年は,男子生徒たちも何人も学びに参加して,
  ずいぶん,雰囲気が変わってきたように思います。
  先日の交流会に先立ち,5月19日(水),我が校では「日本の文化紹介祭」を開催しました。
  その時,男子生徒たちが展示場を設け,朝早くから熊本の「くまモン」の着ぐるみを着て,
  女子生徒たちはゆかたを着て,登校する生徒にプレゼントをあげたりして,
  一生懸命ミッションを実行している姿が目を引きました。

  世界市民を目指す皆さん。
  まだ十分に言葉は通じませんが,私たちは教育を通じて,文化を通じて世界が一つになる先鋒に立ちましょう。
  皆さん 愛してます。」

朴校長先生の「教育を通じて,文化を通じて世界が一つになる先鋒に立ちましょう」には,本当に勇気づけられます。

「世界が一つになる」― 少し前までは 夢の中のことばでした。
(今も 世界のいたるところで紛争が続いていますが 若者たちから様々なメッセージが発信され始めています。)

 ハートに熱いものを持っていても 皆の前では「尻込みする日本人」というイメージも強くありました。

しかし
子どもたちの生き生きとした姿を見ていると
あっさりと “一歩” を踏み越えてくれたような気がします。

「世界が一つになる」― 21世紀の子どもたちの手の届くところにあるのかもしれません。
この大いなる日に向けて 皆で手を携え 少しずつその輪を広げていきたいとおもいます。

ハート 認めてもらえるって 嬉しい!!

5月24日(月)
朝からの雨が小降りになってきたと思ったら,天草市の子育て支援課の課長から お電話をいただきました。

課長の優しい語り口の向こうから 電話のベルが響いています。
スタッフの方々が,子どもたちのケアや,家族の支援に奮闘されているのでしょう。

「先日の定時制の子どもの作文 感激しました。
 認めてもらえるって 嬉しいですよね。
 私たちだって嬉しいんですから,
 子どもたちはなおさらですよね。
 天草市にも様々な境遇を背負わされている子どもたちがいます。
 その一人ひとりを支えて その子を〈認めるということ〉が
 一番大事だと思って 改めて 課内のスタッフと声かけあったところです。」

ぬくもりの感じられる言葉一つひとつに 
私は 「ありがとうございます」の言葉しか返すことができず
受話器を握りしめたまま 何度も何度も深く頭をさげていました。


先日の作文を書いた定時制の子どもと 子育て支援課の方と どのようなやりとりがなされたのか
子どもから直接 話は聞けていません。
しかし二人のシルエットが浮かんでくるのです。
 ― 将来どうする? 学校(高校)には行っといたほうがいいかもね
 ― でも ずっと授業受けていないし 勉強についていけるか。。。
 ― だったら 定時制に行ってみない? ゆっくり自分のペースで勉強できるよ


定時制には 様々な子どもたちが集まってきます。
不登校を経験した子もいれば,いじめられたショックから学校に足が向かなくなった子,家計が厳しいため上級学校進学をあきらめ働くということを選択した子,複雑な家庭境遇のもとに育ち自分の居場所探しを続けている子 実に様々です。

でも そんな子どもたちが,同じように
「定時制に来たら 息をするのがラクになった」と言います。
これまで様々なストレス(「・・・ねばならない」の世界)に虐げられていたのかと思うと胸塞がれる思いです。

定時制に来たからといって,それまでのキツさがなくなってしまうわけではありません。
しかし,定時制の先生方は,毎日「始まりの会」で
生徒たちの昨日の言動からの〈気づき〉を報告し合い,情報を共有して,
どのような支えができるか,どのような導きができるかを考えていきます。
〈少しでもあの子の心の重荷が軽くなれば〉〈少しでも自分の将来に向かう勇気が出れば〉
定時制の先生方が共通して抱いている思いです。

「先生(大人)との垣根が低くなった」という言葉もよく聞く言葉です。
子育て支援課の方々と接した際も 多分同じような言葉を漏らしていただろうなと考えます。
ある定時制の卒業生が仰いました。
「あなたたちは未来を背負って立つ〈貴重な宝〉=〈人財〉なんですよ」。
とても素敵な言葉だと思います。

いまは
子育て支援課の方々や,地域の方々,中学校の先生方に繋いでいただいた
この貴重な宝の子どもたち 一人ひとりの
人生の伴走者として
ゆっくりと歩き続けられたら と考えています。

ハート 私の心は 解きほぐされ 軽くなっていきました

 天草高校の定時制では,毎日,様々な子供たちが,夕方から学校に集まり,「夢」実現のために勉強を続けています。

 その中の一人に 次のような作文を書いてきた子がいます。
 

 私は中学校二年生の時に学校へ行けなくなりました。

 私が家にいると家族から登校を強く促されるようになりました。

 自分でも「学校へ行かなくてはならない」と思いながら,どうしても登校できません。担任の先生が家庭訪問をしてくださいますが,状況は変わりませんでした。

 しばらくして,天草市の子育て支援課の方が自宅へ訪れるようになりました。
 初めは,その方との会話が成り立つこともなく,気まずい空気が流れるだけでした。
 しかし,何度かお会いするうちに私の心は解きほぐされ軽くなっていきました。やがて,次の訪問が待ち遠しくなりました。

 私は職員の方の包容力のある人柄に触れ,私の心の奥底に潜む得体の知れない何かを取り除いてくれたコミュニケーションの力のおかげで,再び歩みを始めることができました。

 私はいま定時制高校に進学し学んでいます。在籍している生徒たちの中には,天草市の子育て支援課のお世話になったことがある生徒が少なくないことを知りました。

 私はいま,夕方からの授業が始まる前に,公務員試験の勉強をしています。自分自身の経験を,自分と同じような状況にある人たちへの支援に生かし,市の職員として地元の人たちと関わっていきたいと思うようになったからです。

 先生方は,私の決意を知って応援してくださいます。

 引き続き,定時制の仲間たちとより良い学校生活を続けていくために,そして,将来,自分の経験が同じような境遇にある地元の子どもたちに生かしていくために,毎日勉強を頑張っていきたいと思います。

 静かな語り口ながら,天草市子育て支援課の方との貴重な出会いへの感謝が,じんわりと伝わってきます。サン=テグジュペリ『星の王子さま』の,王子に語り掛けるキツネの言葉のようでもあります。

 天草市子育て支援課の方々の,急がない 丁寧な そして継続的な支援に 心から感謝しています。

 学校の勉強も,公務員の勉強も,友達づくりも,必死に頑張っている彼には,将来,是非天草市の職員として,地域の若者や,すべての人々を支える役割を担って活躍してほしいと思っています。
 そしてその「夢」実現のために,これからも全力で,応援していきたいと思います。

 

「おれの目から見ると、あんたはまだ、ほかの十万もの男の子とべつに変わりない男の子なのさ。だからおれは、あんたがいなくたっていいんだ。あんたもやっぱりおれがいなくたっていいんだ。
 だけど、あんたがおれを飼いならし仲良くなると、おれたちはもうお互いに離れられなくなるよ。あんたはおれにとって、この世でたったひとりの人になるし、おれはあんたにとって、かけがえのないものになるんだよ」(サン=テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯訳より)

キラキラ 素敵なおくりもの

 5月12日(水)夜遅く 官舎の玄関の呼び鈴が鳴るので出てみると
 一人の女性が 暗い雨の中立っていました。

「突然 すみません 覚えていらっしゃいますか? 先日の自転車の・・・」
 と女性が話し始めると 後ろからぴょこんとお辞儀をして 笑顔の女の子が立っています。

「あーっ 愛ちゃん!」
 先日 官舎の前でゴムひもを自転車のギアに絡ませて途方に暮れていた女の子です。
 今日は いっぱいの笑顔です。

「先日は本当にお世話になりました。 何度かお伺いしたのですが いらっしゃらなかったので」
 というお母さんの言葉に続いて 女の子が

「ありがとうございました。自転車もちゃんと直りました。
 いまは 体育祭の練習に頑張っています!」

 と可愛らしい笑顔を見せてくれました。

 

 二人が帰った後
「これ どうぞ」と
 手渡してくれたものを見ると 女の子が一生懸命書いたメッセージです。

 笑顔通りの純な心が すーっとしみ込んできます。
 「このあとどのようにすればいいかまで教えてくださり」
 あの時の 不安だった気持ちが手に取るようにわかります。
 

 いつも思うのですが 私たちは 一人では何もできません。
 事実 この間も 私は 女の子の自転車のゴムひもを外すことはできませんでした。
 しかし 誰かの不安に寄り添うことは できるような気がします。
     周囲にSOSを出すことも できるような気がします。
 そして この先どうしたらよいのかを一緒に考えることも できるような気がします。

 あの時 おじさん三人組が 女の子の不安な心を少しでも支えることができたのならば
 本当にうれしい限りです。

 早速 今朝(5月13日)、朝礼が始まる前に、岩間先生たちに見せると
「うわーっ 素晴らしいですね!」
「ちょっと、聞いて 聞いて!」と周囲に先生方を集め メッセージの言葉を読んで聞かせています。


 またあの中学生の女の子から
 素敵な宝物をいただきました。
 今日も、素敵な木曜日の朝です!

 

追記

 おじさん三人組はあまりにうれしかったので 手書きで 愛ちゃんに手紙を書くことにしました。
 残念ながらその手紙は愛ちゃんのところに届けられて残っていないのですが
 手紙の内容が残っていたので 紹介します。

 

 先日は 朝から大変でしたね。
 このたびは お手紙付きのお礼までいただき ありがとうございました。
 お手紙を拝見したところ 自転車も無事修理が終わったようで
 新しい中学生活を楽しんでいることと思います。

 人との出会いには色んな出会いがあります。
 登校中の自転車のトラブルという形での今回の出会いは
 愛さんにとって 本意ではなかったことでしょう。
 ただ、あの日 愛さんがお礼を言って自転車に乗って去っていく姿を見た時
 私自身困っている人の役に少しでも立てたことを 嬉しく思いました。

 私は、優しさは リレーの「バトン」のようなものだと思っています。
 私もこれまで多くの人からその「バトン」を受けながら生きてきました。
 いや 今だってそうです。
 愛さんの これからの人生でも たくさんの人々と色んな出会いがあると思います。
 もし、その出会いが 何か困っている人との出会いであったならば、
 今度は 愛さんが その「バトン」をつないでくれたら嬉しく思います。

 最後になりましたが、愛さんの中学生活が充実したものになるよう 期待しています。
 頑張ってくださいね。

                        天草高校 岩間 智徳

 

 ご丁寧にお礼のメッセージをいただきありがとうございます。
 先日は 朝から 大変でしたね。
 その後 無事学校に着くことができ、自転車も修理できて元通りに乗れていると聞き、
 安心しました。

 私も 今まで生きてきた中で いろいろと困ったことがあったり
 どうすれば良いかわからないことになったりという場面をたくさん経験してきましたが
 その度に 周りの人に助けていただきました。

 愛さんも 今後 そのような場面に出会った時には
 困っている人に力を貸してあげられるようになっていただければ 嬉しく思います。

                        天草高校 内村 幸平

 

 先日は 雨の中 お母さんと わざわざあいさつに訪ねてきてくれてありがとうございました。
 しかも何度も訪ねてきて下さったとのこと 本当に申し訳ありませんでした。
 愛さんの笑顔を見ることができて本当に嬉しかったよ!

 私は 天草町高浜の出身です。
 中学に入学したばかりの時、小学校からの友人が苓北町の医師会病院に入院したので、
 バスを乗り継いでお見舞いに行ったことがあります。
 しかし 話に夢中になって、母と約束した午後四時過ぎのバスに乗り遅れてしまいました。
 バスの時刻表を見ると、次の最終バスが出るのは午後六時過ぎ。二時間ほどあります。
 当時はスマホもなく、親に連絡する手段もないので、『母が心配するだろうな』と思うと
 いつの間にか 海岸沿いの道を歩き始めていました。
 やがて 辺りを夕日が赤く染め、そして、日が落ち、足元も見えないくらいの闇がやってきました。
 怖くて歩を進めるのだけれど、行っても行っても灯り一つ見えてきません。波の音が静かに響いているだけです。
 やっと道のはるか遠くに灯りが見え始め、泣きながら必死に走ってたどり着いたのは、下田温泉の停留所でした。
 ベンチに座って泣き声を必死にこらえながら泣いていると
 『どうして もっと早く帰らなかった』と自分を責める声が響いてきます。
 しかしそれに答えることができないので また 涙を流すのです。
 あの時 あのバス停に人が居たら、たぶん、変な子供だと思われたかもしれませんが、
 抱き着いて泣いていたような気がします。

 しばらくすると 丸い灯りを灯したボンネットバスがやってきて、無事高浜まで帰ることができました。
 案の定 母にはこっぴどく叱られました。
 しかし、母のもとに帰ってくることができたというのがとても嬉しかったのを覚えています。

 だから、というわけではないのですが
 困っている人を見ると 自分ができる できない ということを飛び抜かして 声を掛けてしまうのです。
 誰かが横にいてくれるというだけで心が安らぐ 安心できるということを体験したから。

 ゴメンナサイ 余計な話を長々としてしまいました。
 愛さんの中学生活は これからがスタートです。
 たくさんの仲間に恵まれて 充実した楽しい三年間が送れることを願っています。
 お母さま方にもよろしくお伝えください。

         五月十四日          天草高校 馬場 純二

 

イベント いよいよ 明日は 第76回体育大会です!

 5月6日(木)抜けるような青空の下,体育大会の予行練習が始まりました。

 予行練習は,選手たちにとっては,大会当日の競技の流れを確認して,競技の手順等を確認するのが目的ですが,大会進行役の生徒会にとっては,大会当日の進行上の問題点を洗い出すのが大きな目的です。
 招集・準備・誘導のタイミング調整,選手名簿照合,出発・決勝の位置確認,放送のタイミング確認と,トランシーバーで各所を繋ぎながら,見事に進行表の隙間を埋め,放送原稿の書き直しを進めていきます。

「先生 この出発構成は,ラストの走者が3名になってしまいます。走る側からすると,とても走りづらい人数ですので,ラストから3チームを組み替えて,5・5・5で走らせたいと思いますが,どうですか?」
 招集担当の生徒会役員が,本部席の生徒会担当職員の所に協議に来ています。走る側の心情を汲み取って解決策を提案してくるところなど,さすが天高生です。

 最後の種目,団対抗リレーは,一番のクライマックスです。
「練習だと思うな! 本番のつもりで行くぞ!」
 団長から開始前に掛けられた一言が,みんなの心にも浸透しているようです。
 体育科主任の長田先生の判断で,全員のバトンリレーを確認させるため,本番どおりに走らせることにしました。団対抗リレーのアンカーは団旗を持って走ります。万が一にも事故があってはならないと,事故が起こる要素はないか洗い出しのためのリレーです。
「無理すんなよ。怪我せんごてな」アンカーに長田先生が優しく声かけると,いよいよスタートです。

 練習とはいえ,やはり全力疾走は,みんなの目と気持ちとを揺さぶります。
 大きな声を出せない分,両手を打ち鳴らして,全身を叩いて,全校生徒が必死に応援です。コーナーで,直線で,紅団,白団の選手が抜き返すたびに大きな拍手が起こります。バトンが落ちると,放送の声が一段と大きくなります。「頑張ってください!」
 見ているこちらも熱くなってきました。

 

 本当は,「体育大会に,是非,皆さんおいでください! 若者の真剣な勝負を目の当たりにして元気を得てください!」と言いたいところなのですが,コロナ感染拡大防止のため,保護者の入場は3年生一家族1名までに制限せざるを得ません。
 その他の学年保護者,地域の方々の観戦はご遠慮いただいております。本当に申し訳ございません。

 目に見えぬ誰かの思いを察し,直向きに仲間の力を信じて真剣に取り組む子どもたちは,この体育大会を自らの手で創り上げる経験を通して,胸に熱い焔を灯し,必ずや天草から世界を拓く若者に育っていくと信じております。

 当日の生徒たちの躍動する様子は,後日,HP等で発信していきます。
 今後とも天草高校の若者たちをご声援ください。よろしくお願いします。

汗・焦る チャリに ゴムひも巻き付き SOS!

 4月30日(金)午前7時半ごろ 校長官舎を出ると,真新しい中学の制服を着た女の子が,必死に,自転車のギアに巻き付いたゴムの荷紐を外そうとしていました。手には機械油がべっとり付いています。

 「ゴムが巻き付いた? おじさんが外してみようか」
と声をかけてしゃがんだものの,ギアに嚙みこんでなかなか外れません。新品の自転車を傷つけないように少しずつ噛みこみを外して,やっと最後の一巻き。しかし,この一巻きが,ギアの心棒に深く巻き付いていて,手も足も出ません。

 女の子が通う中学校の始業時間もどんどん迫ってきて,女の子は,目にいっぱい涙をためています。家には誰も居ないとのこと。そこで,女の子の通う中学校に電話して事情を説明し,少し遅れそうなことを伝えました。そして私も天草高校にSOSを送ることにしました。すると早速,電話のSOSを聞いた岩間先生や内村先生が,両手いっぱいにハサミやカッターやスパナ等を持って全力ダッシュで駆けつけてくれました。女の子の顔も少し和らいだようです。

 そして格闘すること15分,心棒に巻き付いた最後の紐をカッターで切断すると,ゴム紐はするりと岩間先生の手から落ちていきました。あとは外れたチェーンをはめて,ギアの変換を確認して,「よーっし 大丈夫だよ! 待たせたね。 中学校の手前の交差点に自転車屋さんがあるから,行きがけに寄って『荷紐が食い込んだから点検してください』って言って預けるといいよ。」よく響く声で岩間先生が女の子に告げると,内村先生が「じゃあ学校に行く前に 手をきれいにしていこうか。」と官舎の散水栓をひねって優しく女の子の手に水をかけています。「スカートが濡れるから立ったままで良いよ」よく気の付く先生たちです。
 女の子もヘルメットをかぶった小さな頭をぺこりと下げて,勢いよく自転車を漕ぎだしていきました。

 三人 油で真っ黒になった手を見つめながら,「朝から 可愛らしい笑顔を見ることができてよかったね」と,爽やかな気分で,始業時間を過ぎた学校に向かいました。

 三年後,今度は,天草高校の制服を着た女の子と再会できるかな?