校長室からの風

自分の強みは何か ~ 進路実現への挑戦

   「〇〇社から内定頂きました!」、「〇〇大学に推薦合格しました!」等の吉報を携え、喜色満面の3年生が校長室に報告に来てくれています。喜びを分かち合うと共に残りの高校生活への助言を贈ります。一方、不調に泣く生徒たちもいます。特に今年はコロナ禍の影響で就職状況が厳しく、求人数及び採用者数が減り、最初の採用選考で涙を呑むケースが目立つようです。

 希望の企業から採用内定を得られなかった生徒の落胆と失意は大きいものがあります。確かに、希望の企業から選ばれなかった現実は受け止めなければなりません。その企業が求める資質、適性の面で不十分だったのか、他校の受検者の方が成績優秀だったのか、原因は幾つか考えられます。しかし、あなたの全てが否定されたわけではありません。今回はその企業とのマッチング(相性)が合わなかっただけとも言えます。あなたにはまだ進路実現の時間と機会が十分に残されているのです。

 18世紀の作家デフォー(英国)の冒険小説『ロビンソン漂流記』は、ひとり無人島に流れ着いた船乗りロビンソンン・クルーソーが、絶望に陥らず、新しい生活を始める物語です。ロビンソンは、不安と失意を克服しようと努め、絶望的な境遇について、帳簿の貸方と借方のような形式で考えてみます。

「悪いこと 私は救出される望みもなく、この絶島に漂着した。

 しかし私は生きていて、船の他の乗組員は全部溺死した。

 悪いこと 私は人類から引きはなされ、この島で全く孤独に生活しなければならない。しかし、私は食糧がない、不毛な地で餓死することになったのではない。

 悪いこと 私は体を蔽(おお)う着物さえもない。

 しかし私がいる所は熱帯で、着物などはほとんどいらない。

 悪いこと 私は人間や野獣に対して自分を守る術がない。

 しかし私が漂着したのは、アフリカの海岸で見たような猛獣は住んでいないらしい島で、もしこれがあのアフリカの海岸だったならば私はどうなっていただろうか。」

                   (『ロビンソン漂流記』(デフォー、吉田健一訳、新潮文庫)から引用)

 このように考えを整理したロビンソンは、最悪と思える境遇の中にも希望を見出し、島での生活を始めていきます。

 一回目の試験に不合格となった生徒の皆さん。皆さんにはそれぞれの強みがきっとあります。逆境の今こそ、自分の強みを押し出して、次の目標へ進みましょう。終わった「昨日」を捨てることなくして、「明日」を創ることはできません。皆さんは絶海の孤島にいるのではありません。悲観する必要は全くないのです。進路実現への挑戦は始まったばかりです。

 

熊本復興文化祭 ~ 文化の熱気に触れる

 「未来へのエール」をテーマに、「熊本復興文化祭」が10月31日(土)~11月1日(日)にかけて熊本城ホールで開催されました。新型コロナウイルス感染症の長期化、そして夏の県南地域豪雨災害によって熊本県は厳しい状況にあります。そこで、中学、高校生の文化活動の発信によって、沈滞する熊本の社会を元気づけようと、テレビ熊本(TKU)が中心となって熊本復興支援の文化イベントが実施されることになったのです。

 文化の秋にふさわしいイベントであり、文化活動の多くの発表の場を失ってきた県内の中学、高校の生徒たちにとっては待望の機会となりました。会場の熊本城ホールは、熊本市中央区桜町の再開発事業で昨年秋に完成した複合施設内にあり、その規模(メインホール2300席)と言い、洗練されたデザインと言い、中学、高校生にとってはわくわくする舞台です。

 御船高校書道部は、11月1日(日)の午前10時半のオープニングに、1階展示ホール特設舞台で書道パフォーマンスを披露しました。3年生が引退し、2年と1年の新チーム(15人)になってから初めてのパフォーマンスでした。恐らく緊張していたことでしょう。しかし、声も高らかに出て、息の合った躍動感あふれるパフォーマンスを見せ、書きあがった作品の完成度も高いものでした。困難に負けない、未来へ進んで行くという意思を示した言葉でした。応援に来ていた3年生4人の前で、見事に伝統をつないだと私は実感しました。

 2階のエントランスロビーには、御船高校生をはじめ県代表の絵画、書道、写真の優秀作品が並んでいて、見ごたえ十分です。そして、4階のメインホールへも足を運んでみましたが、壮麗な大ホールで中学、高校の吹奏楽、合唱、ダンス、郷土芸能が相次いで出演し、存分に成果を発表していました。

 6月の県高校総合文化祭が中止され、夏の全国高校総合文化祭高知大会への生徒派遣もできませんでした。さらに12月に予定していた全九州高校総合文化祭熊本大会(主会場は熊本城ホール)も規模を縮小し、書道部門は応募された作品審査のみで、他県の生徒たちは来ません。高校教員としての無力感を覚え、文化活動に取り組む生徒たちへの申し訳なさを感じていました。今回、このような特別な機会を設けて頂き、関係各位に心から敬意を表します。

 若人が集結し、その創造的エネルギーを発信する。私たちが長らく忘れていたライブの熱気が熊本城ホールに充満していました。

 

「つなごう100年のバトン」

 「つなごう100年のバトン」と力強く墨書された文字と、100周年のロゴマーク、そして生徒同士がバトンをつなぐ瞬間の写真が組み合わさった御船高校創立100周年記念事業の看板が正門脇に掲げられました。「令和3年 御船高校は創立100周年を迎えます」と告知するために設置したものです。

 スローガンの「繋(つな)ごう100年のバトン」は生徒からの公募を行い、2年B組(電子機械科)の大西快人君の作品が選ばれました。告知看板には、書道の古閑先生に躍動感あふれる文字を書いていただきました。ロゴマークは3年4組(芸術コース)の岡部真寛さんの作品が選ばれました。100年の「1」に天神の森を見立てて、生徒の個性を表現する多彩な色で葉が描かれています。また、スローガンを写実化しようと、美術の本田先生が生徒をモデルに校庭でバトンをつなぐ鮮やかなイメージ写真を創られました。この告知看板そのものが、まさに御船高校の創造力の結晶と言えます。

 今を遡ることおよそ百年、大正11年(1922年)4月に本校は開校しました。すでに明治40年(1907年)に小学校6年制の義務教育が整えられていました。新しい時代(大正)に入り、中等教育への進学者数は次第に向上していました。戦前の中等教育は、男子は中学校、女子は高等女学校へ分かれて進学することになっており、学年は5年制(女学校は4年制が多い)でした。「上益城郡に中等教育を」という地域あげて設立の気運が盛り上がり、上益城郡の拠点であった御船の地に県立の旧制御船中学校の開設が認められたのです。第一期生は142人が入学を許可されました。旧制御船中学校は熊本県内で8番目に誕生した中学校です。

 大正時代には、御船高校の近隣の甲佐高校(旧制高等女学校)、宇土高校(旧制中学校)、松橋高校(旧制高等女学校)がほぼ同じ時期に設立されています。大正デモクラシーの風潮の中、熊本県において中等教育は急速に普及していったことがわかります。また、大正時代は鉄道が地方に普及した時代でもありました。大正5年には私鉄の熊延(ゆうえん)鉄道が熊本市の春竹駅(現在の南熊本駅)から御船町まで開通していました。しかし、甲佐町へ抜けるための妙見坂トンネルや御船川の鉄橋の難工事に時間を要しました。そして、御船高校開校の翌年の大正12年に御船町から甲佐町まで熊延鉄道がつながりました。地元住民は歓呼で鉄道開通を喜んだと伝えられています。

 熊延鉄道は昭和39年に姿を消しました。しかしながら、御船高校は百年の節目を迎えようとしています。私たち教職員、そして生徒の皆さんはこの伝統の学び舎の中間走者のようなものです。受け継いだバトンを次代につなぐという使命をもって、走っていきましょう。

 

 

 

「動員学徒殉難の碑」慰霊祭

    秋晴れのもと、10月25日(日)午前11時から御船高校で「動員学徒殉難の碑」慰霊祭を執り行うことができました。往時の動員学徒同級生(「天神きずなの会」)から酒井様と千場様のお二人がご出席くださり、在校生代表の生徒会の生徒たちに言葉を掛けていただきました。校長挨拶文を掲げます。

 

    本日、御船町町長 藤木正幸様、御船高校同窓会顧問 川野光恵様、そして「天神きずなの会」の皆様をはじめ関係各位のご出席のもと、令和2年度の「動員学徒殉難の碑」慰霊祭を開催できますことは、本校にとって誠に意義深いものがあります。この碑の前に立つと、歴史の尊さを感じ、粛然とした気持ちになります。

    昭和16年(1941年)に勃発した太平洋戦争の期間、学校も戦時体制に巻き込まれました。旧制の県立御船中学校の生徒の皆さんは、学徒勤労動員として、昭和19年10月20日に学校を離れ、長崎県大村市にある海軍の工場へ赴かれました。そして25日、アメリカ軍爆撃機B29の大編隊による空襲を受け、10人の方が亡くなられました。さらに翌年2月には、福岡の飛行機製作工場での厳しい労働環境の中、1人の方が病気で亡くなられました。

    戦後20年がたった昭和40年10月25日にかつての同級生の方達の発意で御船高校に動員学徒殉難の碑が建立されました。県立高校の敷地にこのような碑を有しているところは、他に類を見ません。以来、毎年10月25日に、碑前において式典を執り行ってきています。

    時は流れても、忘れてはいけない歴史を伝えるためにこの「動員学徒殉難の碑」はあります。今日の式典には、全校生徒を代表し生徒会の生徒達が出席しております。志半ばで斃れた先輩達の魂に、後輩の皆さんは守られていることを知っておいてください。

    本校は大正11年(1922年)に創立され、来年度はいよいよ百周年を迎えます。大正、昭和、平成、そして令和と、多くの人材が育ち、世に羽ばたいていきました。時代は変わっても、「天神の森の学舎」は、可能性豊かな若者と熱意ある教師の出会いの場であり続けます。

    結びに、創立百周年を契機に、御船高校はさらなる飛躍を目指すことをここにお誓い申し上げ、御挨拶といたします。

    令和2年10月25日

    熊本県立御船高等学校 27代校長 粟谷雅之

 

あれから76年 ~ 動員学徒殉難の日を迎える

 御船高校の正門を入った左手に白い石造の碑が立っています。11人の若者の姿がレリーフ(浮き彫り)された「動員学徒殉難碑」です。昭和16年(1941年)に勃発した太平洋戦争によって学校も戦時体制に巻き込まれました。当時の旧制県立御船中学校の男子生徒たちは、学徒勤労動員として、昭和19年10月20日に学校を離れ、長崎県大村市にある海軍の工場へ赴きました。そして25日、アメリカ軍の爆撃機B29の大編隊による爆撃を受け、10人の生徒が亡くなりました。さらに翌年2月には、福岡市の飛行機製作工場での過酷な労働の末、1人の生徒が病気で亡くなりました。

 ノーベル化学賞を2008年(平成20年)に受賞した生物学者の下村脩氏(1928~2018)の回顧録にも、この大村海軍航空廠(しょう)の空襲が記されています。旧制諫早中学校(現 長崎県立諫早高校)の生徒として下村氏も現場にいたのです。九州各県の旧制中学校の生徒達が動員されていたことがわかります。この時の大空襲での犠牲者は300人を数えました。

 戦後20年がたった昭和40年10月25日にかつての同級生の方達の発意で御船高校に動員学徒殉難碑が建立されました。以来、毎年10月25日には、碑前において式典を執り行ってきています。『とあまりひとり』と題された追悼記念誌も編纂され、校長室に保管されています。この記念誌の中に旧職員の永上清氏の「あれから20年」という追悼録が収められています。今年も、この文章を全校生徒で読みます。10月22日(木)と23日(金)の始業前の朝の時間に、放送委員の朗読が流れ、それに合わせて読むことになります。

 今年も10月25日が近づいてきました。本年は日曜日です。午前11時から同窓会主催の慰霊祭が碑前にて開催されます。往時の同級生の方達は「天神きずなの会」を結成され、高齢をおして毎年出席されていますが、齢(よわい)90を超えられました。学校からは生徒会役員、そして私たち管理職や同窓職員が出席します。

 令和2年の今年は戦後75年になります。大村海軍航空廠での学徒殉難からは76年の歳月が立ちました。時は流れても、忘れてはいけない歴史を伝えるために「動員学徒殉難碑」はあります。そして、志半ばで斃れた先輩達の魂が、後輩の生徒の皆さんを見守っていると信じます。

 

地域の皆さんと共に生徒を育てる ~ 総合的な探究の時間

 10月15日(木)の2学年の「総合的な探究の時間」には、地域のゲストサポーターが16人も来校されました。皆さん、御船町商工会に所属されている方達です。平日の御多用な時間に、本校の教育活動に献身的にご協力頂くことに恐縮の思いです。授業開始の1時間前には集まられ、担当学級の教員と熱心に打ち合わせをされる姿には頭が下がります。

 2学年の「総合的な探究の時間」(1~4組)では、誰もが住みやすい社会にするために、現在の社会の課題に気づき、どうすればそれらを改善、解決していくことができるかを考え、提案する取り組みを続けています。その中間提言に対し助言をいただくため、各分野の職業人であるゲストサポーターの方達に来ていただいた次第です。私は2年3組の6つの班の発表を聴きました。

1 子どもの野菜嫌いを防ぐために、野菜を練りこんだお菓子(クッキー)を

  つくり、販売する。

2 地域に空き家が増えており、リフォームしておしゃれな店舗に作り替え

  るなどして減らす。

3 中山間地での獣害被害が増大しており、駆除や防護柵等、その対策に力を

  入れる。

4 コロナ禍で旅行が制限されているため、VR(ヴァーチャル・リアリティ)

  旅行を積極的に発信する。

5 高齢者運転による交通事故が社会問題となっており、より安心安全な自

  動制御の車をつくり、事故を減らす。

6 コロナ禍で皆がマスクを着用しているが、たとえばシルク製のような肌

  荒れしない抗菌マスクを製造する。

 いずれもまだまだ未熟な内容です。すでに大人が考え、試行錯誤しているものばかりです。しかし、ゲストサポーターの方たちは、「よく気付いたね」と認め、「こんな問題があるから進まないんだよ。このことについて次は考えてごらん」と具体的に助言をされました。一方、発表の声が小さい場合、「もっと大きく、はっきりと話して!」、聞き手の生徒側に私語があると「発表内容に関係ない私語はやめて!」と注意も飛びました。

 少子高齢化、人口減少などの社会構造の転換で、地域社会は様々な問題に直面しています。簡単に問いが見つからない状況です。しかし、高校生は、その社会の現実を学びながら、次第に社会の一員としての意識を持つことが大切です。

 熱意ある地域の皆さんと共に御船高校は「地域の担い手」を育てていきます。

 

 

3年生を励ます ~ 就職試験の始まり

 

    いよいよ明日、10月16日(金)から今年度の高校卒業予定者の就職試験が始まります。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、例年より約一か月遅いスケジュールです。昨日14日(水)の7限目、本校セミナーハウスにて、就職希望者(公務員志望者は除く)に対する激励会を行いました。3年生51人、さすがに意識が高く、全員マスクを着用して5分前に集合し、私語もありません。緊張感が漂うなか、校長として励ましの挨拶を行いました。

 私は20代から30代にかけて3年生担任を4度経験しています。未熟な担任であり顧みると恥ずかしい限りです。その中から一つの体験を紹介しました。

  「教員志望の男子生徒でした。最終の進路面談で、私が『教員志望とは知っているが、校種や教科は決めているのか?』と尋ねました。すると、彼は『高校の家庭科の教師になりたい』と言いました。『えっ、家庭科?』と私は驚きました。私自身が家庭科を学んだのは小学校までだったのです。中学校では女子が家庭、男子は技術を履修しました。高校では女子が家庭科を学んでいる時間に、男子は剣道か柔道の武道を履修することになっていました。家庭科が男女ともに必修教科となったのは中学校が平成5年、高校が平成6年でした。今から25,6年前です。この男子生徒は男女必修の最初の学年の生徒だったと記憶しています。初めは驚きましたが、彼と話している内に、自分が恥ずかしくなりました。男女共同参画社会になったと生徒たちに社会の変化を説きながら、自分自身の意識は昭和のままで、自分こそ社会から遅れていると思いました。」

     なぜ、私の未熟なエピソードを紹介したかというと、いつの時代も新しい扉を開くのは若者だからです。大人の私たちは一つ前の時代の思考回路です。しかし、高校生は違う。彼らが就職し、仕事をしていくことから、コロナ禍の次の新しい社会は動き出すと期待しています。

     新型コロナウイルス感染の影響で、企業とのオンラインでの面接等が実施されるのではと心配していました。しかし、現時点では本校でのオンライン受験は予定されていません。これまで培った力を大いに発揮してほしいものです。

    小、中学校、高校と12年間の学校教育の目標は、一言で表すなら、子どもを自立(独り立ち)させるためです。就職し、自ら収入を得て、保護者から経済的援助を受けずに生活できることが自立の第一歩です。自立へのわくわくした期待感と新しい世界への挑戦の気持ちで就職試験に臨んでほしいと思います。

    3年生全員の進路達成の日まで、御船高校全職員で支えます。 

 

 

 

今年度の修学旅行について

 初めて私が修学旅行の引率をしたのは教員になって2年目、26歳の時でした。30年余り前のことです。当時の熊本の県立高校の修学旅行は飛行機を使用していませんでした。従って、私の勤務高校の場合、行きは博多駅から新幹線で関西に入り、京都、奈良を回って東京へ新幹線で移動。帰りは大阪から大型フェリーに乗船し、一晩かけて大分港へ帰ってくるという行程でした。四泊五日だったと思いますが、とてもタフで長く感じました。しかし、学校に帰り着いた時は疲労感以上に担任学級の生徒たちとの連帯感を強く覚えたものです。その後、教諭として修学旅行引率を幾度か経験しましたが、飛行機を使用するようになり、宿泊先も次第に洗練された大型ホテルが多くなりました。校長としては前任校で3回引率しましたが、旅行団長としての重責を感じました。

 御船高校では本年12月に東京を中心とした3泊4日の修学旅行(2年生)を計画していました。今年度、新型コロナウイルス感染拡大に伴う1か月半の臨時休校を経て、5月末から学校再開をした時点において、「修学旅行をどうするか」ということは学校にとって大きな課題となりました。

 修学旅行は高校3年間で一回だけ体験する、唯一無二の学校行事です。そして、保護者の方々の旅費負担でもって成立するものです。慎重に検討する必要があると考え、先ず7月に2学年保護者全員に対し、修学旅行のあり方に関するアンケート調査を実施しました。その結果は、74%の方が実施を希望されていること、その中のおよそ半分の方が行先変更の希望でした。一方、全体の23%の方が中止した方がよいというお考えでした。これらの保護者の皆さんの意向を踏まえ、旅行業者の方の助言を受けながら、学校で検討を重ねました。8月には2学年の保護者代表の方と教職員とで協議の場を持ちました。そして、当初の期日、行先を変更し、1月に長野県でのスキーを中心としたプランで実施する方針を固めた次第です。

 10月7日(水)の午後、2学年保護者の方々を対象に「修学旅行説明会」を本校体育館で実施しました。事態は流動的で、今後の本県及び旅行先の感染状況の悪化に伴い中止せざるを得ない場合もあります。キャンセル料はどうなるのか、旅行の感染対策はどうなっているのかなど保護者の皆様の不安や疑問にお答えする機会になったと思います。

 誰もが経験したことがない事態の中、修学旅行を実施することとなります。修学旅行は高校生にとってかけがえのない特別な活動であり、教育的意義は大きいものがあります。だからこそ、長く学校文化の中に定着していると思うのです。  

 保護者のご協力を得て、無事に実施できるよう全力を尽くしていきたいと思います。出発の日を迎えるまで、まだまだ予断を許さない状況が続きそうです。

 

DXとは何? ~ 熊本県高等学校情報教育に関する連携協定の調印

   「情報」という教科が高校で教えられていることは保護者の方でもほとんどご存知ないと思われます。教科「情報」は、社会の急速な情報化の進展に伴い、平成15年度(2003年度)に設置された新しい教科です。従って、35歳以上の保護者の方はご自身が高校生の時にはなかった教科なのです。

 教科「情報」は全ての高校生が履修する必修教科です。御船高校では、普通科の生徒が1年次に「社会と情報」(週2時間)という科目を学んでいます。内容としては、情報通信ネットワークの仕組みや情報社会の課題などを理解するもので、情報機器(コンピュータ)を用いての実習もあります。また、電子機械科ではより専門的な情報技術の学習を2年間にわたって取り組みます。

 実は、熊本県高等学校教育研究会「情報部会」という県内高校の教科「情報」担当者の団体があり、その事務局を昨年度から御船高校が受け持っているのです。会員数は、県立高校76人、市立高校8人、私立高校28人で計112人です。

 9月23日(水)、一般社団法人「熊本県情報サービス産業協会」と私どもの熊本県高等学校教育研究会「情報部会」は、「熊本県高等学校情報教育に関する連携協定書」の調印を行うことができました。「熊本県情報サービス産業協会」は県内70の企業で組織され、講演会やセミナーの開催を通じてIT(情報技術)の向上に努められています。同協会と連携協定を結ぶことで、高校の情報教育の充実を図ることができると大いに期待されます。

    教科「情報」は転換期にあります。令和4年度(2022年度)から高等学校は新教育課程に移行しますが、教科「情報」の内容に問題の発見と解決のためにプログラミングを活用することが盛り込まれました。教科の専門性が高くなる中、「情報」担当の教員のスキルアップが求められているのです。また、企業の技術者と高校の教員が一緒に研修を受け、情報交換を行うことで、企業と学校の相互理解がさらに進むものと思われます。

    先ずは、今年度はトライアル(試行)として3人の教員が10月末からの「熊本県情報サービス産業協会」の研修に参加する予定です。6回シリーズのこの研修のテーマは、今話題の「DX」(デジタルトランスフォーメーション)です。DXとは、デジタル技術を浸透させて人々の生活をより良く変革するという意味の言葉のようですが、具体的にどんな実践なのか、私自身がまだ分かっていません。

 今年度から小学校でプログラミング教育が導入されたことは多くの方がご存知でしょう。未来の情報社会の担い手である児童、生徒を大きく育てるためにも、私たち教員が社会と関わり、変化し続けることが必要でしょう。

 

思いを込めて「書道パフォーマンス」 ~ 秋の全国交通安全運動

 熊本県警から依頼を受け、御船高校書道部は県警音楽隊の演奏に合わせ交通安全を呼び掛ける作品を「書道パフォーマンス」で創り上げました。9月17日(木)、場所は県警察学校体育館(熊本市)です。

 3年生4人、2年生5人の計9人が揃いの袴姿で臨み、縦4m、幅6mの大きな紙に力強い文字を表しました。そして、その様子が交通安全を呼び掛ける啓発動画に収録されたのです。引率した書道の職員によると、撮影は午後1時頃から始まり、終了したのは午後5時を回っていたとのことでした。映像制作のスタッフからの指示や注意を受けながら、書道パフォーマンスを3回繰り返したとのことでした。私は幾度も実演を見ているのでわかるのですが、高い集中力が求められ、心身ともに大きなエネルギーを要するパフォーマンスです。大筆を抱え、リズムに合わせて躍動し、気合の入った掛け声が飛び交います。練達の書道部員にとっても、相当な疲労だったと想像します。

 しかし、彼女たち9人はやり遂げたのです。関係者の方々へ最後の挨拶では、部長の村田さんが「今年度は新型コロナウイルスのため、書道パフォーマンスを披露する機会がありませんでした。このような場を与えていただき、感謝します」とお礼の気持ちを述べました。顧問の古閑教諭、緒方教諭にとっては胸に迫る部長の言葉だったそうです。

 御船高校書道部の「書道パフォーマンス」は近年注目され、様々なイベント等で披露する機会が増えてきました。昨年は、新元号「令和」に伴うテレビ番組出演をはじめ県高校総合文化祭開会式、秋の熊本城「お城まつり」など大きな舞台が相次ぎました。ところが今年度は新型コロナウイルス感染拡大に伴い、部活動も自粛を余儀なくされ、「書道パフォーマンス」も封印してきました。3年生にとっては全国総合文化祭(高知県)も縮小され参加できませんでした。そして、9月上旬の県高校「揮毫大会」を終え、3年生は引退の時期を迎えた最後に、県警からこのような特別の場を提供頂いたのです。心中、期するところがあったと思います。

 本番二日前、学校の中庭での最後の練習を私は見ました。短パン、ジャージ姿の生徒たちは、大きな紙の上で筆と一体となり気持ちをぶつけるような気迫が感じられました。足に墨が飛び散るのも気にせず、一心不乱の様子に圧倒されました。きっと本番では渾身の力を振り絞ってくれるだろうと私は確信しました。

 御船高校書道部の「書道パフォーマンス」が復活しました。今回は先輩たちのパフォーマンスを見守っていた1年生に対し、3年生は大きな贈り物をしていったと思います。