校長室からの風

体育祭の中止について

 今年度の体育祭を中止することとしました。名状し難い苦渋の決断です。

 本校の体育祭は例年5月上旬に実施していますが、今年は新型コロナウイルス感染予防のため臨時休業(休校)となり、10月に延期し実施の可能性を探ってきました。現在、学校は平常の教育課程で教育活動を行っておりますが、新型コロナウイルスの脅威はいまだ収束しておらず、感染防止と学校生活の充実との両立は困難さが伴っております。このような中、体育祭のあり方について検討した結果、今年度の中止を決定いたしました。

 体育祭中止の理由は大きく二つあります。一つは、体育の授業において、密接、密集を避けるため集団の演技、競技が難しい状況が続いていることです。もう一つは、高校3年生の就職試験が例年より一か月遅くなり、応募書類提出が10月5日から、採用試験開始が10月16日となったことです。このため、3年生の就職採用試験時期と体育大会予定期日が重なってしまいました。

 6月22日(月)、各教室で担任が体育祭中止を生徒の皆さんに告げました。そして、「今年度の体育祭の中止について」という保護者の皆様宛てのお知らせの文書を配布しました。学年ごとに受け止め方が違うと思います。特に最終学年である3年生にとっては、学校生活の集大成とも言える体育祭の中止は重く響いたことでしょう。高校総体、高校総合文化祭、夏の甲子園大会等、中止が相次ぎました。体育祭については、規模の縮小や競技種目の変更など、私たち教職員も様々な視点から実施の可能性を検討してきました。しかしながら、生徒の皆さんの健康安全面への不安を払しょくできず、加えて3年生の5割近い生徒が就職する本校の進路状況を重視し、中止の決断に至りました。

 「新時代をかける風」のテーマで開催された昨年5月の体育祭を思い出します。新元号令和のもとの最初の体育祭は、三つの団が3年生のリーダーシップのもとに競い合い、久しぶりに3団の演舞も披露され、御船高校の活力と生徒の一体感が発揮され、赴任したばかりの私に強い印象を刻みました。あれから一年、社会が、世界がこれほど激変しようとは誰が想像したでしょうか。

 学校として、多くの大切なものが失われ無力感を覚えることもあります。しかし、最後、絶対に守らなければならないことは生徒の皆さんの未来です。未来への大きな一歩となる3年生の進路実現については、一人ひとりの気持ちに寄り添い、全職員で支えていく覚悟です。

 

創立百周年記念事業への大きな一歩

   5月12日(金)、御船高校セミナーハウスにおいて、「創立百周年記念事業第1回実行委員会」を開催しました。徳永明彦会長をはじめ同窓会役員の方をはじめ、育友会役員、学校教職員と合わせて35人が集いました。

 本校は、大正11年4月に旧制県立御船中学校として開校以来、二万四千人もの人材を輩出し歴史を重ね、いよいよ令和3年に創立百周年の記念すべき年を迎えます。「誠実、自学、自律」の三綱領を掲げての百年の歩みは決して平坦なものではありませんでした。5年前には熊本地震の被害を受け、今年は新型コロナウイルス感染拡大に伴い三か月の臨時休業を余儀なくされました。しかしながら、開校以来、変わらずこの地にあって、地域住民の方々や同窓会の皆さんから支えられ、親しまれ、信頼されて、歩み続けています。

   創立百周年の節目を迎えるに当たり、「建学の原点へ、そして未来へ」と複眼の精神を私たちは持つ必要があると思います。大正時代、上益城郡にも中等教育の充実をと願う人々の期待を担って、県内8番目の旧制県立中学校として本校は誕生しました。大正、昭和前期の旧制中学校(男子校)の意気軒高たる生徒たちの物語は今も語り草です。さらに戦後、男女共学の新制の県立高校となって先輩方が築いてこられた輝かしい伝統があります。そして今、少子高齢化が進展し地域社会が変容する中、上益城の地のかけがえのない拠り所(コミュニティ・スクール)として更なる飛躍が求められています。

   「創立百周年記念事業第1回実行委員会」では、令和3年10月8日(金)の記念式典開催を中心とした記念事業の大枠を決定しました。新型コロナウイルス感染が全国的にいまだ収束せず、来年に向けても不安をぬぐい去ることはできません。また、社会経済情勢はまことに厳しく、同事業の遂行に必要なご援助をどれだけ賜ることができるか見通しは立ちません。しかし、たとえ式典の簡素化や事業の縮小化の事態が待っていようとも、今の時代にふさわしいものを創り上げようという思いが出席者全員で共有できました。大きな一歩を踏み出すことができたと思います。

   創立百周年事業は、学校と同窓会が一体となって、次の百年に向かって確固たる礎を築く好機となります。関係者全員で力を合わせて取り組むことで新たなエネルギーが湧き起こり、逆境の中にあっても御船高校は進んで行くことでしょう。

 

部活動再開

 御船高校の部活動が今週から再開しました。これまで無人だった放課後のグラウンドで、さっそく、サッカー部、野球部、テニス部が練習する光景が見られました。また、体育館からは男女バレー部の気合の入った声が響いてきました。先週から、書道部や吹奏楽部など準備の整った文化系部は始動していましたが、体育系部活動が再開したことで、学校の日常は完全に回復されました。

 本校には、14の体育系部活動(同好会が一つ)、12の文化系部活動があります。部活動加入は任意で、生徒の皆さんの自主性を尊重しています。自ら興味関心のある活動を通じ、多くの出会いと豊かな成長が期待され、高校における部活動の意義は大きいと考えます。特に本校の場合は、普通科特進・総合クラス、芸術コース、電子機械科と多様な教育課程で学ぶ生徒たちがこの部活動で知り合い、「チーム御船」としてまとまっていくのです。

 高校生の可能性は無限です。自分自身でもその可能性や適性がまだわかっていません。「一から教えるから、普通科の生徒にもロボット部やマイコンカー部に入ってほしい」と電子機械科の職員がエールを送ります。吹奏楽部は普通科、芸術コース、そして電子機械科と全ての教育課程の生徒が所属し、一つのハーモニーを創り上げており、本校の特色の「多様性」を象徴する部活動と言えるでしょう。部活動によって、クラスや学科・コースの枠を超えた交流ができ、異なる個性を認め合う共生の学び舎が築かれていると思います。

 近年、書道、美術、吹奏楽、写真等の文化系部活動が県内トップクラスの活躍を見せています。一方、体育系部活動は加入率がやや減少していることが気になります。今年度、男女バレー部には本校同窓生で高い専門性を有した部活動指導員の方を配置することができました。他の部でも顧問が交代し、新たに出発するところもあります。そして、何よりも、三か月の間、好きなスポーツができなかった時間をエネルギーに変え、生徒の皆さんが躍動してくれることを信じています。

 春のセンバツ、夏の甲子園大会中止は高校教育関係者に衝撃を与えました。しかし、熊本県高校野球連盟は県独自の夏の大会開催を決定しました。また、春のセンバツに出場が決まっていた学校のために、8月に甲子園球場で代替の交流試合を開催すると日本高校野球連盟が昨日発表しました。

 高校生の部活動にようやく明るい兆しが見え始めました。他の競技、そして文化系部活動にも広がるよう心から願っています。

 

「前に進む強い意志」 ~ 生徒会長からのメッセージ

 6月8日(月)、朝8時半から今年度最初の生徒会主催の全校朝礼が行われました。昨年度までは、全校生徒が体育館に集合し、生徒会長の挨拶、生徒会からの連絡、そして校歌斉唱という順序で全校朝礼が実施されました。しかし、新型コロナウイルスウイルス対策を踏まえ、今年度最初の全校朝礼は校内放送で行われ、全校生徒は各教室で聴きました。

 生徒会長の田中さん(電子機械科3年)の全校生徒へのメッセージは、私たちの心に深く届きました。「賑やかになりつつある御船高校に喜びを感じます。」と田中さんは切り出した後、高校総体、高校総文祭、夏の甲子園大会など部活動の集大成の場がなくなったことへのやり場のない憤りや悔しい気持ちを語ります。田中さん自身、1年次から目標としてきたモノづくりコンテスト及び技能検定試験が中止になったことで目標を失い、喪失感でいっぱいになったと率直に自分の心情を述べました。しかし、田中さんは、自分自身がそれほど悔しい気持ちになったということは、それだけ「努力をしてきたということ」、目標に向かっての「強い意志があったこと」に気づいたと言うのです。

 田中さんは、同級生である3年生に呼びかけます。「今までの努力を捨てるのではなく、これまでの強い意志を次に託しませんか」、「前を向いて、かっこよく前に進みましょう。」と。きっとこの言葉は、3年生を励ましたことと思います。後輩の2年生に対しては、「先輩を追い抜くぐらい頑張ってください。」とエールを送り、これから高校生活が始まる1年生には「新しいことに挑戦」することを望みました。

 最後に、新型コロナウイルスの脅威が収束していない状況に触れ、「自分自身へ問いかけながら、今の行動が正しいのかをよく考え、自分のためみんなのために体調に気をつけて過ごしましょう。」と締めくくりました。簡潔で、気持ちのこもった生徒会長からのメッセージでした。聴いた生徒の皆さん一人ひとりが受け止め、これからの学校生活に活かしてくれるものと期待します。強い意志で前へ進もうという生徒会長のメッセージで一週間が始まったことは御船高校にとって大きな意義があると思います。

 学校再開という希望に支えられ、生徒のみなさんと私たち教職員は長い休校期間を過ごしてきました。漸く学校は再開されました。しかしながら、失ったものは大きく、今後も様々な制約があり、以前のような学校生活は戻ってきません。けれども、前へ進む強い意志があれば、私たちの学校、御船高校の新しい航海の前途は洋々と思っています。

 

全国高等学校ロボット競技大会中止の報に接して

 10月24日(土)~25日(日)に大分市で開催予定だった第28回全国高等学校ロボット競技大会の中止が発表されました。新型コロナウイルス感染防止の観点から、県を超えた人の移動を避けるため中止の判断に至ったようです。「とうとうロボット大会までもか」と暗然とした気持ちになりました。中止決定を知らせてくれた電子機械科の職員も肩を落としていました。

 御船高校は、これまで全国高等学校ロボット競技大会において通算9度の優勝を果たしており、高校ロボット競技の世界では広く知られています。このことは電子機械科の職員と生徒たちの弛(たゆ)みない努力の成果と思います。昨年の第27回全国高等学校ロボット競技大会(新潟県長岡市)では10度目の優勝に挑みましたが、決勝トーナメント1回戦敗退という大変厳しい結果に終わりました。敗退が決まった瞬間、ある生徒は両手で頭を抱えて天を仰ぎ、ある生徒はフロアにしゃがみ込んでいた姿が今も目に焼き付いています。

 昨年の1回戦敗退直後から、御船高校マイコン制御部ロボット班の生徒たちはV奪還を目指し、部活動に取り組んできました。新型コロナウイルス感染拡大に伴う長期の臨時休校期間も、秋の全国大会は実施されると生徒たちは信じていました。5月中旬の登校日に部長の緒方君(3年)に会った時、「自宅でもロボット競技のことばかり考えています」と明るい表情で話してくれました。しかしながら、彼らの活動の集大成の場は失われたのです。全国高校総体、全国高校総合文化祭、夏の甲子園大会をはじめ各種の大会や重要な検定試験等がのきなみ中止となっています。

 「このまま終わらせるのは、あまりにも生徒が可哀そうです。」と今日も電子機械科のある職員が私のところに来て、無念の思いを訴えました。この思いはすべての部活動の顧問、いやすべての高校教職員共通のものでしょう。

 本校では部活動は6月8日(月)から一斉に再開する予定ですが、まだ、新入生は部活動への入部手続きも終わっていません。御船高校電子機械科でロボットを作りたい、操作したいとの熱い志望動機で入学してくれた生徒が今年も幾人もいます。彼らのためにも、2年余り取り組んできた3年生の最後の出番を設けてやることができないか、考えなければなりません。

 学校とは、生徒たちが安心して生活できる居場所と輝く出番がある世界のはずです。本校独自で、または地域の学校のネットワークでもって、3年生の最後の出番を創り出していかなければと強く思います。

 

水の恵みの手洗いやうがい

   「手洗い励行」の標語ポスターが小学校・中学校の手洗い場には必ず掲示されています。学校生活では、事あるごとに手洗いを励行しています。私の小学校時代もそうでした。神社に参拝するとき、手を洗い清める作法が定着しているように私たち日本人には手を洗うことは基本的生活習慣となっています。

   さて、新型コロナウイルス感染対策に伴う「新しい生活様式」では、「こまめに手を洗うこと」が筆頭に挙げられています。ウイルスは手に感染し、手を口に持っていくことから体内に侵入するのが一般的だそうです。従って、先ず手洗いをすることが感染対策の基本となります。たとえ消毒液を使わなくても、30秒ほど水で丁寧に洗うだけで効果は大きいと言われています。

   私たちにとって手洗いやうがいは当たり前の行動で、習慣化しています。しかし、世界にはこれが簡単にできない国、地域が多く存在するのです。国連によると、安全な飲料水サービスを受けられない人が21憶人、不衛生な水の生活環境で暮らす人が45憶人もいるとのことです。21世紀世界の最大の資源問題は水不足だと言われています。20世紀後半からの世界の急激な人口増加に水の供給量が追いついていないのです。水は日々の暮らしだけでなく、農業や工業等でも重要です。水は、健康、環境、経済と多くの社会要因と密接に関わっています。水不足が解決されなければ持続可能な社会は成り立ちません。

   このような世界の水問題事情から考えると、日常、飲料水で手洗いやうがいが存分にできる私たちはなんと恵まれているのでしょうか。この水の恩恵は、わが国の自然環境だけでなく、井戸を掘り、水の涵養林を植え、上水道を整備してきた先人たちのお蔭にほかなりません。近年はシャワーや入浴など日本人の生活上の水の無駄遣いが問題になっています。あらためて、限りある「命の水」に対して、私たちは謙虚な気持ちになりたいと思います。

   新型コロナウイルス感染の脅威は依然続いています。しかし欧米諸国と比較すると、わが国の感染者数はいまだ桁(けた)違いに少ない状況にあります。都市や地域を封鎖するような強硬手段を取ったわけでなく、PCR検査数も少ない日本がどうしてウイルス感染者数を抑制できているのか、欧米のメディアでは不思議だと報道しています。ひょっとしたら、その理由は豊潤な水の恵みによって手洗いやうがいが習慣化した日本人の生活文化かもしれません。

   生徒の皆さん、手をこまめに洗いましょう。これから夏に向かいます。手を洗うことは涼しく気持ちよい行為です。一日に幾度も洗いましょう。

                 分散登校風景

 

「夏のマスク」 ~ 新しい生活様式の始まり

   御船高校では5月25日(月)から分散登校による授業を始めています。生徒の皆さんの様子からは休校前とあまり変わらない印象を受けます。しかし、休校前と現在で、外見上はっきり異なっている点が一つあります。それは全員がマスクを着用していることです。

   例年、季節性インフルエンザ予防のため、冬にマスク姿が増えるのは学校の常です。しかし、今は初夏です。来週から6月です。日中は25度を超える夏日が続き、30度を超える真夏日も珍しくありません。熊本の夏は長く、蒸し暑いのが特徴です。マスクは冬の季語だそうですが、「夏のマスク」が今年のわが国の状況を象徴していると思います。

   三か月に及ぶ長期休校という長いトンネルをようやく私たちは抜け出ることができました。出口の光を目指して行動自粛の生活を耐えてきたのですが、トンネルに入る前と同じ光景はありません。新型コロナウイルスの感染予防の「新しい生活様式」が厚生労働省から公表されました。トンネルを出ても、私たちはすぐには元の生活に戻れないことを自覚する必要があります。

   しかしながら、「新しい生活様式」とは決して難しいものではありません。コロナウイルスは人間に寄生することで存在し、人間を介して伝染していきます。そしてウイルスは肉眼では見えないために、とてもやっかいです。前回の「校長室からの風」で言及したように「想像力」が一層求められるのです。

   見えなくても、そこにウイルスがあると考え、人の密集の場を避け、他者と適切な距離を設けた日常生活を送ることです。そしてマスクの着用です。電子顕微鏡でようやく見ることができるコロナウイルスを、市販のマスクでは防げないという意見があります。けれども、マスクは咳やくしゃみなどの飛沫の拡散を防ぐことに大きな効果があり、最低限のエチケットとしてマスク着用は守らなければならないと思います。蒸し暑いからマスクを外してもいいだろうという自分勝手な行動は許されません。社会の安心というものは、一人ひとりが参加しない限り守れないのです。

   夏の暑さに対応したクールなマスクも市場に現れています。素敵なマスク姿の「マスク美人」も増えてくるかもしれません。マスクと共にこの夏を過ごしましょう。マスクが不要になった日こそ、コロナウイルス終息の時でしょう。

   最後に、進化論を唱えた生物学者のダーウィンの言葉を掲げます。

「強い生物が生き残るのではない。この世に生き残る生物は、変化にいち早く対応できたものである。」

 

               校庭のバラ園と登校してきた生徒(2年生)

「他者への想像力」が感染を防ぐ

   5月25日(月)から御船高校では授業再開となりました。クラスの出席番号で奇数と偶数で生徒を二分し、奇数組が午前3時間授業を受けた後、午後に偶数組が登校し3時間授業を受ける分散型授業です。2週続けて同じ授業を行い、来週は午前と午後の生徒を入れ替えて、2週間で1週間分の授業を受け終える仕組みです。新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言は解除されましたが、密集した集団生活を避けるためと、長期休業の生徒の心身への影響を考慮し、学校生活への慣らし期間と位置付けています。

 再開された学校生活で気持ちが高ぶっているかもしれない生徒の皆さんに対して求めたいことが、「他者への想像力」です。この言葉は、わが国のウイルス感染症研究の第一人者である押谷仁(おしたにひとし)先生が著書で述べられているものです。

   押谷先生は、現在、厚生労働省新型コロナウイルスクラスター対策班のリーダーとして陣頭指揮をとられ、感染拡大防止のために不眠不休の努力を続けておられる方です。この押谷先生の著書『パンデミックとたたかう』(作家の瀬名秀明氏との対談形式、岩波新書、2009年11月刊行)が本校図書室にあることを知り、先週読みました。現在のわが国の状況を示しているかのようなタイトルですが、2009年から2010年にかけて世界的流行となった新型インフルエンザ対応に関する押谷先生の見解がまとめられています。およそ10年前の本ですが、今日の事態を予想した警告の書となっています。

   ウイルスは肉眼では見えません。そして、新型インフルエンザも今回の新型コロナウイルスでも若い世代は重症化しない傾向にあります。しかし、だからこそ、「自分だけ感染しなければ良い」、「もし感染しても自分は軽症ですむから心配いらない」のような利己的な考え方はとても危険だと押谷先生は言われます。あなたは感染しても無症状かもしれないが、あなたを介して、妊婦さんや基礎疾患のあるお年寄りにウイルスが広がっていくかもしれないと「感染鎖」の恐怖を強調されます。人は、世界はつながっているのだという「他者への想像力」が重要だと繰り返されるのです。

   2009年の新型インフルエンザは関西の高校では臨時休校の措置がとられましたが、全国的には日常生活が維持でき、私自身も認識が弱かったと思います。しかし、押谷先生はすでにあの時、今日の事態を見据えておられたことになります。新型コロナウイルスの新規感染者は、全国的に大幅に減少し熊本県ではここ2週間発生していませんが、ウイルスは消滅したわけではありません。

  「他者への想像力」を持つことで、自分と他者、そして社会も守りましょう。

                分散登校する生徒たちの様子

新しい目標に向かって ~ 今、大人ができること

 「夏の甲子園」こと全国高校野球選手権大会が中止と決まった翌日、本校では3年生の登校日でした。野球部3年生と顧問職員とでミーティングが開かれました。今後、甲子園大会予選に代わる県大会がもし行われればどうするかという点で、部員の気持ちが分かれたそうです。試合の機会があれば挑戦したいという者と、代替大会には出なくてよいという者に二分されたと聞きました。自然な反応だと思います。約3か月、部活動は停止され練習をしていません。あまりに野球から遠ざかった時間が長くなりました。練習の成果を発揮する最後の機会が失われるという理不尽な事態に直面し、やり場のない悔しさ、憤りがある一方、あきらめ、無力感にとらわれるのも当然と思います。

 新型コロナウイルス感染拡大に伴い、「甲子園」だけでなく高校総体や高校総合文化祭など高校生の部活動にとって大きな目標がすべて失われました。「どうして自分たちの時にこんなことになるのか」という不条理なめぐりあわせに多くの高校生が激しく動揺したと思われます。実は、8月に高知県で開催予定だった全国高校総合文化祭に出場が決まっていた生徒が本校にいます。書道部の3年生、写真部の2年生の生徒です。中止が決まって以来、まだ私は彼らに言葉を掛けられずにいます。ありきたりの励ましの言葉では彼らの胸に響かないことがわかっているからです。部活動を通じて信頼関係が築かれているそれぞれの部の顧問教諭が寄り添い、支えてくれています。

 また、工業系の生徒にとって目標の「県ものづくりコンテスト」(例年6月実施)も中止となりました。昨年、旋盤加工部門に2年生で出場し3位入賞した田中さんは、最終学年の今年は優勝を狙っており、九州大会そして全国大会出場を目指していました。彼女の普段の練習場所の電子機械科実習棟の壁には、彼女が作成した「優勝への工程表」が貼られていました。大会中止が決まり、さぞ落胆しているだろう、気落ちしているだろうと心配しました。

 ところが、3年生登校日の午後、実習棟のいつもの旋盤機械の所で作業する田中さんの姿がありました。引き締まった表情で、集中して旋盤機械を動かしています。話を聴くと、電子機械科の先生の勧めで、来月予定の技能検定に挑戦することを決め、その実技試験に向け準備を始めたとのことでした。

 大きな目標が失われ、当初はきっと失意の時を過ごしたと思います。しかし、彼女は絶望しませんでした。職員の励ましと助言を受け、次の目標に向かって動き出したのです。

 新しい目標を生徒と一緒になって考え見つけること、その目標に向かって全力で取り組める環境を用意すること、これが私たち大人のできることだと思います。

 

「夏の甲子園」中止の報に接して

 「夏の甲子園」こと全国高校野球選手権大会が中止と決まりました。「春のセンバツ」、「全国高校総体」、「全国高校総合文化祭」に続き、ついに「夏の甲子園」も中止となりました。厳しい事態が予想されていたとは言え、主催者の正式な中止決定の発表に接し、高校教育関係者の一人として無念の思いに包まれます。そして、甲子園という憧れの舞台を目指し練習に打ち込んできた全国の高校球児をはじめ、情熱を注いで指導されてきた監督やコーチの皆さん、さらには選手たちを応援されてきた保護者や地域住民の方々の気持ちを想像するとまことにつらいものがあります。

 前任の多良木高校野球部のことを思い出します。閉校の定めながら、果敢に挑む多良木高校野球部は、地元の球磨郡はもとより広く県内の高校野球ファンの応援を受け、グラウンドと観客席が一体となって戦う試合は、高校野球の原点のような光景でした。あのエネルギーも、「夏の甲子園」という大きな目標があったからこそ生まれたものだと思います。

 昨日、本校の野球部監督を務める教諭と話をしました。「夏の大会中止が決まったら、まずキャプテン(主将)に何と言おうか、今考えています」と沈んだ声で監督としての胸中を語ってくれました。3月からおよそ三か月間、臨時休校に伴い部活動も停止されており、御船高校野球場は無人の日々が続いています。しかしながら、監督や部長たちは練習再開に向け、登校できない生徒たちに代わってグラウンド整備に取り組んでいました。その姿を目にするたび、球音響く練習が再開され、3年生にとって最後の「夏の大会」だけは開催されてほしいと願っていました。その望みが絶たれたのです。

 5月は新型コロナウイルスの新規感染者が減少し、最近は九州では感染者ゼロの日が続いています。しかし、感染者や亡くなった方の数が連日発表されるという「非日常」の生活が長く続くことで、これが「日常」となり、私たちの感覚が麻痺するのかもしれません。感染者が減少したとは言え、まだ「平穏な日常生活」は戻っていないのです。「夏の甲子園」中止の知らせは、未だ社会が「緊急事態」のただ中にあることを痛感させられました。

 「夏の甲子園」はこれまで米騒動による社会の混乱で1918年(大正7年)、日中戦争及び太平洋戦争の戦時下の1941年(昭和16年)~1945年(昭和20年)の二度の中止、中断があります。そして2020年(令和2年)、新型コロナウイルス感染症拡大による三度目の中止です。

 歴史的な感染症大流行(パンデミック)の渦中に私たちはいるのです。

               無人の御船高校の野球グラウンド風景