2019年6月の記事一覧

交通の要地、御船 ~ 舟運、街道から高速道へ

 

 アメリカに本社がある外資系の会員制大型ショッピングセンターが2021年(令和3年)春に御船町の九州自動車道御船インターチェンジ近くに開業するニュースが先日メディアで報じられ、話題となりました。同社の出店は九州では3番目(これまでは福岡県内に2店舗)で、協定締結の際に同社が御船町を選んだ理由として、交通の利便性と立地条件の良さを挙げていたことが印象に残りました。御船町は、熊本県のほぼ中央に位置し、県庁所在地の熊本市中心部からおよそ15㎞の距離です。そして、なんと言っても町内に三つの高速道路のインターチェンジ(九州自動車道の御船IC、小池高山IC、九州中央自動車道の上野吉無田IC)がある交通の要地なのです。

 歴史的に見ても御船町は古くから交通の要地と言えます。現代の私たちは交通と言えば道路のみを考えがちですが、近代以前の交通において河川交通すなわち舟運がとても重要な役割を果たしていました。御船町には御船川が流れており、西隣の嘉島町で一級河川の緑川と合流します。江戸時代、肥後(熊本)屈指の商港であった川尻とは川の道で約20㎞の距離でした。川尻との舟運が盛んに行われ、御船は上益城郡きっての物資集散地(町)として繁栄したのです。「御船」という地名の由来は諸説あるようですが、古くから舟運の拠点であったことを示しているのでしょう。近代に入って舟運の時代は終わりましたが、それでも昭和30年代頃まで河口から運搬船が御船町の中心地域まで上ってきていたと聞いたことがあります。地形的に熊本平野の東端に当たる地域までは舟運が可能だったのでしょう。

 また、かつて日向往還(街道)が御船を通っていました。江戸時代の肥後の四街道(豊後・豊前・薩摩・日向)の一つで、日向(ひゅうが)すなわち現在の宮崎県延岡へ向かう街道です。城下町の熊本から嘉島、御船、矢部(現山都町)を通り日向へと抜けるルートです。日向往還は御船高校がある木倉(きのくら)付近までは平坦部ですが、ここから山間部へと入り道が険しくなります。

 今も旧往還の面影が残っている場所があります。その筆頭が八瀬(やせ)眼鏡橋とその近くの石畳です。御船川の支流の八瀬川にかかる石橋で、安政2年(1855年)に御船の材木商である林田能寛が私財を投入し、肥後の石工で名高い種山(現八代市東陽地区)の技術者たちが架橋しました。橋の長さは62mに及び県内に残る石橋で最長です。風雪に耐えた風格ある石橋と、今にも江戸時代の旅人が現れてきそうな石畳を見ていると、昔も今も社会を支えるのは交通だとの感慨を覚えます。

 

「計る」ことの大切さ ~ 電気計測器の寄贈

 日置(ひおき)電機株式会社代表取締役社長の細谷和俊(ほそやかずとし)様をはじめ同社員の方3人が6月6日(木)に来校されました。同社(本社は長野県上田市)は電気計測器を中心に高品質の製品開発・製造で発展を続けておられ、企業理念に「人間性の尊重」「社会への貢献」を掲げ、東日本大震災、そして熊本地震で被災した工業高校の支援事業に取り組まれています。この度、御船高校に対し、次の製品のご寄贈を賜ることとなりました。

 ・ 放射温度計         1台
 ・ タコハイテスタ(回路計)  1台
 ・ クランプオンハイテスタ   2台
 ・ バッテリハイテスタ     1台
 ・ 絶縁抵抗計         1台
 ・ 持続ケーブル        1本
 いずれも工業教育においては貴重なものであり、誠に有り難いご支援です。

 本校電子機械科のラボ棟(実験実習棟)において、同科の3年生67人と職員で出迎え、贈呈式を執り行いました。細谷社長様からは、「高校生の皆さんに物作りの楽しさを知って欲しい。そして、かつての技術立国日本を取り戻すために将来活躍して欲しい」と励ましの言葉を頂きました。贈呈式の後、日置電機株式会社の社員の方による「電気測定の基礎知識」のセミナーが30分ほど行われ、生徒にとっては貴重な学習の機会となりました。

 考えてみると、温度計、体重計、血圧計など私たちの生活においても客観的なデータを知る計測器は不可欠な存在です。従って、これが科学技術や電気・ガス・水道などのインフラ(社会基盤)の維持、発展にいかに重要かが容易に想像できます。

 電気計測器は私たち一般人が購入消費する製品ではありませんので知名度は高くありませんが、日置電機株式会社のような企業は社会から必要とされ続けている存在です。近年、我が国のモノ作りへの信頼を揺るがすような事案が大企業と言われるところでも起きています。しかし、社会生活の根本の安全を守る計測技術開発にたゆまぬ努力を続けておられる企業を知ることができたことは、電子機械科の生徒たちにとって幸運だったと思います。

 

 

和敬清寂の世界に浸る ~ 熊本県高校総合文化祭(その2)

   部活動において、その生徒の普段は見られない輝く場面、秀でた点を発見して驚くことがよくあります。「この生徒は、こんな面があったのか」と人物観の修正を迫られる時は、教師にとって生徒の豊かな可能性を知る時にほかならないのです。今年の熊本県高校総体、そして総合文化祭において、そのような喜びの体験を幾度も味わいました。中でも、総合文化祭初日(5月31日)、県立劇場の茶道部のお茶席での出会いは忘れがたいものがあります。

 書道、美術、写真等の展示作品を見て回っていた私は、偶然、本校茶道部顧問の野崎先生と会い、御船高校担当のお茶席に御案内いただきました。幸運でした。茶道部は裏千家の岩永師範の御指導のもと、3年生9人、1年生1人の計10人で週1回活動しています。赴任して2ヶ月の私にとって茶道部員との初めての出会いが、県高校総合文化祭のお茶席となったのです。名誉にも正客(しょうきゃく)となり、他の相客15人の方と一緒に座敷に招かれました。

   亭主は御船高校3年2組の田上知奈さん、半東(はんとう)が同じクラスの澤村愛さんです。二人とも制服です。半東とは茶事が円滑に進むように亭主をサポートする役で、お菓子や亭主が点てたお茶を客に運びます。お客の人数が多いため、相客には控えの水屋で点てられたお茶が運ばれますが、正客の私には亭主が点ててくれます。亭主の田上さんと相対座して、お点前を間近で見ることができました。

   裏千家の風炉(ふろ)の薄茶平手前で私たちはもてなされました。亭主の田上さんは幾つもの手順を落ち着いて進め、まことに優美なお手前を披露しました。相客にお菓子やお茶を運ぶ部員も楚々とした所作でした。日常の学校生活では決して見ることのできない立ち居振る舞いであり、御船高校生の未知の姿を「再発見」した思いとなりました。

   座敷の床の間には「清流無間断」(清流は間断無し)の掛け軸がありました。この軸を見て、「和敬清寂」という茶道の精神を表した言葉を思い出しました。もともとは禅宗の言葉です。言葉通りまさに和やかで亭主と客が敬いあう対等な関係が生まれ、清らかで静かな空間に包まれて、心地よいひとときでした。

   我が国の伝統文化の持つ型の強さ、奥深さは計り知れないものがあります。令和の高校生にも茶道に親しんでほしいと願っています。

 

「解は無限 導け青春方程式」 ~ 熊本県高等学校総合文化祭(その1)

 

   令和元年5月31日(金)の午前、熊本市の「えがお健康スタジアム」で開催された熊本県高等学校総合体育大会総合開会式に御船高校は生徒、教職員の60人で臨みました。生憎の雨に見舞われましたが、生徒はよく辛抱し笑顔で入場行進、そして開会式に参加しました。

   終了後、私は県立劇場へ移動し、午後からの熊本県高等学校総合文化祭総合開会式に出席しました。オープニングを御船高校書道部10人による書道パフォーマンスが飾り、縦4m×横6mの巨大な紙の中央に「全速前進」と墨書、上部に緑色の墨で「青春エネルギー」と書き上げました。動きは気迫に満ち、10人が息を合わせて作品を創り上げた時は、会場のコンサートホール(1000人収容)でどよめきに似た歓声があがり、割れんばかりの拍手が送られました。

  「令和」は、天平文化(奈良時代)の大宰府での和歌の宴にちなむ元号であり、多くの人が心を寄せ合い文化を創り上げるという願いが込められています。英訳すると「Beautiful harmony」(美しい調和)となり、先般、国賓として来日したトランプ米大統領もスピーチでそのように表現していました。御船高校書道部の書道パフォーマンスはまさに「ビューティフル ハーモニー」にふさわしいものでした。

 高校総合文化祭総合開会式の生徒代表あいさつを担った熊本市立筆由館高校3年の今村美咲さんは、千語近い挨拶文を暗唱し、かつ感情豊かに語って会場をうならせました。そして、スピーチと言えば、2日目の弁論発表(演劇ホール)において、県立盲学校の松下賀雅人君の「呼吸(ブレス)を感じて」の豊かな表現力には圧倒されました。

 5月31日(金)から6月1日(土)にかけて、県立劇場のコンサートホールと演劇ホール、そしてホワイエや地下大会議室等で高校生の日頃の文化活動の成果の発表が続きました。合唱、吹奏楽、バトントワリングのような華やかな舞台芸術から理科研究や書道・美術・写真の作品展示までまことに多彩です。高校生の文化活動のにぎわいが会場に横溢していました。

 高校総合文化祭は高校総体に比べるとメディアや県民の方々の関心が低いようで、残念でなりません。スポーツに負けないエネルギーがあふれています。そして実に多様な興味、関心の広がりが文化活動にはあります。まさに、今年のテーマにあるように文化活動は「解は無限」なのです。