2019年6月の記事一覧

先人の「自治」の精神から学ぶ

 

 前回の「校長室からの風」の続編になります。同じ上益城郡内の山都町にある矢部高校を先日訪問した際、近くの国重要文化財の石橋「通潤橋」を見学したことは触れました。大規模な石橋と周囲の田畑と調和した美しい景観に胸を打たれましたが、もう一つ印象に残ったものがありました。「通潤橋」の見学路に、この石橋の建設責任者である布田保之助(ふたやすのすけ)の銅像が立っていますが、傍らに遺訓の碑があり、「勤勉・勤労・自治」と刻まれていました。その「自治」という言葉に強い印象を受けたのです。

 江戸時代の熊本藩(細川家)の地域行政の仕組みを少し解説します。上益城郡には藩士が務める郡代がいて、その下に手永(てなが)という熊本独自の行政単位がありました。手永とは郡と村の中間にあたり、数村~数十村から構成され、このトップが惣庄屋(そうじょうや)と呼ばれ、各村の庄屋を統括しました。惣庄屋は言わば地域住民のリーダーと言えます。

 布田保之助は矢部手永の惣庄屋として、水不足に苦しむ白糸台地に水を引くため難工事の末、水路橋としての「通潤橋」を江戸時代末期の安政元年(1854年)に完成させました。現代の感覚であれば、これほどの大規模なインフラ(社会生活の基盤)整備は公共工事で行われるべきと考えますが、当時は違いました。熊本藩の許認可を得たうえで、あくまでも事業主体は矢部手永であり、責任者は布田保之助なのです。藩のお墨付きを得た事業ではありますが、財政支援はほとんどなく、布田保之助を筆頭に地域住民(農民)が心血を注いで取り組んだのです。布田保之助の徹底した自治の精神が「通潤橋」を創り上げたことはもっと知られてよいことだと思います。

 「通潤橋」に象徴されるように、江戸期は地域住民にとって道路や橋、用水路の築造は自分たちで行うことが原則でした。御船町にもその好例が遺されています。江戸後期、御船町の大部分は19の村から成る木倉(きのくら)手永でした。幕末の木倉手永の惣庄屋は光永平蔵(みつながへいぞう)という人物でした。光永平蔵は吉無田水源から水を引き、途中873mに及ぶ隧道(トンネル)を掘削する難工事を経て御船地域の田畑を潤す井手(用水路)を整備しました。

 また、御船の豪商(酒造、米穀商等)の林田能寛(はやしだよしひろ)は日向往還の難所の八勢川の岩場に眼鏡橋架橋を発起し、藩の許可を得て自らの資金を投入して安政2年(1855年)に完成させています。八瀬の石橋は県指定文化財として今も端正な姿を留めていることは以前の「校長室からの風」で記したとおりです。

 「通潤橋」、「八瀬の眼鏡橋」をはじめ農業用水として今も活用される光永平蔵の嘉永井手(かえいいで)などの遺産は、自分たちの地域は自分たちの手で創り上げるという先人の「自治」の精神を後世の私たちに伝えてくれます。 

 

御船から矢部への道

 

 先日、出張で同じ上益城郡内の矢部高校(山都町)へ行きました。本校のある御船町は古くから上益城郡の中心地で、江戸時代は熊本の城下町から延びた日向往還が御船から山地に入り、矢部郷を通って日向国(現在の宮崎県)へ抜けていました。現在は御船町から国道445号を走行し、山都町(やまとちょう)へ向かいます。右手に御船川が車窓から見え隠れし、道は上り坂で次第に谷が深くなります。

 御船町滝尾の下鶴地区には、国道と平行して石橋「下鶴橋」(しもづるはし)が残っています。明治19年(1886年)、御船川に合流する八瀬川に架橋されたもので、橋の長さは25m、幅が約6m、今日もなお生活道路として現役の橋で、ここを通りかかると車を止め、しばし眺め、風雪に耐えてきた石の手すりに触れたくなります。

 御船町七滝を過ぎると国道は山都町に入ります。九州中央自動車道(高速道)は九州自動車道の嘉島ジャンクションで分かれ、御船町を通り、山都町の「山都中島西インターチェンジ」まで開通しています。延伸工事が進行中で、山都町の矢部インターチェンジまでの開通を目指しています。最終的には県境を越え、宮崎県延岡市までの九州横断ルートとなる計画です。このため、工事用トラックが頻繁に通行しています。矢部への道は急な坂やカーブを繰り返しながら上っていきますが、この道を毎日単車で御船高校まで通学している生徒のことを思うと交通安全を願わずにはいられません。

 御船高校を出発して約40分で矢部高校に到着しました。走行距離は27㎞。この付近の標高はおよそ450mあり、熊本平野の東端に位置する御船高校からかなり上ってきたことがわかります。同校のある山都町は平成17年に上益城郡矢部町と清和村、そして阿蘇郡蘇陽町が合併して誕生しました。矢部高校は旧矢部町の中心地の浜町にあります。この浜町は江戸時代の国絵図を見ると、上益城郡の山間部の交通の要地です。御船から上ってきた日向往還が浜町を通り、馬見原(まみはら)の宿(旧蘇陽町)を経て、日向国に入っていました。

 矢部高校の近くには、日本最大級規模の石橋「通潤橋」(つうじゅんきょう)があります。石橋の宝庫と呼ばれる上益城郡の緑川水系ですが、その代表格の偉容は何度見ても胸に迫るものがあります。竣工は安政元年(1854年)、橋の長さ76m、川面からの高さ20mの巨大な石造アーチの水路橋です。当時の矢部郷の惣庄屋の布田保之助(ふたやすのすけ)によって建造され、今や地域の誇りの国重要文化財です。3年前の熊本地震やその後の大雨によって被害を受け、一部が修復工事中ですが、その圧倒的存在感は健在です。

 江戸期の先人の偉大な遺産を前に、上益城郡の地理的な広さや歴史的な豊かさを感じずにはいられませんでした。同じ郡内の高校への出張でしたが、小旅行のような気持ちに包まれました。

                                     

                                               下鶴橋(御船町)      通潤橋(山都町)

熊本県高校生ものづくりコンテスト

   第16回熊本県高校生ものづくりコンテストが6月16日(日)に開催され、会場校の玉名工業高校(玉名市)を訪ねました。同校は初めてでしたが、最初に充実した実習棟に目を奪われ、工業教育に最高の環境が整っていることを実感しました。ものづくりコンテストの会場校にふさわしい施設・設備の学校でした。さらに、「工業人たる前に よき人間たれ」のスローガンが校内の随所に掲示され、職員の皆さんが着用されている揃いのTシャツにもこの言葉がプリントされていました。技術だけでなく、挨拶や掃除、教室や実習室の整理整頓を重視されていることが伝わってきます。

   熊本県高校生ものづくりコンテストは、工業系学科及び総合学科に学ぶ高校生に目標を与える場を提供し、技術・技能の継承の推進を図り、本県そして我が国の産業発展を支える人材の育成を目指すことを目的に開かれています。

第16回の今回は次の8部門の競技種目が実施されました。

◇ 旋盤作業   11校11人参加      ◇ 電気工事   10校10人参加

◇ 電子回路組立 7校7人参加    ◇ 化学分析   3校6人参加

◇ 木材加工   5校5人参加    ◇ 測量     6校18人参加

◇ 家具工芸   3校6人参加

◇ 自動車整備  2校3人参加(*この種目だけ会場は開新高校)

 いずれも各学校の代表生徒が練習を重ねて準備して臨んでいます。各会場には緊張感が漂い、限られた時間の中で高い集中力を発揮する生徒たちの熱気が伝わってきて、観る者の胸を打ちました。

 御船高校からは電気工事に3年男子の託麻君、旋盤作業に2年女子の田中さんが出場しました。彼らは放課後、土日と繰り返してきた練習の成果を見事に発揮し、制限時間内で課題をやり遂げました。審査の結果、託麻君は惜しくも4位、田中さんは見事に3位入賞を果たしました。上位は紙一重の競い合いだったようです。全体的に女子生徒の入賞が増えていることが注目されます。

 付加価値の高い製品が求められる中、我が国のものづくりの現場力が落ちていると聞きます。若者の製造業離れが言われて久しいものがあります。しかし、エネルギーを注ぎ込み真剣にものづくりに格闘する高校生がいるのです。当日は県商工観光労働部の担当者や産業界の方、また保護者等が観覧されました。スポーツ(高校総体)、文化活動(高校総文祭)とは違う高校生のもう一つの技術の祭典があることを多くの県民の皆さんに知って欲しいと思います。

「授業は本当に難しい」 ~ 御船高校授業研究期間

 

  「授業は本当に難しい。何年経験を重ねても難しいものだ。」と、かつて同僚だった先生の言葉がよみがえります。県内でも指導的存在のベテランの先生でした。当時の私の拙い授業を参観され、その後の授業研究会で発された言葉であり、20年ほど前のことですが、今も記憶に残っています。

 御船高校では6月4日(火)から14日(金)にかけて「授業研究期間」と位置づけ、すべての授業を公開し職員がお互い自由に参観すること、そして各教科から代表1人が指導案を作成しての研究授業を実施することの二本立てで取り組みました。本校では昨年度から、「授業のユニバーサルデザイン化」(だれひとり取り残さない、わかりやすい授業)を目指しており、今年度はICT(Information Communication Technology 情報通信技術)の積極的・効果的活用を実践テーマに掲げています。

 今回、私が参観した書道、国語(現代文)、数学、音楽、公民(現代社会)の研究授業はいずれもパソコン、プロジェクター、スクリーンの3点セットをはじめ書画カメラ(書道の授業)などが活用され、それぞれの職員の工夫が見られました。期待通り、生徒の授業への興味、関心を引き、授業に臨む集中力も高まる傾向にあります。しかし、生徒自身がもっと主体的に学習活動を行っているか、また教師と生徒、さらには生徒間の対話が生まれているかについては授業で差が見られました。

 従来の高校の普通科目の授業は、どうしても教師の説明が長くなり、教師から生徒への一方通行の「教える」だけが主流でした。これを大きく変えていかなければならない時に来ています。知識や簡単に答えの出るものは今やAI(人工知能)が担う時代です。答えの出ないものに取り組んでいける論理的思考力や創造力、そして協働の姿勢などが求められているのです。疑問を持つ、自ら問いを立てることができるといった主体的な学習姿勢をいかに養っていくかが高校教育の大きな課題となっています。

 本校の教職員の格闘は続いています。「教えるは学ぶの半ば」という言葉があります。人に教えることは自分の力量不足やあいまいな点がはっきりするから、半分は自分の勉強になるのだという意味です。授業実践を重ね、お互い評価しあい、職員も研鑽を積んでいます。生徒同様、教師もまた学校で成長していくものなのです。

 

 

ものづくりの情熱 ~ 熊本県高校生ものづくりコンテストに向けて

 

    放課後によく電子機械科の実習棟へ足を運びます。旋盤をはじめ多くの工作機械がならび、独特のオイル臭もする空間で生徒たちがそれぞれの作業に没頭している姿を見ることができます。最も活気あるグループがロボット部の生徒たちです。常時10人前後の生徒たちが時に話し合いながら、ロボットづくりに取り組んでいます。秋の全国大会(新潟県)での優勝を目指しており、高い目標を掲げている彼らのモチベーションは高いなあといつも感じます。

    一方、個人で黙々と時間を忘れたかのように作業を繰り返している生徒がいます。熊本県高校生ものづくりコンテストに出場する3年生の託麻君と2年生の田中さんです。託麻君は電気工事部門に出場予定で、2時間の規定時間内に木製パネル盤上に電気配線を作り上げることが課題です。担当の吉迫先生がマンツーマンで指導に当たられ、時間を計っての演習で高い集中力を発揮しています。田中さんは本校の少ない工業系女子です。県全体では工業高校で学ぶ女子生徒は増加しているのですが、本校電子機械科では1年生は71人中ゼロ、2年生は61人中3人、3年生は67人中2人という状況です。田中さんは旋盤作業部門に出場予定で、担当の山下先生と二人三脚で準備中です。

   「とても肉眼ではわからない精密さが求められますが、ぴたりと数値通りの結果がでたときは、やったあと思います。」と田中さんは旋盤加工の魅力を語ってくれました。山下先生によれば「田中さんの向上心が素晴らしい」とのことです。まだ2年生なので、最終目標は3年次での優勝ですが、今回も目標を3位入賞に置いているとのことです。

   「実践の上に理論が生まれ 理論が実践を効果的にすると共に 実践が理論を発展させる」との先達の言葉が実習棟の壁に大きく掲げられています。そして「定位置還元」のスローガンのもと作業に集中できる環境が整っています。この実習棟(ラボラトリー)で、御船高校電子機械科の生徒たちはものづくりの難しさと奥の深さを体得していくのでしょう。何か、武道における「道場」のようにも映ります。

 第16回熊本県高校生ものづくりコンテストは来る6月16日(日)、熊本県立玉名工業高校と開新高校を会場に開催されます。本校の生徒が出場する2部門の他に木材加工、電子回路組立、測量、家具工芸、化学分析、自動車整備の計8部門で高校生の技術・技能が競われます。期待したいですね。

 

 

 

交通の要地、御船 ~ 舟運、街道から高速道へ

 

 アメリカに本社がある外資系の会員制大型ショッピングセンターが2021年(令和3年)春に御船町の九州自動車道御船インターチェンジ近くに開業するニュースが先日メディアで報じられ、話題となりました。同社の出店は九州では3番目(これまでは福岡県内に2店舗)で、協定締結の際に同社が御船町を選んだ理由として、交通の利便性と立地条件の良さを挙げていたことが印象に残りました。御船町は、熊本県のほぼ中央に位置し、県庁所在地の熊本市中心部からおよそ15㎞の距離です。そして、なんと言っても町内に三つの高速道路のインターチェンジ(九州自動車道の御船IC、小池高山IC、九州中央自動車道の上野吉無田IC)がある交通の要地なのです。

 歴史的に見ても御船町は古くから交通の要地と言えます。現代の私たちは交通と言えば道路のみを考えがちですが、近代以前の交通において河川交通すなわち舟運がとても重要な役割を果たしていました。御船町には御船川が流れており、西隣の嘉島町で一級河川の緑川と合流します。江戸時代、肥後(熊本)屈指の商港であった川尻とは川の道で約20㎞の距離でした。川尻との舟運が盛んに行われ、御船は上益城郡きっての物資集散地(町)として繁栄したのです。「御船」という地名の由来は諸説あるようですが、古くから舟運の拠点であったことを示しているのでしょう。近代に入って舟運の時代は終わりましたが、それでも昭和30年代頃まで河口から運搬船が御船町の中心地域まで上ってきていたと聞いたことがあります。地形的に熊本平野の東端に当たる地域までは舟運が可能だったのでしょう。

 また、かつて日向往還(街道)が御船を通っていました。江戸時代の肥後の四街道(豊後・豊前・薩摩・日向)の一つで、日向(ひゅうが)すなわち現在の宮崎県延岡へ向かう街道です。城下町の熊本から嘉島、御船、矢部(現山都町)を通り日向へと抜けるルートです。日向往還は御船高校がある木倉(きのくら)付近までは平坦部ですが、ここから山間部へと入り道が険しくなります。

 今も旧往還の面影が残っている場所があります。その筆頭が八瀬(やせ)眼鏡橋とその近くの石畳です。御船川の支流の八瀬川にかかる石橋で、安政2年(1855年)に御船の材木商である林田能寛が私財を投入し、肥後の石工で名高い種山(現八代市東陽地区)の技術者たちが架橋しました。橋の長さは62mに及び県内に残る石橋で最長です。風雪に耐えた風格ある石橋と、今にも江戸時代の旅人が現れてきそうな石畳を見ていると、昔も今も社会を支えるのは交通だとの感慨を覚えます。

 

「計る」ことの大切さ ~ 電気計測器の寄贈

 日置(ひおき)電機株式会社代表取締役社長の細谷和俊(ほそやかずとし)様をはじめ同社員の方3人が6月6日(木)に来校されました。同社(本社は長野県上田市)は電気計測器を中心に高品質の製品開発・製造で発展を続けておられ、企業理念に「人間性の尊重」「社会への貢献」を掲げ、東日本大震災、そして熊本地震で被災した工業高校の支援事業に取り組まれています。この度、御船高校に対し、次の製品のご寄贈を賜ることとなりました。

 ・ 放射温度計         1台
 ・ タコハイテスタ(回路計)  1台
 ・ クランプオンハイテスタ   2台
 ・ バッテリハイテスタ     1台
 ・ 絶縁抵抗計         1台
 ・ 持続ケーブル        1本
 いずれも工業教育においては貴重なものであり、誠に有り難いご支援です。

 本校電子機械科のラボ棟(実験実習棟)において、同科の3年生67人と職員で出迎え、贈呈式を執り行いました。細谷社長様からは、「高校生の皆さんに物作りの楽しさを知って欲しい。そして、かつての技術立国日本を取り戻すために将来活躍して欲しい」と励ましの言葉を頂きました。贈呈式の後、日置電機株式会社の社員の方による「電気測定の基礎知識」のセミナーが30分ほど行われ、生徒にとっては貴重な学習の機会となりました。

 考えてみると、温度計、体重計、血圧計など私たちの生活においても客観的なデータを知る計測器は不可欠な存在です。従って、これが科学技術や電気・ガス・水道などのインフラ(社会基盤)の維持、発展にいかに重要かが容易に想像できます。

 電気計測器は私たち一般人が購入消費する製品ではありませんので知名度は高くありませんが、日置電機株式会社のような企業は社会から必要とされ続けている存在です。近年、我が国のモノ作りへの信頼を揺るがすような事案が大企業と言われるところでも起きています。しかし、社会生活の根本の安全を守る計測技術開発にたゆまぬ努力を続けておられる企業を知ることができたことは、電子機械科の生徒たちにとって幸運だったと思います。

 

 

和敬清寂の世界に浸る ~ 熊本県高校総合文化祭(その2)

   部活動において、その生徒の普段は見られない輝く場面、秀でた点を発見して驚くことがよくあります。「この生徒は、こんな面があったのか」と人物観の修正を迫られる時は、教師にとって生徒の豊かな可能性を知る時にほかならないのです。今年の熊本県高校総体、そして総合文化祭において、そのような喜びの体験を幾度も味わいました。中でも、総合文化祭初日(5月31日)、県立劇場の茶道部のお茶席での出会いは忘れがたいものがあります。

 書道、美術、写真等の展示作品を見て回っていた私は、偶然、本校茶道部顧問の野崎先生と会い、御船高校担当のお茶席に御案内いただきました。幸運でした。茶道部は裏千家の岩永師範の御指導のもと、3年生9人、1年生1人の計10人で週1回活動しています。赴任して2ヶ月の私にとって茶道部員との初めての出会いが、県高校総合文化祭のお茶席となったのです。名誉にも正客(しょうきゃく)となり、他の相客15人の方と一緒に座敷に招かれました。

   亭主は御船高校3年2組の田上知奈さん、半東(はんとう)が同じクラスの澤村愛さんです。二人とも制服です。半東とは茶事が円滑に進むように亭主をサポートする役で、お菓子や亭主が点てたお茶を客に運びます。お客の人数が多いため、相客には控えの水屋で点てられたお茶が運ばれますが、正客の私には亭主が点ててくれます。亭主の田上さんと相対座して、お点前を間近で見ることができました。

   裏千家の風炉(ふろ)の薄茶平手前で私たちはもてなされました。亭主の田上さんは幾つもの手順を落ち着いて進め、まことに優美なお手前を披露しました。相客にお菓子やお茶を運ぶ部員も楚々とした所作でした。日常の学校生活では決して見ることのできない立ち居振る舞いであり、御船高校生の未知の姿を「再発見」した思いとなりました。

   座敷の床の間には「清流無間断」(清流は間断無し)の掛け軸がありました。この軸を見て、「和敬清寂」という茶道の精神を表した言葉を思い出しました。もともとは禅宗の言葉です。言葉通りまさに和やかで亭主と客が敬いあう対等な関係が生まれ、清らかで静かな空間に包まれて、心地よいひとときでした。

   我が国の伝統文化の持つ型の強さ、奥深さは計り知れないものがあります。令和の高校生にも茶道に親しんでほしいと願っています。

 

「解は無限 導け青春方程式」 ~ 熊本県高等学校総合文化祭(その1)

 

   令和元年5月31日(金)の午前、熊本市の「えがお健康スタジアム」で開催された熊本県高等学校総合体育大会総合開会式に御船高校は生徒、教職員の60人で臨みました。生憎の雨に見舞われましたが、生徒はよく辛抱し笑顔で入場行進、そして開会式に参加しました。

   終了後、私は県立劇場へ移動し、午後からの熊本県高等学校総合文化祭総合開会式に出席しました。オープニングを御船高校書道部10人による書道パフォーマンスが飾り、縦4m×横6mの巨大な紙の中央に「全速前進」と墨書、上部に緑色の墨で「青春エネルギー」と書き上げました。動きは気迫に満ち、10人が息を合わせて作品を創り上げた時は、会場のコンサートホール(1000人収容)でどよめきに似た歓声があがり、割れんばかりの拍手が送られました。

  「令和」は、天平文化(奈良時代)の大宰府での和歌の宴にちなむ元号であり、多くの人が心を寄せ合い文化を創り上げるという願いが込められています。英訳すると「Beautiful harmony」(美しい調和)となり、先般、国賓として来日したトランプ米大統領もスピーチでそのように表現していました。御船高校書道部の書道パフォーマンスはまさに「ビューティフル ハーモニー」にふさわしいものでした。

 高校総合文化祭総合開会式の生徒代表あいさつを担った熊本市立筆由館高校3年の今村美咲さんは、千語近い挨拶文を暗唱し、かつ感情豊かに語って会場をうならせました。そして、スピーチと言えば、2日目の弁論発表(演劇ホール)において、県立盲学校の松下賀雅人君の「呼吸(ブレス)を感じて」の豊かな表現力には圧倒されました。

 5月31日(金)から6月1日(土)にかけて、県立劇場のコンサートホールと演劇ホール、そしてホワイエや地下大会議室等で高校生の日頃の文化活動の成果の発表が続きました。合唱、吹奏楽、バトントワリングのような華やかな舞台芸術から理科研究や書道・美術・写真の作品展示までまことに多彩です。高校生の文化活動のにぎわいが会場に横溢していました。

 高校総合文化祭は高校総体に比べるとメディアや県民の方々の関心が低いようで、残念でなりません。スポーツに負けないエネルギーがあふれています。そして実に多様な興味、関心の広がりが文化活動にはあります。まさに、今年のテーマにあるように文化活動は「解は無限」なのです。