保護者の声

本校に通う幼児の、保護者さんからのメッセージです。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声06

通学するにあたり、1日約180㎞メートル、1週間で900㎞の運転。それを3年間・・・と考えてみるとゾッとします。なので、「大変ですね。」や「えっ!毎日通って?」などと声をかけられていた事も納得できます。ただ、この3年間息子の送迎に関しては大変だとは感じたことはなく、むしろ息子と二人だけの楽しいドライブの時間でした。幼稚部3年間は、コロナの影響や自然災害、病気などにより登校できない日も多々ありましたが、可能な限りは登校していました、それは、息子本人の「行きたい。」という気持ちがあったからという事もありますが、息子の成長していく姿を私自身が感じていたので、よほどのことがない限りは登校しました。

 息子はペラペラと、きれいな発音で喋ります。喋りますが聞こえません。喋っているのに聞こえません。聞こえないけど喋ります。なかなか理解しがたい姿ですが、人工内耳を外したら無音の世界です。そんな様子の息子なので、熊本聾学校の幼稚部に入学することに対しては「行かなくても大丈夫ですよ。」や「今の保育園でもやれているのに、わざわざ遠い所に行く必要があるの?」などの事をよく言われました。ですが、どれだけ発音がきれいで、おしゃべりが上手でも、聞こえない息子にとって、これからの人生において重要となる幼児期を、熊本聾学校幼稚部で過ごす事が大切だと感じ、幼稚部へ入学しました。

 息子は8ヶ月過ぎから保育園へ通い始めました。私も同じ保育園で働いており息子の様子を目にすることもできました。保育士の先生方も簡単な手話や絵カードなどの視覚的な支援をしてくださっていました。2歳児の頃になるとよく喋る様になっていました。保育園での大きなトラブルや、お友達とのトラブルもなく、登園渋りもなく毎日通っていました。ですがなぜ、熊本聾学校幼稚部へ通うことになったのか・・・それは、息子の保育園での様子を見る中で不安が募っていった為です。先ほど述べた様に特に大きな問題もなく過ごせていた保育園生活。問題を起こす事はないものの、息子の中では問題を起こせるほどの友達との関係性や自分の感情が無かった様に思います。先生の指示を理解して行動しているのでなく、皆が行くから同じ方向へ行く、同じ事を見様見まねでする。好き、遊びたい遊具・玩具があってもお友達と同時に手にしてしまったり、先にお友達が使っていたらササッと違う遊具や玩具へ手を伸ばす。誰でも叱られるのは嫌ですし、トラブルは避けたいものです。まさに息子は叱られたくない、お友達とトラブルになるくらいならば、自分から引いて過ごしている姿を頻繁に目にした時に、このまま、自分で考えて行動する、お友達とのコミュニケーションを図る事もなく、大きくなっていったとしたら・・・と考えると将来が不安になりました。

 ロボットの様な息子が幼稚部へ入学してから、1年が過ぎる頃には、理解し、納得した上で行動する姿やお友達とケンカも出来る様になりました。そして、一番の変化は、表情が豊かになりました。更に3年経った今では、お友だちとふざけ合ってついつい注意を受けることもある程になりました。安心して自分をさらけ出し、思いっきり楽しんで、真剣にケンカもして、友達と一緒に考えて、何かを作り上げたり・・・主体的に活き活きとした姿で毎日過ごすことができました。

 3年間親子で絵日記に取り組みましたが、3年目にしてやっと絵日記の大切さを実感できる場面が多く「前に赤組の時に絵日記でやったよね。その時こんな話をしたよね。」や「これって、あの時にした絵日記のことと同じだ。」と普段の何気ない生活の中で絵日記での内容を結び付けていたり、以前の絵日記を見返して確認したり、比べてみたり・・・まるで辞典のようです。絵日記については、私と息子の間で毎日楽しいやり取りができていたわけではありません。なので、困っていたり、悩んでいたり、不安になったり・・・このすっきりしないモヤモヤ感があるからこそ、息子にとっての今の絵日記のベストな方法は何なのか考える事になり、考える事によって息子に寄り添う事ができたのかなと感じています。卒園する前日に「もう先生と絵日記できないんだ・・・先生と絵日記のおしゃべりしたかったな・・・」と淋しそうに呟いて一人静かに絵日記を見返している姿や「お母さん、幼稚部卒業しても、この絵日記全部捨てたりしないでね。僕の宝物だから。」と鼻を大きく膨らませて力強く言う息子の姿に救われました。

 4月から息子は地元の小学校へ入学します。これまでとはがらっと変わる環境に戸惑う事や疲れてしまう事が多いと思います。これから先、様々な悩みや困りごとが出てきます。ですが、息子には息子と同じ聞こえない聞こえにくい友だちがいます。その友だちと悩みを共感・共有し合い、悩みや困り感を和らげる事ができると思います。それは、息子だけではなく私自身にも言える事であり、息子を通して知り合えた聞こえない聞こえにくい子どもをもつ親同士、共感しながら息子をサポートしていく事が出来ると感じています。それが、なにより心強いです。

 先生方、うさぎルームの時から、私達親子に寄り添って支えてくださり、ありがとうございました。

 

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声05

コロナで最初の頃は通えない日々でした。

 軽・中等度難聴の娘だから、話は通じてしまい、さら~っと1日を過ごしていました。でも、親は特段困ることもなく、なんとなく続けていた絵日記をとりあえずするといった毎日でした。熊本聾学校に通うようになり、本格的に絵日記が始まると「あれ?」と思うことが、多々。健聴児とは違う風に聞こえているのがとても明らかになりました。それを一つ一つ確認し、本人の中で修正していく毎日が始まりました。本人は正しいと思っているので、(そう聞こえているのだから、そうなのですが)真正面から否定すると、もちろん聞き入れてもらえません。そんな時、参観などを通じて、先生の子どもへの接し方、言葉の選び方、本人に気づかせる誘導の仕方を学ばせていただきました。子どもが入学して、学び育っていくと共に、親も一緒に入学し、学んでいけました。

 同級生との関わりも3年間を通して随分変わりました。年少児の時は、子ども対先生の関係でしたが、徐々に手話も覚えていき、年長児になると子ども同士で会話が成り立ち、互いに意見を言い合い、共に笑う関係が作られていきました。支援されるだけの子どもではなく、本当に同じ立場で関係性が作られていることが当たり前のことなのにすごいと思いました。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声04

 我が子が難聴と分かったのは、1歳半検診の時でした。その後、難聴の子どもを持つお母さんと出会い、熊本聾学校の中にある乳幼児教育相談「うさぎルーム」に誘っていただき、熊本聾学校を知りました。

 難聴であることが分かり、正直ショックな気持ちや不安な気持ち、この先、我が子は大丈夫なのかと心配なことばかりでした。

 熊本聾学校の先生にもたくさん相談し、何度もうさぎルームに通い、学校の様子や子ども達の様子を見せてもらいました。地域の保育園に通っていたのですが、我が子にとって一番良い環境はどこなのだろうかと考え、熊本聾学校入学を決めました。

 入学したての頃は、言葉や手話もほとんどなく、コミュニケーションをとるのが難しい状態でした。入学後は少しずつ指文字や手話を覚え、家でのやりとりも増えてきました。子どもの成長は本当にすごいなと思うほど、どんどんいろいろなことを吸収していきました。

 年中になるとお友達との関わりも増えていき、自分のことだけでなくお友達の話や学校での出来事を家に帰ってから話してくれることが増え、絵日記のやりとりが楽しくなってきました。何?どうして?の質問が増え、自分の思ったことも伝えられるようになりました。

 年長児になるとお友達との話も深くなり、「友達はこの時こういう気持ちだったと思う」とか、相手の気持ちを考え、相手を思えるようにまでなりました。

3年間でいろいろな経験や体験したことが他の場所でも活かされることがあり、毎日の絵日記や日々の生活の積み重ねが今の成長につながっていくのだと実感させられました。

 卒業式の姿を見て心も体も本当に成長したなと感慨深いものがありました。あんなに小さくコミュニケーションをとるのが難しかった我が子がこのように成長するとは、3年前の私は思ってもいませんでした。ここまで成長できたのも熊本聾学校の先生方が親子共々、熱心に関わってくださったからだと思います。あの時、熊本聾学校の入学を決めたことは決して間違っていなかったと思うことができました。

 子供にとっても通じ合い、けんかし、楽しく学べる仲間がたくさんでき嬉しく思います。3年間一緒に過ごした仲間を大切にし、みんなと成長していってほしいと思います。

先生方、本当に3年間ありがとうございました。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声03

 娘の難聴が分かったのは娘が4歳になる少し前でした。

 3歳になっても喃語が多くおしゃべりは好きだけど保育園の先生やお友達に一生懸命話しかけているが伝わらない。ただ、音にも言葉にも反応は出来る為、まさか自分の娘が難聴だとは思わずに過ごしてしまいました。

 言語のリハビリに通い始めた時に初めて聴力検査を勧められました。

「あー、この子はずっと聞こえにくい世界で生きていたのか」と初めて気づくことができました。難聴といわれてビックリした事よりも、やっと腑に落ち、安心感に近い感情を持ちました。それからは補聴器を装着し療育に通う日々でした。

 私は、お兄ちゃん達と同じ地域の小学校に娘を通わせたいと思っていました。

 療育の先生も保育園の先生もそのために一生懸命頑張ってくれました。

 ただ、療育に通ううちに不安になりました。週に2回の療育では小学校入学までにはほかの同級生の子たちと同じスタートラインには立てないと思い始めました。その時娘はもう5歳と3ヶ月でした。手話も口話も出来ない、コミュニケーションをとる事ができない自分と娘に不安を感じ始めていたころ、コロナの影響で行けなかったうさぎルームに初めて行き、熊本聾学校の先生方に今不安に思っていることを全て相談しました。初めて熊本聾学校を見学した際に、私は娘と同じ難聴の子たちのキラキラとした笑顔で先生やお友達と手話や口話で話している姿を見て感動しました。

 その姿を見たときに、熊本聾学校に入学する決意が出来ました。

 入学して初めのころは「聾学校むずかしい」と言って毎日ヘトヘトになっていましたが、必死に手話も口話も練習しました。それでも同級生の子達に比べるとまだまだですが少しずつ「自分の気持ちを自分の言葉で伝える」事が出来るようになって娘の表情はとても良い方へ変わりました。毎日毎日「ことば」に対する教育を受けた娘は今までとは考えられないスピードで成長し、家族全員でその姿に驚かされました。

 難聴に早く気づいてあげる事が出来ず自分を責める日々でしたが、素晴らしい環境と先生方、お友達とその保護者に恵まれて「聾学校楽しい」という娘を見て今は前向きに考えられるようになりました。小学部でも、娘の成長に期待しています。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声02

  

幼稚部に3年間通って先日卒業をしました。

あっという間の3年間でした。

ただただ流れていったのではなく濃く、深い毎日だったと感じます。

入学してたくさんの友達が出来ると同時に難聴といってもこんなにも様々なんだと知りました。

勿論課題も同様でした。

全員一緒の支援でなく、それぞれにあった支援を先生が一生懸命考えてくださりどれが本人に合うのか。丁寧に接してくださいました。

親にも共有してくださり、家でのコミュニケーションも深まったと感じています。

これが出来たのは熊本聾学校だからこそです。

小学部に入るまでの基礎を幼稚部で作っていただき感謝しかありません。

小学部に上がっても幼稚部での3年間で学んだことを忘れずに頑張ってほしいと願っています。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声01

うちの子に難聴がわかったのは1歳半健診での事でした。

保健師さんから「おかあさん。OOちゃん耳が聞こえていないかもしれません。」と言われた時には、直ぐに信じることができず、(いやいや、そんなわけないでしょ。)と思っていました。詳しい検査をするために、病院や施設などに通い、どんどんはっきりと判明してくる我が子の重度の難聴であるという事実に驚きと、どうして今まで気付かなかったんだろう、と後悔しかありませんでした。そんな私と正反対に、主人は「この子にできることをするしかない。とりあえず、この子の為にできる事、合っているものをやってみよう。合わなかったらまた、その時に違う方法を考えたらいいじゃん。」と考える人でした。おかげで私も気持ちを切り替えて前を向くことができ、この子の為にできる事はとりあえずやってみよう。と思い、色々と情報を集めました。その中で難聴児の保護者との出会い、聾の方との出会い、そして熊本聾学校と出会いました。

熊本聾学校を知るまで、うちの子は2歳児クラスまで地域の保育園に通っていました。私も主人も仕事をしていたし、保育園以外の選択肢はありませんでした。保育園の先生からも、「OOちゃん賢いですよねー。なんでも上手にできますよ。」と言われることが多く、(なんだ、保育園でも大丈夫じゃん。)と思っていました。しかし、それは聞こえていないから周りをよく見て真似をするのがすごく上手な子供だっただけでした。今から何が始まるのか分からないから、少し遅れて周りのお友達や先生の真似をする事しか出来なかったのに、それに気付く事も出来ませんでした。その事実に気付かせてくれたのが熊本聾学校の先生でした。そう言われた後、当時の写真を振り返ってみると、きょろきょろして表情の固い写真ばかりだった事に気付き、ハッとしました。

熊本聾学校の先生のお話の中に、「幼児教育というものは、小学校以降における生きる力の基礎や生涯にわたる人間形成の基礎を養う上で重要な役割を担っているとても重要な時期であり、どう過ごすかで大きく今後が変わっていく。」と教えて頂きました。この大切な時期に「自分は聞こえないから伝わらなくても仕方ない。」と諦めながら日々を過ごさせるなんて絶対に嫌だし、聞こえないことを何かを諦める理由にしてほしくない、と考えるようになりました。

なにより私は子育て自体に自信がなく、ましてや3人兄弟の2番目だったOOだけに十分な時間をかける余裕もありませんでした。熊本聾学校であれば難聴児教育のスペシャリストの先生方がたくさんいらっしゃるし、同じ悩みをもつ家族もいる。悩んだ時、失敗した時、こんなに心強い環境は他にないと思いました。

 いざ、熊本聾学校に入学してからは、仕事をしながらの慣れない登下校の送迎、絵日記等と、初めての環境に不安な中で、泣きながら後追いをするOOの様子を見ていると、私もいっぱいいっぱいになってしまい、毎日苦しかった事を覚えています。そんな時に支えてくれたのは先生方や、同じ難聴の子を持つお母さん達でした。「わかるわかる、うちもこうだよー。」と何気ない、お母さん達との世間話に(うちだけじゃないのんだ!)と安心していました。聞いてもらえる人がいてくれるのが嬉しくて、よくボロボロと泣いてしまう私は慰めてもらいました。先生には、子どもの細かな変化にもすぐに気づいていただき、言動や表情、様子を毎日教えてくださいました。子どもの変化を知ることができる事で、この環境が子どもの為になっている事をひしひしと感じることができ、もう少し通ってみよう、大変だけどがんばってみよう。と前を向くことができました。

 熊本聾学校に入学して、2ヶ月もするとOOはみるみる表情が豊かになっていきました。

コミュニケーションに関しては、初めの頃は「今日は誰と遊んだのー?何をして遊んだのー?」と尋ねても、会話が弾むことはあまりなく、「おそと」など単語だけのやり取りが多く、話を膨らませることに苦労しました。行き帰りの車の中も、ただただテレビを見ているだけの事が多かったように思います。

しかし、数ヶ月もすると車に乗るやいなや「ママ、こっち見て!」「今日はここに行った。せんせいがこんなことしたんだ~!」と興奮して手話を使って話してくれる様になりました。「運転してるから見れないよ~、あぶないでしょ!」と言うとケラケラ笑って「ママ、みてー!!」と手話でずっとお話していました。こんなに変わるものかと驚いたのと同時に、とても嬉しかった事を覚えています。

 年中さんになると、言葉も手話もたくさん覚えました。ひらがなも読めるようになり、口話だけでは何と言っているか分からないときや、物の名前を伝える時は指文字があったことで、スムーズに伝えることができました。「あれはなに?」と尋ねられた時、指文字や手話がなかったら、と思うときっと方法が分からず十分に話ができなかっただろうな・・・と考えるだけでゾッとします。手話に出会っていなければ、伝えたい気持ちや伝わる喜びを毎日経験することもできなかったと思います。

 年長さんになると、季節ごとのイベントの度に「赤組のときはこうだった。青組のときはOOがこんなになってたね~!」と過去を振り返り、よく覚えている事に驚きました。毎日がただ何となく過ぎているのではなく、熊本聾学校では事前のお話、実施、振り返りを入念にしてくださるので、何があるのか、どう行動するのかなど1人1人が取り残される事無く考えることができるのだと思います。更に絵日記でも振り返る為強く印象に残すことができるのだと思いました。

 このような学校生活を送っているからか、家にいる時に「きょうはなにするの?そのあとはどうするの?」と予定を細かく確認するようになりました。予定が嫌な時は、ちゃんと不満を言ってくれます。決まっていない時、「まだ何も決まってないよ、なにしよっか?」と尋ねると、楽しそうに自分のしたい事や、行きたいところをたくさん伝えてくれます。こんな何気ない日常の会話の中でも、自分の考えや思いをしっかり持っており、それをきちんと伝えることができるようになったんだなぁ、と成長を感じます。

 今では小学校3年生のお兄ちゃんとも、4歳の弟とも手話を使って文句を言い合い、毎日毎日元気に喧嘩をしています。笑

3人兄弟ですが、1人1人性格は全く違い、個性豊かな3人の子供たちです。

難聴はOOの個性だと思っています。人には得意なこと、不得意なこと色々ある中で、OOは聞くことが不得意ですが、目で見ることにとても長けています。絵を描くこと、表現することがとても上手です。手話がとても上手です。手や体で表現することがとても上手です。人の変化や表情にすぐに気付くことができます。優しく声をかけてくれます。

この子の得意なこと、上手なところに気付かせてくれたのは熊本聾学校です。

 

 聴者が多いこの世界で、大人になれば嫌と言う程「聞こえない」壁に直面する日が来るかもしれません。そうなった時に自分の意思をしっかり持てるように、壁をぶち破れる力を養う為に、通じる喜びや自分の長所を知っている経験はとても大切なことだと思います。そしてなにより困難に立ち向かった時に、気持ちを分かってくれる仲間と出会える場所は聾学校より他にないと思います。

熊本聾学校に3年間通うことができて本当に良かったと思います。これまで出会った先生や保護者やお友達、すべての方々に感謝しかありません。

本当に本当にありがとうございました!

 

令和2年度 保護者の声05

 入学してすぐは手話も言葉も少なく、家でのコミュニケーションはジェスチャーと少しの手話でのやりとりがほとんどでした。伝えたいけど伝わらないことも多くお互いにイライラすることがあり、悩むこともありました。けれど、学校に入り、まずお友達の名前と先生の名前を覚え、それらをお風呂の時も寝る時も食事の時もずっと表現してくれました。私も一緒に「〇〇くんだね。」「〇〇先生だね。」と写真と一緒にやりとりして遊んでいました。

名前のやりとりから始まり、毎日学校に通うようになると、手話を身に付け言葉を覚え「今の手話は何?」と私も思うまでになりました。

 自分から伝えたいという気持ちも強くなり、手話を使って伝えてくれるようになりました。また、私が説明をすれば納得し理解してくれることも少しずつ増えてきて通じ合うことの喜びを実感できています。

 学校でさまざまなことを学び、経験することにより表現も増え、学校の外でもいろんなものに興味を持ち、目にしたものに対しても色や形、なにかに似ているなど話の幅が広がり、今、我が子が何を感じて思っているのかを知ることもできるようになりました。

 入学して数か月ですが、毎日の積み重ねや理解して生活できる環境にいることが本当に大切だと思いました。どんどん成長してくる子供に負けないように私も手話を頑張らなければと思う毎日です。     

令和2年12月  3歳児保護者

 

令和2年度 保護者の声04

 〇〇は保育園に通っている時、先生や周りの人たちから「賢いですね、すごいですよね。」と言われる事が多く、その言葉に安心していました。それは、周りをよく見て、真似をするのがすごく上手な子供だっただけでした。自分で考えて動くのではなく、少し遅れて周りのお友達の真似をする事しか出来なかったのに、それに気付く事も出来なかったなんて、今考えると、とても申し訳ない事をしていたな、と後悔しかありません。もっと早くに聾学校や手話と出会っていたら、〇〇はもっと沢山の発見や、喜びに出会えていたのに…
 聾学校に入学させて頂いて毎日過ごす中で、4月の頃に比べると、1番変わったのは〇〇の表情だと感じています。嬉しい時や、怒っている時、悲しい時、表情や全身を使って表現してくれるようになりました。
 ある時、家で朝ご飯を食べない時、〇〇に「ご飯が終わったら自転車で遊びに行くよ〜」と手話と言葉で伝えました。すると、表情が一気に変わり、「やった〜」とキラキラした笑顔になり、ご飯を食べ始めました。そしてさっさと食べ終わり、私が食器を洗っていると、腰に手を当て、顔を膨らませながら、足踏みをして近寄って来ました。私が「なに?どうしたの?」と尋ねると、「もう!(急いでの手話)」と言ってきたのです。私は怒っている○○の顔を見て、思わず吹き出してしまいました。
 今まではどこにいく、なにをすると言うのも十分に伝えられず、楽しみにするという感覚があまりなかったように思います。(ご飯食べたくないな〜、え、でも食べたら自転車乗れるの?よし、食べたぞ!遊べる!あれ?まだ行かないの?なんで?あ、ママまだなんかしている、もう!早くするように伝えなきゃ!)っていう副音声が聞こえた様に思えた場面でした。未来の楽しみを想像して、行動でき、また進まない時には原因を考え、対処する。この何気ない行動の中に〇〇の気持ちを思うと「伝わる事」の大切さを感じました。
 入学してから、「ママ、みて!」も、たくさん増えました。伝わる喜びに出会えさせてくれたのは担任の先生を始め、先生方のおかげです。ありがとうございます。そして、〇〇だけでなく、聾学校に入学して日常生活も濃くなりましたが(笑)聞こえない子どもをもつ親として、なにが必要なのか、どうしてあげることが良いのか、指針を示してくださり、私達親も毎日が楽しくなりました。本当に感謝しかありません。
 今後もたくさんの経験をして、どんどん成長する姿を楽しみにしています。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。                     

令和2年10月  3歳児保護者

令和2年度 保護者の声03

 聾学校に入学して半年間で〇〇の成長にビックリすることばかりです。
知っている言葉が増え手話を知り、分かることの楽しさや伝えることの楽しさを知って伝えたい気持ちが育まれたんだなあと思いました。今ではうるさいくらいのおしゃべりさん。
 聾学校に入学する前は、いいなあと思っても友達の中に入っていけずに、見ているタイプでなかなか輪の中に飛び込んでいけない印象で、心配していましたが、あれ?全然そんなことなかったと安心しました。
 入学してすぐ表情が変わっていく様子に1番びっくりしました!こんなに表情が変わるのだと主人とビックリしたのを覚えています。お友達との関わり方、楽しんでいる様子、〇〇の表情を見て分かる環境で生活することの大切さを実感した瞬間でした。
 これからの生活でもっと相手のことを思いやる気持ち、難しいこと、苦手なことも諦めずに最後まで一生懸命頑張る気持ちが育っていきますように。(母)

 ろう学校に入学して圧倒的に〇〇の表情と行動の変化に驚きました。以前の幼稚園では1人遊びと先生と話す事が多いイメージだったが、今は友達との遊びややりとりが楽しそうで本人が嬉しいと思います。1年前に「聾学校に入学すると心を育てる事ができる」と言われた事が今は実感できます❗本当にありがとうございます。感謝。(父)

令和2年10月  3歳児保護者

令和2年度 保護者の声02

 〇〇は0歳から地域の保育園に通い、子供達とよく遊び、先生や子供たちとのコミュニケーションは口話だけの会話で、キャッチボールのように言いたい事をうまく伝えずに諦めることも多かったです。保育園の先生から「〇〇君は喋るのが上手、生活の面では、特に困った事はないので、そのまま保育園を続けても大丈夫と思うけど、、。」と言われて、このような状態で続けていいのか迷い、乳幼児教育相談の先生に相談し、将来、困らない様に〇〇をしっかり育てたい気持ちが強く、園を辞めてろう学校の幼稚部に入学する事に決心しました。

今年4月から幼稚部に通い始めて、今までにない環境の中で多少の戸惑いがあったと思います。先生や友達が手話を使っているので、自分もだんだん手話で話せる様になったのではと思います。それと、指文字カードや絵カードや日常の絵日記のおかげで、〇〇の考えや言いたい事を自分から言えるようになりました。これからは○○らしく自分らしく生きていけたらと思います。今度ともご指導のほど、よろしくお願いします。

令和2年10月  3歳児保護者

令和2年度 保護者の声01

 聾学校に通う前は集中して見ることができない、じっと座ることが難しい子でした(北九州では特にそういう場が母と通園だったからかもしれません)。手話も覚えるのは興味のあるものだけで、こちらから問いかけても手話が返ってくることは無い事が殆どでした。言葉がない分コミュニケーションの面で状況を説明したり、どうしてダメなのか、何故行かないといけないのかなど伝わらなかったり、とても困ることもありました。
 幼稚部に通いはじめて色々学んだ中でびっくりしたのはやはり自分の気持ちを伝える力です。言いたい、伝えたい、聞いて欲しいという気持ちが芽生え本人から沢山話しかけてくれることが増えました。そして説明の方法も少しずつわかりやすく変わってきています。指文字も増え、覚えたいという気持ちも増えている気がします(家で自ら指文字カルタを持ってくることがあります)。先日の散歩を通して、〇〇君の指文字はすごく早く表すようになりました!
 普通の幼稚園の場合、きっとこんな心は育たなかったと思います。自分が伝えたことが相手にわかるだろうか、みんなの言っていることがわかるだろうか、伝わらない、わからないのは仕方がないことだ、と思っていたでしょう。難聴児である以上、聴者が多い世界で生きていく中で聞こえる私たちにはわからないような苦しい事も経験すると思いますが、それを小さい頃から可愛い可愛いで育っていける今から経験させる必要がないと思っています。今だからこそ、わかる環境の中で育てたいと思っています。
 引っ越す前は、我が子ほどの重度の難聴の子供はいないだろうなー、聾学校でも誰よりも情報が届かないんだろうなーと思っていたところがありました。が、今は良い意味で裏切られています。
 幼稚部の中で友達ができて、お兄ちゃんお姉ちゃんがいて、一緒に過ごす楽しさや伝わる嬉しさあるからこそ本人がイキイキと毎日通えていると思うと、熊聾で過ごせて心から良かったと思っています。これからもよろしくお願いします。

令和2年10月  3歳児保護者