保護者の声

本校に通う幼児の、保護者さんからのメッセージです。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声06

通学するにあたり、1日約180㎞メートル、1週間で900㎞の運転。それを3年間・・・と考えてみるとゾッとします。なので、「大変ですね。」や「えっ!毎日通って?」などと声をかけられていた事も納得できます。ただ、この3年間息子の送迎に関しては大変だとは感じたことはなく、むしろ息子と二人だけの楽しいドライブの時間でした。幼稚部3年間は、コロナの影響や自然災害、病気などにより登校できない日も多々ありましたが、可能な限りは登校していました、それは、息子本人の「行きたい。」という気持ちがあったからという事もありますが、息子の成長していく姿を私自身が感じていたので、よほどのことがない限りは登校しました。

 息子はペラペラと、きれいな発音で喋ります。喋りますが聞こえません。喋っているのに聞こえません。聞こえないけど喋ります。なかなか理解しがたい姿ですが、人工内耳を外したら無音の世界です。そんな様子の息子なので、熊本聾学校の幼稚部に入学することに対しては「行かなくても大丈夫ですよ。」や「今の保育園でもやれているのに、わざわざ遠い所に行く必要があるの?」などの事をよく言われました。ですが、どれだけ発音がきれいで、おしゃべりが上手でも、聞こえない息子にとって、これからの人生において重要となる幼児期を、熊本聾学校幼稚部で過ごす事が大切だと感じ、幼稚部へ入学しました。

 息子は8ヶ月過ぎから保育園へ通い始めました。私も同じ保育園で働いており息子の様子を目にすることもできました。保育士の先生方も簡単な手話や絵カードなどの視覚的な支援をしてくださっていました。2歳児の頃になるとよく喋る様になっていました。保育園での大きなトラブルや、お友達とのトラブルもなく、登園渋りもなく毎日通っていました。ですがなぜ、熊本聾学校幼稚部へ通うことになったのか・・・それは、息子の保育園での様子を見る中で不安が募っていった為です。先ほど述べた様に特に大きな問題もなく過ごせていた保育園生活。問題を起こす事はないものの、息子の中では問題を起こせるほどの友達との関係性や自分の感情が無かった様に思います。先生の指示を理解して行動しているのでなく、皆が行くから同じ方向へ行く、同じ事を見様見まねでする。好き、遊びたい遊具・玩具があってもお友達と同時に手にしてしまったり、先にお友達が使っていたらササッと違う遊具や玩具へ手を伸ばす。誰でも叱られるのは嫌ですし、トラブルは避けたいものです。まさに息子は叱られたくない、お友達とトラブルになるくらいならば、自分から引いて過ごしている姿を頻繁に目にした時に、このまま、自分で考えて行動する、お友達とのコミュニケーションを図る事もなく、大きくなっていったとしたら・・・と考えると将来が不安になりました。

 ロボットの様な息子が幼稚部へ入学してから、1年が過ぎる頃には、理解し、納得した上で行動する姿やお友達とケンカも出来る様になりました。そして、一番の変化は、表情が豊かになりました。更に3年経った今では、お友だちとふざけ合ってついつい注意を受けることもある程になりました。安心して自分をさらけ出し、思いっきり楽しんで、真剣にケンカもして、友達と一緒に考えて、何かを作り上げたり・・・主体的に活き活きとした姿で毎日過ごすことができました。

 3年間親子で絵日記に取り組みましたが、3年目にしてやっと絵日記の大切さを実感できる場面が多く「前に赤組の時に絵日記でやったよね。その時こんな話をしたよね。」や「これって、あの時にした絵日記のことと同じだ。」と普段の何気ない生活の中で絵日記での内容を結び付けていたり、以前の絵日記を見返して確認したり、比べてみたり・・・まるで辞典のようです。絵日記については、私と息子の間で毎日楽しいやり取りができていたわけではありません。なので、困っていたり、悩んでいたり、不安になったり・・・このすっきりしないモヤモヤ感があるからこそ、息子にとっての今の絵日記のベストな方法は何なのか考える事になり、考える事によって息子に寄り添う事ができたのかなと感じています。卒園する前日に「もう先生と絵日記できないんだ・・・先生と絵日記のおしゃべりしたかったな・・・」と淋しそうに呟いて一人静かに絵日記を見返している姿や「お母さん、幼稚部卒業しても、この絵日記全部捨てたりしないでね。僕の宝物だから。」と鼻を大きく膨らませて力強く言う息子の姿に救われました。

 4月から息子は地元の小学校へ入学します。これまでとはがらっと変わる環境に戸惑う事や疲れてしまう事が多いと思います。これから先、様々な悩みや困りごとが出てきます。ですが、息子には息子と同じ聞こえない聞こえにくい友だちがいます。その友だちと悩みを共感・共有し合い、悩みや困り感を和らげる事ができると思います。それは、息子だけではなく私自身にも言える事であり、息子を通して知り合えた聞こえない聞こえにくい子どもをもつ親同士、共感しながら息子をサポートしていく事が出来ると感じています。それが、なにより心強いです。

 先生方、うさぎルームの時から、私達親子に寄り添って支えてくださり、ありがとうございました。

 

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声05

コロナで最初の頃は通えない日々でした。

 軽・中等度難聴の娘だから、話は通じてしまい、さら~っと1日を過ごしていました。でも、親は特段困ることもなく、なんとなく続けていた絵日記をとりあえずするといった毎日でした。熊本聾学校に通うようになり、本格的に絵日記が始まると「あれ?」と思うことが、多々。健聴児とは違う風に聞こえているのがとても明らかになりました。それを一つ一つ確認し、本人の中で修正していく毎日が始まりました。本人は正しいと思っているので、(そう聞こえているのだから、そうなのですが)真正面から否定すると、もちろん聞き入れてもらえません。そんな時、参観などを通じて、先生の子どもへの接し方、言葉の選び方、本人に気づかせる誘導の仕方を学ばせていただきました。子どもが入学して、学び育っていくと共に、親も一緒に入学し、学んでいけました。

 同級生との関わりも3年間を通して随分変わりました。年少児の時は、子ども対先生の関係でしたが、徐々に手話も覚えていき、年長児になると子ども同士で会話が成り立ち、互いに意見を言い合い、共に笑う関係が作られていきました。支援されるだけの子どもではなく、本当に同じ立場で関係性が作られていることが当たり前のことなのにすごいと思いました。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声04

 我が子が難聴と分かったのは、1歳半検診の時でした。その後、難聴の子どもを持つお母さんと出会い、熊本聾学校の中にある乳幼児教育相談「うさぎルーム」に誘っていただき、熊本聾学校を知りました。

 難聴であることが分かり、正直ショックな気持ちや不安な気持ち、この先、我が子は大丈夫なのかと心配なことばかりでした。

 熊本聾学校の先生にもたくさん相談し、何度もうさぎルームに通い、学校の様子や子ども達の様子を見せてもらいました。地域の保育園に通っていたのですが、我が子にとって一番良い環境はどこなのだろうかと考え、熊本聾学校入学を決めました。

 入学したての頃は、言葉や手話もほとんどなく、コミュニケーションをとるのが難しい状態でした。入学後は少しずつ指文字や手話を覚え、家でのやりとりも増えてきました。子どもの成長は本当にすごいなと思うほど、どんどんいろいろなことを吸収していきました。

 年中になるとお友達との関わりも増えていき、自分のことだけでなくお友達の話や学校での出来事を家に帰ってから話してくれることが増え、絵日記のやりとりが楽しくなってきました。何?どうして?の質問が増え、自分の思ったことも伝えられるようになりました。

 年長児になるとお友達との話も深くなり、「友達はこの時こういう気持ちだったと思う」とか、相手の気持ちを考え、相手を思えるようにまでなりました。

3年間でいろいろな経験や体験したことが他の場所でも活かされることがあり、毎日の絵日記や日々の生活の積み重ねが今の成長につながっていくのだと実感させられました。

 卒業式の姿を見て心も体も本当に成長したなと感慨深いものがありました。あんなに小さくコミュニケーションをとるのが難しかった我が子がこのように成長するとは、3年前の私は思ってもいませんでした。ここまで成長できたのも熊本聾学校の先生方が親子共々、熱心に関わってくださったからだと思います。あの時、熊本聾学校の入学を決めたことは決して間違っていなかったと思うことができました。

 子供にとっても通じ合い、けんかし、楽しく学べる仲間がたくさんでき嬉しく思います。3年間一緒に過ごした仲間を大切にし、みんなと成長していってほしいと思います。

先生方、本当に3年間ありがとうございました。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声03

 娘の難聴が分かったのは娘が4歳になる少し前でした。

 3歳になっても喃語が多くおしゃべりは好きだけど保育園の先生やお友達に一生懸命話しかけているが伝わらない。ただ、音にも言葉にも反応は出来る為、まさか自分の娘が難聴だとは思わずに過ごしてしまいました。

 言語のリハビリに通い始めた時に初めて聴力検査を勧められました。

「あー、この子はずっと聞こえにくい世界で生きていたのか」と初めて気づくことができました。難聴といわれてビックリした事よりも、やっと腑に落ち、安心感に近い感情を持ちました。それからは補聴器を装着し療育に通う日々でした。

 私は、お兄ちゃん達と同じ地域の小学校に娘を通わせたいと思っていました。

 療育の先生も保育園の先生もそのために一生懸命頑張ってくれました。

 ただ、療育に通ううちに不安になりました。週に2回の療育では小学校入学までにはほかの同級生の子たちと同じスタートラインには立てないと思い始めました。その時娘はもう5歳と3ヶ月でした。手話も口話も出来ない、コミュニケーションをとる事ができない自分と娘に不安を感じ始めていたころ、コロナの影響で行けなかったうさぎルームに初めて行き、熊本聾学校の先生方に今不安に思っていることを全て相談しました。初めて熊本聾学校を見学した際に、私は娘と同じ難聴の子たちのキラキラとした笑顔で先生やお友達と手話や口話で話している姿を見て感動しました。

 その姿を見たときに、熊本聾学校に入学する決意が出来ました。

 入学して初めのころは「聾学校むずかしい」と言って毎日ヘトヘトになっていましたが、必死に手話も口話も練習しました。それでも同級生の子達に比べるとまだまだですが少しずつ「自分の気持ちを自分の言葉で伝える」事が出来るようになって娘の表情はとても良い方へ変わりました。毎日毎日「ことば」に対する教育を受けた娘は今までとは考えられないスピードで成長し、家族全員でその姿に驚かされました。

 難聴に早く気づいてあげる事が出来ず自分を責める日々でしたが、素晴らしい環境と先生方、お友達とその保護者に恵まれて「聾学校楽しい」という娘を見て今は前向きに考えられるようになりました。小学部でも、娘の成長に期待しています。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声02

  

幼稚部に3年間通って先日卒業をしました。

あっという間の3年間でした。

ただただ流れていったのではなく濃く、深い毎日だったと感じます。

入学してたくさんの友達が出来ると同時に難聴といってもこんなにも様々なんだと知りました。

勿論課題も同様でした。

全員一緒の支援でなく、それぞれにあった支援を先生が一生懸命考えてくださりどれが本人に合うのか。丁寧に接してくださいました。

親にも共有してくださり、家でのコミュニケーションも深まったと感じています。

これが出来たのは熊本聾学校だからこそです。

小学部に入るまでの基礎を幼稚部で作っていただき感謝しかありません。

小学部に上がっても幼稚部での3年間で学んだことを忘れずに頑張ってほしいと願っています。