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令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声03
娘の難聴が分かったのは娘が4歳になる少し前でした。
3歳になっても喃語が多くおしゃべりは好きだけど保育園の先生やお友達に一生懸命話しかけているが伝わらない。ただ、音にも言葉にも反応は出来る為、まさか自分の娘が難聴だとは思わずに過ごしてしまいました。
言語のリハビリに通い始めた時に初めて聴力検査を勧められました。
「あー、この子はずっと聞こえにくい世界で生きていたのか」と初めて気づくことができました。難聴といわれてビックリした事よりも、やっと腑に落ち、安心感に近い感情を持ちました。それからは補聴器を装着し療育に通う日々でした。
私は、お兄ちゃん達と同じ地域の小学校に娘を通わせたいと思っていました。
療育の先生も保育園の先生もそのために一生懸命頑張ってくれました。
ただ、療育に通ううちに不安になりました。週に2回の療育では小学校入学までにはほかの同級生の子たちと同じスタートラインには立てないと思い始めました。その時娘はもう5歳と3ヶ月でした。手話も口話も出来ない、コミュニケーションをとる事ができない自分と娘に不安を感じ始めていたころ、コロナの影響で行けなかったうさぎルームに初めて行き、熊本聾学校の先生方に今不安に思っていることを全て相談しました。初めて熊本聾学校を見学した際に、私は娘と同じ難聴の子たちのキラキラとした笑顔で先生やお友達と手話や口話で話している姿を見て感動しました。
その姿を見たときに、熊本聾学校に入学する決意が出来ました。
入学して初めのころは「聾学校むずかしい」と言って毎日ヘトヘトになっていましたが、必死に手話も口話も練習しました。それでも同級生の子達に比べるとまだまだですが少しずつ「自分の気持ちを自分の言葉で伝える」事が出来るようになって娘の表情はとても良い方へ変わりました。毎日毎日「ことば」に対する教育を受けた娘は今までとは考えられないスピードで成長し、家族全員でその姿に驚かされました。
難聴に早く気づいてあげる事が出来ず自分を責める日々でしたが、素晴らしい環境と先生方、お友達とその保護者に恵まれて「聾学校楽しい」という娘を見て今は前向きに考えられるようになりました。小学部でも、娘の成長に期待しています。
管理責任者 校長 市原留美子