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令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声01
うちの子に難聴がわかったのは1歳半健診での事でした。
保健師さんから「おかあさん。OOちゃん耳が聞こえていないかもしれません。」と言われた時には、直ぐに信じることができず、(いやいや、そんなわけないでしょ。)と思っていました。詳しい検査をするために、病院や施設などに通い、どんどんはっきりと判明してくる我が子の重度の難聴であるという事実に驚きと、どうして今まで気付かなかったんだろう、と後悔しかありませんでした。そんな私と正反対に、主人は「この子にできることをするしかない。とりあえず、この子の為にできる事、合っているものをやってみよう。合わなかったらまた、その時に違う方法を考えたらいいじゃん。」と考える人でした。おかげで私も気持ちを切り替えて前を向くことができ、この子の為にできる事はとりあえずやってみよう。と思い、色々と情報を集めました。その中で難聴児の保護者との出会い、聾の方との出会い、そして熊本聾学校と出会いました。
熊本聾学校を知るまで、うちの子は2歳児クラスまで地域の保育園に通っていました。私も主人も仕事をしていたし、保育園以外の選択肢はありませんでした。保育園の先生からも、「OOちゃん賢いですよねー。なんでも上手にできますよ。」と言われることが多く、(なんだ、保育園でも大丈夫じゃん。)と思っていました。しかし、それは聞こえていないから周りをよく見て真似をするのがすごく上手な子供だっただけでした。今から何が始まるのか分からないから、少し遅れて周りのお友達や先生の真似をする事しか出来なかったのに、それに気付く事も出来ませんでした。その事実に気付かせてくれたのが熊本聾学校の先生でした。そう言われた後、当時の写真を振り返ってみると、きょろきょろして表情の固い写真ばかりだった事に気付き、ハッとしました。
熊本聾学校の先生のお話の中に、「幼児教育というものは、小学校以降における生きる力の基礎や生涯にわたる人間形成の基礎を養う上で重要な役割を担っているとても重要な時期であり、どう過ごすかで大きく今後が変わっていく。」と教えて頂きました。この大切な時期に「自分は聞こえないから伝わらなくても仕方ない。」と諦めながら日々を過ごさせるなんて絶対に嫌だし、聞こえないことを何かを諦める理由にしてほしくない、と考えるようになりました。
なにより私は子育て自体に自信がなく、ましてや3人兄弟の2番目だったOOだけに十分な時間をかける余裕もありませんでした。熊本聾学校であれば難聴児教育のスペシャリストの先生方がたくさんいらっしゃるし、同じ悩みをもつ家族もいる。悩んだ時、失敗した時、こんなに心強い環境は他にないと思いました。
いざ、熊本聾学校に入学してからは、仕事をしながらの慣れない登下校の送迎、絵日記等と、初めての環境に不安な中で、泣きながら後追いをするOOの様子を見ていると、私もいっぱいいっぱいになってしまい、毎日苦しかった事を覚えています。そんな時に支えてくれたのは先生方や、同じ難聴の子を持つお母さん達でした。「わかるわかる、うちもこうだよー。」と何気ない、お母さん達との世間話に(うちだけじゃないのんだ!)と安心していました。聞いてもらえる人がいてくれるのが嬉しくて、よくボロボロと泣いてしまう私は慰めてもらいました。先生には、子どもの細かな変化にもすぐに気づいていただき、言動や表情、様子を毎日教えてくださいました。子どもの変化を知ることができる事で、この環境が子どもの為になっている事をひしひしと感じることができ、もう少し通ってみよう、大変だけどがんばってみよう。と前を向くことができました。
熊本聾学校に入学して、2ヶ月もするとOOはみるみる表情が豊かになっていきました。
コミュニケーションに関しては、初めの頃は「今日は誰と遊んだのー?何をして遊んだのー?」と尋ねても、会話が弾むことはあまりなく、「おそと」など単語だけのやり取りが多く、話を膨らませることに苦労しました。行き帰りの車の中も、ただただテレビを見ているだけの事が多かったように思います。
しかし、数ヶ月もすると車に乗るやいなや「ママ、こっち見て!」「今日はここに行った。せんせいがこんなことしたんだ~!」と興奮して手話を使って話してくれる様になりました。「運転してるから見れないよ~、あぶないでしょ!」と言うとケラケラ笑って「ママ、みてー!!」と手話でずっとお話していました。こんなに変わるものかと驚いたのと同時に、とても嬉しかった事を覚えています。
年中さんになると、言葉も手話もたくさん覚えました。ひらがなも読めるようになり、口話だけでは何と言っているか分からないときや、物の名前を伝える時は指文字があったことで、スムーズに伝えることができました。「あれはなに?」と尋ねられた時、指文字や手話がなかったら、と思うときっと方法が分からず十分に話ができなかっただろうな・・・と考えるだけでゾッとします。手話に出会っていなければ、伝えたい気持ちや伝わる喜びを毎日経験することもできなかったと思います。
年長さんになると、季節ごとのイベントの度に「赤組のときはこうだった。青組のときはOOがこんなになってたね~!」と過去を振り返り、よく覚えている事に驚きました。毎日がただ何となく過ぎているのではなく、熊本聾学校では事前のお話、実施、振り返りを入念にしてくださるので、何があるのか、どう行動するのかなど1人1人が取り残される事無く考えることができるのだと思います。更に絵日記でも振り返る為強く印象に残すことができるのだと思いました。
このような学校生活を送っているからか、家にいる時に「きょうはなにするの?そのあとはどうするの?」と予定を細かく確認するようになりました。予定が嫌な時は、ちゃんと不満を言ってくれます。決まっていない時、「まだ何も決まってないよ、なにしよっか?」と尋ねると、楽しそうに自分のしたい事や、行きたいところをたくさん伝えてくれます。こんな何気ない日常の会話の中でも、自分の考えや思いをしっかり持っており、それをきちんと伝えることができるようになったんだなぁ、と成長を感じます。
今では小学校3年生のお兄ちゃんとも、4歳の弟とも手話を使って文句を言い合い、毎日毎日元気に喧嘩をしています。笑
3人兄弟ですが、1人1人性格は全く違い、個性豊かな3人の子供たちです。
難聴はOOの個性だと思っています。人には得意なこと、不得意なこと色々ある中で、OOは聞くことが不得意ですが、目で見ることにとても長けています。絵を描くこと、表現することがとても上手です。手話がとても上手です。手や体で表現することがとても上手です。人の変化や表情にすぐに気付くことができます。優しく声をかけてくれます。
この子の得意なこと、上手なところに気付かせてくれたのは熊本聾学校です。
聴者が多いこの世界で、大人になれば嫌と言う程「聞こえない」壁に直面する日が来るかもしれません。そうなった時に自分の意思をしっかり持てるように、壁をぶち破れる力を養う為に、通じる喜びや自分の長所を知っている経験はとても大切なことだと思います。そしてなにより困難に立ち向かった時に、気持ちを分かってくれる仲間と出会える場所は聾学校より他にないと思います。
熊本聾学校に3年間通うことができて本当に良かったと思います。これまで出会った先生や保護者やお友達、すべての方々に感謝しかありません。
本当に本当にありがとうございました!
管理責任者 校長 市原留美子