職員のページ

職員エッセイ

今だから伝えたいこと~天高からのメッセージ(18)~

*丁寧に生きる*

 こんにちは。2年1組担任、地歴公民科の前垣です。

 新しい年になり、みなさんいかがお過ごしでしょうか?昨年は、世界中が新型コロナウイルスに翻弄され、年が明けた現在もなかなか収束の見通しがつきません。しかし、このような時代だからこそ、ゆっくりと自分や周囲を見つめることも大切なのではないかと思います。

 さて、私は旅行が趣味で、年末年始などの長期休暇の際はたいていどこかへ出かけるのですが、移動も制限される現在の状況ではそれも出来なかったので、今回の年末年始は実家(と言っても家の近所なのですが…)でゆっくり過ごしました。そこで、いつもはなかなか出来ていない読書をしようと思い立ち、読まないまま眠らせていた本や、何年間も読みかけのままになっている本を本棚から引っ張り出してみました。

 その中に『フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~』という本がありました。数年前にベストセラーとなった本なので、読んだことがある人もいるかもしれません。読み進めていくうちに、日常の些細なことでも丁寧に取り組むこと、前向きに取り組むこと、そうすることで、シンプルな暮らしの中で、喜びや幸せに対する感受性も上がっていくんだな、ということを感じました。

 この本を読んだ瞬間、私の今年の目標は「丁寧に生きる」に決まりました!手始めに、服を整理したり、洗濯物を綺麗に畳んだり、食事に(ほんのちょっとだけ)気を配ってみたり…と、本を読んで「やってみよう!」と思ったことを少しずつ実践中です。日々の生活の中で、いつもよりちょっと丁寧に取り組むことで、心が豊かになる生活を送っていきたいと思います。

 みなさんの今年の目標は何でしょうか?忙しい高校生活の中で、なかなか立ち止まって些細なところにまで気を配る余裕はないかもしれませんが、「いつもよりちょっとプラス」を意識して、今年の目標を掲げてみてはどうでしょうか?

 

 次のリレーエッセイは、私の丁寧な暮らしの師匠、金子美咲先生です!

 

 

今だから伝えたいこと~天高からのメッセージ(17)~

明けましておめでとうございます。

本年も、天草高校をよろしくお願いいたします。

さて、令和3年のこのリレーエッセイのトップバッターは、今年の年男、世界史の冨田先生です。では、お楽しみください。


*今昔物語と古代エジプト ~ユーラシア大陸の東西をむすぶ物語~* 

「今は昔、震旦(しんたん)[中国]の□の時代(□は欠字)に、国王の財宝を納めておく大きな蔵があった。その蔵に、財宝を盗み取ろうとして二人の盗人が忍び込んだ。この二人は親子である。親は蔵の中に入って財宝を盗み出す。子は蔵の外に立って親が取り出すものを受け取っていた…」

 これは、有名な『今昔(こんじゃく)物語集』の震旦編に収められているある説話の書き出しです。私は高校2年生の夏のある日、この物語を図書館で読んでいました。もちろん現代語訳された部分だけですが。夏休みの課題に追われ、気分転換に手に取ってみたのです。私は高尚(こうしょう)な文学青年であったわけではなく、『今昔物語集』には、『竹取物語』の原典ではないかと言われる話や、芥川龍之介の『羅生門』の原典となった話も納められており、もしセンター試験の古文で出題されれば、あらすじを知っていると有利だろうという打算的な思惑で手にしたのです。ところが、これが意外に面白く、様々なジャンルの話が収められ、一話一話も短くてオチもあることからはまってしまい、気づくと数冊分を読み終えていました。読み進めているうちに出会った説話が、冒頭に引用した「震旦の盗人(ぬすびと)、国王の倉(くら)に入りて宝(たから)を盗み、父を殺す語(ものがたり)」でした。このことが、私にとってこれまで幾らか本を読んできたなかで、今でも忘れられない最も衝撃的な体験となったのです。

 さて、盗人の物語の続きはこうです。「すると、蔵の番人がやって来た。外に立っている子はその気配を察して、『番人が来てもおれは逃げるからつかまらない。だが、蔵の中のおやじは逃げ出せずにかならずつかまるだろう。おやじが生き恥をさらすより、いっそのこと殺してだれだかわからぬようにしてしまうにこしたことはあるまい』と思いつき、蔵に近く寄って『番人がやって来た。どうしたらいいだろう』とささやく。親はこれを聞くと、『どこだ、どこにいるか』といいながら、蔵の中に立ったまま顔をさし出した。そのとたん、子は太刀(たち)を抜いて親の首を打ち落とし、それを持って逃げた」。え゛?! いきなり残酷な展開。それも何の躊躇もなく…。まるで、タランティーノの映画のような展開に、私は頭の中に何か引っかかるものを感じました。どこかで見聞きしたような…。

 さらに物語は続きます。盗人を捕まえようとする王と、それを出し抜こうとする盗人の「知恵くらべ」が始まるのです。例えば、国王は、三日以内に親を葬ることになっている国の風習を利用して、盗人を捕まえることを試み、首のない父盗人の死体を街角に置かせて見張らせます。これに対して、盗人は見張りの者を酒で酔わせ、薪(たきぎ)を死体に落としかけ、見張りが泥酔したすきに死体に火をつけて無事火葬し難を逃れるのです。その後も国王が仕掛ける罠を知恵によって次々と巧みにくぐり抜け、なんとこの盗人は、ついには知恵と知略によって隣国の王になり、「知恵くらべ」をした王の娘を妃に迎えて国が栄えた「となむ語り伝えたるとや」、と物語は閉じられます。

 この物語を最後まで読み終えたとき、やはりかつて何かの本で似たような話を、それも時代も場所も全く異なるような設定で読んだことがあるという感覚が確信に変わり、脳みそが該当する本の検索を始めました。ニューロンからシナプスが触手のようにあちらこちらに伸びて記憶をたどり、まるでカンブリア爆発が起こったかのような閃光が脳内に走った瞬間、かつて読んだ古代ギリシアの歴史家ヘロドドスが著した『歴史』が目の前に浮かんできました。間違いない、ヘロドトスだ…。私は急いでギリシア史の書架に走り、『歴史』を手に取ってページをあわただしくめくりました。そしてついに見つけたのです。それはヘロドトスが紀元前5世紀頃エジプトを旅したとき、ある司祭から聞いたとされるランプシニトス王(ラムセス3世。紀元前12世紀のエジプト王)と盗人の物語にそっくりだったのです。盗人が親子でなく兄弟だったり、知恵くらべの勝負の場面が少なかったりと詳細では違うところはあるものの、ここに12世紀平安時代末期に成立したとされる今昔物語集と、紀元前5世紀にヘロドトスが聞き取りした古代エジプトの物語がひとつに結びついたのです。そのときの興奮は今でも忘れられません。

 では、古代エジプトの物語は、約1700年の時を経て、どのようにして日本の今昔物語集に収められることになったのでしょうか?いったいいつの時代の、どんな人たちが、どのようにして語り伝えたのでしょうか?シルクロードの砂漠を往く隊商、中国から経典を求めて天竺(てんじく)をめざす求法(ぐほう)僧(そう)、知恵ある人物に育ってほしいと願い我が子に昔話をする市井の母親…。私のあたまのなかに、ユーラシア大陸の東西を結びつける壮大な人々の営みが浮かんでは消えていきました。それは時間と空間をこえて旅するような幸せな体験でした。私のこのような体験は、何気なく1冊の本を手に取ったことから始まりました。生徒のみなさんにも記憶に残る本との出会いがありますように。

                                     冨田 理

 

今だから伝えたいこと~天高からのメッセージ(16)~

 今年も今日を入れてあと3日。今までにない対応を求められ、みんなで知恵を出し合い、乗り切ってきたように思います。

 そんな今年の最後を締めくくるのは、国語科の岩間先生からのメッセージです。


 今年の夏のできごと。実家に帰省中、庭で家族みんなとアイスクリームを食べていると、ふとそこに1匹の蟻を発見。自分の体の何倍もあるお菓子の食べかすを、炎天下に必死に巣へ運ぶ姿はこれこそまさに「The蟻」。「頑張れ!」「凄いね!」「大変そうだね」。歓声を上げる子ども達に、「いいか、お前たち。仕事とはね…」と偉そうに父親面しようとしたその時、別の1匹が登場。2匹は互いに力を併せ巣へ食べ物を…と思いきや何を考えたのか互いにお菓子の綱引きを始め、力が拮抗している2匹の争いは泥沼の膠着状態へ。2匹の思いはひとつ「女王様のために…」。それぞれの目指すゴールは同じなのに、互いに意思の疎通ができていないと悲劇的な結末を生むことをこの蟻たちに教えてもらった気がします。

 先日、今年を表す漢字が発表されました。ある意味予想通りの「密」。「密閉」「密集」「密接」を避けた新しい生活様式の中で、私たちはどのように相手の気持ちを慮り、心を通わせ、絆を深めていくのか。オンライン飲み会、オンライン授業、オンライン・・・。直接相手と顔を合わせて、相手の微妙な表情の変化や、言葉と言葉のちょっとした「間」を汲み取りコミュニケーションを交わすことがいかに大切なのか。コロナとともに生きる私たちに与えられた課題は容易に解決できるものではなさそうです。

 そんな2020年もいよいよ年の瀬。来る新年が天草高校飛躍の1年になりますよう、師・弟・親、「密」にコミュニケーションをとりながら、目指すべきゴールへ向かってともに頑張りましょう!

 最後になりましたが、こんな暗い世の中だからこそ、私の先輩でもあり生前交流の深かった故ハヤブサ選手の決め台詞を一部お借りして1年を締めたいと思います!

“下を向くな!さあ顔を上げろ!お楽しみはこれからだ!”

 

今だから伝えたいこと~天高からのメッセージ(15)~

*週刊少年ジャンプ*

 こんにちは。2年2組担任、国語科、清水です。

 私は、『週間少年ジャンプ』が好きです。小学校2年生、7歳の頃から読み始め、毎週欠かすことなくおよそ30年購入・愛読していることになります。『ジャンプ』からは本当に多くのことを学びました。

『SLAM DUNK』や『ROOKIES』からはスポーツに向かう姿勢と熱を、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』からは人情と雑学を、『ろくでなしBLUES』からは男とは、友情とは、ということを学びました。ここ最近のジャンプの話題作と言えばやはり『鬼滅の刃』ではないでしょうか。社会現象と言えるブームとなり、『ジャンプ』の凄さ、素晴らしさを世に知らしめてくれました。ヒットの要因はいくつもありますが、私は登場人物の魅力について触れたいと思います。主人公である竈門炭治郎は、昨今の主人公には珍しく、どこまでも「優しく、良い奴」です。時として敵である鬼にすらも慈愛の念を示すなど、徹底して心優しい少年として描かれます。この炭治郎が作中多くの名言を残していますが、最も印象に残っているのが『悔しいなぁ 何か一つできる様になってもまたすぐ目の前に分厚い壁があるんだ』という台詞です。自分の成長を感じた矢先、すぐにまた壁にぶつかる。言葉にせずとも、人生の中で何度もこのような状況に立ち当たったことがあります。誰しもがそうではないでしょうか。この台詞が登場する場面は強い喪失感を伴うものでしたが、この後炭治郎は成長を続けます。彼が成長できたのは立ちはだかる壁から、己の力不足の痛みから逃げない勇気とひたむきさがあったからだと思います。

 また一つ、『ジャンプ』から学ぶことができました。ちなみ次に心に残った台詞は同じく炭治郎の『俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった』ですが、私は次男なので共感できずに悔しい思いをしました。

 

次のバトンは、同じ国語科で、尊敬する岩間先生にお渡しします。

 

今だから伝えたいこと~天高からのメッセージ(14)~

*見落とさぬように。* 

 こんにちは。保健体育科2年6組担任の長田真治です。最近は、3歳8か月の長男に、「真似っこゲーム」と称し、いろいろな体の動かし方を教えたり、トレーニングをさせたりするのが一番の楽しみになっています。

  さて、そんな長男は、幼稚園や習い事などに通い始め、少しずつではありますが、心も身体も成長してきました。衣類の着脱や排泄など、身の回りのことも自分一人でできるようになり、いわゆる「ドヤ顔」をしながら「できた!」アピールをしてきます。

  親としては、幼稚園の先生をはじめ、わが子に関わってくださっている方々のおかげだということを本当に感じていますが、3歳8か月の長男には、まだそれを感じることは難しいようで、「僕が頑張ったんだもん」という自信に満ち溢れています。物事の背景には、本人の努力と、周りの方々のサポートがあるということに気付く日はいつになるか分かりませんが、少しずつタイミングを考えながら伝えていきたいと思っています。

 皆さんの周りにはどんなサポートがありますか?見えるサポート、見えないサポート、優しいサポート、時にはあなたは思っての厳しいサポート…。たくさん、溢れていると思います。

3年生は余裕がなくなる今だからこそ、1年生2年生は、気持ちが抜けがちな今だからこそ、見落としがちな見えないサポートや厳しいサポートにも気付き、感謝の気持ちをもって日々を送ってほしいな。 

次は、国語科2年2組担任の清水翼先生です。