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今だから伝えたいこと~天高からのメッセージ(17)~

明けましておめでとうございます。

本年も、天草高校をよろしくお願いいたします。

さて、令和3年のこのリレーエッセイのトップバッターは、今年の年男、世界史の冨田先生です。では、お楽しみください。


*今昔物語と古代エジプト ~ユーラシア大陸の東西をむすぶ物語~* 

「今は昔、震旦(しんたん)[中国]の□の時代(□は欠字)に、国王の財宝を納めておく大きな蔵があった。その蔵に、財宝を盗み取ろうとして二人の盗人が忍び込んだ。この二人は親子である。親は蔵の中に入って財宝を盗み出す。子は蔵の外に立って親が取り出すものを受け取っていた…」

 これは、有名な『今昔(こんじゃく)物語集』の震旦編に収められているある説話の書き出しです。私は高校2年生の夏のある日、この物語を図書館で読んでいました。もちろん現代語訳された部分だけですが。夏休みの課題に追われ、気分転換に手に取ってみたのです。私は高尚(こうしょう)な文学青年であったわけではなく、『今昔物語集』には、『竹取物語』の原典ではないかと言われる話や、芥川龍之介の『羅生門』の原典となった話も納められており、もしセンター試験の古文で出題されれば、あらすじを知っていると有利だろうという打算的な思惑で手にしたのです。ところが、これが意外に面白く、様々なジャンルの話が収められ、一話一話も短くてオチもあることからはまってしまい、気づくと数冊分を読み終えていました。読み進めているうちに出会った説話が、冒頭に引用した「震旦の盗人(ぬすびと)、国王の倉(くら)に入りて宝(たから)を盗み、父を殺す語(ものがたり)」でした。このことが、私にとってこれまで幾らか本を読んできたなかで、今でも忘れられない最も衝撃的な体験となったのです。

 さて、盗人の物語の続きはこうです。「すると、蔵の番人がやって来た。外に立っている子はその気配を察して、『番人が来てもおれは逃げるからつかまらない。だが、蔵の中のおやじは逃げ出せずにかならずつかまるだろう。おやじが生き恥をさらすより、いっそのこと殺してだれだかわからぬようにしてしまうにこしたことはあるまい』と思いつき、蔵に近く寄って『番人がやって来た。どうしたらいいだろう』とささやく。親はこれを聞くと、『どこだ、どこにいるか』といいながら、蔵の中に立ったまま顔をさし出した。そのとたん、子は太刀(たち)を抜いて親の首を打ち落とし、それを持って逃げた」。え゛?! いきなり残酷な展開。それも何の躊躇もなく…。まるで、タランティーノの映画のような展開に、私は頭の中に何か引っかかるものを感じました。どこかで見聞きしたような…。

 さらに物語は続きます。盗人を捕まえようとする王と、それを出し抜こうとする盗人の「知恵くらべ」が始まるのです。例えば、国王は、三日以内に親を葬ることになっている国の風習を利用して、盗人を捕まえることを試み、首のない父盗人の死体を街角に置かせて見張らせます。これに対して、盗人は見張りの者を酒で酔わせ、薪(たきぎ)を死体に落としかけ、見張りが泥酔したすきに死体に火をつけて無事火葬し難を逃れるのです。その後も国王が仕掛ける罠を知恵によって次々と巧みにくぐり抜け、なんとこの盗人は、ついには知恵と知略によって隣国の王になり、「知恵くらべ」をした王の娘を妃に迎えて国が栄えた「となむ語り伝えたるとや」、と物語は閉じられます。

 この物語を最後まで読み終えたとき、やはりかつて何かの本で似たような話を、それも時代も場所も全く異なるような設定で読んだことがあるという感覚が確信に変わり、脳みそが該当する本の検索を始めました。ニューロンからシナプスが触手のようにあちらこちらに伸びて記憶をたどり、まるでカンブリア爆発が起こったかのような閃光が脳内に走った瞬間、かつて読んだ古代ギリシアの歴史家ヘロドドスが著した『歴史』が目の前に浮かんできました。間違いない、ヘロドトスだ…。私は急いでギリシア史の書架に走り、『歴史』を手に取ってページをあわただしくめくりました。そしてついに見つけたのです。それはヘロドトスが紀元前5世紀頃エジプトを旅したとき、ある司祭から聞いたとされるランプシニトス王(ラムセス3世。紀元前12世紀のエジプト王)と盗人の物語にそっくりだったのです。盗人が親子でなく兄弟だったり、知恵くらべの勝負の場面が少なかったりと詳細では違うところはあるものの、ここに12世紀平安時代末期に成立したとされる今昔物語集と、紀元前5世紀にヘロドトスが聞き取りした古代エジプトの物語がひとつに結びついたのです。そのときの興奮は今でも忘れられません。

 では、古代エジプトの物語は、約1700年の時を経て、どのようにして日本の今昔物語集に収められることになったのでしょうか?いったいいつの時代の、どんな人たちが、どのようにして語り伝えたのでしょうか?シルクロードの砂漠を往く隊商、中国から経典を求めて天竺(てんじく)をめざす求法(ぐほう)僧(そう)、知恵ある人物に育ってほしいと願い我が子に昔話をする市井の母親…。私のあたまのなかに、ユーラシア大陸の東西を結びつける壮大な人々の営みが浮かんでは消えていきました。それは時間と空間をこえて旅するような幸せな体験でした。私のこのような体験は、何気なく1冊の本を手に取ったことから始まりました。生徒のみなさんにも記憶に残る本との出会いがありますように。

                                     冨田 理