校長室からの風

企業の皆さんと共に ~ 産業教育振興会

 12月8日(火)午後、上益城・宇土・宇城地区の企業の代表の方10人ほどを御船高校にお迎えしました。そして、電子機械科3年生の実習の様子を実習棟でご覧いただきました。内容は、①4サイクルエンジンの分解・組み立て、②電子計測、 ③CAD製図、④シーケンス制御です。各企業は、運輸、ソフトウエア、化学、金属製造など異なる分野の方達ですが、どの実習も興味深くご覧になり、教員や生徒に質問されていました。皆さんが評価されたのは、電子機械科の実習がまとまった時間が確保されていること(1サイクルが3時間)、少人数で実習していること(10人前後)でした。一方、一部の工作機械など設備が老朽化している点は懸念されていました。

 そして場所をセミナーハウスに移し、熊本県産業教育振興会「上益城・宇土・宇城地区支部会」を開催しました。産業教育振興会とは、産業界と教育界(高校)が一体となり、地域における実践的教育や職業体験を通じて、次世代の地域産業を担う人材育成を図ることを目的に結成されています。「上益城・宇土・宇城地区支部会」は、この趣旨にご賛同いただく10社の企業の皆さんと、専門高校及び専門学科を有する5高校(矢部、甲佐、松橋、小川工、御船)で構成されています。年に1回、企業の皆さんと高校が一堂に会し、協議する場を持っており、今年度は御船高校が当番校でした。

 御船高校はじめ5高校全て、2年生で就業体験実習(インターシップ)を実施しています。各企業・事業所のご協力により実際に仕事の現場に赴き、数日から1週間程度(日数は学校及び学科で異なる)、体験するものです。このインターシップの教育効果は誠に大きいものがあります。この体験で、生徒たちは、働くこと、社会人になることを深く考えるようになり、進路意識が高まります。この日、企業の皆さんからも、「受け入れた生徒たちは真剣に取り組む」、「指導する社員にとっても新鮮な刺激になる」、「人材発掘の場にもなっている」等、インターンシップに対してはとても肯定的なご意見がだされ、安堵しました。

 また、高校で身に付けていてほしい力として、「学び続けるための基礎、基本」や「コミュニケーション力」を企業側が共通して挙げられました。そして、業種を問わず、女子生徒の採用に積極的な姿勢を示されたのが印象的でした。

 「少子高齢化が進む中、一人ひとりの高校生は地域の宝です。一緒に大事に育てていきましょう。」と上益城・宇土・宇城地区支部会の住永金司会長(熊本交通運輸株式会社代表取締役社長)がまとめられました。銘記したいと思います。

 

卒業コンサート

 開演を知らせるブザーが鳴り、観客席の照明が次第に暗くなります。一方、ステージはより明るくなり、まるで暗い海に浮き上がる光の舞台のようです。久しぶりにコンサート開演の雰囲気を味わいました。コロナ禍の中、御船高校芸術コース音楽専攻生の演奏会を立派な音楽ホールで開催できることに感慨深いものがありました。

 12月8日(火)、御船町カルチャーセンターのホール(500席)で、午後6時から御船高校芸術コース音楽専攻演奏会が開かれました。この演奏会は、3年生にとっては卒業コンサートとなります。芸術コース音楽専攻生にとっては毎年恒例の大きな行事ですが、今年は開催できるか心配の声がありました。秋になり新型コロナウイルス感染の第三波が起こり、この熊本でも警戒レベルが上がりました。しかし、御船町カルチャーセンターのご理解もあり、主催者の学校側が感染対策を十分に講じるということで演奏会実現に漕ぎつけたのです。音楽ホールで演奏できるかできないかは、生徒たちの気持ちが大きく違ってきます。

 当日、会場の受付では、音楽専攻者だけでなく芸術コースの他の生徒達も協力し、来場者の検温や連絡先記入、誘導などが行われました。観客席は一つおきに座り、30分に一回は換気が行われました。生徒と教職員による手作りの演奏会であり、当事者として感染対策に努めたことは大きな意義があったと思います。

 音楽専攻生は3年生4人、2年生5人で、9人全員がステージに立ちました。第一部では9人の専門とする楽器のソロ演奏です。第二部では、アンサンブル、合奏、合唱で、第一部では緊張気味だった生徒たちの表情も和らぎ、笑顔が出るようになりました。特に2年生5人によるアンサンブル(ハンドベル、合唱)は軽快なダンスを披露し、弾むようなパフォーマンスで会場の雰囲気を一変させました。最後の合唱「桜の雨」(作詞・作曲 森晴義)は卒業がテーマであり、2年生のピアノで8人が気持ちを一つにしっとりと歌い上げました。

 エンディング、3年生4人を代表し、酒井さんと井藤くん(唯一の男子)が挨拶してくれました。3年間の思いがこもり、仲間をはじめ指導者、保護者への感謝の言葉で締めくくられ、印象深いものでした。

 音楽専攻の皆さん、楽器ができるということはとても素敵なことです。楽器はあなたたちの身体(からだ)の一部となっています。これからも音楽があなたたちを支え、励ましていってくれるでしょう。

 寒い夜でしたが、心温まる演奏会でした。

 

マララさんからのメッセージ

 皆さんはマララ・ユスフザイさんを知っていることと思います。高校の英語の教科書にも登場します。パキスタンで生まれたマララさんは、少女の頃から女子の教育を受ける権利を訴え、15歳でイスラム原理主義の武装グループに銃撃されました。この事件を機に家族とイギリスへ移り住みました。そして17歳でノーベル平和賞を史上最年少で受賞しました。マララさんは、イギリスの名門オックスフォード大学で学び、今年の6月に卒業を迎えたのです。

 しかし、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な感染流行)によって、卒業式は中止となりました。女子が学校教育を受けることを認めない人々がいる国で命の危険にもさらされ、それでも女子教育の大切さを訴え続けてきたマララさんにとって、学校教育の総仕上げである大学の卒業式が失われたことはどんなに悔しく、無念であったことかと想像します。

 けれども、マララさんは自らのホームページで、パンデミックによって同じように卒業式を失った世界中の学生に呼びかけます。

「Don’t be defined by what you lose in this crisis,

But by how you respond to it.」

(あなたがこの危機によって何を失うかによって定義されてはいけません。

そうではなくて、それにどう対応するかによって定義されなさい。)

 何を失ったかよりも、この危機にどう対応し、前に進んで行くかが重要なのだとマララさんは強調しているのです。そして、「これまでの教育で身に付けてきた知識や技術を持って、私たちは社会に出る時です。より良い世界を創っていきましょう。」とメッセージを締めくくっています。

 コロナ危機を変化する機会ととらえるマララさんの前向きなメッセージは、世界中の若い世代を勇気づけていると言われます。

 このマララさんのメッセージを、御船高校生の皆さん、とりわけ、修学旅行の中止が決まった2年生の皆さんに伝えたいと思います。 

 

                        師走の御船高校の校庭風景

阿蘇の「震災遺構」が伝えるもの ~ 育友会研修旅行その2

    立野渓谷を望む「数鹿流崩れ(すがるくずれ)」の現場に立つと、足がすくむ思いになります。対岸の崖には、平成28年(2016年)4月の熊本地震によって崩落した阿蘇大橋(長さ200m)の橋桁(はしげた)の一部が引っかかる形で残存しています。その他の大部分はおよそ百m下の黒川に落ち、多くがいまだ土砂に埋まっているのでしょう。振り返って見上げると、北外輪山の大規模山腹崩壊の跡が恐ろしいほどの迫力で姿をとどめています。幅200m、長さ700mの規模で急斜面が崩壊し、樹木や土砂がJR豊肥線の鉄路及び国道57号の道路を押し流し、立野渓谷に落ちていきました。熊本地震の阿蘇地域での被害を象徴する場所です。近くにある名勝「数鹿流滝」にちなんで、この大崩落は「数鹿流崩れ」と命名され、石碑及び説明版、展望用の駐車スペースが整備されています。

 熊本地震以来、鉄道は不通が続き、熊本市と阿蘇地域を結ぶ道路は、北外輪山の二重(ふたえ)峠の迂回路となり、人々の暮らしや観光産業に大きな影響を与えてきました。しかし、ようやくこの8月に鉄道、10月に国道57号が復旧し、阿蘇地域と熊本都市圏の往来がスムーズになりました。そして、来春には新しい阿蘇大橋が元の場所から約600m下流に架け替えられる予定で、巨大橋梁の工事が急ピッチで進められています。新阿蘇大橋が完成すれば、国道57号から国道325号で南阿蘇方面とつながります。熊本地震から四年半が立ち、創造的復興が実感できます。しかし、私たちは「阿蘇大橋が落下した!」というニュースを知った時の衝撃を忘れることができません。この自然災害の脅威を次代に伝えていくために、「数鹿流崩れ」が震災遺構として整備されたことの意義は大きいと思います。

 「数鹿流崩れ」の現場から、東側に回って黒川を越え、南阿蘇村河陽の台地上に残る旧東海大学校舎を私達は訪問しました。ここも熊本地震の震災遺構です。東海大学農学部として地震前は約800人の学生がキャンパスライフを送っていました。しかし、この校舎下を断層が走っており、激震が襲われました。敷地内に隆起した地表地震断層は樹脂で固められ、当時の亀裂や横ずれが生々しく残っています。校舎(1号館)は室内に鉄骨がむき出しになるなど甚大な損傷を受けていますが、全体に補強され、外部の回廊から見学できるようになっています。ガイドの方から丁寧な説明を受け、理解も深まりました。

 熊本地震の体験から得られた教訓を後世に伝えるため、熊本県は、震災被害の拠点を「震災遺構」として整備し、それらを巡るフィールドミュージアムの構築を進めています。防災教育の観点から大変有益だと考えます。次は高校生の皆さんと共に赴きたいと思います。

 

 

阿蘇で育つ珈琲(コーヒー) ~ 育友会研修旅行

 皆さんは珈琲(コーヒー)の産地と言うと、どんな場所が思い浮かびますか? 中南米(ブラジル、ジャマイカ等)、ハワイ、東南アジア(インドネシア)、アフリカなどの熱帯・亜熱帯地域のイメージがあるのではないでしょうか? 私がそうでした。そのため、冷涼な気候の阿蘇にコーヒーファーム(珈琲農園)があると知って関心をもち、一度現地を訪ねたいと思っていました。

 11月28日(土)、御船高校育友会(PTA)役員研修旅行(参加者10人)で、阿蘇を訪ねました。例年の研修旅行は県外の先進校を視察していますが、今年度はコロナ禍の中、日帰りで近場の阿蘇地域の訪問となりました。その最初の目的地が南阿蘇村河陽にある「後藤コーヒーファーム」でした。

 手作りの木製看板を背に、オーナーの後藤至成氏が笑顔で出迎えていただきました。元高校教諭(農業科)で、阿蘇をこよなく愛され、定年退職後は南阿蘇で農業を通じて、地域振興に取り組んでいらっしゃる方です。「なぜ、阿蘇でコーヒーなのか?」ということについて後藤氏が熱く語られました。まず、世界の高品質コーヒーは山岳地帯の厳しい環境で生育していることを強調されました。例えば、「ブルーマウンテン」という有名なブランドコーヒーがありますが、ジャマイカのブルーマウンテン山脈(標高2000m級)の山岳地帯で栽培されています。強い日差しを好まず、寒さに強い性質のコーヒーに阿蘇地域の気候は適しているのです。また、阿蘇は湧水が豊富で、このおいしい水で味わう阿蘇珈琲は新しい特産品になる可能性を持っていると説明されました。

 後藤氏は農業科教諭の頃から阿蘇でのコーヒー栽培に着手され、3年前の定年退職を機にファームを設立され、現在、有志農家の方たちと阿蘇珈琲プロジェクトチームを結成され、本格的な商品化、ブランド化に向け尽力されています。日本のコーヒー消費量は増大する一方ですが、そのほとんどが輸入珈琲であり、国産コーヒーの拡大が必要との思いも原動力だったそうです。

 「後藤コーヒーファーム」は年間通しての路地栽培ではなく、冬場は施設栽培方式をとり、温度調整に気を配られています。ハウスの中に入ると、約60本のコーヒーの樹が林立し、葉が茂り、一部にはコーヒー特有の真紅の実が付いていました。樹木の多くにオーナーの名札が付いていました。多くのコーヒーファンが阿蘇珈琲の可能性に期待している現れでしょう。

 一杯のコーヒーには人をつなげる力がある、後藤氏は語られました。阿蘇の土壌で育ったコーヒーの豆を収穫、精製、焙煎、そして抽出と手をかけて、私たちが香り高い味わいを楽しめる日は近いと思います。

「後藤コーヒーファーム」と後藤氏