校長室より

2022年5月の記事一覧

美術・図工 ふるさとを思う

ちょっと前の話です。3月に行われた十万山スケッチ大会で、雨の中、天高生たちが、地域の小学生のスケッチ大会の補助に動いてくれました。
その後、主催者のご老人が、高校生にお礼を言いたいと、先日、学校に訪ねてきてくださいました。
「10年以上前から、天草の人たちに、ふるさとの宝として十万山からの見た風景を残してあげたい、と関東に住む天草出身の方々が有志で十万山公園の整備活動を行ってきました。その後、少しずつ地元の人たちにもその活動の輪が拡がり、みんなで雑木の伐採を行い、本渡市街を一望できるようにしました。そして、河津桜を植え、ベンチや歩道の整備と様々に動いてきました。数年前からは、桜の名所だった十万山で、また、薄ピンクの桜が咲き誇るようになりました。この風景を、子どもたちの瞳に焼き付けたいと、天草市と共同で、小学生スケッチ大会を始めました。天高生を始め、地域の高校生たちがボランティアスタッフとして協力してくれるおかげで、ここまで繋がってきました。今年も、コロナ禍でスケッチ大会の開催も危ぶまれていましたが、天草市も開催に舵を切ってくれ、そして、天草高校生たちがボランティアスタッフとして加わってくれて、こんなに心温まる大会になったのは、初めてでした。本当にありがとう。」と、深々と頭を下げて行かれました。

遙か遠く、東京に住む人たちの、ふるさとを思う心が、このように繋がり、ふるさとづくりが形をなしていく、素晴らしいなと思います。天高生たちにも、かけがえのない宝物〈ふるさと〉を創るために学び、行動する人であってほしいと思います。

目を世界に転じると、そのふるさとを力で奪われようとしている人たちがいます。
テレビの画面を通じて見えてくる不安な瞳を見る度に心が痛みます。私は当事者ではありませんし、入ってくる情報はバイアスがかかっていますから、軽々にどちらが良いかと悪いとか論じるのは避けなければなりません。しかし、自らの主張を通すために、人々の生活や命を潰えさせるという手段を取ることは、決してあってはなりません。そして、力で奪うふるさとは、果たして、自ら誇りとすることができるのか、はなはだ疑問です。

「答えの出ない問いを、生涯かけて考え抜き、よりよい答えを導き出そうとすること」
これこそが、人類の智慧であると思います。

私は、いつも皆さんたちに問い続けています。「何のために 学ぶのか?」と。
今、世界で起きていることを、見ながら、切実に思います。
一人でも多くの人が笑顔で幸せに暮らせるようにするために、そして自らのふるさとを誇らしく語ることができるようにするために、私たちは学び、そして行動しなければならないのです。

地球市民として、未来の扉を開くのは、あなたたちです。

鉛筆 あの頃 先生がいた 1

5月8日(日)は、母の日でした。
私にも、コロナでなかなか会いに行けませんが90歳を過ぎた老母がいます。80を過ぎたあたりから気持ちと記憶がどんどん若返りはじめ、今は昭和の十代の乙女に戻っています。当然、昭和の後半に生まれた私は、まったく見知らぬ未来からの訪問者なので、いつも訝しがられるのですが、「ととさんと火鉢」の話をするといつも笑ってくれます。本当に可愛らしい乙女です。

私が小さいころ、母は「大きゅうなったら、お医者さんになっとだろ」と言っていました。
しかし、私は人一倍血を見るのが苦手だったので、嫌でした。むしろ家の近所にいた大工の棟梁がトンテンカン家を建てていくのが見事で憧れていました。職人さんが、玄能でカンナの頭を叩き、しゅっとカンナを引くと、とてもいい香りのする薄い木の膜が刃の隙間から飛び出てきました。雨降りの日などは次の日の作業用の柱に墨付けし、鋸を引いたり、ノミでホゾを切ったり、カンナを掛けたり、職人さんが動くたびにきれいな形が仕上がっていくのです。一日中見ていても全く飽きませんでした。

私は、手先が不器用で、肥後守でしょっちゅう手を切っていましたので、大工の夢は諦めましたが、近所の友人や先輩たちは何人も長崎や大阪に出て修行し、棟梁への道を目指しました。そして、親の住む家を自分の組の職人さんたちと新しく建て直すのです。田舎の古びた住居が、私が帰省するたびにぽつんぽつんとモダンな建物に建て替わっていきました。私の家に上る小川の河原でいつもメジロの水浴びをさせていたSさんの家は、土間に縁側と小上がりの付いた一間きりの小ぶりな家でした。私が生まれたとき、病弱な母の乳が出なかったために、もらい乳に訪れ、よく縁側で寝かせてもらっていた家でした。その家もいつの間にか瀟洒な2階建てに建て変わっていました。メジロ籠は、縁側のあった場所に新たに作られた玄関の横壁に変わらずに掛けてあり、深緑色のメジロが竹ひごの間をひっきりなしに跳び回っていました。

小学校6年から中学校にかけて、私は、たびたび下血をしては意識を失って倒れ、入退院を繰り返しました。
同室の入院患者には、炭鉱の粉塵で片肺を取った人や、運送会社の社長でいつも大きな注射を打たれている人が居ました。しかし、皆陽気で、病室とは思えないほど笑い声が絶えませんでした。私も毎日真っ黒い鉄分造血剤を注射され、することもなく本を読み続けました。中1の夏だったでしょうか、外国航路のタンカーに乗船していた父が吐血し、療養のために天草に戻ってきました。ほとんど口をきくこともなく眠ったままの父のベッドの横に、母はいつも団扇を持って座り、父の額に浮かんだ汗をタオルで拭っていました。廊下から覗き込んで、「死ぬと?」私が発した言葉に、一瞬目を見開いた母は、無言で首を振りました。いつの間にか生きることの意味や死について考えるようになりました。

花丸 天高生 最高!

 5月8日(日)爽やかすぎるほどの晴天のもと、第77回天草高校体育大会が開催されました。生徒たちの気魄のこもった演技、土ぼこりを巻き上げて疾走する姿、張り詰めた緊張感の中で展開された応援の人文字、そして全体を締めた応援演舞、あの「気」が満ち満ちた空気はめったに味わえるものではなりません。本当に圧倒されました。

 コロナの感染防止の観点から、ご来場については3年保護者のみとし、声援も禁止とさせていただいたのですが、保護者の皆さん方からの地鳴りのような拍手に、生徒たちは背中を押され、持てる力を全て出し切ったようです。

 当日ご来場いただけなかった皆様方には、ホームページに当日の様子が続々とアップされる予定です。ご期待ください。