お知らせ
水俣土砂災害における降水量
水俣市深川観測所におけるアメダス降水観測値(mm)
7月19日7月20日
16時17時18時19時20時21時22時23時24時1時2時3時4時5時6時7時8時9時10時11時12時
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梅雨前線が朝鮮半島から日本海にまで北上し、にわか雨程度であったが、午後は曇りがちながら日がさし、夜には花火大会が行われた。
日が変わって、7月20日になると、雨が降り出し、
午前2時ごろから猛烈な雨となり、
4時から5時にかけて記録的な豪雨となった。


私(水俣市久木野在住のNさん)は19日博多駅周辺が水没しているというニュースをテレビで見ていたが、その日は水俣の夏祭り、恋龍祭の初日で、夜は水俣湾の埋め立て地で花火大会が行われ、そろそろ梅雨明けかという雰囲気であった。
 ところが、その夜の午前2時頃から猛烈な雨になり、宝川内地区を中心として、水俣川及び湯出川流域で土砂災害が発生した。また、下流域の陣内では浸水被害があり、水俣高校前の鶴田橋は橋桁がゆがみ、通行不能になった。
 私(Nさん)の家は宝川内地区より5km東側の久木野川上流にある。20日午前2時頃、雷を伴う激しい雨で目が覚め、断続的に雨が降っていた。特に4時前からは雷鳴が1時間くらい鳴りやまず、豪雨が続いた。このときの雷雨が深川観測所で5時までの1時間雨量91mmを記録した。
 明るくなった5時過ぎに外に出てみると、山の斜面のあちこちから大量の水が流れ出し、初めて見る光景であった。
 テレビニュースを見ると深川地区と宝川内地区で崖崩れにより、民家が押しつぶされたようなことを言っていたが、その後のニュースで土石流により、家が押し流され多数の行方不明者が出ているということがわかった。行方不明者の捜索は地元消防団、警察、自衛隊などにより、土石流末端部、久木野川、水俣川、八代海までひろがり、約一週間を要した。結局、宝川内集地区で15名、深川新屋敷で4名の方が亡くなられた。避難できた方々も家を失い、農地が埋まり、生活再建に向けて、仮設住宅で過ごしておられる。




「深川観測所」では、5時までの1時間に91mmの雨量を記録。4時20分頃、宝川内集地区で土石流が発生。
 地形や地質で一概には言えないが、一般に日雨量100mmを超えると崩壊が始まり、200mm以上になると、崩壊が急増する傾向が見られる。