校長室より
「動員学徒殉難の碑」慰霊祭における校長式辞
「動員学徒殉難の碑」慰霊祭における校長式辞
令和7年10月25日(土) 熊本県立御船高等学校長
本日、御船高校同窓会(天神会)副会長・御船町町議会議長の森田 優二 様、天神会名誉顧問の川野 光恵 様、御船町町長 藤木 正幸 様、そして「天神きずなの会」の皆様をはじめ関係各位のご出席のもと、令和7年度「動員学徒殉難の碑」慰霊祭を開催できますことは、本校にとって大変意義深いものであります。
昭和16年(1941年)に勃発した戦争の期間、学校も戦時体制に巻き込まれ、学徒勤労動員として昭和19年(1944年)10月20日、旧制御船中学校から約五百名の学徒が学校を離れ、長崎県大村市にある海軍の工場へ赴きました。そして125日、アメリカ軍爆撃機B29の大編隊による空襲を受け、10名の学徒がお亡くなりになりました。さらに翌年2月には、福岡の飛行機製作工場での過酷な労働の中、1名の学徒が病気でお亡くなりになりました。
戦後20年がたった昭和40年(1965年)10月25日に、かつての同級生の方々の発意で御船高校に「動員学徒殉難の碑」が建立されました。以来、毎年10月25日には、碑前において式典を執り行っています。
時代は変わろうとも、忘れてはならない歴史を後世に伝えるとともに、平和を希求する精神を育てるために、この「動員学徒殉難の碑」があります。本日の式典には、全校生徒を代表し生徒会と芸術コース音楽専攻の生徒達が出席しております。また一部部活動の生徒たちも練習を中断して参加してくれました。後輩である生徒の皆さん、志半ばで斃(たお)れた諸先輩方の魂に、皆さんはしっかり守られていることを心にとめておいてください。
本校は大正10年(1921年)に創立され今年で104年目となります。大正、昭和、平成、そして令和にわたって優れた先生方の御薫陶を受け、多くの人材が育ち、世に巣立っていきました。時代は変わっても、「天神の森の学び舎」は、可能性豊かな若者と情熱に溢れた教師との出会いの場であり続けます。平和を希求する精神が育まれてきた場所です。
さて今年は、終戦80年の年です。悲しいことに世界を見渡せば、戦争が各処で起こっております。多くの犠牲者を出しても終わりが見えない状況です。でも私たちは、決してあきらめてはいけません。平和を希求する精神を持った人が益々増えれば、必ずや戦争は終わり、平和を維持できます。先の世代は戦争の悲惨さを経験し、命を懸けてこの国の平和を築いてくださいました。私たち世代はしっかりそれを守り、次の世代に平和を希求する精神を繋げなければなりません。
今年の終戦記念日の前日に亡くなった、最後の特攻隊員、千(せん)玄室(げんしつ)さんは、「after you(お先にどうぞ)」の譲り合い、相手への思いやりの気持ちが世界平和には大事だとずっと訴えてこられました。私は、平和を希求する心というのは、互いを理解し、違いを認め、譲り合い、共に未来を築こうとする姿勢だと考えます。そのことを生徒たちに語り続けていこうと思います。
結びに、御船高校は「誠実以て人に接す」「自ら進んで学を修む」「自律持って己を処す」の三綱領の精神もと、さらなる飛躍を目指し、たゆまぬ努力を続けるとともに、世界の平和と社会に貢献する心の育成に取り組むことをこの御船高校、殉難の碑の前にてお誓い申し上げ、式辞といたします。
令和7年10月25日
熊本県立御船高等学校 第三十代校長 橋本 岳範