お知らせ

津波境石
場所 : 三角町大田尾

1792年5月21日(寛政四年四月朔日)島原半島の眉山が崩壊して島原湾に流れ込み大津波が発生してしました。これが長崎・熊本を合わせて死者1万5千人を出したいわゆる『島原大変肥後迷惑』として語り継がれている地変です。大田尾の集落には津波境とかかれた碑がありますが,この津波のとき,この碑があるところまで津波が進入してきたことを示したものだといわれています。この碑は,海抜20m,海岸から250mほど内陸に入ったところにあり,津波のすごさを物語っています。