鉛筆 ボタンなき 三本の足 地に刺さる

 

── 相棒図鑑 其の四  「三脚脚立」 ──

(学校ブログ:相棒図鑑 其の参 「柑橘選果機」はこちら)

 

 果樹園の隅、出番を待つアルミニウムの塊があります。

 エンジンもなければ、華やかなハイテク機能もありません。

 状態を知らせる液晶画面も、始動するためのスイッチやボタンすら、そこには一切存在しないのです。

 しかし、彼らがいなければ、私たちは樹の頂で「一番良い顔」をして実る果実に触れることすら叶いません。

 今回の相棒は、不動の構えで高みを目指す「三本足の修行僧」、三脚脚立(さんきゃくきゃたつ)です。

 

 本校の「修行場(果樹園)」には、可愛らしい3段から、見上げるような12段まで、歴代の相棒たちが揃っています。

 彼らの最大の特徴は、四本足ではなく「三本足」であること。

 不整地や傾斜地という不安定な大地において、一点の迷いもなく地面を確実に捉える。

 それは、自然という厳しい道場で生き抜くために研ぎ澄まされた、究極の機能美です。

 

 時には、木の枝をまたぐようにして、一本の後脚を樹の懐深くへと滑り込ませることもあります。

 もし彼らに心があるならば、自らの身を挺して、乗り手が最も安全に空へと手を伸ばせる「座禅の場(足場)」を足元で整えてくれているのかもしれません。

 この修行僧と呼吸を合わせ、その不動の境地を共有するには、単なる「道具扱い」を超えた、現場に対する深い畏敬の念が必要なのです。

 しかし、この相棒は実直であると同時に、掟(ルール)に極めて厳格な側面も持っています。

 もし乗り手が慢心し、設置の甘さやチェーンの緩みを見過ごせば、修行僧は沈黙したまま、静かにその構えを崩します。

 

 ほんの数センチのズレ、あるいは「これくらい大丈夫だろう」という甘い見通し。

 それは修行僧にとって、最も許しがたい不作法です。

 一瞬の揺らぎとともに地面へと叩きつけられる衝撃は、慢心した乗り手への「修行僧からのお仕置き」。

 怪我と隣り合わせのその厳しさは、命を預かる現場の重さを教え込む、寡黙な教育者の姿でもあります。

だからこそ、私たちは彼らと向き合うとき、決して欠かさない「対話(儀式)」があります。

「間のチェーン」をピンと張り、足が広がるのを防ぐこと。
「設置の角度」を厳しく見極め、安定を確保すること。
「天板(一番上)には決して乗らない」という、相棒との絶対の掟。

 生徒たちが踏みしめるステップの擦り減りは、歴代の先輩たちが安全と向き合い、一歩ずつ高みを目指した「修行の足跡」そのものです。

 派手な主役ではないけれど、誰かが理想の果実を求めて「高度」を上げるとき、必ずその足元を支えている。

 厳しさがあるからこそ、本物の信頼が生まれる。

 芦北高校の果樹園には、今日も静かに、そして力強く大地を掴む「相棒」の姿があります。

「道具の限界を知り、その掟を敬う。安全を確保するその手間こそが、自分と仲間を守るプロへの第一歩です」