2019年12月の記事一覧
門松が立ちました
今年は今日12月27日(金)が学校の仕事納めとなります。学校では、進学課外授業を受ける生徒たちや部活動に励む生徒たちの姿が見られます。朝から、有志職員とハンドボール部の男子生徒4人で、門松づくりが行われました。例年関わってこられた渡部先生(数学)の段取りがよく、およそ1時間でできあがり、正門前に立ちました。門松は、新しい年の神様が天から降りてこられる目標(「依代(よりしろ)」と言います)となるものです。これで、私達の学校も新年を迎える準備が整ったわけです。
門松を飾る松、竹、葉牡丹、南天などそれぞれ意味があるのです。正月の伝統的慣習であり、門松が立つと気持ちが落ち着きます。ALTのマシュー先生(アメリカ合衆国)も興味深く作業を見守り、質問をしていました。午後、課外授業や部活動が終わり帰る生徒たちを門松が見送ることになります。
さて、年の瀬になって、学校に大きなサプライズニュースが届きました。車いすマラソンに取り組み、今年一年、各大会に出場してきた2年の見﨑さんが、「東京2020オリンピック聖火ランナー」(熊本県)に選ばれたのです。2020年(令和2年)の5月6日に県内を走行する聖火ランナーの一人となる予定です。走行する具体的な場所や時間は未定ですが、学校挙げて応援したいと思います。来年の東京パラリンピックには間に合いませんでしたが、見﨑さんはその次のパリパラリンピック大会出場を視野に入れ、挑戦することを決めています。見﨑さんの活躍は他の生徒たちに大きな励ましを与えることでしょう。
見﨑さんをはじめ御船高校生一人ひとりは限りない豊かな可能性を持っています。その可能性をもっともっと引き出していきたいと思います。来る新年、御船高校の更なる飛躍の年となることを願わずにはいられません。
今回をもって今年の「校長室からの風」を納めたいと思います。
皆さん、良いお年をお迎えください。
「 一年の 心の煤(すす)を 払はばや 」(正岡子規)
2学期の終業式を迎えて
2学期の終業式を迎えるにあたり、振り返ってみるとこの9月から10月にかけてラグビーワールドカップがわが国で開催され、ラグビーブームが巻き起こったことが思い出されます。にわかラグビーファンとなり、テレビ中継放送に見入った人も多かったのではないでしょうか?私は試合の面白さはもちろんですが、日本代表チーム構成メンバーに興味を惹かれました。日本代表チーム31人のメンバーには外国出身選手が15人。およそ半数です。ニュージーランド、南アフリカ、トンガ、韓国、オーストラリア、サモアなどの出身です。
ニュージーランド出身で日本国籍を取得した主将、リーチ・マイケル選手は「このチームの良さは多様性だ」と表現しました。様々な言語と文化を背景に持つメンバーは、チーム内でお互いを理解し合い、結束力を高めていきます。生まれや育ち、文化的背景の違いを乗り越えて結束力を高めていったところに、ラグビー日本代表チームの強さがあったということでしょう。
さて、多様性という言葉が出ましたが、私はつねづね御船高校の魅力は「伝統と多様性」だと思っています。伝統は、大正、昭和、平成、令和と変わらずこの地にあって地域の方から親しまれていることです。多様性は、電子機械科、芸術コース(音楽・美術・書道)、そして普通科の特進、総合のクラスがあり、それぞれ特色ある学び合いが行われていることです。皆さんの出身中学校は30校を超えており、この学び舎で多くの出会いがあります。
「生物多様性」という言葉があるように、森も多くの種類の樹木があるほど健やかで強いそうです。御船高校は、個性豊かな生徒がたくさん集う人材の森のような学校でありたいと思います。
午前9時から体育館で、表彰式、そして2学期の終業式を執り行いました。寒気の漂う体育館でしたが、節目の行事にふさわしく心身とも引き締まる思いがしました。そして、9時45分から大掃除に全校挙げて取り組みました。校庭で帚を持つ生徒たちの表情もどことなく解放感があるようで、晴れやかです。冬休みの楽しみを尋ねると、異口同音に「お年玉」と返ってきました。御船町在住の女子生徒は、地元の若宮神社(御船川沿い)に家族で初詣に行くのが慣習と答えてくれました。
明日から冬休みです。生徒の皆さん、新年1月8日の始業式でまた会いましょう。令和元年も残り一週間。よいお年を。
提言する力を養う ~ 1学年「総合的な探求の時間」学習発表
体育館で一斉に各グループのポスターセッションが始まると、活気が会場に溢れました。12月20日(金)の午後、1学年「総合的な探究の時間」(以下、略して「総探の時間」と云う)の学習発表会を開催しました。各クラスから2グループを生徒たちの相互評価で選出し、学年代表の12グループが体育館の各所に分かれ、「自分たちが住んでみたい町」のテーマで発表したのです。
今年度の1学年の「総探の時間」は、1学期に上益城郡の産業や伝統文化を知る活動を行いました。それを踏まえ、2学期は自らが住む地域について知り、住みやすい、あるいは住んでみたい「まち」を考える学習に取り組みました。9月下旬には、実際に御船町でまちづくりに取り組んでおられる役場、観光協会、商工会の方をゲストティーチャーとして迎え、クラスごとにお話を聴きました。そして、御船町の課題に気づき、高校生なりの課題解決に向けた提言づくりを始めたのです。
「総探の時間」は週に1時間しかありません。しかも、2学期は学校行事が多く、各グループで十分に調べ、課題解決に向けた学習の余裕はありませんでした。しかし、それでも高校1年生なりに提言することが大切だと考え、敢えて2学期の最後に発表会を設けたのです。9月のゲストティーチャーの方達をはじめ御船町議員さんや町おこしの団体の方など十五人ほどお見えになり、関心の高さがうかがえました。
生徒たちの提言内容は、次のようなものでした。
・ 安全なまちづくりの観点から町中にグラデーションの街灯設置
・ 御船町キャラクターマスコットの「ふねまる」型のロボットをつくり、清掃及び防犯監視の機能を 持たせる
・ 高校生が小グループをつくり一人暮らしのお年寄りを訪問し交流する
・ 町に小児科がないので小児科を誘致
・ 町を舞台とした映画製作 など
提言を聴かれた町の関係者からはやはり大人のご指摘、ご意見がありました。「費用対効果を考えていない」、「実際に町を歩いておらず、机上のプラン」、「自信がないのか、発表の声が全体的に小さい」などです。一方、「これらの提言の中から一つでも学校と町が協力して実現させよう」という声もありました。そして、全員の方から「このような取り組みを御船高校が始めてくれることを待っていた。」との歓迎の言葉を頂きました。
県立高校とは言え御船町にある学校です。次代の地域社会を担う人材を養う使命が学校にはあります。コミュニティスクールとしての御船高校にご期待ください。
「水」は先人からの贈り物
先日、図書室を訪ねたところ、「冬休みに生徒たちに読書に親しんでほしい」という司書の先生の思いで、ライトノベルだけでなく、様々なジャンルの書籍がお勧め本コーナーに並べられていました。その中に、徳仁(なるひと)親王の著作『水運史から世界の水へ』がありました。平成31年4月にこの本が刊行され、翌月、徳仁親王は令和の新天皇として即位されました。学生時代から水運史を研究されてきた天皇陛下は、21世紀の世界の平和と繁栄は水問題の解決にかかっていると述べられ、水問題に強い関心を持たれています。そして、限りある水を「分かち合う」知恵の実践事例として江戸時代の明治(めいじ)用水(愛知県)や三分一湧水(さんぶいちゆうすい)と呼ばれる分水施設(山梨県)を紹介されています。
『水運史から世界の水へ』を読みながら、12月4日にアフガニスタンで銃撃され非業の死を遂げた中村哲医師(享年73)のことを考えました。長年、パキスタンそしてアフガニスタンで人道支援に尽力されてきたペシャワール会代表の中村哲医師は福岡県出身ということもあり、熊本県でも講演を幾度もされています。20年ほど前、当時勤務していた高校の生徒達と共に熊本市でご講演を聴く機会に恵まれ、過酷な環境のもと信念を貫く姿勢に感銘を受けました。
中村哲医師は、清潔な水がない悪質な衛生状態での医療活動に限界を感じます。また貧困問題の原点は水不足であることに気づきます。そして「100人の医師を連れてくるより、一本の用水路を作る方が多くの人を助けることができる」と考え、アフガニスタンの荒涼とした砂漠地帯での用水路建設事業に着手したのです。この用水路工事に当たって参考にしたのが、福岡県朝倉市の山田堰(やまだぜき)でした。江戸時代後期、大小の石を水流に対して斜めに敷き詰めることで筑後川から水田に水を引くことに成功した山田堰の手法を見習い、取水口の難工事を克服しました。そうして20㎞を超す長大な用水路を完成させ、周辺の砂漠を緑の農地に一変させました。
ここ御船町にも江戸時代の用水路の遺産が継承されています。この「校長室からの風」で以前紹介しましたが、吉無田水源から水を引いた嘉永(かえい)井手です。幕末の木倉手永の惣庄屋の光永平蔵(みつながへいぞう)は、総延長28㎞に及ぶ大水路(用水路)の難工事を指揮しました。6年を要し竣工したこの難事業には地域の村々から農民が動員されました。重機もない当時、人力に頼った水利土木工事がいかに過酷なものであったか想像するしかありません。長い水路の途中、田代台地では873mものトンネルが穿(うが)たれました。「九十九(つづら)のトンネル」として今も顕彰されています。
わが国の温暖湿潤気候とアフガニスタンのような砂漠地帯では条件は大きく異なりますが、江戸時代の先人の水利事業に対して改めて敬意を表します。
水道の蛇口をひねればおいしい水が潤沢に出てくる生活に慣れた私たちですが、世界には安全な飲料水に恵まれない人々、干ばつで農業用水が不足し飢饉に苦しむ人々がいます。わが国の「水」は先人からの贈り物であることを忘れてはならないと思います。
舞台で輝く瞬間 ~ 御船高校芸術コース音楽専攻発表会
プログラムのフィナーレ、3年生の青山さんのピアノ独奏「渚のアデリーヌ」、そして平野さんの独唱「ああ愛する人の」は聴衆の胸を揺さぶるものでした。舞台で演奏する青山さん、歌う平野さんの姿は輝いて見えました。
12月17日(火)、午後6時半から御船町カルチャーセンターにて「御船高校芸術コース音楽専攻 演奏会」が開かれました。音楽専攻は、3年が2人、2年が4人、1年が5人の計11人在籍しており、前半は11人全員がそれぞれ独奏、独唱を披露しました。そして、後半は卒業学年の3年生の二人の演奏、独唱が中心の構成で、途中、1・2年生の9人でアンサンブル演奏「美女と野獣」で会場の雰囲気を盛り上げました。
3年生の青山さんはピアノ、平野さんはソプラノ独唱が専門ですが、プログラムの中では二人でピアノ連弾に挑戦し、息の合ったところを見せました。そして、プログラム終了後に二人で舞台に立ち、3年間の高校生活を振り返っての感謝の言葉を述べました。「音楽は時間の芸術」と言われます。他の美術・デザインや書道のように作品が残りません。その瞬間、瞬間に音や声は生まれては消え、二度と後戻りができません。瞬間の創造に賭ける集中力と日頃のレッスンの繰り返しが求められる芸術です。
3年生の二人の舞台での輝きは、これまでの長い努力の時間が生み出したものです。そのことが尊いと思い、私自身も熱いものがこみあげてきました。
卒業演奏会を兼ねた芸術コース音楽専攻発表会は心温まる余韻を残し閉幕しました。本校の芸術コースは平成16年(2004年)に設立され、今年で15年を迎えます。九州唯一の音楽大学である平成音楽大学が同じ御船町にあることが何よりの強みで、大学の先生方からご指導を受けたり、同大オーケストラの定期演奏会に出演させていただいたりと特別な学びができます。御船町は、恐竜の化石発掘で有名ですが、美術の町であり、音楽の町でもあるのです。現在の音楽専攻1年生の5人は自分たちで御船町の応援ソングを作詞、作曲したところ、町役場の商工観光課から応援していただき、ミュージックビデオ作製にまで至りました。
本校の音楽科の岡田教諭は「芸術(音楽)は心の栄養」と語ります。また、前村講師は「音楽は最高のコミュニケーションツール」だと言います。芸術コース音楽専攻発表会では中学生の姿が観客席で目立ちました。御船高校芸術コースで好きな音楽を存分に学びませんか?皆さんの入学を待っています。
世界大会の臨場感 ~ 女子ハンドボール世界大会の学校観戦
「2019女子ハンドボール世界選手権大会」が大詰めを迎えています。この週末に決勝が行われ、世界女王が決まります。半月前にこの「校長室からの風」で触れましたが、1997年(平成9年)に熊本県で「男子世界ハンドボール世界選手権大会」が開催されており、22年ぶりにハンドボール世界大会と私たちは再会できたことになります。御船高校は、生徒たちにスポーツの世界大会を体験させるべく、2回に分け学校観戦を実施しました。
12月9日(月)、1年生を引率してパークドーム熊本(熊本市)に赴きました。12時30分からオーストラリア対中国の試合観戦です。当日は、小中学校、高校、特別支援学校等、四十数校の学校が来場しており、その中で御船高校はオーストラリアを応援しました。そして、二日後の11日(水)、2、3年生による学校観戦は、ロシア対スペインの強豪国同士の試合でした。優勝候補のロシアの好守にわたるパワフルなプレーは圧巻でした。本校はロシア応援であり、ロシア国旗の小旗を数多く用意し持参し、得点の度に生徒たちが小旗を振り声援を送りました。
世界大会レベルのスポーツをライブで観戦できるまたとない機会に生徒たちは恵まれ、幸運だったと思います。インターナショナルな会場の雰囲気、試合前のセレモニー(各国の国歌斉唱、選手紹介等)への敬意など、その場に実際に参加することでしか得られない体験でした。そして、何といっても世界トップレベルのプレーに魅了されたことでしょう。
ハンドボールは「走る、跳ぶ、投げる」のスポーツの3大要素がすべて含まれ、スピード感あふれる激しい攻防が絶え間なく続きます。球技の格闘技との異名も持ち、「ファウルではないか」と観ていて思うほどの迫力あるぶつかり合いが演じられます。歓声とどよめきが交錯し、観戦していて前後半それぞれ30分間が短く感じられました。多くの生徒がハンドボールのルールもわからないまま観戦したのですが、「面白かった!」とみな笑顔でした。
22年前の男子大会同様、今回も熊本県単独での世界大会開催でした。会場に足を運んだ生徒の皆さんは、実に多くの人々が大会運営に当たっておられる様子を目の当たりにしたと思います。その中には、御船高校教職員の今田先生、渡部先生もいます。お二人は、大会組織委員会から競技役員として依頼を受け、大会期間中、大会運営に献身的に尽力されています。
このような縁の下の力持ちのような多くの人の存在が、大会を支えているのです。このことを生徒の皆さんには気付いてほしいと思います。
「好き」の力を信じる ~ 御船高校芸術コース発表会
御船高校には音楽、美術・デザイン、書道の三つの専攻からなる芸術コース(普通科)があります。熊本の県立高校では唯一の音・美・書の三領域そろった芸術コースです。各学年の4組がそれに当たり、66人の生徒が在籍しています。オンリーワンを目指す、きらきらと個性輝く生徒たちが集まっており、それぞれが好きなアート制作に取り組んでいます。現在、この芸術コースの発表会が行われているのです。
美術・デザイン専攻と書道専攻の作品展を12月10日(火)から15日(日)まで熊本県立美術館分館4階展示室で開いています。昨日12日(木)に私も会場に赴きました。会場には、伸びざかりの表現力の結晶である作品群が並び、壮観で圧倒されます。
会場の一角では、ホラーの短編映画が上映されています。7分の短い映像作品ですが、学校を舞台とした学園ホラー映画には高校生の感性が色濃く反映されています。出演者は本校生及び教職員です。御船高校の美術・デザイン専攻では、3年生で選択科目「映像表現」(2単位)があり、この科目履修生によって制作された短編映画なのです。このような「映像表現」科目を選択できる高校は県内には他にはありません。
昨日は、3年生美術・デザイン専攻の3人の女子生徒が会場受付を担当していました。3人とも口数が多い生徒ではなく、どちらかというと内向的な性格かもしれません。しかし、彼女たちの作品は誠に雄弁です。自らの内なる声を表現したいというエネルギーが作品に満ち溢れています。創られた作品は、その人の身体の一部のようなものだと感じます。
高校進学の時点で、芸術コースを選ぶ生徒は多くはありません。しかし、自らの「好き」という気持ちを拠りどころとして、少数派としての誇りをもって入学してきてほしいと思います。御船高校芸術コースは、自分の「好き」を磨き伸ばす場所です。スポーツであれ、文化活動であれ、自分自身が心から好きなことに熱中することは自己肯定感につながると思います。
「A I」の時代を迎えた今だからこそ創造力や感性が求められる、と本校の芸術コースの職員たちは述べています。芸術コースの真価が問われる時が来たと言っていいでしょう。
美術・デザイン専攻と書道専攻の作品展(県立美術館分館)は12月15日(日)までです。また、音楽専攻の発表会は12月17日(火)の午後6時30分から御船町カルチャーセンターで開かれます。どうか足をお運びください。
謎の八角形洞門 ~ 廃線遺構を訪ねて
その絵を見たとき、描かれた場所がどこであるか見当がつきました。久しぶりに訪ねてみたいと思いました。その絵、本校美術・デザイン専攻3年の邑山(むらやま)君の油絵「昼下がりの洞門」を見たのは1学期の6月でした。この絵は第82回銀光展の文林堂賞を受賞した秀作です。山中の八角形コンクリートの遺構に光が当たって浮かび上がっている情景です。「ここはいったいどこなのだろう?」と周囲の職員がいぶかしがる中、私には思い当たる所があったのです。
11月後半の休日、思い立って出かけました。御船高校から妙見坂トンネルを通り甲佐町に抜け、国道443号を南下し美里町に入り、小筵(こむしろ)の交差点近くの脇道を津留(つる)川沿いに下ると釈迦院(しゃかいん)川との合流地点に出ます。ここには江戸時代末期から大正、昭和初期に至る異なる時代の五つの石橋が架かる「二俣五橋」(ふたまたごきょう)があります。緑川水系には通潤橋(つうじゅんきょう)、霊台橋(れいたいきょう)といった国重要文化財指定の大規模な石橋をはじめ数多くの石橋があることで知られていますが、ここ「二俣五橋」も必見です。しかし、今回はここが目的地ではありません。自動車で行けるのはここまでで、あとは徒歩です。
「二俣五橋」から津留川の右岸に渡り、山の斜面の細い道を上ります。幸い、フットパス(「歩く小径」という意味)として美里町によって整備されています。細い道を上りきると、車一台が通れるような平らな道が山腹につながっています。もちろん道路ではなく車は通れませんが、フットパスとして草も刈られ、歩きやすいものです。津留川の清流を右手に見下ろし、里山の風景がまことに目に優しく、心地よい道です。山中にどうしてこのような幅広い道があるのでしょうか?ここをかつて鉄道が走っていたと知ると合点がいくと思います。
かつて大正時代から昭和中期まで、熊本市(南熊本駅)から上益城郡の嘉島、御船、甲佐を通り、下益城郡の砥用(ともち)まで熊延(ゆうえん)鉄道という私鉄が走っていました。九州山脈を越え宮崎県延岡市まで結ぶという雄大な構想は実現せず、モータリゼーションの波で昭和39年(1964年)に廃線になりました。廃線から半世紀を過ぎ、乗車経験のある方も少なくなりました。
山中の平坦な道を五分も歩くと、邑山君が描いた洞門が見えてきます。八角形のコンクリート遺構が等間隔で7基連なっています。鉄道のトンネルであれば半円筒形でなければならないはずですが、間隔が空いており中途半端な構造となっています。その理由はいまだよくわかっていません。
廃線となった鉄道遺構は寂しくも映りますが、この地域の近代化を支えた遺産であり、時代の証人とも言えます。邑山君はよく注目したと思います。
歴史を知ると、見えないものが見えてくると思います。
二俣五橋の風景 旧熊延鉄道線路跡 旧熊延鉄道トンネル跡
「走る、ひたすら走る、ゴール目指して」 ~ 第87回御船高校長距離走大会
数ある学校行事の中で、生徒たちに最も歓迎されない行事が「長距離走大会」でしょう。長距離を走ることが得意だという人は少ないうえに、「きつく、苦しい」、「ただ走って何になる?」と生徒たちの不満は多いものです。しかし、長距離走大会は、生徒たちの心身に負荷をかける鍛錬行事です。鍛錬行事は近年の学校行事では少なくなり、長距離走大会(持久走大会)や強歩会などが各学校で実施されている状況です。
御船高校の長距離走大会は、昭和7年(1932年)に始まり、旧制御船中学校以来続く伝統行事です。時代を超えて受け継がれてきたということは、成長期の若者に必要な行事であることを示していると思います。
12月7日(土)、第87回御船高校長距離走大会を実施しました。男子は午前10時スタートでコース距離11.8㎞、女子は10分後にスタートし9.5㎞走ります。学校を出て国道445号を嘉島町方面に向かい、途中から田畑の中の農道に入り、高木地区のだらだら坂を上り、益城町から伸びてきている国道443号に出て学校へ帰ってくるコースとなります。
全校生徒528人中、492人が参加しました。健康状況等で参加できない生徒は運営スタッフとして記録等の業務に当たってくれました。また、大勢の保護者の方々が、豚汁の炊き出し班とコース各ポイントでの交通安全見守り班に分かれご協力いただきました。師走らしい曇天で気温は低めでしたが、里山の集落の昔ながらの道や農道では、保護者や地元の皆さんの温かい声援を受け、492人全員が完走を果たしました。私はスタート地点、そして移動しながら2か所で応援し、最後はゴール地点で生徒たちを出迎えましたが、あらためて御船高校生のたくましさ、底力を感じました。
社会は変化しても、学校での体育的鍛錬行事は意義があると私は思います。「きつい」と生徒たちが感じている時、身体と体が鍛えられているのです。スタート前は不安な表情を浮かべる生徒たちもいましたが、走りぬいてゴールした後、生徒たちはみな清々しい表情でした。何にも代えがたい達成感を味わったことでしょう。
走る、ひたすら走る、ゴール目指して走る、ただそれだけのシンプルな行事ですが、きっと青春の特別なひとこまになったと思います。
「未来のための金曜日」講演会
「未来のための金曜日」講演会を11月に2回開催しました。8日(金)に徳永明彦(とくながあきひこ)同窓会長(ダック技建(株)代表取締役)、そして29日(金)に熊本市の遠藤洋路(えんどうひろみち)教育長をお招きしました。
徳永同窓会長は、「希望ある社会人」の演題で、御船高校卒業後に福岡県で就職して、やがて北九州市で会社を興され今日に至る半生を力強く語られました。高校時代は英語の勉強が苦手だったそうですが、大人になったら海外旅行をすることが夢で、それを実現し世界40か国を訪問されています。しかし、いまだに英会話が苦手で、生徒たちに英語の勉強の大切さを強調されました。また、学校と社会の違いの例として、学校の試験問題は正答が用意され、簡単な問題から解いていけばある程度の成績は得られるが、社会では正答がわからないうえに、難しい問題を解決しないと前へは一歩も進めない状況があると述べられました。
遠藤教育長は、もともとは埼玉県のご出身で、文部科学省に入られ、その後公務員を辞して起業され、そして現在は政令指定都市(人口74万人!)の教育行政の最高責任者という重責を担われています。演題は「人生に正解はない」です。文科省からハーバード大学に研修留学に派遣され、得意と思っていた英語が通じなかったことや、毎日のゼミナール講義で進んで意見が言えず挫折感を覚えたこと、さらには闘病生活の体験など人生がいかに予測不可能なものかを切実に語られました。「人生に正解はない、のであれば、人生に不正解はありますか?」と最後に生徒から質問が寄せられました。それに対して、遠藤教育長は、「人生とは自分で決断して生きていくもの。だから、不正解があるとすれば、それは他人任せの生き方だと思う。」と明快に答えられました。
「将来の夢」というものを持ちにくい時代になったと言われます。なぜなら社会の変化があまりに激しく、未来を予測することが不可能だからです。しかし、徳永同窓会長も遠藤教育長も、社会の変化に主体的に対応され岐路では自ら決断し、ダイナミックに人生を切り拓いてこられたことがわかります。
これから地図なき進路に歩みだす生徒の皆さんにとって、未来を考える時間になった二つの講演会でした。「未来のための金曜日」になったと思います。
徳永同窓会長の講演 遠藤教育長の講演