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第7回 鹿高博物館が開催されます!



<第7回鹿高博物館~『戦争から平和へ~旧鹿本高校生・山鹿高校生の青春』>

  鹿本高校は今年で創立120周年の節目を迎えます。その源流は、2つの学校の流れからなります。一つは、明治29(1896)年に創立された熊本県尋常中学済々黌山鹿分黌から、熊本県立鹿本中学校への流れです。もう一つは、明治45(1912)年創立の熊本県鹿本郡山鹿町外十七ヶ町村学校組合立山鹿実科高等女学校から、熊本県立山鹿高等女学校への流れです。
 数十年にもわたる戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争他)終結後、昭和23(1948)年両校は新しい学校制度の中で、鹿中は県立鹿本高等学校、高女は県立山鹿高等学校として再出発を切ることとなりました。移行措置としての併設中学校・併設高等女学校、男女別学から男女共学化(1949年)、軍国主義教育から「戦後民主主義」教育への戸惑い、様々な要素を内包しながらの戦後の始まりでした。
 物資も乏しい中でも生徒たちは新しい息吹を感じながら懸命に生き、時代を駆け抜けました。鹿本高・山鹿高とも文武両道に秀で、学業面では進学校としての実績を挙げ、部活動では鹿本高の水泳部・柔道部・陸上部、山鹿高の柔道部・水泳部・ダンス部・考古学部は全国的にその名を轟かせました。全国大会優勝盾・賞状・優勝旗・優勝杯、考古学部の活動資料、修学旅行の写真、帰校後に書かれた旅行記、現在の大学生より遥かに水準の高い新聞部制作の『山鹿高校新聞』などの資料を繙くと当時の生徒たちの意気込みが伝わってきます。
 そして両校から巣立った生徒たちは、努力を重ね、医学・政治・行政・教育・報道・芸術・スポーツなど様々な分野で大輪の花を咲かせました。
 しかし忘れてならないことは、この100年の教育を見たとき最もよい時期の教育を享受した世代といわれる両校の生徒であっても、自身が外地からの引揚者・復員者であり、親兄弟姉妹を戦争で亡くし、空襲に恐れおののき、勤労動員で勉学の時を奪われた経験をもつ世代でもあることです。引揚証明書等の資料はそのことを如実に語っています。戦争が終わることがなかったら、彼らも先輩方のように命を繋ぐことができなかったかもしれません。
 昨年好評を博した第6回鹿高博物館~『県立鹿本中学・山鹿高女の戦争と青春』も併せて展示いたします。今年の展示と一緒に見ることで平和の意味を戦争と対置して展示する日本で初めての展覧会となっております。戦後の平和が戦争の犠牲者の上に成り立っていることを忘れないようにしたいと思います。御観覧いただければ幸いです。