日誌

平成28年度 2学期

交通安全警戒、出発式

年末に天草市で行われた「交通安全警戒出発式」に、交通委員会が参加しました。
ステージでは、本校書道部・美術部制作の作品も披露されました。同時に本渡中学校の空手演技も披露されました。
写真は天草ケーブルテレビで放映された様子です。

二学期終業式 講話

本日は、馬場副校長先生の講話がありました。どうぞご家庭でも、一緒にお読みいただければと思います。

 さて、皆さんにとって、この平成28年はどんな一年だったでしょうか?
 三年生に取っては、大学入試が終わらなければ本当の年越しにはならないでしょうけれど、節目節目に自分の辿ってきた道を振り返るということはとても大事なことです。
 明治40年、夏目漱石は当時の若者たちに向け「自己は過去と未来の連鎖である」と演説しました。そして「束縛のない自由を享(う)けるものは、すでに自由のために束縛されている」と言うのです。少し難しいかもしれませんが、「自分は、過去と未来の繋ぎ目として生きている」という意識を持ち、多面的な価値観を持ち続けることはとても大切です。

 
目を転じて、君たちの未来を眺めると、世界は、日常的な多文化共生のグローバル社会に向かって劇的に進みつつあります。先日、「違法な雇用だった」としてニュースに取り上げられていましたが、屋根の瓦ふきや災害ゴミの処理など熊本地震の復興の実質的な仕事を担っていたのはタイやフィリピン等からやってきた多くの出稼ぎアジア人でした。このグローバル社会を推進する言語として、「英語」そして「数字」が注目を集めています。特に、「数字」は、説得力と人を動かす力を持つ世界共通言語になりつつあります。 
 
ある本に、「愛の(愛にも様々な愛があるので、ここでは、男女間の愛で)値段はいくらでしょう?」という問いが出ていました。僕は文系人間ですから、「愛に値段なんて付けられるはずがない。」と単純に考えてしまうのですが、やっぱり外国は違います。フランスに本拠を置くアクサグループが創った「アクサ生命」が、25~44歳の、働く独身女性を対象に調査を行い、平均的な愛の値段を弾き出しました。1年間で、約282万円です。どうやって弾き出したと思いますか?恋人からもらったプレゼントや食事代やデートに掛けた費用を積み重ねた? そうなると調査も集計も大変ですよね。
 
アクサ生命は「交際対象の男性に求める年収は?」と尋ねたそうです。出てきた理想の平均年収は552万円でした。次に「心から愛せる相手が現れたとします。その男性の年収が、理想の年収から最低いくらまで減っても結婚することができますか?」と聞いて、出てきた年収の平均が270万円。その差額の282万円を、1年間の愛の値段と解釈したのです。  
 へーっと思いました。この金額が高いか低いかは別として、なんか説得力がありますよね。これから、世界で求められるのは、根拠説明です。「これはこのようにして、誰を対象に調査しました。二つの数字を比較してみると差がありますが、その差は○○
によるものです。」と説明し、説明を受けた人物が納得したら、その数字は、〇〇のものとして流通し始めるということです。そしてその数字は、流通するにつれて確固たる存在感を放ち始めます。
  ただ、忘れてはならないのは、この数字を流通させるにあたって、「分析」という作業が入っていることです。「分析」するということは、「結果」を「比較」し、その違いがどこから生まれて来るかの「原因」を、その「繋がり」の中で「考える」ことです。原因と結果、過去と未来の繋がり合いの中に、皆さんは立っているのです。勉強も仕事も、あるいは社会変革も、行動によって成果を生み出すためには、因果関係の分析が大切です。新聞にも今年の十大ニュース等が掲載される時期です。是非読み比べ、比較してみてください。そしてその違いがどこから生まれるのかを考えてみてください。ここから学ぶことが始まるのです。

 120周年記念式典の講演者・平田俊清さんは、電波時計や飛行機の衝突防止装置の他にも、多チャンネル無線機の開発もなさった方です。平成16年、中越地震の現場に行き、川を隔てて両岸で身振り手振りで情報の受け渡しを行っている様子を見たときに、「なんて馬鹿なことをやっているんだ、無線機があるじゃないか」と思ったそうです。しかし当時は、警察も消防もそれぞれ別の周波数帯で独自無線を持っていたため、機械はあるけれど周波数が違うために使えない。仕方がないから身振り手振りでという状態だったそうです。だったら、1台でどの周波数帯も利用できる無線機を創ろうと思い立ち、多チャンネル無線機を開発しました。現在も多くの災害の現場で役に立っています。しかし、会社からは相当に怒られたそうです。何故なら、当時平田さんが勤めていた会社の主力部門は、通信機に使う水晶を作る会社だったそうで、多チャンネル無線機を開発したお蔭で、無線機用の水晶の売り上げが激減したからだそうです。
 
でも平田さんは、会社の売り上げより、被災地で苦しむ人々や助けを求める人々の役に立つ製品を世の中に送り出すことが会社の役割であるはずだと始末書を書いて、多チャンネル無線機を販売し続け、翌年には、社会に多大な貢献をした会社として表彰され、平田さんも社長賞を受賞したそうです。「人を助けたいと思う愛」の値段、とても金額には表せませんよね。

 
マハトマ・ガンディーという人がいました。1869年に生まれ、1948年に78歳でなくなった「インド独立の父」です。青年時代、南アフリカで弁護士をする傍ら公民権運動に参加し、1915年に45歳でインドに帰国後は、当時イギリスの植民地下に置かれていたインドの独立運動を指揮しました。独立運動開始から3年後の1922年、事件が起こります。ある町の住民たちが、自分たちを抑圧していた警察官を、集団で殺してしまったのです。この知らせを聞いたガンディーは「暴力によって勝ち取ったとしてもそれは真の独立ではない。もう一つイギリスのような国ができるだけだ。真の独立としてのスワラージが必要なのだ」と嘆きます。「スワラージ」とは「Self-control=自己統御」のことで、ガンディーは、真の独立を「Self-controlの確立」に見いだしていました。この事件後、ガンディーは独立運動から身を引きました。その後、インドの独立運動は長期低迷を迎え、宗教対立が激化していきます。しかし、1929年、再び独立を目指す国民運動を起こそうという気運が盛り上がり始めます。多くの宗教指導者たちが、ガンディーに再び立ち上がってほしいと懇願します。しかしガンディーは、独立運動には一切触れず「私は、海岸まで歩いて行き、塩を作りたいと思う」と答えます。当時、塩はイギリスの専売制でした。インド人が勝手に塩を作って売ることはできませんでした。
  
ガンディーは、自らの修行場があったアーメダバードから数百キロ、炎天下の道を、海を目指して歩き始めました。ガンディーは布を一枚巻いただけの質素な身なりです。時折村に着くと木陰で休みました。同じような粗末な格好で炎天下にレンガなどを運ぶ労働者たちは、ガンディーの姿を見て心を震わせます。この刺すような炎天下の中、イギリスに抵抗するために、自分らと同じ姿で歩き続けている。ガンディーの苦痛を、私なら想像できる、理解できるという思いが、ばらばらだった民衆の心を結びつけました。
 ガンディーは、インドの民衆一人一人に、イギリスの支配下にいるという現実を理解させ、一人一人の運動として独立を成し遂げたかったのです。インドの民衆が普段来ている服で、炎天下で「歩く」という行為を続け、「天からの恵みである「塩」をイギリスだけが独占し、何故我々が作ることが赦されないのか? それはおかしいではないか」という、日常生活の中に潜む問いを掘り起こしました。この不条理は、文字を読むこともできない一般庶民へも肌感覚で浸透していきました。 
 
結果、わずかな人数で始まった「塩の行進」は、海岸に着く頃には巨大なうねりとなり、多くのインド人がガンディーの後に続いて海岸で塩を作り始めます。この圧倒的な民衆運動に対して、イギリスには、抵抗する術はもうありませんでした。 
 
暴力を用いないインドの独立を果たしたガンディーは「ダルマを果たせ トポスに生きよ」と語ります。人はそれぞれの場において、トポス=「自分に意味が与えられた場所」があり、そこでのダルマ=「役割」を果たすことで、全体と繋がる。その役割原理こそが自己存在と繋がっている。心臓には心臓の、足には足の、耳には耳のトポス(場所)とダルマ(役割)がある。それぞれがそれぞれのダルマを果たし合うことで、有機的な繋がりが生まれ、一個の生命が生まれ、この世界を覆う宇宙と繋がる。宇宙もこれと同じ構造なのだ、と。  社会が流動化し、一人の人間が社会に果たせる役割は大きく変わろうとしています。しかし、過去に育てられ、未来に生きようとして、今を生きている君たちは、自分がおかれている場所(トポス)で自分が果たすべき役割(ダルマ)を、愚直に果たし続けることで、「世界」を変えていけるのです。あなたの進める歩みは小さな一歩かもしれません。しかし、進んできた道は偉大な道となって残るはずです。


  平成28年も終わります。これまで来た道を振り返り、平成29年度に向けて新たな一歩を踏み始めてください。

アンテナを高くして、本を読み、新聞やニュースを見て、世の中の動きを知ってください。

奉仕体験活動に積極的に携わり、世界を裏側で支える方々の思いを体験してください。

勉強にスポーツに自分から課題を見つけて精一杯打ち込んでください。

そして最後に、保護者の方々に一年のお礼を自分のことばで伝えてください。親御さんがたが支えてくださらなかったら、あなたたちはここに存在していないのです。

来春、また一回り大きく成長したみんなと笑顔で会えることを楽しみにして、終業式の挨拶とします。

3年生も最後の追い込みを頑張って下さい。 



1・2年生 白熱のクラスマッチ!

12月20日(火)~21日(水)、1・2年生のクラスマッチがありました。

競技はバスケ、サッカー、ソフトテニスの3種目です。
クラスで団結して勝つために普段の授業や学校生活では見ることのできない姿を見ることができました。二学期を締めくくるいいプレーがたくさん見られました

二学期が終わり、三学期からは進級に向けての準備期間となります。どの行事にも“最後”という言葉がついてきます。
高校生活残り2回のクラスマッチも楽しみたいです。

1年優勝 1年2組、1年3組(同時優勝)

2年優勝 2年4組

 
 
(文章・撮影 図書委員会広報班)

 

もちつき実習です

1年家庭科では「棒つきもち」の調理実習がありました。できあがった餅は格別の味だったようです。
以下、生徒の感想文です。どうぞよいお年をお迎え下さい!

 

○今回もちつき実習を行なって、1時間くらいで自分でもちを作れることを知りました。調理実習を重ねるたびに班が少しずつ協力できるようになっていると思います。つきたてのもちは、とてもやわらかくておいしかったです。今度家でもやってみようかなと思います。(1年 溝上さん)

○うすときねを使って本格的にするか、機械を頼って作るしかやったことがなかったので、ボウルと棒さえあればもちができると知ることができました。水の量を間違えたり、丸めたもちが皿にくっついてしまったりとハプニングもありましたが、自分の役割をしっかりこなしておいしいもちを食べることができてよかったです。(1年 松元さん)

 

○いつも仏壇にあげるのが先といって、できたてのもちを食べることができなかったのですが、今回食べてみて、おいしさが格別でした。今年は仏壇用とは別に、自分でもちをついて、できたてを食べようと思います。(1年 嶋田さん)

○今までは完成したもちを普通に食べていたが、やっと出来上がるという完成までの過程を知ることができて、感謝して食べる気になった。実習のときに毎回感じるけれど、自分たちの手で作ったものを食べる時間は充実感があり、身のまわりの物も大変な過程を経てここにあると考えると、自分を支える様々なものに感謝しなければならないと思った。(1年 原田さん)

 

吹奏楽部、生出演!

熊本市・(株)熊本放送の行なう復興支援の一環として、吹奏楽部が熊本市花畑公園コンサートの後、RKKニュースに生出演しました。
また、翌日も「サタブラソング」を歌う吹奏楽部の様子が放映されました。
ご観覧、ご視聴いただきありがとうございました。