更新情報

溪烽会創設70周年記念大同窓会について

溪烽会会員各位

熊本県立八代工業高等学校溪烽会創設70周年大同窓会について

一般社団法人熊本県立八代工業高等学校溪烽会
会長 原登志雄
会員の皆様には、日頃より溪烽会の活動に御賛同いただきありがとうございます。会報で お知らせしていました通り、今回より八代工業高校の同窓会は毎年4月最終土曜日に全科合 同で行うこととなりました。土曜日という事でたくさんの会員の皆様にご参加いただければ と思います。 
 
日時 平成30年4月28日(土)18:00~
会場 八代グランドホテル
会費 5,000円
当日は八代工業高校のタオル販売なども致します。
 
参加申込み方法(欠席連絡は不要です)
・各科にて行っている案内ハガキなど
keihoukai1944★yahoo.co.jpへのメール ★を@へ変更
 ・facebookの同窓会ページ及び、同窓会グループ・イベントページへの書き込み、メッセージ。
・同窓会事務局への電話090-9589-0532 ※電話は10~17 時まで
・090-9589-0532 へのショートメール 
  
ぜひつながりのある同窓生へfacebookページや、グループへのご招待をお願いいたします。
 どなたかが取りまとめいただき、上記の方法でご連絡いただいても結構です。
 
周年同窓会及び新しい形での1回目の開催となりますので、1人でも多くの同窓生にお集まりいただければと思います。特に若い世代の結集がこれからの八代工業高校溪烽会及び母校の発展に不可欠です。どうぞよろしくお願いいたします。

後日今回のご報告をさせていただきます。ご参加いただきました皆様ありがとうございました!

同窓生の活躍vol.1

様々な舞台で活躍されている八代工業高校同窓生の皆さんを紹介していきたいと思います。皆様からの情報もお待ちしております。

第1回目は平岡健三先生です。
1949年生まれ68歳 工芸科(元インテリア科)43年卒

平岡先生は八代工業高校に長い間勤務されてましたのでご存知の皆様も多い事と思います。

教職員退職後は様々な写真団体での活動や、木材加工などでご活躍されています。


facebookにも毎日素晴らしい作品を掲載されていますのでぜひお名前を検索されてご覧ください。


野中さんオープンウォーター日本選手権優勝!(同窓会)

H27情報技術科卒の野中大暉さんがオープンウォーター日本選手権で優勝という快挙を達成されました。
東京オリンピックで本校卒業生の活躍を観ることができるかもしれません(*^O^*)

また日本選手権前に行われた国体では準優勝と活躍されています。


野中さんのこれからのますますの活躍を期待しています!

卒業年、卒業期早見表(同窓会)

同窓会活動にご利用ください。
今年の卒業生は70期生となります。

    生年月日                 卒業年          何期生 
S5年4月2日~S6年4月1日生           S24年3月卒業              1期生

S6年4月2日~S7年4月1日生           S25年3月卒業              2期生

S7年4月2日~S8年4月1日生           S26年3月卒業              3期生

S8年4月2日~S9年4月1日生           S27年3月卒業              4期生

S9年4月2日~S10年4月1日生         S28年3月卒業              5期生

S10年4月2日~S11年4月1日生       S29年3月卒業              6期生

S11年4月2日~S12年4月1日生       S30年3月卒業              7期生

S12年4月2日~S13年4月1日生       S31年3月卒業              8期生

S13年4月2日~S14年4月1日生       S32年3月卒業              9期生

S14年4月2日~S15年4月1日生       S33年3月卒業              10期生

S15年4月2日~S16年4月1日生       S34年3月卒業              11期生

S16年4月2日~S17年4月1日生       S35年3月卒業              12期生

S17年4月2日~S18年4月1日生       S36年3月卒業              13期生

S18年4月2日~S19年4月1日生       S37年3月卒業              14期生

S19年4月2日~S20年4月1日生       S38年3月卒業              15期生

S20年4月2日~S21年4月1日生       S39年3月卒業              16期生

S21年4月2日~S22年4月1日生       S40年3月卒業              17期生

S22年4月2日~S23年4月1日生       S41年3月卒業              18期生

S23年4月2日~S24年4月1日生       S42年3月卒業              19期生

S24年4月2日~S25年4月1日生       S43年3月卒業              20期生

S25年4月2日~S26年4月1日生       S44年3月卒業              21期生

S26年4月2日~S27年4月1日生       S45年3月卒業              22期生

S27年4月2日~S28年4月1日生       S46年3月卒業              23期生

S28年4月2日~S29年4月1日生       S47年3月卒業              24期生

S29年4月2日~S30年4月1日生       S48年3月卒業              25期生

S30年4月2日~S31年4月1日生       S49年3月卒業              26期生

S31年4月2日~S32年4月1日生       S50年3月卒業              27期生

S32年4月2日~S33年4月1日生       S51年3月卒業              28期生

S33年4月2日~S34年4月1日生       S52年3月卒業              29期生

S34年4月2日~S35年4月1日生       S53年3月卒業              30期生

S35年4月2日~S36年4月1日生       S54年3月卒業              31期生

S36年4月2日~S37年4月1日生       S55年3月卒業              32期生

S37年4月2日~S38年4月1日生       S56年3月卒業              33期生

S38年4月2日~S39年4月1日生       S57年3月卒業              34期生

S39年4月2日~S40年4月1日生       S58年3月卒業              35期生

S40年4月2日~S41年4月1日生       S59年3月卒業              36期生

S41年4月2日~S42年4月1日生       S60年3月卒業              37期生

S42年4月2日~S43年4月1日生       S61年3月卒業              38期生

S43年4月2日~S44年4月1日生       S62年3月卒業              39期生

S44年4月2日~S45年4月1日生       S63年3月卒業              40期生

S45年4月2日~S46年4月1日生       H1年3月卒業           41期生

S46年4月2日~S47年4月1日生       H2年3月卒業             42期生

S47年4月2日~S48年4月1日生       H3年3月卒業              43期生

S48年4月2日~S49年4月1日生       H4年3月卒業           44期生

S49年4月2日~S50年4月1日生       H5年3月卒業          45期生

S50年4月2日~S51年4月1日生       H6年3月卒業             46期生

S51年4月2日~S52年4月1日生       H7年3月卒業               47期生

S52年4月2日~S53年4月1日生       H8年3月卒業               48期生

S53年4月2日~S54年4月1日生       H9年3月卒業               49期生

S54年4月2日~S55年4月1日生       H10年3月卒業              50期生

S55年4月2日~S56年4月1日生       H11年3月卒業              51期生

S56年4月2日~S57年4月1日生       H12年3月卒業              52期生

S57年4月2日~S58年4月1日生       H13年3月卒業              53期生

S58年4月2日~S59年4月1日生       H14年3月卒業              54期生

S59年4月2日~S60年4月1日生       H15年3月卒業              55期生

S60年4月2日~S61年4月1日生       H16年3月卒業              56期生

S61年4月2日~S62年4月1日生       H17年3月卒業              57期生

S62年4月2日~S63年4月1日生       H18年3月卒業              58期生

S63年4月2日~H1年4月1日生         H19年3月卒業              59期生

H1年4月2日~H2年4月1日生           H20年3月卒業              60期生

H2年4月2日~H3年4月1日生           H21年3月卒業              61期生

H3年4月2日~H4年4月1日生           H22年3月卒業              62期生

H4年4月2日~H5年4月1日生           H23年3月卒業              63期生

H5年4月2日~H6年4月1日生           H24年3月卒業              64期生

H6年4月2日~H7年4月1日生           H25年3月卒業              65期生

H7年4月2日~H8年4月1日生           H26年3月卒業              66期生

H8年4月2日~H9年4月1日生           H27年3月卒業              67期生

H9年4月2日~H10年4月1日生         H28年3月卒業              68期生

H10年4月2日~H11年4月1日生       H29年3月卒業              69期生

H11年4月2日~H12年4月1日生       H30年3月卒業              70期生


2014年の70周年記念インタビュー:第1期生堤さん

2014年の70周年記念時に行われた第1期生堤様のインタビュー記事を再掲載いたします。

ここから ↓

今回保健委員会で八代工業高校70周年記念として昭和23年度卒業の堤 長壽さんに学生時代のお話を聞いてきました!

堤(つつみ) 長壽(ながとし)さん
昭和5年に産まれ、2014年当時84歳の本校昭和23年度卒業生で、第一期卒業生でもあります。


八代工業高校設立 

昔は現在の中学校というものが無く、堤さんは小学校を卒業して八代商業に入ったそうです。堤さんが商業入学の1年後に八代工業は八代市立として設立されたのですが、八代工業が設立された大きな理由として、もともと工業の街として八代が栄えていたのに工業高校がなかったので、ぜひ地元に工業高校をつくって欲しいという地域の方々の大きな期待や願いなどもあり本校が設立されました。そして、八代商業から堤さんを含む104名の生徒が2年生として編入し、一年生も120名入学して機械科、電気科、工業化学科の3科生徒数224名で八代工業は始まったそうです。当初は校舎がなかったので松高小学校の旧校舎を借りて勉強していたそうですが、日本はその時戦争をしていて授業はほとんどなく軍事訓練ばかりで、銃剣術や槍の訓練、グライダーの練習を行っていたそうです。ほふく前進の練習の際は袖がほころぶので袖は地面につけずにやるそうなのですが、そうすると腕を擦るので大変だったそうです。それでも体育の成績に入るので真面目にやったそうですが、今よりもずっと過酷だったのだなと思いました。また、授業といっても農家の稲刈りの手伝いや、山を開墾してカラ芋を作ったりしていたそうです。先生から木銃でお尻をパチーンと叩かれたりもしたそうで、戦争の時代の厳しさを感じました。他にも、学校には馬がいたらしく農家出身の生徒達は休み時間にその馬を乗り回して遊んでいたと聞いてビックリしました。
 八代工業は創立二年目に校舎が造られたそうですが、粗末な校舎で何も無いので小学校から皆で机や椅子を歩いて運んだそうです。勉強をする時も教科書やノートが無かったので適当な紙に先生が黒板に書いたものを写したそうです。戦争中だったため英語が使えず、英語は日本語に直して使っていたため、変な日本語になっていたことを聞きました。設立当初は実習棟もなかったので、企業に訪れで実習を行っていたそうですが、そういった場面に地域の理解や協力が見受けられます。また家では夜になると停電がよく起こり、電気が点かないのでロウソクの灯りで勉強をしていたそうですが、今ではとても考えられない事で昔の大変さがわかりました。


堤さんの学生時代

体育祭について聞いてみるとやはり時代なのかほとんど体育祭などの行事は行われていなかったそうです。行事も田植えや稲刈りと、食糧が不足していた事がわかりました。
 堤さんの当時の楽しみについて聞いてみると食べる事だと言われました。当時は学校の周辺も田畑ばかりで目立つような建物はなかったそうで、生徒たちは徒歩や汽車を使って登校していたのですが、なかには鹿児島の出水市から通学している人もいたそうです。そんな、何もない1時間半の登校中の道すがら木になっているビワやグミ、柿などを採って食べていたり、生梅やグミを塩で揉んで食べていたそうです。普段の食事も米は週に1度食べられるかどうかで、基本的にはカラ芋やカボチャを水団にしてたべていたそうです。また、米を食べるときも粟や切干を足して節約していたりと、少しでもお腹を満たすよう工夫しながら食べていたそうです。他にも、友達と5~6人でコンニャクを買って食べた時に灰汁が苦くて吐き出した事もあるそうです。正月には民家の吊るし柿を盗って、学校に持って行って皆で食べたりもしたそうですが、そういった事があっても地域の方々は特に注意されなかったそうです。食べるものが少なく、みんながお腹を空かせていることがよくわかっていたから、厳しい時代の中でもお互い助け合ったり、人々のやさしさが感じられるお話でした。当時は部活が行われていたのか聞いてみたところ、部活は無かったけど、兵隊になるために運動はしたそうです。半強制的に振り分けられて、野球や剣道をしたそうですが、野球をするにしても、ボールやグローブはしっかりしたものが無く、剣道では打たれてミミズ腫れをよく作っていたと聞いて過酷だなと思いました。ですが、堤さんは学生時代について「きつかったけど楽しかった」と話されていていたのがとても印象的でした。
 堤さん達が3年の頃には学徒動員が起きて堤さんも昭和農産(現在のメルシャン)に行かれて、毎日のように空襲があったので、堤さんもある日倉庫で昼寝をしている時に空からの機銃の掃射をうけたことがあるそうです。また、裏山で遊んでいると、遠くの方にピカッと光るようなものを感じたので雲仙岳の方を見てみると、きのこ雲が見えたそうです。
 そんな激動の時代を生き延びきた堤さんは「孫やひ孫達に同じような目に遭って欲しくない」と、話されました。また「戦争は反対だが、しかし自分たちの国は自分たちで守るべき」とも言われました。そして八工の後輩達にメッセージや助言になるようなお話を残してくれました。まずは健康を大切にし、勉強や社交性、八代工業の校訓である「誠実」を守ること、できるだけ多くの資格を取っておくこと、といった仕事をするうえでとても大切な事だと思います

感想、まとめ

 戦争の真っただ中に設立された八代工業で、70周年という記念すべき年に生徒として八工にいることができて良かったと思います。また、そんな八工の一期生である堤さんからお話を聴くことが出来て本当によかったです。
 今回の堤さんのお話の中で、学生時代頑張った事として「学校を欠席しない事」と話されていました。「欠席をしないように」という話は今でも先生たちから言われていると思います。八工の伝統のようなものかもしれないですね。また、高校時代の経験のおかげで今でも働ける肉体や体力を作れたと話されていました。ちゃんと授業を受ける事は基本中の基本ですが、やはりしっかりとそういった場面で技術や経験を蓄えていく事が大切なのだと思いました。これからも何十年と八工が続くように私たちが頑張って、そして、これからの先の後輩たちにも八工の伝統や正しい姿勢というものを受け継いでいけたら良いなと思いました。