保護者の声

本校に通う幼児の、保護者さんからのメッセージです。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声04

 我が子が難聴と分かったのは、1歳半検診の時でした。その後、難聴の子どもを持つお母さんと出会い、熊本聾学校の中にある乳幼児教育相談「うさぎルーム」に誘っていただき、熊本聾学校を知りました。

 難聴であることが分かり、正直ショックな気持ちや不安な気持ち、この先、我が子は大丈夫なのかと心配なことばかりでした。

 熊本聾学校の先生にもたくさん相談し、何度もうさぎルームに通い、学校の様子や子ども達の様子を見せてもらいました。地域の保育園に通っていたのですが、我が子にとって一番良い環境はどこなのだろうかと考え、熊本聾学校入学を決めました。

 入学したての頃は、言葉や手話もほとんどなく、コミュニケーションをとるのが難しい状態でした。入学後は少しずつ指文字や手話を覚え、家でのやりとりも増えてきました。子どもの成長は本当にすごいなと思うほど、どんどんいろいろなことを吸収していきました。

 年中になるとお友達との関わりも増えていき、自分のことだけでなくお友達の話や学校での出来事を家に帰ってから話してくれることが増え、絵日記のやりとりが楽しくなってきました。何?どうして?の質問が増え、自分の思ったことも伝えられるようになりました。

 年長児になるとお友達との話も深くなり、「友達はこの時こういう気持ちだったと思う」とか、相手の気持ちを考え、相手を思えるようにまでなりました。

3年間でいろいろな経験や体験したことが他の場所でも活かされることがあり、毎日の絵日記や日々の生活の積み重ねが今の成長につながっていくのだと実感させられました。

 卒業式の姿を見て心も体も本当に成長したなと感慨深いものがありました。あんなに小さくコミュニケーションをとるのが難しかった我が子がこのように成長するとは、3年前の私は思ってもいませんでした。ここまで成長できたのも熊本聾学校の先生方が親子共々、熱心に関わってくださったからだと思います。あの時、熊本聾学校の入学を決めたことは決して間違っていなかったと思うことができました。

 子供にとっても通じ合い、けんかし、楽しく学べる仲間がたくさんでき嬉しく思います。3年間一緒に過ごした仲間を大切にし、みんなと成長していってほしいと思います。

先生方、本当に3年間ありがとうございました。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声03

 娘の難聴が分かったのは娘が4歳になる少し前でした。

 3歳になっても喃語が多くおしゃべりは好きだけど保育園の先生やお友達に一生懸命話しかけているが伝わらない。ただ、音にも言葉にも反応は出来る為、まさか自分の娘が難聴だとは思わずに過ごしてしまいました。

 言語のリハビリに通い始めた時に初めて聴力検査を勧められました。

「あー、この子はずっと聞こえにくい世界で生きていたのか」と初めて気づくことができました。難聴といわれてビックリした事よりも、やっと腑に落ち、安心感に近い感情を持ちました。それからは補聴器を装着し療育に通う日々でした。

 私は、お兄ちゃん達と同じ地域の小学校に娘を通わせたいと思っていました。

 療育の先生も保育園の先生もそのために一生懸命頑張ってくれました。

 ただ、療育に通ううちに不安になりました。週に2回の療育では小学校入学までにはほかの同級生の子たちと同じスタートラインには立てないと思い始めました。その時娘はもう5歳と3ヶ月でした。手話も口話も出来ない、コミュニケーションをとる事ができない自分と娘に不安を感じ始めていたころ、コロナの影響で行けなかったうさぎルームに初めて行き、熊本聾学校の先生方に今不安に思っていることを全て相談しました。初めて熊本聾学校を見学した際に、私は娘と同じ難聴の子たちのキラキラとした笑顔で先生やお友達と手話や口話で話している姿を見て感動しました。

 その姿を見たときに、熊本聾学校に入学する決意が出来ました。

 入学して初めのころは「聾学校むずかしい」と言って毎日ヘトヘトになっていましたが、必死に手話も口話も練習しました。それでも同級生の子達に比べるとまだまだですが少しずつ「自分の気持ちを自分の言葉で伝える」事が出来るようになって娘の表情はとても良い方へ変わりました。毎日毎日「ことば」に対する教育を受けた娘は今までとは考えられないスピードで成長し、家族全員でその姿に驚かされました。

 難聴に早く気づいてあげる事が出来ず自分を責める日々でしたが、素晴らしい環境と先生方、お友達とその保護者に恵まれて「聾学校楽しい」という娘を見て今は前向きに考えられるようになりました。小学部でも、娘の成長に期待しています。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声02

  

幼稚部に3年間通って先日卒業をしました。

あっという間の3年間でした。

ただただ流れていったのではなく濃く、深い毎日だったと感じます。

入学してたくさんの友達が出来ると同時に難聴といってもこんなにも様々なんだと知りました。

勿論課題も同様でした。

全員一緒の支援でなく、それぞれにあった支援を先生が一生懸命考えてくださりどれが本人に合うのか。丁寧に接してくださいました。

親にも共有してくださり、家でのコミュニケーションも深まったと感じています。

これが出来たのは熊本聾学校だからこそです。

小学部に入るまでの基礎を幼稚部で作っていただき感謝しかありません。

小学部に上がっても幼稚部での3年間で学んだことを忘れずに頑張ってほしいと願っています。

令和4年度(2022年度)幼稚部卒業生 保護者の声01

うちの子に難聴がわかったのは1歳半健診での事でした。

保健師さんから「おかあさん。OOちゃん耳が聞こえていないかもしれません。」と言われた時には、直ぐに信じることができず、(いやいや、そんなわけないでしょ。)と思っていました。詳しい検査をするために、病院や施設などに通い、どんどんはっきりと判明してくる我が子の重度の難聴であるという事実に驚きと、どうして今まで気付かなかったんだろう、と後悔しかありませんでした。そんな私と正反対に、主人は「この子にできることをするしかない。とりあえず、この子の為にできる事、合っているものをやってみよう。合わなかったらまた、その時に違う方法を考えたらいいじゃん。」と考える人でした。おかげで私も気持ちを切り替えて前を向くことができ、この子の為にできる事はとりあえずやってみよう。と思い、色々と情報を集めました。その中で難聴児の保護者との出会い、聾の方との出会い、そして熊本聾学校と出会いました。

熊本聾学校を知るまで、うちの子は2歳児クラスまで地域の保育園に通っていました。私も主人も仕事をしていたし、保育園以外の選択肢はありませんでした。保育園の先生からも、「OOちゃん賢いですよねー。なんでも上手にできますよ。」と言われることが多く、(なんだ、保育園でも大丈夫じゃん。)と思っていました。しかし、それは聞こえていないから周りをよく見て真似をするのがすごく上手な子供だっただけでした。今から何が始まるのか分からないから、少し遅れて周りのお友達や先生の真似をする事しか出来なかったのに、それに気付く事も出来ませんでした。その事実に気付かせてくれたのが熊本聾学校の先生でした。そう言われた後、当時の写真を振り返ってみると、きょろきょろして表情の固い写真ばかりだった事に気付き、ハッとしました。

熊本聾学校の先生のお話の中に、「幼児教育というものは、小学校以降における生きる力の基礎や生涯にわたる人間形成の基礎を養う上で重要な役割を担っているとても重要な時期であり、どう過ごすかで大きく今後が変わっていく。」と教えて頂きました。この大切な時期に「自分は聞こえないから伝わらなくても仕方ない。」と諦めながら日々を過ごさせるなんて絶対に嫌だし、聞こえないことを何かを諦める理由にしてほしくない、と考えるようになりました。

なにより私は子育て自体に自信がなく、ましてや3人兄弟の2番目だったOOだけに十分な時間をかける余裕もありませんでした。熊本聾学校であれば難聴児教育のスペシャリストの先生方がたくさんいらっしゃるし、同じ悩みをもつ家族もいる。悩んだ時、失敗した時、こんなに心強い環境は他にないと思いました。

 いざ、熊本聾学校に入学してからは、仕事をしながらの慣れない登下校の送迎、絵日記等と、初めての環境に不安な中で、泣きながら後追いをするOOの様子を見ていると、私もいっぱいいっぱいになってしまい、毎日苦しかった事を覚えています。そんな時に支えてくれたのは先生方や、同じ難聴の子を持つお母さん達でした。「わかるわかる、うちもこうだよー。」と何気ない、お母さん達との世間話に(うちだけじゃないのんだ!)と安心していました。聞いてもらえる人がいてくれるのが嬉しくて、よくボロボロと泣いてしまう私は慰めてもらいました。先生には、子どもの細かな変化にもすぐに気づいていただき、言動や表情、様子を毎日教えてくださいました。子どもの変化を知ることができる事で、この環境が子どもの為になっている事をひしひしと感じることができ、もう少し通ってみよう、大変だけどがんばってみよう。と前を向くことができました。

 熊本聾学校に入学して、2ヶ月もするとOOはみるみる表情が豊かになっていきました。

コミュニケーションに関しては、初めの頃は「今日は誰と遊んだのー?何をして遊んだのー?」と尋ねても、会話が弾むことはあまりなく、「おそと」など単語だけのやり取りが多く、話を膨らませることに苦労しました。行き帰りの車の中も、ただただテレビを見ているだけの事が多かったように思います。

しかし、数ヶ月もすると車に乗るやいなや「ママ、こっち見て!」「今日はここに行った。せんせいがこんなことしたんだ~!」と興奮して手話を使って話してくれる様になりました。「運転してるから見れないよ~、あぶないでしょ!」と言うとケラケラ笑って「ママ、みてー!!」と手話でずっとお話していました。こんなに変わるものかと驚いたのと同時に、とても嬉しかった事を覚えています。

 年中さんになると、言葉も手話もたくさん覚えました。ひらがなも読めるようになり、口話だけでは何と言っているか分からないときや、物の名前を伝える時は指文字があったことで、スムーズに伝えることができました。「あれはなに?」と尋ねられた時、指文字や手話がなかったら、と思うときっと方法が分からず十分に話ができなかっただろうな・・・と考えるだけでゾッとします。手話に出会っていなければ、伝えたい気持ちや伝わる喜びを毎日経験することもできなかったと思います。

 年長さんになると、季節ごとのイベントの度に「赤組のときはこうだった。青組のときはOOがこんなになってたね~!」と過去を振り返り、よく覚えている事に驚きました。毎日がただ何となく過ぎているのではなく、熊本聾学校では事前のお話、実施、振り返りを入念にしてくださるので、何があるのか、どう行動するのかなど1人1人が取り残される事無く考えることができるのだと思います。更に絵日記でも振り返る為強く印象に残すことができるのだと思いました。

 このような学校生活を送っているからか、家にいる時に「きょうはなにするの?そのあとはどうするの?」と予定を細かく確認するようになりました。予定が嫌な時は、ちゃんと不満を言ってくれます。決まっていない時、「まだ何も決まってないよ、なにしよっか?」と尋ねると、楽しそうに自分のしたい事や、行きたいところをたくさん伝えてくれます。こんな何気ない日常の会話の中でも、自分の考えや思いをしっかり持っており、それをきちんと伝えることができるようになったんだなぁ、と成長を感じます。

 今では小学校3年生のお兄ちゃんとも、4歳の弟とも手話を使って文句を言い合い、毎日毎日元気に喧嘩をしています。笑

3人兄弟ですが、1人1人性格は全く違い、個性豊かな3人の子供たちです。

難聴はOOの個性だと思っています。人には得意なこと、不得意なこと色々ある中で、OOは聞くことが不得意ですが、目で見ることにとても長けています。絵を描くこと、表現することがとても上手です。手話がとても上手です。手や体で表現することがとても上手です。人の変化や表情にすぐに気付くことができます。優しく声をかけてくれます。

この子の得意なこと、上手なところに気付かせてくれたのは熊本聾学校です。

 

 聴者が多いこの世界で、大人になれば嫌と言う程「聞こえない」壁に直面する日が来るかもしれません。そうなった時に自分の意思をしっかり持てるように、壁をぶち破れる力を養う為に、通じる喜びや自分の長所を知っている経験はとても大切なことだと思います。そしてなにより困難に立ち向かった時に、気持ちを分かってくれる仲間と出会える場所は聾学校より他にないと思います。

熊本聾学校に3年間通うことができて本当に良かったと思います。これまで出会った先生や保護者やお友達、すべての方々に感謝しかありません。

本当に本当にありがとうございました!

 

令和2年度 保護者の声05

 入学してすぐは手話も言葉も少なく、家でのコミュニケーションはジェスチャーと少しの手話でのやりとりがほとんどでした。伝えたいけど伝わらないことも多くお互いにイライラすることがあり、悩むこともありました。けれど、学校に入り、まずお友達の名前と先生の名前を覚え、それらをお風呂の時も寝る時も食事の時もずっと表現してくれました。私も一緒に「〇〇くんだね。」「〇〇先生だね。」と写真と一緒にやりとりして遊んでいました。

名前のやりとりから始まり、毎日学校に通うようになると、手話を身に付け言葉を覚え「今の手話は何?」と私も思うまでになりました。

 自分から伝えたいという気持ちも強くなり、手話を使って伝えてくれるようになりました。また、私が説明をすれば納得し理解してくれることも少しずつ増えてきて通じ合うことの喜びを実感できています。

 学校でさまざまなことを学び、経験することにより表現も増え、学校の外でもいろんなものに興味を持ち、目にしたものに対しても色や形、なにかに似ているなど話の幅が広がり、今、我が子が何を感じて思っているのかを知ることもできるようになりました。

 入学して数か月ですが、毎日の積み重ねや理解して生活できる環境にいることが本当に大切だと思いました。どんどん成長してくる子供に負けないように私も手話を頑張らなければと思う毎日です。     

令和2年12月  3歳児保護者