校訓・校章・校歌
校訓・校章・校歌
校訓・校章・校歌
校訓
清とは、清純・清新・清潔・清楚・清廉等々の清であり、規律・秩序を表している。学校は静かで清らかなところでなければならないとの願いと、生徒が個性豊かで純粋に伸びていくことを期待している。そのため、厳しい授業と躾により「稚心」を除去し、人格を高めると共に、強靭な身体の育成を目指している。
明とは、明朗・明快・明哲・明暢・明敏等々の明であり、自由・創造を表している。教育は創造のいとなみである。自由のないところには創造はありえないという観点から、明るくのびのびした学校への期待と創造性豊かな人間の育成を目指している。
和とは、和気・和声・和顔・和同・和熟等々であり、調和・奉仕を表している。自分に甘え、自分さえよければというエゴを捨て、和やかな人間関係、相互に信頼し協力し、奉仕の精神を培うことを期待すると共に、知・徳・体に調和のとれた世界的視野にたった日本人の育成を目指している。
発案
初代校長 小菅 勇次
制定
昭和49年10月15日
小菅校長は、学校創設に当たってすべてに優先するものは、建学の精神の確立であり、その象徴ともいうべき「校訓」の制定であると考えた。
そこで校長は、発令と同時に校訓の研究に没頭し、全国、九州、熊本県下の主だった高校の校訓を比較検討し、熟慮の末結局「清・明・和」という三つの柱からなる極めて簡素なものを選定した。これは覚えやすく忘れ難いものであり、しかも常時教育実践の場に引用され、しかも活用範囲の広いものである。と共に、時代の要求にもマッチし―当時は金権政治が問題化していた―さらには時代を超えた普遍性もあるという考えに基づくものであった。また、校訓がややともすれば、単なる飾りやお題目になり勝ちなことを避けたいという強い願いもあった。
『熊本西高等学校二十年史』より
校章
デザイン
県教委美術担当指導主事(昭和49年当時)
姫野 豊
制定
昭和49年11月2日
全体が契文「西」の図案化。
即ち、フクロに「もの」=知識などをしたたるほどつめこむ様を意味し、校訓「清・明・和」の三つのヒモで結ばれ、左に坪井川、右に白川の流れを、上に金峰山を表し、悠久な歩みと高き理想を象徴させ、しかも、上部の山は「西」の頭文字Nを表し、全部がつながっているのは強い連帯感を示している。
『熊本西高等学校二十年史』より
校歌
作詞:小菅 勇次 作曲:有馬 俊一
一、
朝夕仰ぐ 金峰の
雄姿に高き 希望あり
われら若人 清らかに
真理の道を究めなん
いざ眉をあげ 撓みなく
ともに創らん 西高校
二、
水源遠き 白川の
流れに尽きぬ 哲理あり
われら若人 明らけく
心の窓を 磨きなん
いざ肩をくみ 高らかに
ともに謳わん 西高校
三、
永久に火を噴く 大阿蘇の
煙にあつき 情熱あり
われら若人 逞しく
剛き身体を 鍛えなん
いざ手をとりて 和やかに
ともに讃えん 西高校
応援歌
青春の血潮
作詞:麦田 孝秀 補作詞・作曲:岩代 浩一
一、
金峰山に 風立ちて
希望の旗は ひるがえる
競え 競え 競え
心と技のみなぎりを
競え 競え 競え
青春の血潮 たぎらせて
西高 西高 西高
我等が母校
二、
しぶき花咲く 白川に
不屈の闘志 ほとばしる
進め 進め 進め
勝利の道を まっしぐら
進め 進め 進め
青春の血潮 たぎらせて
西高 西高 西高
我等が母校
三、
噴煙遥か 大阿蘇の
仰ぐ高嶺に 雲を呼ぶ
燃えろ 燃えろ 燃えろ
三歳の夢よ 我が友よ
燃えろ 燃えろ 燃えろ
青春の血潮 たぎらせて
西高 西高 西高
我等が母校
『熊本西高等学校二十年史』より