2020年10月の記事一覧

「つなごう100年のバトン」

 「つなごう100年のバトン」と力強く墨書された文字と、100周年のロゴマーク、そして生徒同士がバトンをつなぐ瞬間の写真が組み合わさった御船高校創立100周年記念事業の看板が正門脇に掲げられました。「令和3年 御船高校は創立100周年を迎えます」と告知するために設置したものです。

 スローガンの「繋(つな)ごう100年のバトン」は生徒からの公募を行い、2年B組(電子機械科)の大西快人君の作品が選ばれました。告知看板には、書道の古閑先生に躍動感あふれる文字を書いていただきました。ロゴマークは3年4組(芸術コース)の岡部真寛さんの作品が選ばれました。100年の「1」に天神の森を見立てて、生徒の個性を表現する多彩な色で葉が描かれています。また、スローガンを写実化しようと、美術の本田先生が生徒をモデルに校庭でバトンをつなぐ鮮やかなイメージ写真を創られました。この告知看板そのものが、まさに御船高校の創造力の結晶と言えます。

 今を遡ることおよそ百年、大正11年(1922年)4月に本校は開校しました。すでに明治40年(1907年)に小学校6年制の義務教育が整えられていました。新しい時代(大正)に入り、中等教育への進学者数は次第に向上していました。戦前の中等教育は、男子は中学校、女子は高等女学校へ分かれて進学することになっており、学年は5年制(女学校は4年制が多い)でした。「上益城郡に中等教育を」という地域あげて設立の気運が盛り上がり、上益城郡の拠点であった御船の地に県立の旧制御船中学校の開設が認められたのです。第一期生は142人が入学を許可されました。旧制御船中学校は熊本県内で8番目に誕生した中学校です。

 大正時代には、御船高校の近隣の甲佐高校(旧制高等女学校)、宇土高校(旧制中学校)、松橋高校(旧制高等女学校)がほぼ同じ時期に設立されています。大正デモクラシーの風潮の中、熊本県において中等教育は急速に普及していったことがわかります。また、大正時代は鉄道が地方に普及した時代でもありました。大正5年には私鉄の熊延(ゆうえん)鉄道が熊本市の春竹駅(現在の南熊本駅)から御船町まで開通していました。しかし、甲佐町へ抜けるための妙見坂トンネルや御船川の鉄橋の難工事に時間を要しました。そして、御船高校開校の翌年の大正12年に御船町から甲佐町まで熊延鉄道がつながりました。地元住民は歓呼で鉄道開通を喜んだと伝えられています。

 熊延鉄道は昭和39年に姿を消しました。しかしながら、御船高校は百年の節目を迎えようとしています。私たち教職員、そして生徒の皆さんはこの伝統の学び舎の中間走者のようなものです。受け継いだバトンを次代につなぐという使命をもって、走っていきましょう。

 

 

 

「動員学徒殉難の碑」慰霊祭

    秋晴れのもと、10月25日(日)午前11時から御船高校で「動員学徒殉難の碑」慰霊祭を執り行うことができました。往時の動員学徒同級生(「天神きずなの会」)から酒井様と千場様のお二人がご出席くださり、在校生代表の生徒会の生徒たちに言葉を掛けていただきました。校長挨拶文を掲げます。

 

    本日、御船町町長 藤木正幸様、御船高校同窓会顧問 川野光恵様、そして「天神きずなの会」の皆様をはじめ関係各位のご出席のもと、令和2年度の「動員学徒殉難の碑」慰霊祭を開催できますことは、本校にとって誠に意義深いものがあります。この碑の前に立つと、歴史の尊さを感じ、粛然とした気持ちになります。

    昭和16年(1941年)に勃発した太平洋戦争の期間、学校も戦時体制に巻き込まれました。旧制の県立御船中学校の生徒の皆さんは、学徒勤労動員として、昭和19年10月20日に学校を離れ、長崎県大村市にある海軍の工場へ赴かれました。そして25日、アメリカ軍爆撃機B29の大編隊による空襲を受け、10人の方が亡くなられました。さらに翌年2月には、福岡の飛行機製作工場での厳しい労働環境の中、1人の方が病気で亡くなられました。

    戦後20年がたった昭和40年10月25日にかつての同級生の方達の発意で御船高校に動員学徒殉難の碑が建立されました。県立高校の敷地にこのような碑を有しているところは、他に類を見ません。以来、毎年10月25日に、碑前において式典を執り行ってきています。

    時は流れても、忘れてはいけない歴史を伝えるためにこの「動員学徒殉難の碑」はあります。今日の式典には、全校生徒を代表し生徒会の生徒達が出席しております。志半ばで斃れた先輩達の魂に、後輩の皆さんは守られていることを知っておいてください。

    本校は大正11年(1922年)に創立され、来年度はいよいよ百周年を迎えます。大正、昭和、平成、そして令和と、多くの人材が育ち、世に羽ばたいていきました。時代は変わっても、「天神の森の学舎」は、可能性豊かな若者と熱意ある教師の出会いの場であり続けます。

    結びに、創立百周年を契機に、御船高校はさらなる飛躍を目指すことをここにお誓い申し上げ、御挨拶といたします。

    令和2年10月25日

    熊本県立御船高等学校 27代校長 粟谷雅之

 

あれから76年 ~ 動員学徒殉難の日を迎える

 御船高校の正門を入った左手に白い石造の碑が立っています。11人の若者の姿がレリーフ(浮き彫り)された「動員学徒殉難碑」です。昭和16年(1941年)に勃発した太平洋戦争によって学校も戦時体制に巻き込まれました。当時の旧制県立御船中学校の男子生徒たちは、学徒勤労動員として、昭和19年10月20日に学校を離れ、長崎県大村市にある海軍の工場へ赴きました。そして25日、アメリカ軍の爆撃機B29の大編隊による爆撃を受け、10人の生徒が亡くなりました。さらに翌年2月には、福岡市の飛行機製作工場での過酷な労働の末、1人の生徒が病気で亡くなりました。

 ノーベル化学賞を2008年(平成20年)に受賞した生物学者の下村脩氏(1928~2018)の回顧録にも、この大村海軍航空廠(しょう)の空襲が記されています。旧制諫早中学校(現 長崎県立諫早高校)の生徒として下村氏も現場にいたのです。九州各県の旧制中学校の生徒達が動員されていたことがわかります。この時の大空襲での犠牲者は300人を数えました。

 戦後20年がたった昭和40年10月25日にかつての同級生の方達の発意で御船高校に動員学徒殉難碑が建立されました。以来、毎年10月25日には、碑前において式典を執り行ってきています。『とあまりひとり』と題された追悼記念誌も編纂され、校長室に保管されています。この記念誌の中に旧職員の永上清氏の「あれから20年」という追悼録が収められています。今年も、この文章を全校生徒で読みます。10月22日(木)と23日(金)の始業前の朝の時間に、放送委員の朗読が流れ、それに合わせて読むことになります。

 今年も10月25日が近づいてきました。本年は日曜日です。午前11時から同窓会主催の慰霊祭が碑前にて開催されます。往時の同級生の方達は「天神きずなの会」を結成され、高齢をおして毎年出席されていますが、齢(よわい)90を超えられました。学校からは生徒会役員、そして私たち管理職や同窓職員が出席します。

 令和2年の今年は戦後75年になります。大村海軍航空廠での学徒殉難からは76年の歳月が立ちました。時は流れても、忘れてはいけない歴史を伝えるために「動員学徒殉難碑」はあります。そして、志半ばで斃れた先輩達の魂が、後輩の生徒の皆さんを見守っていると信じます。

 

地域の皆さんと共に生徒を育てる ~ 総合的な探究の時間

 10月15日(木)の2学年の「総合的な探究の時間」には、地域のゲストサポーターが16人も来校されました。皆さん、御船町商工会に所属されている方達です。平日の御多用な時間に、本校の教育活動に献身的にご協力頂くことに恐縮の思いです。授業開始の1時間前には集まられ、担当学級の教員と熱心に打ち合わせをされる姿には頭が下がります。

 2学年の「総合的な探究の時間」(1~4組)では、誰もが住みやすい社会にするために、現在の社会の課題に気づき、どうすればそれらを改善、解決していくことができるかを考え、提案する取り組みを続けています。その中間提言に対し助言をいただくため、各分野の職業人であるゲストサポーターの方達に来ていただいた次第です。私は2年3組の6つの班の発表を聴きました。

1 子どもの野菜嫌いを防ぐために、野菜を練りこんだお菓子(クッキー)を

  つくり、販売する。

2 地域に空き家が増えており、リフォームしておしゃれな店舗に作り替え

  るなどして減らす。

3 中山間地での獣害被害が増大しており、駆除や防護柵等、その対策に力を

  入れる。

4 コロナ禍で旅行が制限されているため、VR(ヴァーチャル・リアリティ)

  旅行を積極的に発信する。

5 高齢者運転による交通事故が社会問題となっており、より安心安全な自

  動制御の車をつくり、事故を減らす。

6 コロナ禍で皆がマスクを着用しているが、たとえばシルク製のような肌

  荒れしない抗菌マスクを製造する。

 いずれもまだまだ未熟な内容です。すでに大人が考え、試行錯誤しているものばかりです。しかし、ゲストサポーターの方たちは、「よく気付いたね」と認め、「こんな問題があるから進まないんだよ。このことについて次は考えてごらん」と具体的に助言をされました。一方、発表の声が小さい場合、「もっと大きく、はっきりと話して!」、聞き手の生徒側に私語があると「発表内容に関係ない私語はやめて!」と注意も飛びました。

 少子高齢化、人口減少などの社会構造の転換で、地域社会は様々な問題に直面しています。簡単に問いが見つからない状況です。しかし、高校生は、その社会の現実を学びながら、次第に社会の一員としての意識を持つことが大切です。

 熱意ある地域の皆さんと共に御船高校は「地域の担い手」を育てていきます。

 

 

3年生を励ます ~ 就職試験の始まり

 

    いよいよ明日、10月16日(金)から今年度の高校卒業予定者の就職試験が始まります。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、例年より約一か月遅いスケジュールです。昨日14日(水)の7限目、本校セミナーハウスにて、就職希望者(公務員志望者は除く)に対する激励会を行いました。3年生51人、さすがに意識が高く、全員マスクを着用して5分前に集合し、私語もありません。緊張感が漂うなか、校長として励ましの挨拶を行いました。

 私は20代から30代にかけて3年生担任を4度経験しています。未熟な担任であり顧みると恥ずかしい限りです。その中から一つの体験を紹介しました。

  「教員志望の男子生徒でした。最終の進路面談で、私が『教員志望とは知っているが、校種や教科は決めているのか?』と尋ねました。すると、彼は『高校の家庭科の教師になりたい』と言いました。『えっ、家庭科?』と私は驚きました。私自身が家庭科を学んだのは小学校までだったのです。中学校では女子が家庭、男子は技術を履修しました。高校では女子が家庭科を学んでいる時間に、男子は剣道か柔道の武道を履修することになっていました。家庭科が男女ともに必修教科となったのは中学校が平成5年、高校が平成6年でした。今から25,6年前です。この男子生徒は男女必修の最初の学年の生徒だったと記憶しています。初めは驚きましたが、彼と話している内に、自分が恥ずかしくなりました。男女共同参画社会になったと生徒たちに社会の変化を説きながら、自分自身の意識は昭和のままで、自分こそ社会から遅れていると思いました。」

     なぜ、私の未熟なエピソードを紹介したかというと、いつの時代も新しい扉を開くのは若者だからです。大人の私たちは一つ前の時代の思考回路です。しかし、高校生は違う。彼らが就職し、仕事をしていくことから、コロナ禍の次の新しい社会は動き出すと期待しています。

     新型コロナウイルス感染の影響で、企業とのオンラインでの面接等が実施されるのではと心配していました。しかし、現時点では本校でのオンライン受験は予定されていません。これまで培った力を大いに発揮してほしいものです。

    小、中学校、高校と12年間の学校教育の目標は、一言で表すなら、子どもを自立(独り立ち)させるためです。就職し、自ら収入を得て、保護者から経済的援助を受けずに生活できることが自立の第一歩です。自立へのわくわくした期待感と新しい世界への挑戦の気持ちで就職試験に臨んでほしいと思います。

    3年生全員の進路達成の日まで、御船高校全職員で支えます。