2017年9月の記事一覧

御船高校のお宝(考古学編)

古代の日本人が「入れ墨」をしていたということは「魏志倭人伝」にも書かれていることだが、御船高校には「入れ墨」をした女性の土偶がある。これは、益城町の秋永遺跡から出土した、弥生時代後期のものであるらしいが、乳房の周りに明らかな入れ墨の文様が見える。海洋民族であった日本人の祖先は、潜水漁法をして魚や貝を捕獲していた。そのときにサメなどの危険な生き物から身を守るために「入れ墨」をしていたが、時代の流れとともに「入れ墨」が装飾となっていったと言われている。御船高校所蔵の、この土偶から、古代は女性も入れ墨をしていたということが分かるのである。

校章の由来

御船高校校章のデザインのもとは旧制御船中学校時代にさかのぼる。そもそも「御船」という地名は、神代のころ景行天皇が九州征伐の途中に、有明海からこの地に「御船(おんふね)」に乗って到着されたことに由来すると言われている。高速道路も鉄道もなかった時代、水運が人や物資を運ぶ手段であり、御船は緑川水系の御船川を擁した一大集積地として栄えた。以前の御船には旅館や造り酒屋が何軒も立ち並んでいたそうである。そこに県下8番目に創設されたのが「県立御船中学校(現在の御船高校)」である。校章には天皇の御船が三つ(三綱領の三と一致する)組み合わされている。