校長ブログ

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23/08/17(19)朝歩き

 暑い夏です。気のせいでしょうか、この暑さで蝉の泣き声も勢いがなかったように感じました。新聞の折り込みには各市町村の夏祭りの案内、笑顔いっぱいの賑わい(にぎわい)に思いをはせました。

 さて、私は錦町に住んでいます。朝、窓を開けると風が通り抜け爽やか気持ちになります。私は歩くことが大好きで、特に朝歩くのが大好きです。まだ錦町に住んで5か月、目新しいことが多く、毎回どんな発見があるかワクワクします。歩いていると、かりんに咲く花や思わず吹き出してしまいそうな動きをする虫、美しいさえずりの鳥や刻々と変わる雲の動き、風に揺れる山や木々たちに出会います。普段何気なく見過ごしてしまう花や虫たちも、じっくりと観察し、写真を撮ると、ことのほかかわいく見えます。雲の動きや山々の姿を見ると壮大な自然に包まれているようです。そういえば一番びっくりしたのは、次々に湧き出てくる霧でした。何かと出会う喜びを求めて自然の中を歩けば、ほんのちょっぴりしかない私の感性も刺激されるみたいです。朝は特にそういう気がします。

カラスウリ

 ▲カラスウリ

錦町のある朝

 ▲錦町のある朝

クツワムシ

 ▲クツワムシ

マメハンミョウ

 ▲マメハンミョウ

23/08/10(18)「赤毛のアン」を読みました。

 「赤毛のアン」(モンゴメリ 村岡花子訳「赤毛のアン~グリン・ゲイブルのアン」新潮文庫)を読みました。勝手に児童書だと決めつけていましたが、とんでもない思い違いで、大人こそ読んだほうがよい本でした。実は秋満吉彦「名著の予知能力」(幻冬舎新書)で紹介されていて、私の中で「絶対「赤毛のアン」を読みなさい」という声が聞こえてきました。あらすじなどは省略します。不遇の身ながら、豊かな想像力や行動力で周囲を魅了するアン。当初アンを孤児院から引き取り、養育することに当惑していたマシューとマリラの兄妹でしたが 、一緒に暮らしていくうちにアンに愛情を精一杯注いでいきます。アン、マシュー、マリラの家であるグリーン・ゲイブルズがあるプリンス・エドワード島の美しさ。この本を読むと、人間は自然に生かされていることがよく分かります。

 さて、この本の中で心に残った文をあげてみます。

〇「…あたし、けさは絶望のどん底にはいないの。朝はそんなところにいられないわ。朝があるってほんとうにすばらしいことじゃない?」(※きっと朝はくる。前向きに一日を過ごそう!と思うフレーズです。)

〇「…グリーン・ゲイブルズにきてからずっとあたしは失敗ばかりしてきたけれど、一つするたびになにかしら自分のとてもわるい欠点がなおっていったのよ。」(※人間は失敗して成長するもの。アンを見ていると失敗が魅力に変身します。)

〇「彼女「(アンが通う学校の教師ミス・ステイシーのこと)は生徒たちに自分で考え、探究し、発見するように導き、古い、踏みならされた道から外へ進み出ていくように励ましたので…」(※「赤毛のアン」の初版は115年前です!)

〇「九月の夕暮れで、森のすきまというすきま、空地という空地には真紅の夕日の光があふれていた。…風は梢をわたっていたが、夕方、樅の木の間でかなでる風の音楽ほど美しいものはこの世にはない。」(※この本では自然の美しさが見事に描かれています。)

 読み始めたときまだ幼かったアン。読み終えたころには大きく成長し、私に勇気を与えてくれました。

図書館にもありますよ。

23/07/26(17)熊本県高等学校生徒商業研究発表大会〜高校生から学んだこと〜

 第32回熊本県高等学校商業研究発表大会が、7月25日(火)、くまもと森都心プラザで開催されました。これは、地域の商業活動及び産業経済に関する調査研究や、商品に関する実験・調査研究、「課題研究」に関する調査研究などの取組を発表するもので、10校が参加、本校からも9名が出場しました。各校の日頃の実践内容はどれも素晴らしく、高校生の一所懸命が地域に大きく貢献していることを実感しました。
 さて、高校生のプレゼンテーションを聞いて、学ぶことが多々ありました。①分かりやすい言葉で伝えること ②丁寧な言葉遣いであること ③相手に理解してもらおうと努めること ④伝える相手を優しく見つめること ⑤間と抑揚。+本校の生徒から学んだこと。それは「練習の積み重ねが自信を生む」ということ。私も話をする機会が与えられるのですが、どこか独りよがりで、なかなか思いが伝わりません。話す内容をしっかり考えたうえで、今日学んだことを実行しようと思います。「後生(こうせい)畏(おそ)るべし」、教師冥利に尽きます。 
 出場された球磨中央高校のみなさん、熊本県高等学校生徒商業研修発表大会優勝おめでとうございます。

優勝旗返還 発表終了直後 閉会後のミーティング

23/07/20(16) 1学期終業式でお話したこと

 皆さん、しばらく目を閉じてください。今から、4月から今日までどんなことがあったか、順番に思い出してみてください。入学式、体育大会、部活動、各種競技大会や検定試験、友達と遊んだこと、ケンカしたこと…。

 さて、皆さんは「5億年ボタン」という漫画を知っていますか? 5億年ボタンを押すと、何もない空間に飛ばされ、5億年の間、孤独な時間を過ごします。しかし、5億年経つと元の世界に戻り、100万円がもらえるというお話です。元の場所に帰ってきたら、5億年の孤独な時間の記憶はまったく残っていません。だから、ボタンを押したら、100万円がなぜか手元にあるという状態です。さあ、皆さんはボタンを押しますか、押しませんか?
 「5億年も孤独の時間は耐えられない」、「記憶にないということは経験していないことと同じだから、100万円が手に入ってラッキー…」いろいろな考え方がありますから、「押す・押さない」は、その人の考え方だと思います。ただ、両者に共通することは、何かにつながっていないことは恐怖であるということです。ボタンを押すという人だって、孤独な5億年の時間が記憶に残るならば、ボタンは押さないでしょう。

 最初に1学期を振り返ってもらいました。「5億年ボタン」のように「何もない世界」ではなかったでしょう。それがよかったことにしろ、いやなことだったことにしろ、誰かとつながっていることには間違いありません。うれしいことや楽しいことがあれば、他の人にもそうなってほしいと思います。つらく、悲しいことあれば、それを乗り越えて心が強くなり、他の人がつらいときに支えてあげようと思います。何より誰かとのつながりを感じた時に、自分が確かに存在していることを感じるはずです。時々立ち止まって振り返り、誰かとつながっていることを確認し、自分が存在することの素晴らしさを感じることはとても大切です。
 みなさんは、これまでのいろいろなつながりを通して4月より成長しました。過去と対話し、現在の自分と向き合い、未来を創る。終業式という節目の日、改めて自分について振り返り、自分の大切さを感じてください。

 さて、7月10日に、皆さんが作った俳句を全部読ませていただきました。私にはない、すばらしい感性がちりばめられていました。思わずほっこりとしました。その中に、夏休み前にふさわしい、皆さんに対する私の思いを代弁している句がありました。
 「この命 奇跡に近い 宝物」
皆さん一人一人は、私にとって、先生方にとって、保護者の方にとって、友達にとって、かけがえのない存在です。
 「この命 奇跡に近い 宝物」

 2学期、元気なみんなと会えることを楽しみにしています。

3月24日 4月10日 5月25日 6月29日 7月6日

※写真は、1学期の球磨中央高校内の花や緑です

23/07/18(15) ふるさとの球磨川

 私は八代市の出身です。八代市は球磨川の下流にあります。熊本市内の大学に進学し、4年間実家から通い、大学院生になって初めて1人暮らしをしました。熊本県の教職員となり、これまで玉名、本渡、熊本市、東京、熊本市、牛深、八代、荒尾、本渡、錦町、と住んできました。八代に住んでいたころは、同じ風景の毎日で、特別に何かを感じることはありませんでした。しかし、地元を離れて、たまに帰省してゆっくりと散歩をするとふるさとの素晴らしい風景が分かるようになりました。
 球磨川は、八代市では、北を流れる前川と南を流れる球磨川に別れます。どちらの川も八代海の河口なのでゆったりと流れています。上流のほうを見れば人吉・球磨につながる山々が、河口のほうを見れば天草の龍ヶ岳が見えます。岸辺を歩くと、かわいい草花や鳥たちと出会うことができますし、なにより、川が流れる音が何とも心地よいのです。朝日は清々しく、夕陽は美しい。月並みですが、離れて初めてふるさとのよさが分かりました。
 球磨中央高校生にとって、今住んでいる地域の美しさは当たり前の日常の中に埋まっているのかもしれません。でも、ふるさとを離れて戻ってきたら、きっとその美しさを感じるに違いありません。私はいま、八代市を流れる、大好きな前川・球磨川の上流で生活しています。人吉球磨の自然は本当に美しく、そして、なぜだかなつかしい。そう感じるのは、幼い頃から球磨川でつながっていたからなのかもしれません。

前川の夕日

 ▲前川の写真の奥に見える山は天草の龍ヶ岳

八代市の球磨川

23/07/13(14) 前任校の校長先生から教えていただいた詩集

 『世界はもっと美しくなる』。校長ブログ4でご紹介した前任校の校長先生が、2年前の終業式で生徒に紹介された本です。奈良少年刑務所の受刑者たち(17歳~26歳未満)の詩集です。この本のことや受刑者の背景にあるものについては、いつかこのブログで書けたらと思っています。その時、校長先生が詠まれた詩に深く感銘を受け(自分の幼少期のことを思い出しました)、すぐに購入しました。すばらしい詩がたくさんつまっていますが、その中で次の詩が私の胸に響きました。引用します。

    ひとつのこと
  ひとつのことでも なかか思うようにいかないから
  ぼくは ひとつのことを 一生けんめいやっています

 私も不器用で、要領が悪いので、作者の気持ちがすごく分かります。大人たちは「まだできないの」「ほかの人はもうできているよ」とせかします。


 受刑者たちの詩づくりを担当した、この詩集の編者はこう解説しています。

「なんて健気(けなげ)な! 傍(はた)から見たら、全然できていない、足りていないと思えても、本人が必死でがんばっていることもあります。できないことを責めるのではなく、できることを認めてあげるだけで、その子の未来は、大きく変わっていくことでしょう。」

 私たちは結果を求めがちで、その過程の中にある、いくつもの大切な宝ものを見逃しがちです。子どもたちなりの一所懸命さを大切にし、できたことを褒め、その子の心にフィードバックする。そのためにも、日常の中にいる子どもたちにしっかりと寄り添っていたいですね。

 錦町一武の風景。当たり前の日常のなかに素敵なものがいっぱいあります。

 一武の風景① 一武の風景②
*文献:『世界はもっと美しくなる 奈良少年刑務所詩集』(寮 美千子編・ロクリン社)

23/07/06(13) 本校の当たり前の美しさの裏に

 本校の敷地は広い。梅雨の合間、さ緑に彩られる木々や草花が美しく、そして、きれいに整えられています。木々や草花、芝生、放っておけば伸び放題。でも、本校の敷地はいつも美しい。
 それは、2人の学校技師の方が、毎日暑い中、木々などの成長の度合いを見ながら、造形も考えながら整備されているからです。今日7月6日は、それまでの雨続きの日々とは違い、晴れわたりました。外の温度は、ゆうに30℃を越えていたはずです。しかも、太陽の光がこれでもかというくらいに降りそそいでいました。そうした環境のなか、学校技師のおふたりは、あふれる汗をぬぐいながら、一所懸命に整備に取り組まれていました。本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 本校の敷地は広い。口で言うのは簡単ですが、実行し、続けることは本当に難しいことです。本校の当たり前の美しさは、それを一所懸命に支えてくれる方がいらっしゃるからなのです。ほかにも、私たちにとっての当たり前を支えている方がたくさんいらっしゃいます。その方々に感謝しながら、毎日を大切に生きていきたいものです。

  

23/07/04(12) 7月4日に思う

 本日7月4日、球磨中央高校では、半旗を掲げ、豪雨災害でお亡くなりになられました方々に心からの黙とうをささげました。あれから3年が過ぎました。昨日7月3日には、熊本県で2つの線状降水帯が確認され、益城町では木山川沿いの県道が崩落しました。ここ人吉球磨でも雨が強く降り、いつでもどこでも危険が身近にあることを改めて感じたところです。2020年7月の日記を開いてみると「7月4日(土)人吉・八代・水俣大雨、球磨川水位危険、祖母宅前の球磨川NHKで放送」と書いていました。人吉球磨の、そして私が大好きな坂本町の様相に、何が起こったのかしばらく理解できない自分がいました。
 現在、時間が許す限り人吉球磨の地を巡っています。いまだ残る災害の傷跡に胸を痛めると同時に、復旧・復興に全力を尽くされている方々に対する敬意でいっぱいです。自分にできることは何かを考える毎日、確かに自分の力は微々たるものですが、人吉球磨の復旧・復興のために力を尽くしていきます。
 ある日、強い雨が止んだあと、本校正門から大きな虹が見えました。どうか、明るい未来への架け橋でありますように。

虹

鍛冶屋町を紹介する案内

人吉市を歩いてみると

23/06/27(11) 人吉・球磨の歴史と自然を楽しむ②

 先日、できあがったばかりの学校案内パンフレットや本校紹介DVDを中学校にお持ちしました。急にお邪魔したのにもかかわらず、中学校の先生方に丁寧に対応していただきました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。いつかの校長ブログでも書きましたが、人吉・球磨の方の暖かさをあらためて感じた次第です。
 また、中学校と中学校の途中も、澄み切った青空、美しい緑、そして清流に心が洗われ、清々しい気持ちであふれました。今回は休憩で停車した道沿いで出会った人吉・球磨の歴史と自然です。青蓮寺阿弥陀堂(多良木町黒肥地)は国指定重要文化財で、敷地内にある看板には「1295年に創建され、室町時代中頃に再建された」と書かれてあります。川辺川を左に見ながら国道445号線を走ると、ねむの木が美しくその花を咲かせていました。五木村の子守唄公園にあるかやぶき屋根の古民家は紫陽花がとてもお似合いでした。五木の子守唄と天草市天草町の福連木(ふくれぎ)の子守唄との間には共通したところがあると言われています。150kmは離れているでしょうか? 不思議ですね。
 今度は休日にゆっくりと人吉・球磨の地を巡りたいと思います。

青蓮寺阿弥陀堂 川辺川とねむの木 子守唄講演のかやぶき民家

23/06/21(10) 松下失敗帳

 先日、ある職員と話していると、その職員が「生徒にはいろいろなことに挑戦してもらい。そして失敗の経験を大切にしてもらいたい。」と言いました。私もまったく同感です。確かに失敗はしたくはないのですが、失敗しないことはないですし、私もこれまでどれだけ恥ずかしく情けない思いをしたことか。もともとそそっかしくて、せっかちで、あわてものの私は、物事をよく考えなかったり、人の話を最後まで聞かずに行動したりするものですから、仕事の日にちを間違えたり、担当者ではない人にとんちんかんな話をしたりすることがよくあります。
 ある日、上司から「明日の10時からの会議で、資料を20部を用意しておいて。」と言われた私は、急ぎの用事があったため、ろくに確認もせずに部屋を出てしました。あとで「あれ、何の会議だっけ? 場所は? 資料はどの資料?」頭の中が「?」でいっぱいになりました。急いで上司に確認しにいくと、すでに出張に出かけたあとでした。上司のスケジュールすら知らなかったのです。当時は携帯電話がそれほど普及していない時代で、なかなか上司と連絡がとれず、かなり冷や汗をかきました。
 40歳半ばが過ぎたころ、さすがにこれではダメだろうと思い、2014年(平成26年)から「失敗帳」を作ることにしました。その名のとおり、自分が失敗したことを記録するノートです。いざ、失敗帳に書き始めると、これがなかなかつらく、恥ずかしい作業であることが分かりました。読み返すと、よくこれだけ失敗しているものだと、我ながらあきれてしまいます。ただ、それなりに工夫しているのは、失敗の事実だけでなく、原因と対策をしっかり書いているところ(…にもかかわらず、失敗がなかなか減らないのはなぜ?)。失敗としっかり向き合うと、自分の足りていないところがよくわかり、次はうまくいくように努力します。でも、また失敗します。こうした積み重ねが架け橋となって、私たちを成功へと導いてくれるのでしょうね。
 最近の「失敗帳」の記録の日付は2022年10月27日(木)。今日まで8か月、失敗の記録がありません。これは成長したからなのでしょうか、それとも失敗しているのに失敗と気づいていないからなのでしょうか…。


出張先でネジバナがたくさん咲いていました。花言葉は「思慕」

自宅の周りを散歩しているとたくさんの野イチゴを見かけました。

 ネジバナ のいちご