校長ブログ

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24/03/01(49)熊本県立球磨中央高等学校第五回卒業証書授与式 式辞(抄)

 令和2年2月27日、全国の小中高等学校の臨時休業が発表された時、皆さんは中学2年生、不安のなか、中学3年生の春を迎えようとしていました。追い打ちをかけるように、7月には熊本豪雨、甚大な被害を人吉・球磨の地にもたらしました。新型コロナウイルス感染症が五類感染症となったとは言え、いまだ感染のリスクはすぐ側にあります。また、多くの方々の努力によって災害からの復旧が進んでいますが、復興への道のりはまだまだ遠い状況にあります。今年1月1日に能登半島地震が起こりました。お亡くなりになられた方々へ謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様に心からのお見舞いを申し上げます。被害状況や被災者の方々の様子を見ていると、とても他人事には思えず、共に支え合っていこうという気持ちでいっぱいになります。

 先行きがまったく見えない状況のなか、皆さんはどのような日々を送ってきたのでしょうか。令和3年4月8日の入学式、希望と不安はどちらが大きかったのでしょうか? 令和4年、2年生となった皆さんは、中堅学年として学校内外でどのような活躍を見せていたのでしょうか。 令和5年4月10日、初めて皆さんに出会ったとき、そうした思いが次々とこみ上げてきました。そして皆さんの一日一日の生活を間近で見ていくうちに、1年生の時、2年生の時、様々な不安や悩み、苦労もあったでしょうが、それらを乗り越え、立派に育ってきたことを確信しました。体育大会、一所懸命に競技に取り組み、友達を大きな声で応援する姿、弾けんばかりのダンスで見せたかわいらしさと格好良さ、最後の写真撮影での達成感いっぱいの笑顔、こんなに楽しく、幸せな体育大会は初めてでした。
 10月、コロナ禍前と同じように開催した球磨中央百貨店。開店当日まで数々の苦労や失敗があったことでしょう。しかし、皆さんのおもてなしの心が前日の悪天候を追い払い、素晴らしい秋晴れの2日間をもたらし、実に3,500人ものお客様が来られました。この経験は何にも代えがたい、君たちの財産です。
 ほかにもたくさんの学校行事、部活動、検定試験に取り組んできました。一人一人が真剣に向き合い、一人一人が主人公となりました。この3年間で成長した皆さんは、予測困難な社会において、未来を切り拓く、私たちの希望の光なのです。

 さて、本校の校歌が作られて今年で50年になります。作詞した渋谷 敦(しぶや あつし)先生は、この校歌の歌詞について「校内に限らず、郷里の、日本の、世界の誰にでも愛され、いわば世界の友達とともに歌われるという遠大な願いを込めている。さらに「悠遠の光」と「雄渾の伝統」は日本や郷里の遠い長い縦の系譜(つながりのこと)であり、「今ぞ咲く」「今ぞ呼ぶ」の発想には、日本や世界と連帯する横の系列(結びつきのこと)」を織り込んだとおっしゃっています。先人たちが築いた伝統を受け継ぎながら、地域・日本・世界とつながる。まさに、本校が目指す地域のグローカル人財の育成がすでにこの校歌に刻まれていたのです。 私は自信をもって言います。本校の校歌に刻まれた理念こそが、皆さんの未来を照らす光なのです。
 さらに、倫理的に正しく、思いやりの心を持ち、責任ある行動をとる「誠実」、学び続け、伝統を大切にしながらも常に新しいことに挑戦する「進取」、他者を敬い、自分を大切にし、世界の平和を願う「友愛」、この本校校訓は、皆さんが目指す道を示す羅針盤なのです。球磨中央高校での3年間の学びを誇りにして、あらたな場所で活躍してください。

 そして、私から皆さんにお願いがあります。それは「命」を大切にしてくださいということです。皆さんはたくさんの人から愛されています。見返りなど関係なく、皆さんを愛し、支え続ける家族、苦楽を共にしてきた友人、身近で成長を見届けてきた本校職員、そのほかたくさんの人から愛されています。ここで、ある詩を紹介します。

 いろんなひとがいるけれども 今日一日やさしい心でいよう
 いろんなことがあるけれども 今日一日あかるい心でいよう
 この道は遠いけれども 今日一日すすもう
 何があっても大丈夫  今日一日笑顔でいよう

これは、重い病気と闘いながら必死に生きていらっしゃるある患者さんの詩です。自分のために、自分を愛してくれる人たちのために「命」を大切にしてください。一日一日を大切にしてください。これが私の最後のお願いです。
 私の大切な、大切な108名のみんな、輝く未来に向けて「いってらっしゃい!

       令和6年3月1日 熊本県立球磨中央高等学校 校長 松下 宏則

書道部からのメッセージ

 ▲書道部からのメッセージ

卒業式前日

 ▲卒業式前日

24/02/26(48)歴史を楽しむ②

 私の愛読書の1つに「熊本の石橋313」(熊本日日新聞社)があります。熊本県には多くの石橋があり、同書によると「全国にある石橋の半数が熊本に現存」しているそうです。この本は1998年(平成10年)が初版で、紹介されている313のうち、その後の災害で失われた石橋も少なくありません。川の大小にかかわらず橋を架けることは、往来や運送などの利便性を格段に向上させ、人々の生活を豊かなものとしました。石橋の建設に関わった石工(いしく)たちは、当時の最先端の技術を駆使しながら命がけで臨みました。石工たちの苦労、住民の希望が石橋の造形美の中にあらわれているようで魅了されてしまいます。この本では、人吉・球磨の石橋として17基が紹介されています。校長ブログでは相良村の橋谷橋と湯前町の下町橋を紹介しました。石橋に関心を持つと、ほかの石造物(せきぞうぶつ)にも感心を持つようになりました。五輪塔(ごりんとう)や宝篋印塔(ほうきょういんとう)、板碑(いたび)、六地蔵塔(ろくじぞうとう)が好きで、「石仏と石塔」(石井進・水藤真監修 山川出版社)を手に、県内を巡っていました。意識して歩くと、石造物にはよく出会います。例えば錦町ですと、土屋観音堂。本や地図、カメラ、野帳をバックに詰めて、道に迷いながら、目的の文化財を探し回っていた30歳代。見つけたときの達成感とともに、授業で生徒に紹介する楽しさも忘れられません。

ご紹介した本

 ▲ご紹介した本

下町橋(湯前町)現在修復工事中

 ▲下町橋(湯前町)現在修復工事中

土屋観音堂と石造物(錦町)

 ▲土屋観音堂と石造物(錦町)

24/02/16(47)春めく

 しばらく寒い日が続きましたが、近ごろめっきり暖かくなりました。事務室横の花壇では、事務の先生と生徒さんが植えたチューリップとムスカリの芽が元気よく出ています。花壇のすぐ側には優雅なしだれ梅、ミツバチが蜜を吸いにやってきます。散歩も気持ちよく、気のせいか、少しずつ彩りが増えてきたような気がします。付近の道を歩いていると、ナズナやオオイヌノフグリ、ホトケノザが一緒になって咲いています。まるで花束を見ているようです。たくさん咲いている菜の花も素敵ですが、私は、ひっそりと咲いている菜の花が好きです。それにしても人吉・球磨の草花は、澄んだ青空と溶け込み、何とも言えない心地よい空間を創っています。「雑草という草はない」とは牧野富太郎の名言ですが、ひとつひとつよく見ると、それぞれに個性があってたくましく生きています。自宅に近づいたころ、どこからかワタゲがゆらゆらと飛んできて、無事に土へ着地。「きれいな花を咲かせてね」と心に願いながら、散歩を終えました。

本校のしだれ梅

 ▲本校のしだれ梅

しだれ梅2

 ▲しだれ梅2

事務室横の花壇・チューリップの芽

 ▲事務室横の花壇・チューリップの芽

ワタゲ

 ▲ワタゲ

一武の野花

 ▲一武の野花

一武の野花2

 ▲一武の野花2

一武の野花3

 ▲一武の野花3

24/02/13(46)歴史を楽しむ

 前回のブログで書きましたが、私は江戸時代の熊本を研究していました。研究は生みの苦しみもありますが、地道に史料を集め、積重ね、自分の仮説を証明する楽しさはそれに勝るものでした。修士論文を書いていたころ、自分の仮説を裏付けために、来る日も来る日も古文書(こもんんじょ)の波の中を泳いでいたある日、6文字の、たった6文字の語句を見つけた時、大きな叫び声をあげたことを思えています(周りに人がいなくてよかった!)。その6文字こそが、自分のすべての論証を紐(ひも)づけるものだったからです。平成18年に「新宇土市史通史編第二巻 中世編・近世編」「新宇土市史資料編第三巻古代・中世・近代」の担当部分を書き終えたあと、単純に歴史を楽しむようになりました。熊本県の高校教師たちが執筆した「熊本県の歴史散歩」(熊本県高等学校地歴・公民科研究会日本史部会編 山川出版社)は、各市町村の文化財やおすすめの文化財散策コースが紹介されています。コンパクトで写真も豊富、地図も載っていますので、まさに歴史散歩にうってつけです。「県史43 熊本県の歴史」(松本寿三郎ほか 山川出版社)や、「街道の日本史51 火の国と不知火海」(松本寿三郎ほか 吉川弘文館)熊本県の歴史が分かりやすく書かれていますので、大きな流れを理解するには便利です。「火の国と不知火海」では、その地域のキーとなる歴史や文化などが取り上げられているので、全部読まなくても、その項目だけ読むのも楽しいです。(例えば、人吉・球磨ですと「人吉町の商人」、「市房信仰」「百太郎溝と幸野溝」など。) 本校図書館には、熊本県や人吉・球磨の歴史に関する本がたくさんあります。図書館で身近な歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

 

 ▲ご紹介した本

国指定重要文化財 桑原家住宅(錦町)

 ▲ご近所の国指定重要文化財 桑原家住宅(錦町)

24/02/05(45)辞書

 先月19日、英語科の研究授業を参観したところ、授業で辞書をひいていました。今どきは電子辞書が主流で、辞書を一所懸命ひいている生徒の姿を見てうれしくなりました。

 私にとって辞書は、なくてはならない存在です。記憶力がなくて漢字や言葉の使い方をすぐに忘れてしまうことと、もとからの調べ好きであることがその理由です。
 国語辞書は「現代国語例解辞典」(小学館)、高校生の時から使っていた辞書がボロボロになり、確か30歳頃に買ったものだと思います。分からない・知らない言葉の意味を調べることはもちろん楽しいのですが、たまにくすっと笑える用法に出会えるのも魅力です。「広辞苑 第六版」(岩波書店)も持っていますが、何となく堅い気がして、使う回数は格段に少ないです。
 漢和辞典は「漢語林」(大修館書店)、これは高校時代から使っています。もちろん漢字の読み方や意味、用例を調べるのですが、なぜか画数好きで、漢字の画数が一発で正解するとそれだけでうれしくなります。我ながら変な癖です。
 私は熊本の江戸時代を研究していましたので(過去形です!)、古文書(こもんじょ)の解読は必須、「くずし字用例辞典 普及版」(東京堂出版)は漢和辞典とともに、常に私のそばにありました。現在は二代目ですが、先代は使いすぎて壊れてしまい、本当に使い切ったという思いでした。たった一文字が解読できず、1か月くらい辞典とにらめっこしたこともありました。
 「漢字筆順ハンドブック」(三省堂)はさすがに使う機会は減りました。小学生のときに厳しく筆順を指導されましたので、分からないことはあまりないのですが、たまに悩む漢字があるので(例えば「繍」とか「凹凸とか」)、やっぱり必要です。正しい筆順は美しく文字を書く順と思います。
 最近とくに必要なのが「用例でわかるカタカナ新語辞典」(学研)です。一見して分からないカタカナ言葉や略称が多くなってきたので、とても重宝しています。次々と新しい言葉が出てくるので、辞書に書き足すようにしています。

 電子辞書や検索アプリは本当に便利だと思いますし、私も使っています。ただ、紙の辞書は「繰る」「見る」「考える」など、いろいろな感覚や思考を伴うので、何となくですが記憶に残りやすい気がします。また、説明文が分かりやすく、簡潔に書かれているので、理解しやすいと思います。分からなかったことが分かる喜びと予期しない発見、私が辞書を手放せない理由です。

漢和辞典

くずし字用例辞典

国語辞典

※「悩んだ文字のひとつ」の写真は「くずし字用例辞典」掲載の文字を使って復元しています。
 実際の文字はかなり雑に書かれていてとても悩みました。漢字2文字で、人の下の名前です。二文字目は簡単ですが、一文字目がなかなか解読できませんでした。

悩んだ文字のひとつ

24/01/29(44)人吉・球磨の歴史と自然を楽しむ⑤ 湯前町~多良木町~相良村~五木村

 6月からスタートした球磨中央ニュース、先日1月号をお届けしに中学校をうかがいました。初めての人吉・球磨の生活、ただでさえ地理感覚がない私ですが、管内の中学校へはカーナビなしで行けるようになりました。前期(特色)選抜も間近、受験生の皆さんの健闘を心から願っています。

 湯前中学校を初めて訪ねた時、正門前を流れる幸野溝(こうのみぞ)の豊かな水量と清らかさに驚きました。幸野溝は、元禄10年(1697年)に、人吉藩士高橋政重(まさしげ)が中心となって工事が行われ、宝永2年(1705年)に湯前村~上村まで溝が通ったそうです(松本寿三郎ほか編「火の国と不知火海」吉川弘文館)。 

 また、百太郎溝(ひゃくたろうみぞ)は役人の有瀬城四郎兵衛(ありせしろべえ)が中心となって工事が行われ、延宝8年(1680年)には多良木~築地(ついじ)まで溝が通りました。その後も工事は続けられ、寛保3年(1743年)までには上村~一武村~西村に溝が通ったそうです(「火の国と不知火海」)。こうした先人の努力によって、上球磨・中球磨で広大な田畑が開発されていきました。

 相良村役場の敷地内にアーチ形の石橋「橋谷橋」があります。説明板によると相良村深水の石工(いしく)石本豊吉が橋谷川に架けたもので、昭和56年(1981年)に現在の場所に移設されたとのことです。

 道の駅「子守唄の里五木」と古民家との間の坂道を上ると五木阿蘇神社があります。平成16年に、東俣阿蘇神社と西俣阿蘇神社、清楽白木神が合祀され現在の場所に遷座しました。東俣・西俣の阿蘇神社は平安時代初期に創建されたそうです。

 球磨中央高校に赴任して1年が経とうとしていますが、まだまだ知らないことばかり。学びの種は近くにたくさんあるものです。

橋谷橋

 ▲橋谷橋

幸野溝

 ▲幸野溝

百太郎溝取入口旧樋門

 ▲百太郎溝取入口旧樋門

24/01/23(43)大発見

 ある日の朝、玄関先を掃除していると、2~3歳くらいのお子さんでしょうか、「ママ、見て見て。大発見だよ。きっとモンシロチョウの卵だよ」と何かを手に持ってお母さんのもとに走る姿が見えました。お母さんは「すごいね」と笑顔で答え、お子さんの顔は誇らしげでした。それが本当にモンシロチョウの卵かどうかは分かりませんが、そのお子さんにとってそれはモンシロチョウの卵であり、「大発見」であることは間違いないでしょう。それから、お母さんの「すごいね」が、次の「大発見」につながることも間違いないでしょう。

 先日、連れ合いと熊本城の堀端を歩いている時にカワセミを見かけました。私が初めてカワセミを見たのは昨年1月、天草市本渡を流れる町山口川。その美しく飛翔する青色の姿に魅了されました。ものすごく興奮して他の職員にカワセミの話をしたのですが、どうも関心がなさそうで、社交辞令的な「すごいですね」が返ってきただけでした。ほかの人にとっては当たり前のことだったり、興味がないことだったりしても、私にとっては「大発見」。その日以来観察を続けてみると、ほぼ同じ時間に同じ場所にやってくることが分かりました。魚を捕食する瞬間や、どうも縄張りらしきものがあることなど、自分にとっての「大発見」がたくさんありました。「大発見」のあと、野鳥の観察がさらに好きになり、色々な野鳥に出会うことができました。連れ合いにとっても、カワセミは「大発見」、もうひとつ付け加えると、錦町での雉(きじ)との出会いも驚きの「大発見」だったようです。

 野花を見るのも大好きです。1月6日、錦町を散歩していると、スミレが1輪咲いていました。この時期のスミレを見るのは、私にとっては「大発見」。「暖かい日が続いたから咲く時期を間違えたかな?」「地球温暖化の影響かな?」などと考えてみました。

 自分の好きなことや関心があることがたくさんあると、素敵な事と出会う確率が格段に高くなるような気がします。自分にとっての「大発見」が積み重なるうちに、「大発見」について調べていくうちに、本当に新しい大発見があるかもしれません。冒頭のお子さん、ひょっとしたら、私たちがいまだ知らない新しい大発見をするかも。そう思うと何となく楽しい気持ちになりました。

1月に見かけたスミレ

 ▲1月に見つけたスミレ

町の美しさ発見

 ▲町の美しさ発見

24/01/16(42)「ランチパック」・「ミルクぷりん」商品化に係る教育長表敬の時のご挨拶(1月15日 県庁)

 ランチパック「熊本県産球磨栗入りホイップクリーム&つぶあん」と球磨酪農様の牛乳を100%使用した「ミルクプリン」、昨年10月に開催しました球磨中央百貨店で試食品が提供され、大変好評でした。12月に開催されたKHS学びの祭典で700個完売、一昨日土曜日には人吉市のショッピングセンターで本校生徒が販売に立ちました。試食品をいただいた段階で「おいしい!」と思いましたし、熊本商業高校さんのランチパック「熊本県産デコポン果汁入り&ミルクホイップクリーム」も爽やかな味で、実に素敵です。高校生の感性の鋭さに感激するとともに、ご苦労いただきました山崎製パン様をはじめ、関係者の皆様への感謝の気持ちでいっぱいです。

 また、3学期始業式では山冨教諭が「球磨中央高校生全員が販売員です」と呼びかけました。

 美味しい味とともに、もう一度「豪雨水害からの復興」という原点に立ち戻って、球磨中央高校生全員で、より多くの方々に笑顔を届けたいと思っています。応援のほどよろしくお願いいたします。

 このあと、本校生徒を代表して松坂碧天さんが、商品開発にあたって工夫した点や苦労した点、豪雨水害からの復興への思いを述べました。正午から県庁でランチパックとミルクぷりんの販売を行い、爽やかな笑顔でお客様をお迎えしていました。

ミルクぷりん

 ▲ ミルクぷりん

左が球磨中央、右が熊本商のランチパック

 ▲ 左が球磨中央、右が熊本商のランチパック

24/01/10(41)3学期始業式でお話ししたこと

 みなさん、あけましておめでとうございます。元日は穏やかな時間を過ごしていましが、夕暮れ時を迎えた時、能登半島地震のニュースが入ってきました。被災された方々の気持ちを考えると、とても正月を祝う気にはなりませんでした。一刻も早い復興を心からお祈りいたします。
さて、3学期の目標を「楽しく、明るい3学期 令和6年度はもうはじまっている」としました。3学期は1年間を振り返り、成長した点や改善が必要な点を整理したうえで、次のステージの目標を決め、行動に移す学期です。ぜひ、3学期を大切にしてください。

 ここである文章を読んでみます。

 グローバル社会はグローバルエリートを生み、世界全体の富をわずか1%の富裕層が占め、今後は中流階層がなくなり、上流階層と下流階層に分かれるという見方もあります。
 また、今の世界情勢をちょっと思い浮かべてください。アメリカと中国の対立、ロシア・ウクライナ情勢、中東問題、中国・朝鮮半島・台湾を中心とした東アジア問題など、緊張状態にある地域や国々をすぐにあげることができます。
 さらに、そうした政情不安や経済格差によってヨーロッパやアメリカへの移民が増加し、その結果、超保守化する国々が増え、自国第一主義の考え方が台頭しています。
 加えて、地球の気候変動は水や食料、資源の争奪をもたらし、新たな紛争を生み出していますが、各国の思惑でその対策はほとんど進んでいません。もはや現代は、グローバル世界ではなく、反グローバルあるいは自国第一主義の世界ではないかとも言われています。
 私たちが生きている世界では、こうした様々な要素が作用・反作用しながら未来を形作っていくのです。

 2年前、前任校も2学期の終業式でお話しした内容です。この中で、解決した課題はありますか? 私たちは、こうした課題を「自分の力ではどうにもならない」とか、「自分には関係ない」とか思いがちです。しかし、今や、世界、日本、地域で起きている事象は全てが自分につながっていることを意識する必要があります。グローバル化と感染症の拡大、超高齢社会と少子化、気候変動とエネルギーの大転換、情報の集中と格差問題、円高や物価高と経済格差、これらは、すべて自分に深く関係する問題であり、現実の生活の中で痛みを感じたこともあるはずです。
 昨年の11月17日の新聞にある投書が掲載されていました。そこには、「ある会合で初対面の方から「どちらからお越しですか」と尋ねられ、「熊本です」と答えると、「あら、お気の毒に」と返ってきて、さらに「大きな地震はあったし、水害もあったし、熊本城だってまだ壊れたままなのでしょう」と続けられ、その「他人事」感に反発を覚えた」と書いてありました。自分が感じないものは何も起きていないことと同じ。それが「他人事」です。先ほどの地球規模の課題に対しての「他人事」感と根は同じような気がします。
 私たちはどこに住んでいても世界とつながっています。そして自分や地域の課題と世界の課題はつながっています。その課題を解決できるのは「自分は誰かと、何かとつながっている」という意識を研ぎ澄まし、課題を自分のこととして考え、小さくてもいいから、何か一歩踏み出し、行動することではないでしょうか。皆さんにとっての「何か」は以外に近くにあるかもしれません。
 2024年が皆さんにとって素敵な年となることを祈り、3学期始業式のお話とします。

3学期始業式 晴れました

 ▲ 3学期始業式 晴れました

事務室横 ムスカリの球根から芽が!
 ▲ 事務室横 ムスカリの球根から芽が!

23/01/05(40)新年のご挨拶

 明けましておめでとうございます。本年も球磨中央高校をよろしくお願いいたします。

 さて、令和6年(2024年)のお正月いかがお過ごしだったでしょうか。私は、球磨川河口の八代前川で連れ合いとともに初日の出を見て(午前7時45分でした)、いつもは通り過ぎるだけの隣町に初もうでに出かけ、元旦から開店していた老舗の喫茶店でお茶を楽しみました。
 今年の元旦は暖かく、穏やかな1年を予感させる時間が過ぎていきました。しかし、夕刻を迎えるころ、能登半島地震のニュース。被災された方々の事を思うと正月を祝う気になれなくなりました。一刻も早い復興を祈るばかりです。羽田空港での大事故、北九州市の火災、電車内での無差別傷害事件など、人々の不安を掻き立てることが立て続けに起こりました。そのような中、球磨中央高校生が、自分の夢を叶えることができる、楽しく、明るい学校づくりに取り組んでいきたいとあらためて決心したしだいです。

 毎年元日は、新しい日記帳に1年の戒めや目標などを書くことから始まります。今年は「か・き・く・け・こ」、すなわち「感謝」・「機動」・「工夫」・「決断」・「行動」としました。私が出来ることは小さなことです。しかしながら、元日の決意のもと、球磨中央高校に関わるすべての方々の幸せのために努めていきます。今後とも球磨中央高校に対するご支援・ご協力をお願いいたします。

今年の目標 初日の出