校長ブログ

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23/12/22(39)2学期終業式でお話したこと

 厳しい寒さが続いています。インフルエンザなどの感染症の拡大が心配されますが、まずは健康第一、体調管理をしっかりと行ってください。

 終業式にあたり、これまでの自分を振り返ってみました。私は、世界や日本はもちろんのこと、人吉・球磨や自分の出身地、これまでの職場、そうしたものを大きく変えるようなことは何もやっていません。ただ、教師として、無限の可能性を持った子どもたちが成長する、そのお手伝いをすることはできたと思っています。そして、その子どもたちが、今、様々な場所で活躍しています。5月に緑の治水事業について講演していただいた森本さんもその一人です。

 私が教師を目指したきっかけは、小学校6年生の時の担任の言葉でした。国語の授業で、珍しく先生から褒められました。宿題の詩がよく出来ていて、クラスメートの前で褒められました。「よくできているね。すごいね。」うれしかったです。そして、そのすぐあとに、私が教師を目指すきっかけとなった言葉が出ます。「ところで、この詩は何の本から写してきたの?」つまり、先生は私が盗作したと思ったのです。

 この言葉は本当に胸に突き刺さり、40年以上経った今でも、その場面をはっきりと思い出すことができます。この時、子どもを嘘つき呼ばわりしない、子どもを信じる教師になろうと強く思いました。

 言葉は人を深く傷つけます。場合によっては命を奪います。逆に言葉は人に勇気を与えます。言葉を使わない言葉の暴力もあります。それは無視です。無視は人を絶望に突き落とします。汚い言葉を聞くと、その人の品のなさと教養のなさを感じます。言葉の大切さを知る人の言葉には、知性と優しさがあります。

 人は、言葉で思いやりを伝えることも、憎しみをあおることもできます。語りかけ次第で安心感を与えることも、恐怖心を植え付けることもできます。みなさんは、自分自身に、そして周囲の人にどのような言葉をかけていますか。

 逆説的ですが、私たち現生人類ホモ・サピエンスは、ほかの種よりずっとずっと弱かったからこそ現代まで生き残ることができました。弱いからこそ助け合って生き残りました。そして、生き残った最大の要因が言葉の獲得です。言葉によってコミュニケーションをとることが可能となり、助け合ってきました。言葉によって抽象的・創造的思考が可能となり未来を切り開いてきました。今、世界は、戦争、環境破壊、食糧・エネルギー危機など未来に対する課題が山積みです。そのような中で、皆さんには、言葉が持つ大きな力を理解したうえで、言葉によって自分の意思を語り、言葉で他者を優しく包み、そして、倫理的に正しい行動ができる人間になってほしいと願っています。

 私は教師という仕事によって、子どもたちと語り合うことを通して、これからの未来に関わっていきます。みなさんは、これからどういう立場で未来に関わりますか。年末・年始、少し時間を作って1年間を振り返り、自分、日本、地球の未来について考えてみてはどうでしょうか。

 新しい年がみなさんにとって素晴らしい年となることを願い、皆さんと笑顔で3学期を迎えることを願い、終業式の講話を終わります。

 写真は校内に咲いた赤と白のサザンカ。何となく縁起がいいですね。

 

23/12/20(38)Over Load

 12月10日(日)~13日(水)は2年生の修学旅行でした。東京は日本の中心地、素晴らしい経験になったかと思います。

 平成21年(2009年)4月1日、東京での仕事が始まりました。知らない街での、初めての仕事。その時42歳、前の晩は「朝が来ないでくれ」と願いながら布団に入り(緊張のあまりほとんど寝ていません)、吐き気を我慢しながら出勤しました。誰もいないオフィス。それでも時間がたつにつれ、一人、また一人と出勤し、始業時間には人であふれていました。紹介があるものと思いきや、普通に仕事が始まりました。私が配属された課は、30人くらいの規模だったかと記憶していますが、私のグループは3人でした。特に指示があるわけでもなく、何もすることがないまま、時間がゆっくり、ゆっくりと過ぎていきました。午後7時までの歓迎会まで、ただ椅子に座っているだけでした。こんなに何もしない4月1日は初めてでした。ちなみに、歓迎会は会議室で、料理は宅配ピザでした。4月1日は月曜日、長い一週間、いや一年の始まりとなりました。翌日からは一転して仕事の連続。32歳の上司からは「こんなこともできないんですか」「馬鹿ですか」…怒声が続く毎日。電話対応がへたくそで「松下さんは途中から説明の内容が変わっていく」と言われて受話器をとられ、メールの文章の意味が分からないと何回も書き直され、へたれていきました。5月からは、午後7時~午後11時過ぎまで法律の勉強会が始まり、それが7月いっぱい続きました。東京に行く前は「盆休みまでは帰らない」と決めていましたが、熊本への思いが日に日に強くなっていきました。そんな6月のある日、私をかわいがってくれた祖母が亡くなったとの連絡があり、熊本に帰ることになりました。久しぶりに家族や友人と会い、心が休まりました。東京に帰ったあとは、私と同じように各道府県から来ていた40名ほどの職員と励まし合いながら、仕事を続けることができました。

 修学旅行の季節が近づくと、東京の話が出てきます。その時に思い出すのが、4月1日の自分のことと、久しぶりに熊本に帰る飛行機の中で偶然聞いた曲。その曲は中島美嘉さんの「Over Load」。タイトルの意味も歌詞もその時の自分にぴったりで、私を支えてくれた曲となりました。

 

23/12/11(37)生徒に感動、保護者の方に感謝、スーパーティーチャーからの学び

 12月8日(金)校内長距離走大会、午前8時50分、気温氷点下1℃、霧が深い中、開会式が行われました。体育委員長の力強い選手宣誓のあと、午前9時30分女子が(6.5km)、午前10時30分男子が(8.5km)スタートしました。長距離走が苦手な人もいるでしょう。でも、全員が手を抜かず、自分ができる精一杯を尽くしていました。そして走っている人をしっかりと応援する姿。こうした球磨中央高校の生徒たちの姿に感動しました。授業での練習と本番での周囲からの応援がゴールに導いてくれたのかもしれません。閉会式での講評で、教頭先生から、人生の中でつらいとき、みんなへの応援があること、走ることはできなかったけれども、大会運営に関わり大会の成功に貢献してくれた生徒への感謝についてお話がありました。
 朝早くから保護者の方が炊き出しに取り組んでいらっしゃいました。生徒のために、一所懸命、愛情たっぷりの肉うどんとぜんざいを作っていただきました。ゴールしたあと、生徒たちは「おいしい、おいしい」と言いながら笑顔で食べていました。保護者の方に感謝の気持ちでいっぱいです。

 閉会式が終わり、午後2時30分から職員研修。宇土高校・宇土中学校のスーパーティーチャー奥田和秀先生をお招きし、「探究型授業と観点別評価の効果的な運用をめざして」と題してご講演いただきました。「問いをつくる授業」「観点別評価のデザインの方法」など、私達が知りたいことについて示唆に富むお話をしていただきました。今後もご指導・ご助言をいただく予定です。12月8日はとても充実した1日でした。

GOAL
  ▲GOAL
保護者の方に感謝
  ▲保護者の方に感謝!
職員研修テキスト
  ▲職員研修テキスト

23/12/04(36)朝が好き

 私は朝型です。午前4時30分には目が覚めます。休日もほぼ同じ時間に目が覚めます。その分、夜遅くまで起きていることができません。徹夜なんてとんでもないことです。自宅から3km離れた所に小学校があり、子どもにとって歩いて通学するには時間がかかるため、そのころから早起きになったのかもしれません。
 朝、新聞を取りにいくと星が空一面に輝いています。現在は冬ですが、朝の体感的な気温は春夏秋冬あまり変わらない気がします。窓から見える日の出は美しく、空の表情は毎日変わります。新鮮な空気を吸うと、体中にエネルギーが満ちていく気がします。
 起きたらちょっとしたストレッチ。朝5時のニュースを見たらテレビのスイッチを消して、新聞チェック。朝食をしっかり食べたあと着替えをして出勤。ルーティンが決まっていると時間が効率的に使えます。校門に立ってあいさつ運動をしていたときは、生徒の笑顔と「おはようございます」に元気をもらっていました。「新しい朝がきた 希望の朝だ 喜びに胸を開け 青空あおげ」(「ラジオ体操の歌」 藤浦 洸作詞 藤本一郎作曲)どんなに悩みがあっても、つらいことがあっても、前向きな気持ちで朝を迎えると、色々なことに立ち向かえる気がします。
人吉・球磨に住むようになってから、さらに朝が好きになりました。

5月の朝
    ▲5月の朝
8月の朝
    ▲8月の朝
11月の朝
    ▲11月の朝
12月の朝
    ▲12月の朝

23/11/27(35)方言についての記事を読んで

 11月21日(火)付けの熊本日日新聞に方言についての記事が掲載されていました。九州はほかの地域と比べて方言に対する好感度が高く、なかでも熊本県はその傾向が強いそうです。後世に残したい熊本弁として「あとぜき」「ばってん」「むぞらしか」「むしゃんよか」などがあげてあり、確かに自分の身近にある言葉だと思いました。
私が育った所は、熊本県の中でも言葉が荒いほうだと思います。一人称「私」は「おら(うち)」、二人称「あなた」は「わら」、二人称複数形「あなたたち」は「わっどん」、三人称「彼・彼女」は「あら」、三人称複数形「彼ら・彼女ら」は「あったち」。知らない地域の人たちが聞くと、私たちの日常会話はけんかしているように聞こえたとのこと。
 1年間東京で勤務していたとき、周囲の職員からは「松下さんは方言がありませんね」とよく言われていました。特に意識していたわけではありませんが、知らないうちに職場に適応していたのかもしれません。しかし、熊本に帰ってからすぐに方言丸出しになりました。
 人吉・球磨に住むようになり、人吉・球磨の方々の言葉の穏やかさに心和む毎日です。どの言葉が人吉・球磨特有の方言なのかはまだ分かりませんが、柔らかいイントネーションこそが人吉・球磨の方言の特徴なのかもしれません。記事にもありましたが、九州の方言には古い京ことばが残されています。言葉は時代とともに変わっていくものですが、私はこれからも心が温まるような方言を使っていきたいと思います。話は変わりますが、国語の研究授業で、生徒たちが今時の言葉の意味を調べ、その文例も考えて発表し、とても勉強になりました。詳しくは11月16日に本校ホームページに掲載された記事をご覧ください。

  

※写真はある秋の日の錦町一武。この穏やかな光景も人吉・球磨の素敵なイントネーションにつながっているのかもしれません。

23/11/17(34)広告チラシの裏

 裏に何も印刷されていない広告チラシはとっておきます。本を読んだり、TVを見たりしているときに、いい文章やためになる情報と出会った時にメモするためです。突然浮かんだアイディア、あいさつ原稿や報告書の下書きなど、ほとんどチラシの裏に書きます。もちろんこのブログの下書きも。ノートだと開かないといけないし、丁寧に書こうと思って構えてしまいます。それに買わないといけません。その点チラシは、すぐに、自由に書けるし、タダ。チラシはカラーのものが多いので見つけやすいし、シャーペン(または鉛筆)との相性もよく、いいことだらけです。でも、チラシの裏に書く一番の理由は、子どものころからの習慣だからだと思います。私は記憶する力がとても弱く、九九を完全に覚えたのはクラスでビリ。漢字も人の何倍も書かないと覚えることができませんでした。小学生のころの国語のノートにはマス目があったので、書ける文字の数は限られました。そのため、自然と、字がたくさん書けるチラシの裏に書くようになりました。中学生のときも、高校生のときも、大学生のときもそうでした。文字がいっぱい書かれたチラシがたまっていくと、何となく達成感がありました。結局、今も続いています。考えが煮つまったときは、チラシの表のほうを見て、「今日は何が安いかな~」「あっこれ買わなきゃ」と、いい気分転換になります。広告チラシの裏は、子供のころから、私にとっての自由帳というところでしょうか。

  

※左の写真は新聞記事のメモ、真ん中の写真はこのブログの下書きです。面倒くさがりの私は、右の写真のように、メモを書いたチラシを切り取って、そのままノートに貼り付けることもあります。

23/11/13(33)11月9日(木)

 人吉市スポーツパレスで開催された犬童球渓顕彰音楽祭に行き、本校と南稜高校吹奏楽部の合同演奏を聴いてきました。大勢の中学生と一般のお客様の前で、緊張しつつも楽しそうに発表していました。その後の各中学校の合唱も素晴らしく、大きな学校も小さな学校も関係なく、素晴らしい発表でした。ある中学校の生徒が自校紹介の中で「私たちは本当に音楽を楽しんで歌っています」と話していましたが、一人一人の表情にそれがにじみ出ていました。本当に素晴らしい時間となりました。
 その後、仕事のことで教えていただきたいことがあったので芦北支援学校に行きました。お忙しいなかに、わざわざ時間を割いていただき、丁寧に対応していただきました。話が終わったあと職員トイレをお借りしました。中に入ってびっくりしました。「こんなきれいな職員トイレははじめて!」 トイレ自体は本校と同じくらいに古いのですが、隅から隅まで掃除が行き届いていて、清潔感にあふれていました。トイレを出た後、思わずご対応いただいた職員の方に「ここのトイレ、本当にきれいですね」と言うと、「そうおっしゃっていただくとうれしいです。実はこの方が一所懸命に掃除していただいているのです」と、掃除を担当した方を紹介してくれました。心から感謝の言葉を申し上げました。帰り際、校長先生とご対応いただいた方からなんとお土産をいただきました。地元芦北の産物と芦北支援学校の子供がつくったコースターでした。(私は手ぶら…。) 心遣いの差に恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。(※反省は松下失敗帳に記載済み!)。駐車場から出るときには安全確認までしていただきました。中学生や高校生から心地よい音楽をいただき、芦北支援学校から日常の当たり前や心遣いの大切さを教えられました。自分の成長につなげねば。

犬童球渓顕彰音楽祭午後の部の前

 ▲犬童球渓顕彰音楽祭午後の部の前

芦北支援学校の子どもさんが作ったコースター

 ▲芦北支援学校の子どもさんが作ったコースター

23/11/06(32)駅の話②

 現在、くまがわ鉄道は肥後西村駅~湯前駅間を運行しています。くまがわ鉄道の復興を願うばかりです。
 本校の近くにある肥後西村駅。朝夕は代替バスに乗降する生徒さんの姿が見られます。周りの風景に溶け込み、いい景色となっています。秋、稲穂の間を走る列車が美しい姿を見せていました。あさぎり町のおかどめ幸福駅はお城を思わせるような駅舎。黄色の郵便ポストが印象的で、くまモンが笑顔で迎えてくれます。この駅に来ると文字通り幸せになれる気がします。近くの岡留自然公園からは周囲が一望できます。最初見たとき、そのデザインに驚いたのがあさぎり駅。汽車をモチーフにしたその造形に心ひかれました。七夕のときは、いろどり鮮やかな短冊で飾られていました。9月28日には2階にあるポッポー館で学校説明会を開催しました。多良木駅に鎮座する恵比寿像は何となくユーモラス。駅舎の屋根は、まるで町花であるツツジのようです。近くにはブルートレインの宿泊施設、温泉、物産館、公園があり家族で楽しめそうです。湯前駅は校長ブログ27でご紹介したとおり、ちょっと先にある湯前まんが美術館にお邪魔してたくさんの作品を鑑賞させていただきました。
 個性的な駅舎がいっぱい、ぜひお立ち寄りください。

肥後西村駅◀肥後西村駅

おかどめ幸福駅◀おかどめ幸福駅

あさぎり駅◀あさぎり駅

多良木駅◀多良木駅

◀田園シンフォニー号

23/10/27(31)人吉・球磨の秋

 球磨中央高校への異動が決まった時、人吉・球磨での勤務経験がある職員に「霧がすごいですよ」と言われました。人吉・球磨の霧の深さについては聞いたことがありましたが、こんなに周りが見えなくなるとは思いもしませんでした。 朝5時に新聞をとりに玄関を開けたら、オリオン座をはじめきれいな星々が、今にも墜ちてきそうなくらい美しく輝いています。しかし5時30分くらいには周りが白くなりはじめ、出勤するころにはあたり一面が霧に包まれています。車を運転していると、かろうじて前方を行く車のテールランプや対向車のライトでその存在が分かりますが、人や動物が急に出てきたら、対応できるのだろうかと不安でいっぱいになります。

 そういえば、自宅近くの田んぼで鹿の群れを発見しました。何頭もいると怖いものです。球磨中央百貨店の代休の日、秋晴れのもと、秋を探しに歩いてみました。あちらこちらでキンモクセイの花が咲き、素敵な香りをただよわせています。イチョウの葉も美しく色づいています。国道の一武交差点、コンビニエンスストアの対面にはコスモスが、道々にはシオンやイヌホオヅキなどのかわいらしい花が咲いています。モンシロチョウのペアも楽しそうに飛び回っていました。

 人吉・球磨の自然に、あるときは驚かされ、あるときは心をいやされながら、毎日を送っています。

    

23/10/23(30)球磨中央百貨店を終えて

 10月21日・22日に開催しました球磨中央百貨店に、多くのお客様にご来店いただきました。生徒・職員一同心から感謝申し上げます。いたらない点も多々あったかと思いますが、振り返りをしっかりと行い、来年度に活かしたいと思います。

 さて、生徒のみなさんは、球磨中央百貨店から何を学びましたか? 仕入れ、販売、広告、会計、販売戦略など、協賛事業者様や職員の支援や助言を受けながら、社会の厳しさのいったんを知ることができたのではないでしょうか。また、球磨中央百貨店を運営するにあたり、駐車場、案内、ごみの収集、トイレ清掃など、けっして目立たないけれども、とても大切な仕事がたくさんあることも分かったのではないでしょうか。なぜ球磨中央百貨店を開催するのか、球磨中央百貨店をとおしてどう成長したのか、生徒の皆さんには、この問いを自分自身に投げかけてほしいと思います。

 私から生徒の皆さんへのお願いは、「感謝」の気持ちを大切にしてほしいということです。一緒に頑張ったクラスメートへの感謝、支援していただいた事業所の皆さまや先生方への感謝、商品をお買い上げいただいたお客様への感謝、朝早くから送迎していただいた家族への感謝、その気持ちを大切にしてください。「ありがとうございます」、「おかげさまです」「ごめんなさい(或いは、すみません、申し訳ございません)」、生活する上での潤滑油とも言うべきこれらの言葉は、他者への感謝の気持ちがあってはじめて成り立つ言葉です。そして自分一人だけでは使えない言葉です。どうか、球磨中央百貨店の経験をもとに、他者を大切にする気持ち、自分の頑張りを認める気持ちを大きく育ててください。球磨中央高校の生徒は私の自慢です。素晴らしい球磨中央百貨店を有難うございました。