五木分校の教育

三綱領

 礼節・勤労・進取

教育スローガン

 一人一人が輝く分校生!

五木分校の教育目標

  1. 本校の綱領「礼節」「勤労」「進取」の精神を念頭に、全職員一体となって愛情と信頼を基調とした教育を実践し、心豊かで調和のとれた、社会に貢献できる人材の育成を図る。
  2. 豊かな自然環境の中で、豊かな人間性と健康な体を育み、自信と誇りをもった溌剌とした生徒の育成を図る。
  3. 小規模校としての特長を最大限に生かし、生徒一人一人の個性を伸ばすとともに、特色ある学校づくりを実践する。
五木分校のスクールミッション

Can-Do リストについて
令和4年度第51回入学式 式辞

式辞

 

朝の空気も日一日と優しくなって、ウグイスのさえずりが谷間に響き渡り、五木村は、色とりどりの花々や柔らかい若葉に溢れ、春の息吹に満ちあふれています。

このよき日に、保護者の皆様の御臨席を賜り、ここに令和四年度、熊本県立人吉高等学校五木分校、第五十一回入学式を挙行できますことは、本校にとりましてこの上ない喜びであり、心よりお礼申し上げます。

五木分校は、これまで地域の皆様の御支援と御協力に支えられてきました。コロナ禍により、今日は御臨席はかないませんでしたが、この場を借りて、改めて五木村長 木下(きのした)丈(じょう)二(じ)様をはじめ、地域の皆様に感謝申し上げます。

さて、ただ今、入学を許可いたしました七名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。また、保護者の皆様方には、心よりお喜び申し上げます。

五木分校は、昭和四十七年の開校以来、豊かな自然環境と小規模校としての特長を最大限に生かし、地域に支えられ、地域の人々に育まれながら、愛情と信頼を基調とした教育を実践して参りました。この春までに、六百九十九名の卒業生を送り出し、先輩方は地域を支える人材として活躍しておられます。平成十九年には新校舎が落成し、魅力溢れる学校づくりに、職員、生徒が一体となって取り組んできたところです。雄大な山の懐に抱かれ、清流のせせらぎの聞こえてくるこの美しい校舎で、温かい仲間と一緒に、伸び伸びと学校生活を楽しむようになる。そうして、自分の能力を高めるために努力する。こうした月日を積み重ねて、五木分校は今年、創立五十周年という大きな節目を迎え、記念式典を予定しています。

 

新入生の皆さんは今、入学の喜びをかみしめながら、高校生活に対する期待に胸をふくらませているとともに、緊張や不安も抱いていることと思います。入学にあたり、三つの希望を述べ、皆さんの高校三年間の生活に期待を寄せたいと思います。

一つ目は、自分の夢を描いてほしいということです。

皆さんは今、「あなたの夢は何ですか」と聞かれて、答えられるでしょうか。自分にとって、もっとも大切なこととはなんでしょうか。どうしても成し遂げたいことは何でしょうか。答えは人それぞれです。それが何かをつきとめ、「なりたい自分」の姿を思い描き、それに向かって日々、歩みを進めてください。

高校時代の三年間は瞬く間に過ぎてしまいます。毎日の生活を大切にし、自分自身の大きな夢や目標に向かって進んでいってほしいと思います。

二つ目は、一日も早く五木分校での学校生活に慣れ、五木分校の生徒であるという、自覚と誇りを持ってもらいたいということです。

本校の教育綱領は「礼節・勤労・進取」の三つです。この中の「進取」は、みずから進んで物事に取り組むことです。つまり、「礼儀を大切にし、勤労の精神を持って、何事にも進んで取り組むこと」が、人吉高校の精神なのです。

三つ目は五木分校のスローガンである「一人一人が輝く分校生!」を実現して欲しいということです。五木分校は少人数です。だからこそ、皆さんの特長や個性を、発揮できる場面がたくさんあります。これまでも五木分校では一人ひとりの生徒が、役割と責任を持ち、生き生きと活動することで輝きを発してきました。それぞれに役割と責任があるということは、一人ひとりに確かな居場所があるということです。一人ひとりのために五木分校があり、一人ひとりが五木分校を支えるのです。

「君子は豹変す」という言葉があります。君子とは立派な人物という意味です。豹変というのは、猛獣の豹が、季節が変わると毛が生え代わり、模様が急に鮮やかになることで、人の態度が生まれ変わったように変化することをいう言葉です。つまり、「優れた人間は変化に応じてあっという間に自分を変えていく」という意味です。

今日から皆さんは人吉高等学校五木分校の生徒です。大きな変化の日を迎えています。豹変のチャンスです。在校生と共に五木分校を支え、輝きを見せてくれることを期待しています。

 

今日は皆さんの新たなスタートの日です。今、ここに座っている「今の自分」からスタートし、一歩一歩、「なりたい自分」というゴールを目指してください。お互いを思いやり、尊重しあい、高め合うことで、素晴らしい高校生活を送りましょう。

 

最後に保護者の皆様にひとこと申し上げます。本日より皆様の大切なお子様をお預かりいたします。民法の改正により、三年生の誕生日にお子様は成人となります。生徒が独り立ちできることを目標に、職員一同、全力で教育に当たって参ります。

お子様は今はまだ、御家庭、学校での指導を必要としています。子育ての最後の三年足らず、御家庭と学校とが力を合わせてお子様の成長を促すために、五木分校の教育方針を十分に御理解いただき、御支援、御協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

今日からの五木分校での経験を通して、新入生の皆さんが明るく伸びやかに成長し、自分の夢に向かって大きく羽ばたいてくれることを期待して、入学式の式辞といたします。

 

       令和四年四月十一日

                                熊本県立人吉高等学校長     中川 泰

 

令和3年度第48回卒業証書授与式式辞

 式 辞

 さくらの蕾も膨らみはじめ、春の息吹を感じる今日の佳き日に、令和三年度熊本県立人吉高等学校五木分校、第四十八回卒業証書授与式を挙行できますことは、本校にとりましてこの上ない喜びであり、心より感謝申し上げます。

 しかしながら、新型コロナウイス感染症拡大防止のために、式の内容を一部変更せざるを得なかったことにつきましては、卒業生の皆さん、保護者の皆様にどうぞ御理解いただきたいと思います。

 卒業生の皆さん、卒業おめでとう。今、皆さんは卒業の喜びで溢れていると思います。卒業の日を迎えるまでに、一人ひとりが本当によく努力を重ねてきたと思います。もろん、ここにおられる保護者の方々をはじめ、先生方やその他多くの方々の支えがあって、それができたということも忘れないでください。

 保護者の皆様、お子様の御卒業おめでとうございます。今日までの御苦労に対しまして、心より敬意を表します。法が改正され、この四月からお子様は成人となります。親にとって子どもは永遠に子どもですが、これからは、人生の先輩として、お子様を見守っていただきたいと思います。

 さて、この三年間は、本校にとっても、皆さんにとっても、これまでに経験したことのない激動の期間でした。

 皆さんが一年生だった令和二年の三学期から日本で蔓延し始めた新型コロナウイルス感染症のため、三月から五月までの約三ヶ月間が休校になりました。六月にようやく学校が再開した矢先に、今度は令和二年七月豪雨災害が発生し、再び休校となりました。夏休みは二週間に短縮され、保小中高合同運動会は午前中のみの開催、楽しみにしていただろう収穫祭やクラスマッチなどの行事も中止あるいは縮小せざるを得ませんでした。

 しかし、そのような中で皆さんは先生方が作成した授業のDVDを登校日に持ち帰り、インターネットで毎日確認テストに解答するという、新しい授業スタイルで学習を続けることができました。また、豪雨災害のときには、電話やインターネットが使えず、道路も通行止めとなり連絡が取れない状況になりましたが、五木村役場、NTT、産交バスなど、本校に関わる多くの方々が君たちの高校生活を陰で支えていただいたということも忘れないでください。

 豪雨災害や新型コロナ感染症などの予期せぬ困難に直面しましたが、ICTの活用が進み、遠隔授業などの取組にもチャレンジするなど、私たちはこれまでより高いレベルでの情報スキルを身に付けることが出来ました。困難があったからこそ、いっそう前に進むことができたわけです。

 荻野吟子という、近代日本で最初の女性医師となった人物がいます。吟子は明治三年、十九才の時に、生死をさまようほどの病気にかかりました。この当時は医師が男性しかおらず、約二年間の入院生活で、若かった吟子は、男性医師の診察を受けるのが恥ずかしく、悔しさを感じたといいます。

 病気は回復しましたが、その間に、同じ女性患者が自分と同じ思いを持ち、中にはそれが嫌で受診せず命を落とす女性さえいるということを知り、吟子は女性医師が必要だとの思いを強くし、自分自身が医師となる決意をしました。

 それから吟子は、本格的に学問を始めます。明治時代には、女性が学ぶ制度がまだ十分でありませんでしたが、吟子はどうにか女子教育の学校に入学します。再び病気になったりしながらも学校を卒業し、いよいよ医学を学ぶ道を選ぼうとしますが困難は続きます。当時は医学校への女子の入学が認められていなかったのです。しかし、お世話になった先生の助けもあって、ようやく医学校への入学は許可され、生活のため働きながら医学を学び、優秀な成績で医学校を卒業しました。

 しかし、ここで吟子は最大の困難に直面します。当時の政府の行う医術開業試験に吟子は願書を提出しますが、却下されます。その理由は「女子が医術開業試験を受けたことも、医師となったことも、前例がない」というものでした。願書が受け付けてもらえず、試験を受けることさえできなかったのです。

 しかし、このときも吟子を助ける人が現れます。医学校に入学する前に吟子が卒業した学校の先生は、吟子を政府高官のところに連れて行き、女性が医者になってはいけないという条文がない以上は試験を受けさせて、合格すれば開業させるべきだと交渉してくれました。また、前例がないから受理できないと国が言っていると聞いた国学の先生は、令義解という平安時代の文献に女性医師の記録があるという資料を作成し、国に提出してくれました。

 却下されてから二年後、吟子の願書は受理され、吟子は百三十二人中合格者二十四人という非常に厳しい試験を突破し、日本初の公認女性医師、荻野吟子が誕生しました。女性の合格はもちろん吟子一人でした。

 現在、日本の女性医師は七万人を超えています。女性が診察で恥ずかしい思いをしなくてすむようにという吟子の願いは、百五十年経った今の日本にも受け継がれ続けているのです。

 吟子は、多くの人の助けを借りながら、分厚い鉄の扉をこじ開けることに成功しました。この成功は、自分のように恥ずかしさを味わう女性を減らしたい、それで女性が命を落とすようなことをなくしたいという、吟子の思いの強さと実行力から成し得た事であることは紛れもない事実です。そして、強い思いをもって懸命に取り組んでいる人には、どんな困難があったとしても、手を差し伸べてくれる人が必ず現れるということも確かな事であると私は信じています。

 自立という言葉があります。「人の助けや支配なしに自分ひとりの力だけで物事を行うこと」と辞書に載っています。しかし、自分ひとりの力だけで、一体どれだけのことができるでしょうか。人に助けられ、それを自覚して感謝し、助けられた分だけいつか自分も人を助ける。それが人の本来の在り方だと思います。少なくとも、人は一人で生きていくことはできない。それは今も昔も変わりません。

 卒業生の皆さん、これから社会に出て、自分のなすべき事、成し遂げたい事に強い思いで取り組んでいってください。真摯に、懸命に取り組む皆さんの姿勢を見て、支えてくれる人、助けてくれる人が必ず出てきます。その度に支えあっていることに感謝を忘れず、自分も人を支えながら、豊かな人生を送っていって欲しいと願っています。

 最後になりましたが、本日御臨席を賜りました保護者の皆様の、本校教育活動にお寄せいただきました御支援・御協力に厚くお礼申し上げます。卒業生の前途に、幸多からんことを心から祈念し、式辞といたします。
   令和四年三月一日

熊本県立人吉高等学校 校長 前田 浩志