日誌(野球部)

〈野球部〉快挙!! 卒業式で、答辞も送辞も野球部員でした。

お祝い卒業式

 何と、本校、第72回卒業証書授与式で、在校生代表送辞も、卒業生代表答辞も野球部員が務めました。もちろん野球部員だから、その役を務めた訳ではありません。日頃から、部活動だけでなく、普段の生活からしっかりやっている事が認められたからこそ、選ばれたことは間違いないでしょう。大変な名誉です。(試合に勝つことよりよっぽど大事ですね)(※その答辞の一部を写真の後に掲載しています。)

 新型コロナウイルス感染症の影響で、春の大会もどうなるか分からない状況ですが、部員達は、こんな所でも頑張っているのでした。

文頭省略
~令和元年7月18日、試合終了を告げるサイレンの音。整列して互いに挨拶を交わし、健闘を称え合ったものの、私はいつまでも頭を上げることができませんでした。
 夏の高校野球県大会、ベスト8をかけて八代高校と対戦しました。8回まで1対1。梅雨明け前のどんよりと曇った空が、私の緊張感を益々高める中、迎えた9回。表に1点を取られ、裏を残すのみ。しかし、点数を取ることができないまま、試合は終わってしまいました。一瞬のうちに、負けた悔しさと、9年間続けてきた野球に一つの区切りをつけることの寂しさと、一緒に頑張ってきた仲間や、食事や洗濯・試合の応援等で支えてくれた家族への感謝の思いで胸がいっぱいになり、涙が溢れてきて頭を上げることができませんでした。
 イチロー選手は言います。「苦しみを背負いながら、毎日小さなことを積み重ねて、記録を達成した。苦しいけれど、同時にドキドキ、ワクワクしながら挑戦することが勝負の世界の醍醐味だ。」と。 
 ほんとうに毎日ひたむきに白球を追いかけました。自分の不甲斐なさを分かっていながら周りに八つ当たりすることもありました。試合に勝って心から皆で喜びを分かち合いました。私は野球を通して、勝負の厳しさを学び、身体性を通した思考力、柔軟性、協調性を身につけました。一番良かったことは、同じベクトルを持って戦い抜くことのできる仲間を得たことです。私には心から信頼できる仲間がいます。そしてこれは、これから先、私が躓きそうになった時、傍にいなくても「おい、○○(名前)、頑張れよ。お前なら大丈夫だ。」と、きっと背中を押してくれるでしょう。
~以後省略