主張 玉高と校歌 (玉高新聞第135号 昭和53年5月20日発行)

 高校野球の全国大会で勝ったチームは、勝利を祝福され、校歌が演奏される。特
優勝した学校の選手達が声を張り上げ、涙を流しながら校歌を歌っている姿は何回見ても感動的である。
ある人から「校歌を教えて下さい」といわれたことがある。「玉高には校歌はありません。でも、玉高讃歌というものがあります。」といって玉高讃歌を教えた。一般的に、校歌というものには、その学校独自の校風や立地状況などがよく表れているようだ。校歌は、体育祭・卒業式などで歌われる時には、涙を誘うような歌にもなる。そんな時に「ああ、何と校歌はすばらしいんだ」と感じるようになると思う。しかし、我が玉名高校には校歌がない。今のところ玉高讃歌がありそれが校歌の代役を果たしている。
 なぜ、この玉高には校歌というものがないんだろうか。国語科の米澤先生に尋ねてみた。先生がおっしゃるのには、「昔、旧制玉名中学と高瀬高女が合併した時に、玉名高校校歌が作られるはずだった。しかし、その当時は終戦直後で、校歌などは作らない方が文化的だとかいう雰囲気が世間にあった。それで校歌はできなかった。」昭和37年ごろ、当時の校長先生が『校歌を作るべきだ』と提案され、作ることが決定し、ある人が作詞をされたが、その歌詞が校歌としてあまりふさわしくなかったので取り上げられなかった。それから、いつの間にか、校歌を作ろうとする動きは消えていった。それで、作詞大坪周二、作曲小山卯三郎の玉高讃歌が現在まで使われているとのことだった。
 私見だが、玉高讃歌の歌詞は本当に立派である。この歌詞よりももっと優れた、より玉高的なイメージの詞を作るのは、かなりむずかしいことではないだろうか。
讃歌を初めて聞いた時、多くの人が『何と雄大な歌だろう。この玉高の雰囲気そのものだ』と思ったのではなかろうか。つまり、この玉高讃歌が玉高の歌としては最適なのである。この歌の他に玉高学生歌というものがあるが、これはほとんど歌われておらず、非常に残念だ。玉高には玉高讃歌が最適と書いたが、校歌と名のつく歌があった方がいいと考える人も少なからずいるのではなかろうか。