主張 声高らかに若駒讃歌        (玉高新聞第151号 昭和57年10月23日発行)

 ″若駒高くいななきて″校内に若駒讃歌いや讃歌というよりは校歌といった方が正しいであろう我が玉高校歌が流れた。皆予期していなかっただけに驚いた人が大半だと思う。二学期の始業式のことを覚えているだろうか。生徒部長の田中先生が「校歌を歌おう。」と呼びかけられたのを。確かそのときがいわば″校歌運動″の発端であったように思えるのだが。一見形の上ではこのことは成功といってもまずおかしくない。ところが、どうも腑に落ちないことがある。
 今回の新総務は例年にない目新しいことを次々に発表し実行している。校歌運動もその中の一つであるが、今は少し停滞きみだ。けれども一時は、活発さがあふれ出ていたようであった。ますは昇降ロの生徒が目につく掲示板に校歌を書いた紙を掲示し、次にはコーラス部の協力でテープ録音を校内に流したり一度朝会があったときに全校生徒で歌いもした。なかなか好評で、三番まで歌ったのはこれが初めてであった。つまりどこにも落度がないように見える、校歌運動は成功したのだと。
 しかし、一つ気になることがある。それはあの先生の発言である。先に言い出したのは先生なのか生徒なのか。それ次第では、総務に多大な影響が出て<る。玉高新総務の積極性を問われる非常な問題である。
若駒讃歌が出来てはや三十年。当時本校国語科の大坪周一先生作詩、小山卯三郎氏作曲。讃歌が発表された頃は、よく歌っていたそうであるが、月日を経るにしたがって次第に歌われなくなった。歌われなくなったのではなくて歌う機会が少なくなったのだ。やはり玉高生である以上、自分の母校の校歌は知っていてほしい。それだけ認識を深めることは、玉高全体のレベルアップにもつながりはしないか。
 校歌にしろ総務にしろ、改革に迫られていることは同じ。校歌運動をもっともっと幅広いものにしていくにはこれこそ総務にかかっている。そのためには我々個人も総務に協力しなければいけない。覚えようと思えば玉高生であるならばすぐ覚えられるはず。せめて卒業するまでには必ず覚えよう。まずは、皆で校歌を歌おう。誇りある玉高校歌を歌おう。