学校からのお知らせ

学校からのお知らせ

令和2年度見え方の相談会・弱視教育担当者ネットワーク会のご案内

令和2年度見え方の相談会のお知らせ

 令和2年11月 6日(金) 玉名地域

 令和2年12月 4日(金) 球磨地域

 令和3年 1月15日(金) 八代地域

第2回弱視教育担当者ネットワーク会のお知らせ

 令和2年11月27日(金) 午後1時30分~4時50分

点字毎日(R2.9.24号)掲載「聞く 知る 盲学校 <13>」

    「聞く 知る 盲学校」

                                            熊本県立盲学校 理療科主任 茂村広(しげむら ひろし)

 タン、タン、タン、タン、タタタタ、タタタタ……。軽快な打楽器の音が校舎内に響きます。熊本県立盲学校アンサンブル部は全日本アンサンブルコンテストで2005(平成17)年と08年に大学社会人の部で、さらに19年には高等学校の部でそれぞれ金賞を受賞しました。このコンテストは盲学校の大会ではなく、名前の通り全国の学校等が出場する、言わば「アンサンブルの甲子園」です。本校のアンサンブル部には、音楽センスのあるエリートが集まった訳でも、金賞に憧れて生徒がたくさん入学したのでもありません。ましてや目が見えにくくなったから音楽センスが開花したのでもありません。みんなたまたま盲学校に集ったごく平凡な仲間達なのです。

 軽快なリズム、圧倒的な迫力の打楽器の響き、水を打ったような静寂とそよ風のように繊細な音、そしてまた爆発的な響きに…。音が風景を描き出し、強い響きが光のように辺りを照らします。昨年の金賞は、受賞という喜びだけでなく、あの音、あの響きそのものが多くの人に感動を与えました。生徒は皆、「無理だ」と考えず、可能性を信じて努力しました。平凡な仲間が、自分を信じ努力を続けることで、大変な偉業を成し遂げたのです。

 本校には1937年、ヘレン・ケラーが来校しました。彼女は「閉じたドアをいつまでも見ているのではなく、開いたドアに目を向けよう。」と語りました。アンサンブル部のみんなは、まさにこの言葉を体現したのです。

 「諦めない」といえば、卒業生の岩本光弘(いわもと みつひろ)さんも忘れてはいけません。ヨットで太平洋横断を達成したと言えば、皆さんもご存じかと思います。一度はヨットが沈没し、命の危機にさらされました。しかし、諦めることなく挑戦し、ついに太平洋横断の偉業を達成されました。現在アメリカに住む岩本さんのポジティブシンキングの根っこには、アンサンブル部のみんなと同じエネルギーを感じます。

 話は変わりますが、2016年4月の熊本地震では、震源地に近い本校も大きく揺れました。校舎は直前に耐震工事が終了していたことも幸いして、それほど多くの被害を受けませんでしたが、運動場南側の擁壁が崩れるなど、様々な被害がありました。生徒には大きなけがなどの被害はなく、本当に幸いでした。

 そんな大変な被害をもたらした熊本地震から学ぶこともありました。それは「つながること」の大切さです。点字図書館や視覚障害者団体など、何らかの団体につながっている人はいち早く支援の手が届きました。そしてそれらの支援活動の中から、「みるくまネット」という視覚サポートネットワークが立ち上がりました。眼科医療や福祉、教育、当事者の団体等が連携するネットワークです。今年7月の豪雨災害でも、このネットワークを基盤に県内での支援活動が行われました。

 本校は来年創立110周年を迎えます。創立当初の校舎は熊本市の坪井にあり、間もなく内坪井に移りました。実はこの地は、その10年ほど前まで、文豪の夏目漱石が数年間、暮らしていた場所でもあります。本校の教育のルーツには漱石の影響があるのかも……、思わずそんな空想が膨らんできます。

 ともあれ本校は「明るく、強く、精いっぱい」の校訓の下、みんな力いっぱい頑張っています。今後とも応援をよろしくお願いいたします。

 

 

情報モラル啓発 No.6(研修・情報部より)

 熊本県教育庁教育政策課の教育情報化推進室から「アカウント乗っ取りについて」の資料が届きました。

アカウント乗っ取り被害にあう原因、被害にあわないために気をつけること等の内容が記載されています。

個人的に気をつけていることは、①少しでもあやしいと思ったサイトは開かない。②セキュリティアプリでウイルス感染を定期的にチェックする等です。

アカウントに限らず、その他のスマホ乗っ取りの大問題は、乗っ取られていることに、すぐに気づきにくいということにあると思います。セキュリティアプリで乗っ取りの可能性の有無を調べてみることは有効です。ただし、偽のセキュリティアプリも存在しますので、信用性のある有名なものを利用するようにしましょう。

資料はこちら→アカウントの乗っ取りついて.pdf

 

幼稚部9月3週目の活動

おじいちゃん おばあちゃん いつも ありがとう!

 今週は敬老の日にちなんで、おじいちゃんやおばあちゃんが子どもの頃に遊んでいた昔遊び(竹とんぼ・けん玉・紙風船・お手玉など)を紹介しました!子どもたちは紙風船にフーッと空気を入れたり、手でポンポン打ったり、膨らんでいる風船を手でぐちゃっとつぶす感触を楽しんだりしていました。水曜日には、大好きなおじいちゃんおばあちゃんを思い浮かべながら「いつもありがとう!」「元気でいてね!」の気持ちを込めて敬老の日のプレゼントを作りました。力作揃いです!

 

 

 

 

 

 

あきの みかく だい2だん!

秋の味覚「くり」を味わいました。栗のお部屋は…「ちくちく痛い!」「栗のお洋服は固いね!」と子どもたち。固い皮(洋服)を脱がせると…今度は渋皮が!「下着も着てるね~!」とかわいい一言。ようやく出てきた栗をみんなで味わいました。

 

 

東京パラリンピック柔道男子60キロ級代表に内定!本校職員平井教諭がんばれ!

 本校理療科職員の平井孝明教諭が、このたび東京パラリンピック柔道男子60キロ級代表への内定通知をいただきました。パラリンピックは2度目の挑戦となります。本人の東京パラリンピックに向けての思いを掲載いたします。皆様の温かいご声援、ありがとうございます。

  

  「東京パラリンピックに向けて」 高等部理療科 教諭 平井孝明  

 私はこの度、日本視覚障害者柔道連盟から来年夏に開催予定の東京パラリンピック柔道競技60キロ以下級の代表候補選手として内定をいただきました。今回は私を含め10階級での代表候補選手が内定しました。全階級の内定が決まった後、パラリンピック委員会への推薦・選考で正式にパラリンピック代表が決定します。まだ正式な代表ではありませんが、来年、試合することをしっかりイメージしながら、一日一日を大切にしながらトレーニングをしています。 

  私はメラニン色素欠乏症という病気で先天的な弱視です。小学校1年生から盲学校に入学し、小・中・高・専攻科と学び鍼・灸・マッサージの資格を取りました。現在は鍼灸マッサージの資格取得を目指す理療科の教師をしています。私の病気は全身の色素が少ない、という特徴があります。中学生の頃までは見た目の違いがとても気になり人前に出るのが嫌でした。弱視でもあり、自分に自信が持てませんでした。それを180度変えてくれたのが柔道です。  柔道との出会いは、中学2年生の頃です。学校の部活動で始めました。視覚障害者柔道は、通常の柔道とほぼ同じルールで行われます。柔道は目が見える見えない関係なくできるスポーツです。大きく違うのは「組んだ状態で始まる」「試合中は必ずどちらかの手で道着をつかんでいなければいけない」という点です。両手を離しての組み手争いはありません。この点が通常の柔道と違うところです。その他は同じルールです。この「ほぼ同じルール」というところが視覚障害者柔道の魅力です。そして、しっかり練習・トレーニングした人が強くなります。だんだんその面白さに魅了され、高校1年生の頃には「パラリンピックに出て金メダルを取る」という目標をたてました。    

 私の得意技は引き込み返しという技です。この技は、四つん這いになっている相手をひっくり返して押さえ込む技です。高校時代に先生から教えていただき、何万回と練習して習得しました。今では相手が四つん這いになれば90%以上の確率でひっくり返すことができます。柔道の醍醐味は「豪快に相手を投げ飛ばす事」とよく言われますが、私は粘っこく攻めて「寝技で勝つ事」に魅力を感じています。色々な勝負の仕方がある、というのも柔道の面白いところだと思います。来年のパラリンピックでは寝技で勝ち上がって優勝を目指します。    

 私は柔道を通してたくさんの方々と出会い、支えられて今に至っています。特に忘れることができないのが、リオパラリンピック代表選考会の時です。その試合は2016年5月4日に東京の講道館で行われましたが、その約3週間前の4月14日に熊本地震が起こりました。その時、私は学校の柔道場にいて選考会に向けたトレーニングを行っていました。地震の直後はガスや水道が止まり、通常の生活ができない状態でした。余震も続き不安な日が続きました。そんな中でも選考会に向けてトレーニングに付き合ってくださった方、練習場所を探してくださった方、食べものや飲み物を送ってくださった方など、たくさんの方から支えていただき試合当日を迎えました。試合は、「何がなんでも勝って応援に応えたい」と思ってたたかいましたが負けてしまい、パラリンピック出場は叶いませんでした。その時の悔しさ、情けなさは忘れることができません。  

 今はコロナの影響で通常通りの柔道ができませんが、皆さんの応援を力に、1年後の自分を信じて、今できることをせいいっぱい続けていきます。1年後の日本武道館で行われる東京パラリンピックでは、前回の悔しさをぶつけ金メダルを目指します。

令和2年3月東京国際視覚障害者柔道大会より