校長ブログ

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23/06/01(7) 「きょういく」と5月31日の教え子

 いよいよ梅雨入り、学校に行くとき、帰るとき、十分に気を付けてくださいね。大雨にも備えましょう。

 さて、私は読書ノートを作っています。読んだ本や記事などで感動したり、気付かされたりした文章を記録したものです。そのなかにこのような文章がありました。ある講演会での言葉です。
 「矯育」「脅育」「恐育」「狭育」「凶育」、いずれも「きょういく」と読みます。先生方はこうした「きょういく」をしていませんか? そうではなく、「共育」「協育」「驚育」「響育」「鏡育」の「きょういく」を実践してください。」
 自分なりに考えてみました。教師にとっての「正常」とするために、子供を矯正(きょうせい/欠点や悪習などを正常な状態にすること)していませんか? 本当にそれは子供の欠点ですか? 力で脅したり恐れさせたりして子供たちを従わせるような行動をしていませんか? 狭い視野で子供に接し、それが子供の未来にとって凶(=わざわい)になることにはなりませんか? 私たち教員にとって、常に気を付けなければならない「きょういく」です。
私たちは、子供たちと共に、協働・協力しながら、あっと驚いたり、心に響いたりするような活動を行い、そして鏡を見るように一日一日を振り返り、次に生かす。私たち教員にとって、常に意識しなければならない「きょういく」です。

 私は、教師として大した授業をしてきたわけではありませんし、優れた担任でもありませんでした。卒業式のときには、子供たちに、「君たちが卒業し、再会したときに胸を張っていられる人生を送ります。」と約束してきました。5月31日、県庁から出前授業に来られましたが、説明をされた方は、私が初めて3年生を担任したときの教え子です。思わぬ再会でした。当日は出張のため、授業する姿を見ることはできませんでしたが、25日の打ち合わせの時の熱心な説明を聞いて、「本当に成長されたなあ」と、嬉しさが込み上げてきました。
 そして、私も教え子に向き合って話すことができました。教え子との約束、ちょっとは達成できているようです。

 ※写真は、初めて教師として教壇に立った高校がある地域の公園に咲く菖蒲(しょうぶ)です。