徒然雑記帖

2019年2月の記事一覧

恋しい休憩時間!?

 

 昨日実施した「親と子で学ぶ管内事業所説明会」、いかがでしたか?

 進路指導部の松村先生から「会の前後で皆さん達の顔つきや表情が変わって見えた」という感想を聞いて嬉しく思いました。

 冒頭の挨拶でも申し上げたとおり、今年度の2年生のインターンシップでは、本田技研工業様、井関熊本様、JNC様など7社にお世話になり、初めて人吉球磨管外の事業所で就業体験を実施しました。先日、その成果と課題をまとめた報告書を教育委員会に提出しましたが、添えてあった感想文を読んで「エッ!?」と思う表現を見つけました。それは・・・

 

 ずっと立ち作業で足が棒のようになり、休憩時間がとても恋しかったです。

 

 というものです。「休憩時間が恋しい」とは、現場で働いてみて初めて実感する素直な感想です。同時に、とても面白い表現だとも思いました。

 「恋しい」は、「あなたが恋しい」(I miss you.)のように人に対して使うのが最も自然な感じがするわけですが、考えてみれば「異国の地から恋しい日本に思いを馳せる」とか「こたつが恋しい季節になりました」のようにモノを対象としても使えるんですよね。

 

 「恋」で思い出すことがあります。

 百人一首を全部覚えるのが宿題になった頃ですから、高校1年の冬休みだったと思います。課題考査で出題されるということもあり、割と本気に覚えていました。しかし、「恋の歌」が何と43首もあるんですよね。意味まで真剣にやっていたら、食傷気味になりました。そこで気分転換です。色々な教科に出てくる言葉(教科書の太字程度)にかたっぱしから「恋の」をつけてみて、しっくりする言葉が多いのはどの教科か考えてみました。

 

 国語→恋の掛詞、恋の係り結びの法則、恋の丁寧語、恋の五段活用・・・

 数学→恋の三角関数、恋の漸近線、恋の積分、恋の分配法則・・・

 理科→恋の反発係数、恋の断熱膨張、恋の相対速度、恋のミトコンドリア・・・

 社会→恋のスエズ運河、恋の暫定予算、恋の薩長同盟、恋の独立戦争・・・

 

 今思えば、本当にしょうもないことを考えたわけですが、でもやってみると意外にロマンチックが止まらないものです。「恋は理系の用語と一番相性がいい」というのが当時の結論でした。

 実際、「恋の三角関数☆」という初音ミクさん(バーチャルアイドル)の歌がありましたし、「恋の漸近線」と聞けば、時間が経てば経つほどお互いの距離は縮まるのに、どう頑張ってもくっつけない2人を想像できます。「恋の積分」というのも味わい深いです。ちなみに、

 

 「恋」を時間で積分すると【 ① 】、さらに【 ① 】を積分すると【 ② 】

 

 空欄、それぞれ何になると思いますか?

 2年生の皆さんは、この前終わったばかりの学年末考査(数学)の試験範囲が積分でしたので是非考えてみてください。

 難しく考える必要はありません。物理基礎で「加速度」を時間で積分したら「速度」、「速度」を積分したら「変位(位置)」になると習ったかもしれません。そのノリで気軽に考えると楽しめます。

 

 私は【 ① 】は「愛」、【 ② 】には「憎しみ」が入るとすっきりします。

 

 そう言えば、「恋を積分すると愛」という鳥人間コンテストに参加する大学生のサークルを舞台にした、どこかとんちんかんで噛み合わない恋の物語を描いた小説(角川文庫)がありました。(本校の図書館にはないそうです)

 

 「愛を積分すれば憎しみ」については考えることがあります。憎しみは、英語でhate。そこで思い出すのがhate speechです。生徒の皆さんもテレビ等で見たことがあると思います。特定の個人や集団を貶めて、暴力や差別を煽るような主張をするあの凄いエネルギー、一体どこから来ているのか考えたことありますか?私にはよく分からないところがあります。

 でも、憎しみは、夫婦や家族など関係性が強ければ強いほど、ちょっとした諍(いさか)いをきっかけに愛が一転して憎しみに変わることがあることを考えると、生と死が表裏一体のように、愛も憎しみも根本は同じエネルギーということでしょうか?

 「愛の反対は憎しみではなくて無関心」というのはマザーテレサの言葉(「出典マニア」の人達には異論もあります)と聞いたことがあります。「愛」と「憎しみ」と「無関心」の関係、考えれば考えるほど分からなくなるし、ちょっと怖い感じもしてきます。

【校長】

 

 ヘイトスピーチは、ウィキペディアによると、「主に人種、国籍、思想、性別、障害、職業、外見など、個人や集団が抱える欠点と思われるものを誹謗・中傷、貶す、差別するなどし、さらには他人をそのように扇動する発言(書き込み)を指すとされ、インターネットにおける書き込みもスピーチに含む」とあります。現代社会が抱える闇の部分かもしれません。

胸がざわつく17歳

 

 今日2月22日は、「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」の語呂合わせから、「猫の日」に制定されていると朝のニュースで報じていました。この日をきかっけに、2月は全国各地で猫にちなんだイベントが開催されて、猫好きにはたまらない月なんだとか。

 

 考えてみれば、月日をその順に並べた時、同じ数が3つ連続するのは1月11日の111と2月22日の222の2つだけです。万一、333とかあったら超気持ち悪いよな・・・とか考えていたら、今日は総アクセスカウンターに、2が沢山出現するということに気付きました。1312222という数字です。

 午前7時頃からカウンターを見守っていました。多分、7時18分頃通過したはずです。

 

 さっそく1312222で今日の日付の222を作ってみることにします。

 

 1×222=222 → 2月22日 

 ()×222÷=222 → 2月22日

 

 どちらも下4桁の2222を使っただけの面白みに欠ける式で、「小町算を舐めているのか!」と叱られるかもしれません。

 

 気を取り直して、今日が誕生日の本校生が何人いるのか、名簿に検索をかけてみました。561人在籍しているから確率的に1人以上は期待できます。

 1人いました。今日17歳を迎えた方、おめでとうございます。何か特別な感慨がありますか?

 

 我が国も3年後の2022年4月から、成人年齢が20歳から18歳に引き下げられることが決まっています。その頃には、大人になる寸前の17歳という年齢は、今の19歳以上に輝きを増しているのかもしれません。

 

 ところで、2年生の大半は既に17歳のはずです。今、その真っ最中を主人公として過ごしている皆さん方には、実感があまりないかもしれませんが、17歳というのは大人が昔を振り返ったとき印象深く刻まれている年齢だと思います。映画や文学など様々な作品でも17歳というのはよく取り上げられていていますし、大阪経済大学は「17歳からのメッセージ」という随筆コンクールを主催しています。Seventeenという女性向けのファッション雑誌もありますよね。

 

 48年も前の話になりますが、南沙織さんというアイドル歌手のデビュー曲は「17でした。私、この曲を希に耳にすると、自身が17歳のころ、どんな景色を見ていたんだろうと胸がざわつきます。(でも、残念なことに先日、2月7日の記事で取り上げた「ワンちゃん事件」以外あまり思い出せません)

 大人と子どもの間で揺れる曖昧な時である17歳、きっと皆さんもずっと後になってからそのキラキラに気づくのかもしれません。

 

 自分はどういう人間なのか、大人になるとはどういうことか、どのような大人になりたいのか、将来どんな仕事をしてどんな働き方をしているのか・・・そんなことに想いを巡らして17歳の今の自分の考えを文章にまとめておくのも有意義なことかもしれません。

【校長】

 

南沙織さん、昭和46(1971)年に、この曲でデビューして1ヶ月後に17歳になったそうです。当時、テレビやラジオからやたらに流れていました。年末に日本レコード大賞(新人賞)を受賞して、紅白歌合戦の紅組トップバッターだったこと、私は小学5年生でしたが、「歌謡曲大好き少年」でしたからよく覚えています。

 軽やかなメロディーも詞もどちらも好きでしたが、今にして思えば「17才」という言葉が歌詞の中に出て来ない不思議な曲だと思います。ウィキペディアによると、作詞家の有馬三恵子さんが作詞したのは既に40歳前後だったため、この曲がヒットしたときは周りから「40歳になってよくあのような詞が書けたね」と、半分呆れられるかように誉められたとあります。心温まるいいコメントです。それほど詞の内容が当時としては鮮烈だということだと思います。

 小学生の私には、高校生のお姉さんの恋愛事情は眩しすぎましたが、しっかり感情移入して口ずさんでいました。ませガキだったんだと思います。多分。

 その後、色々な歌手がカバーしていますので、きっと皆さんも聞いたことがあるはずです。

 

こめかみには夕日のうず

 

 学校は昨日から学年末考査が始まりました。1年を締めくくる大事な試験です。全力を尽くしてください。

 

 ところで、先日の3連休、寒い日々が続きました。生徒の皆さんは勿論、試験勉強に明け暮れていたはずですが、私は10日(日)に今年初めて金峰山(熊本市:665m)に登りました。南区島町の自宅から熊本西高校の横を通り過ぎて、河内町の手前から右折するコースで、片道17km位です。下山中の午後6時頃、雲仙普賢岳の横、島原半島に夕日が沈んでいました。あまりにも綺麗だったのでスマホでパシャリ。

 

 夕暮れは、古来詩情をかき立てるようです。百人一首には収められてないけど「三夕(さんせき)の歌」と呼ばれる名歌があると昔、カルタ部の指導をしていた時、何かの本で読んだことがあります。さっそく調べ直すと・・・

 

 さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ (寂蓮)

 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ (西行)

 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ (藤原定家)

 

 いずれも新古今和歌集に採られた歌で、三句目を「けり」(詠嘆)で切り、五句目を「秋の夕暮れ」(体言止め)で結んでいます。最初の寂蓮法師の歌は意味がちょっと取りにくいですが、下2つは口語訳がなくても、今を生きる私たちにも寂寥とした景色が思い浮かんでくるほど分かりやすいはずです。秋の夕暮れの美しさと侘しさを愛でる心は日本人のDNAなのか、今も昔も変わらないと言ってもいいかもしれません。

 

 とは言っても、夕暮れの捉え方も色々あるようでビックリです。「理系の人々」という理系へのイメージや偏見を面白おかしく描いたコミック本があります。本校の図書館には収蔵してありませんが、映画化もされているぐらいですから読んだ方がきっといるはずです。その中に「夕日」を巡って、太陽が沈むと、太陽光が通る大気の長さが長くなり、その結果、可視光線の青以外にも波長の短いその他の色も散乱してしまい、最終的に最も波長の長い赤色が目に飛び込んでくるという当然の現象が起こるだけで、なぜ文系の人たちがそんなに心を動かされるのかよく分からない・・・といった自虐?ネタで展開するストーリーがありました。私も理系の端くれのつもりですが、そこまで醒めた目で夕日を眺める人たちがいるとは…、いやはやです。

 やはり、秋の夕暮れに真っ赤な太陽が沈んでゆくのを眺めながら、その瞬間に自分の二度と反復できない生の一回性に深く思いを致すだろうし、もしその隣に大切な人がいなかったら写メを送ってでもその光景を享有したいという気持ちがわき上がる(これらが文系の人たちの一般的な思考パターンなのかよくわかりませんが)のは当然だと思うし、どちらかというと私はそういうタイプです。

 

 と言うことで、私にとって夕暮れは、中森明菜さんの名曲「トワイライト~夕暮れ便り~」が条件反射です。夕日を見るたびにタイトルに記したイントロ部を口ずさんでいた昔もありました。

私と同年代の方にとっては多分懐かしく思い出すであろうこの曲、大学を出て大阪の民間企業に就職した翌年、1983(昭和58)年にヒットしたもので、作詞が来生(きすぎ)えつこさん、作曲が来生たかおさんの姉弟による作品です。生徒の皆さん達にとっては、生まれる前の話ですから知らない人が多いかも?ぜひyoutubeなどで聴いてみてください。以下の話を納得してもらえるはずです。

 

 「三夕の歌」のついでに、なぜこの曲について触れようと思ったかというと、昨夜、学校から帰ってラジオをかけて寛いでいたら、バレンタイン特集を締めくくる最後の曲として流れてきたからです。本当に久々に聴きました。私、懐かしさで思わず、読みかけの本を落っことしてしまいそうでした。

 

 『や~はり あ~なたと 一緒に居たい 一言かきあぐね ・・・・・ 感じますか 届きますか この黄昏と恋便りまでも♪』

 

 私は以前から、山口百恵さんの「いい日旅立ち」など、静かに愛する人のことを思いつめるバラード系が大好きでした。この「トワイライト」もその一つです。twilightとは、本来、黄昏(たそがれ)時、日の出前や日没後の薄明かりを意味します。初めて聞いた時、曲想自体もしみじみとして涙が出そうになったのですが、詞に対して何と素敵なタイトルをつけたんだろう思いました。でも、印刷された詞だけ読んでも、どうって事ありません。「好きな人に自分の想いを届けるために手紙を書く」、ただそれだけのことを綿々と大げさに表現しているだけです。しかし、曲が詞とあいまって盛り上がる、この効果は絶妙です。また、「一筆書く、手紙を書き送る」を英熟語でdrop a line と表記することがすんなりと腑に落ちる曲でもあります。

 きっとこの曲の主人公は、恋も失恋も色々経験して、一人でいる時に美しい景色を見て、好きな人に思いを馳せることを何度もしたのかもしれません。一言一言がグッと胸に突き刺さるだけでなく、海辺の清涼感と黄昏の残照も感じさせる抒情的な名曲だと思います。もし、西行や定家が生きていたら、この曲をどう評するのか興味深いところです。

 

 話は大きく変わりますが、若い頃の私にとって、中森明菜さんはリリースする曲ごとに「ウ~ん」「エッ!」と、思いが交錯した不思議な歌手でもありました。

 デビュー曲「スローモーション」、来生姉弟の曲です。思春期のときめきを感じさせる清純なイメージ。その可愛らしさを打ち砕く「少女A」。これって不良賛歌?騙された!と思う間も無く、またしても来生姉弟の手による「セカンドラブ」。私の十八番。切ない系のバラードでやっぱり根はいい子だったんだ、とか思っていたら「二分の一の神話」で「いい加減にして〜!」と絶唱。これって突っ張りそのもの?そして「トワイライト~夕暮れ便り~」でしみじみと。どれが本当の明菜さんなのか、本校生の中にもこういう二面性を巧みに演じ分けることができる人がいるのでしょうか?

 

 最後に・・・、かつて大阪と札幌を結ぶ「トワイライト・エクスプレス」というJR西日本が運行していた寝台特急列車がありました。出発時の夕暮れと到着時の明け方のそれぞれの時の薄明かりのイメージが命名の由来と聞いていましたが、実際に乗車して、日本海に沈む夕日などを車窓越しに眺めて納得しました。大阪駅を出発してすぐの車内放送の出だしにかかる音楽が山口百恵さんの「いい日旅立ち」で、いやがうえでも旅情が高まり、そういう意味で凝った演出をしていた列車でした。

 もう一つ。明菜さんは私より6つ年下のはずだから今は何歳なんだろうかと指を折ったりもします。心の中では80年代のアイドルのまま(そういう意味ではこの記事の中で「明菜さん」は「明菜ちゃん」と表記したかった)です。でも、みんな平等に1年に1つずつ歳をとります。トワイライト(twilight)には、人生の黄昏即ち終末期の意味もあります。本を落っことすほど反応してしまったのは、心だけは若者のつもりでも、そ~っと人生の晩年が忍び寄ってきている証拠かもしれません。

【校長】

 

The 45th memorial day of the school piano

 

 本日2月14日は、本校体育館にあるグランドピアノの45回目のアニバーサリーです。昭和49年(1974年)の今日、学校に設置されたと備品台帳に記録されていました。当時の価格で41,9700円。ネットで調べたところ、当時の高卒の初任給の平均(製造職)が約24,000円位、現在が約16,2000円ですから7倍弱、それを目安に現在の価格に換算してみると300万円位になります。グランドピアノを42万円で買い求めることは、今なら中古でもできませんが、こうして物価の違いを考慮すると、きっと中古ではなくて新品だったのでしょう。

 

 本校を6年前に御退職になった江嶋先生に電話でお尋ねしたところ、校歌の作曲者でもある電気科の塩田靖弘先生が御在職中は、先生の御指導の下、生徒の伴奏で卒業式や入学式があっていたそうです。しかし、平成4年(1992年)に先生が御退職になった後は弾く生徒がおらず、体育館のステージの片隅で部活生のジャージ置き場として使われていたようです(園田先生談)。以来、多分ボールがぶつかるなど、ピアノにとっては苦難の日が続いたのかもしれません(涙)。先日点検したところ、鍵盤が上に戻ってこないなど不具合が沢山見つかり、急遽、修理と調律を行いました。

 なぜ26年ぶりにピアノを長い眠りから起こしたかというと、(既に耳にしている人がいるかもしれませんが)今度の卒業式の式歌(君が代・校歌・蛍の光、仰げば尊し)は、なまのピアノ伴奏のもとで歌ってもらうことにしたからです。「伴奏してもいいですよ」と申し出てくれたのは、電気科1年の日下部(くさかべ)快生君と建築科1年の谷口純美さんです。

 

 2人には、写真のようにボール等が当たらないようにバリアでしっかり囲ったピアノで、昼休みと放課後の少しの間、練習をしてもらっています。歌はみんなで歌いますが、伴奏は1人です。緊張のあまりミスタッチをしたとしても止まらずに歌に合わせて弾き続けることや、万一止まったとしても途中からでも(どこからでも)弾き始める力が要求されます。その意味で伴奏者には演奏技量は勿論、襷を繋ぎ続けていく駅伝選手と同じくらい強靱なメンタルが求められます。卒業式当日、素晴らしい伴奏で卒業生・在校生みんなと校歌等を高らかに歌えるよう練習を頑張ってください。

 バレー部やバスケットボール部等、体育館内で練習している部活動の皆さんには、少々お邪魔になるかもしれませんが、御理解をお願いします。

【校長】

 

祝 総アクセス数 130万件達成

 

 いつも本校のHPにお越しいただき、ありがとうございます。

 

 1月に県立学校のHPシステムの更新が行われ、それ以降なぜかアクセスカウンターが伸び悩むという現象が続いています。

 実際、今年度4月からの月別の1日当たりのアクセス数をグラフ化してみると、下のように推移しており、一目瞭然です。1月は12月に比べて半減してしまいました。

 高速道路を走る大型トラックには、速度抑制装置(スピードリミッター)の装着が義務づけられて事実上90キロ以上出せないようになっているそうですが、いつの間にかアクセスカウンターにそのような抑制装置が付けられたのか(勿論そんなことはないはずですが)、まるで鉛が付いているかのように鈍い動きにそんなことさえ思ってしまいます。スランプは誰にでも突然訪れることと同じなのかもしれませんが・・・。

 

 

 ということで、12月のペースなら1月の中旬にとっくに実現していたであろう130万件、やっと達成です。

 本日2月7日、午後6時54分現在の総アクセス件数は、1300000

130万! 久々にきりのいい数字です。

 

 こういう綺麗な数字を見ると無性に素因数分解をしてみたくなります。早々、やってみます。

 

1300000=2×5×13  

 

従って、その約数は、

1, 2, 4, 5, 8, 10, 13, 16, 20, 25, 26, 32, 40, 50, 52, 65, 80, 100, 104, 125, 130, 160, 200, 208, 250, 260, 325, 400, 416, 500, 520, 625, 650, 800, 1000, 1040, 1250, 1300, 1625, 2000, 2080, 2500, 2600, 3125, 3250, 4000, 5000, 5200, 6250, 6500, 8125, 10000, 10400, 12500, 13000, 16250, 20000, 25000, 26000, 32500, 40625, 50000, 52000, 65000, 81250, 100000, 130000, 162500, 260000, 325000, 650000, 1300000

 の72個あることになります。

 

 一桁目が5で終わる奇数の約数が全部で10個(約14%)ありますが、どれも「当然、あり得るよね」という約数ばかりで、以前、888888が77や777を約数に持つことに気付いた時に味わったような高揚感はありません。

 

 では、いつものように 1300000 という数字の並びをそのままにして、加減乗除等の記号を入れて、今日の日にち2月7日の数字をそのまま並べた27を作ることに挑戦してみます。

 

13×(!+!)+!+!-!=27 → 2月7日

30-(!+!)×(!+!)=27 → 2月7日

 

 今回は、0!=1という定義(決め事)を使って簡単に2つできあがりました。

 

 最後に・・・、生徒の皆さんは130万と聞いて、何か思い浮かぶことがありますか?

 もし、お父さんが会社員、お母さんがパートで月10万円前後を稼いでいるご家庭だったら、130万という数字はお茶の間で時々話題になっているはずです。いわゆる「130万円の壁」です。税金や社会保険料の支払いで損しないためにも注意しておかないといけない数になりますが、まだまだ皆さんには早いかもしれませんね。気になる人は調べてみてくだい。なぜこういう制度があるのか知るところから、社会の仕組みが見えてくるかも?

【校長】

 

仮定法の思い出

 

 トランプ大統領の5日の一般教書演説、いまだにメキシコ国境に壁を建設する公約の実現に強い意欲を示していることなどがテレビ等で盛んに報じられ、生徒の皆さんもきっと耳にしているはずです。

 今朝7日の朝刊各紙にはその和訳が載っていました。讀賣新聞には、演説のポイント部分について英文が載っていたので、何気に目を落としてみました。

 

 If I had not been elected President of the United States, we would right now, in my opinion, be in a major war with North Korea.

 

 私が米国の大統領に選ばれていなかったら、私の意見では、今まさに、北朝鮮と大規模戦争になっていただろう。

 

 たまたま読んだ大統領の英文、仮定法でした。「英語中級者の壁」とも言われるこの構文、私も高校の頃、散々苦労したことを思い出します。

 手元のシラバスによると、本校では3年生の「コミュニケーションⅡ」で3学期に仮定法過去や仮定法過去完了について学習するようです。誰が名付けたんでしょう。名前がいかめしいですよね!「仮定法過去完了」って。この大統領の英文、まさにその「仮定法過去完了」かと思いきや、if節が仮定法過去完了、主節が仮定法過去という高校生泣かせのあの恐ろしい構文でした。

 

 私が仮定法について学んだのは高校2年生の頃です。「英語では仮定の話をするとき、なぜ一つ前の時制を使うのか」、多分そんなことだっただろうと思い出すのですが、先生が熱心に説明していました。

 その時、私は教室の廊下側の一番前の席で、開けっぱなしのドア越しに廊下の向こうから校舎に迷い込んだ仔犬がこっちに来るのが見えました。私と目が合うと突然立ち止まったので、「どこから来たの、お腹すいたの・・・?」とか口パクでしゃべってしまいました。当然、先生に見つかってしまい、「授業に集中してない!」とこっぴどく叱られ、怒り狂った先生が何とそのワンちゃんの首根っこを掴んで校庭に追い出してしまいました。私にとって仮定法はそんな苦い思い出と一緒に甦る構文でもあります。

 

 そういうことを思い出しながら、今一度大統領の英文と和訳を読んでみたら、エッ?和訳がひょっとして間違っているのでは?と気付きました。

 讀賣といえば、日本を代表する大新聞です。校閲はしっかりしてあるはずで、そんなことはまずあり得ないはずですが・・・。でも、right now が挿入され、「今まさに」とあるわけですから、当然文末は現在形で訳し、次のようになるべきではないかと思います。どうなんでしょう。生徒の皆さんはどう思いますか?

 

 私が米国の大統領に選ばれていなかったら、私の意見では、今まさに、北朝鮮と大規模戦争になっているだろう。

                   【校長】