徒然雑記帖

2017年11月の記事一覧

総アクセス数 842248 → この数字の魅力

いよいよ明日から期末考査。生徒の皆さん、試験勉強のほうは順調ですか?

テスト勉強で目が疲れたら、上弦の月を眺めてみましょう。今日の熊本の月の出は13時9分、入りは24時43分(翌28日の0時43分)、月齢8.6です。

さて、昨日13時8分現在のHPの総アクセス数は
842248でした。この数字、ちょっと面白いと思いませんか?右から読んでも左から読んでも同じ数という意味で。このような数字を「回文数字」といい、趣味の数学の分野でしばしば研究の対象になっています。


  現在、総アクセス数は、日々80万台を刻んでいますが、80万代(800000899999)にある10万個の数字の中に、
842248のような回文数字は一体いくつあると思いますか?

一番小さな数は800008、次は810018、その次は811118、・・(途中略)・・、一番大きな数は899998です。


  8●▲▲●8というふうに記号で置き換えると考えやすいかもしれません。5桁目の●には0~9の10通りがあり、そのそれぞれについて4桁目の▲にも0~9の10通りがあります。3桁目の▲と2桁目の●は、それぞれ4桁目と5桁目と連動しますので考慮する必要はないので、10
10の丁度100個あることになります。

従って、回文数字に遭遇する確率は、100/100000 1/1000 になります。本校のHPは、現在1日当たり約1200件のアクセスをいただいていますので、1日に1回以上回文数字が出現していることになります。

そう考えると、回文数字もとりたてて珍しいことではないわけですが、私、どういうわけかこの842248という数字には妙に惹かれるものがあります。


  上3桁の842は、高校の頃日本史少年だった私は、今でも覚えている年号の一つです。平安時代には、藤原氏が摂関政治を盤石にする過程で権謀術数の限りを尽くした他氏排斥の政変(クーデター)が多く起こっています。(薬子の変、承和の変、応手門の変、安和の変)

この中で、842年に起こった承和の変では、伴健岑(とものこわみね)と橘逸勢(たちばなのはやなり)が失脚しました。本校では、「地歴」は地理Aを開講し日本史を学習してないので、知っている人は少ないかもしれませんが、この842という数字は、私達の頃のほぼ全ての小学生が「645年=大化の改新」と反応できるのと同じ位、高校日本史の選択者にとっては有名な年号のはずです。

下3桁の248は、IT関連で頻出する256(1byte8bitsで表現できるデータの数は256種類)ほどのインパクトはありませんが、2の累乗に数字が並び、末広がりですし、何となくホップ・ステップ・ジャンプのような勢いが感じられて、なかなかいい数字だと思っています。ちなみに、本校生の5人に2人が日々利用している「くまがわ鉄道」の営業距離数は24.8kmです。


  話は変わりますが、回文即ち「竹藪焼けた(たけやぶやけた)」のように、始めから読んだ場合と逆から読んだ場合とで、音節の出現する順番が変わらず、しかも言語として意味が通る文字列には、「トマト」や「新聞紙」などの他にどのようなものを御存知ですか。

私は、「タイヤキ焼いた」「留守に何する」「磨かぬ鏡」「カツラが落下」など昔聞いたことがあるのを幾つか思い出します。でも何といっても、中学校のとき南奈美さんという回文で名付けられた同級生がいたことは鮮烈な思い出です。

ちなみに、回文関係のサイトを検索すると「世の中ね、顔かお金かなのよ(よのなかねかおかおかねかなのよ)」など、よくこんなのを作れるなと感心するほど秀逸な力作が溢れていますし、回文で作った俳句を集めたサイト、ローマ字表記日本語の回文(東京の地名の「あかさか」は回文ではないが、akasakaのように、ローマ字表記にすると回文になる)を集めたサイトがあることなども知り、言葉遊びの奥深さを感じました。


  最後に・・・、英語では「Madam, I'm Adam」(マダム、私はアダムです)のような例が知られていますわけですが、人類は一体いつ頃からこういう知的言葉遊びをしていたんだろうと思って調べてみました。ウィキペディアによると・・・、

「西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって滅亡したヘルクラネウムの街の遺跡に「Sator Arepo Tenet Opera Rotas」(意味:農夫のアレポ氏は馬鋤きを曳いて仕事をする)というラテン語による回文が刻まれていることから、回文の起源は少なくとも西暦79年またはそれ以前まで遡ることができる」

とあり「そんなに昔から・・・!?」と、大変驚きました。

【校長】



   ※
参考(回文数に関する話題をいくつか紹介します)

「任意の数字について、この数字を逆に並べた数をもとの数に足す。この操作を繰り返すといずれは回文数に到達する」って聞いたことありますか?

例えば、私の名前のオノマトペである24という数字で試してみます。

24+42=66(一発でなりました!)

今日は1127日です。1127で試してみます。

1127+7211=8338(これも一発でなりました!)

今、校長室の湿度は59%です。59で試してみます。

59+95=154154+451=605605+506=1111(3回で到達しました)

皆さんも他の数で試してください。

ちなみに89は、24回の繰り返し計算で8813200023188という13桁の回文数に到達します!(私の手元の電卓は12桁までですから、最後は筆算で計算しました)

このように、2桁の数は全部なります。大阪経済大学の西山先生の論文によると、「3桁の数も次の13個(196, 295, 394, 493, 592, 689, 691,788, 790, 879, 887, 978, 986)を除いてこの操作で回文数に到達することが分かっている」とありました。

なぜこれら13個の数字がならないのか・・・、最初の数196にちなみ、「196問題」と名付けられ、コンピュータまで動員されて研究されているそうです。実は、この196、回文数になるのかならないのかもわかっていないんだそうで、それを証明することが数学界では「古くて新しい問題」とされているようです。

回文数に関しては1995年(平成7年)の算数オリンピックの次のような問題が出題されたことがあります

6桁の回文数で、95で割り切れ、割った答えも回文数となるものを求めよ。

計算は小学生程度ですみますが、かなりの論理的な思考力が必要かもしれません。興味のある方はやってみてください。

こんなこともありました!2年前の2015年(平成27年)は、西暦と和暦を2進法で表すと、どちらも回文数になるということで話題になりました。

2015(=11111011111)、27(=11011

では、その次と前はいつなんだろうと、当時考えてみたことがあります。

 西暦も和暦も両方ということなら、ありえない話になりますが、次は西暦2313年(平成325年)です。

2313(=100100001001)、325(=101000101

ちなみに、前は、江戸時代の西暦1787年(天明7年)です。

1787(=11011111011)、7(=111

回文数ではありませんが、12×42=24×21 こういう数式は、回文数式と言われています。142382×567765×283241 なども有名です。

また、101131のように回文数になっている素数は回文素数と呼ばれており、好事家が色々研究しているようです。


  (先ほど紹介した算数オリンピックの問題の答は527725で、実際に95で割ってみると5555となり、商も回文数になっています)

 

drive a nail とは?

 昨日、崇城大学で開催された平成29年度熊本県工業高等学校生徒研究発表大会で、本校機械科が発表した「世紀を越えて・・・~『一打入魂』和釘製作への“熱き”取り組み」が審査員特別賞(熊本大学工学部長賞)を受賞しました。

熱く”御指導いただいた石川先生に、発表した7人の生徒たちがよく応えた賜であると思いました。私も発表練習に5回も“熱く”お声をかけていただき、アドバイス求められるなど随分関わりましたので、受賞をとても嬉しく思っています。

正直、私が「和釘」の存在を知ったのは40歳を過ぎてからです。発表の中でも紹介されていましたが、法隆寺や薬師寺などの飛鳥時代の木造建築物が遥か1300年経った今でもきちんと立ち続けている秘密の一つに、和釘があるというのをテレビで見たのがきっかけでした。

また、本校機械科が鍛造の授業で製作した和釘を「くま川下り株式会社」に長年に渡って贈呈していることは新聞等で知っていましたが、和釘が洋釘に押されて絶滅の危機にあることや、頭部の形状が色々あることなどは、今回の研究成果に触れて初めて知りました。

地味な研究テーマであり、しかも多分、多くの高校生にとっても和釘はあまりなじみがないはずだと思われます。従って、どのように興味を引き出しながら、和釘の何たるかを伝えるか、そこに焦点を置いてプレゼンをするようにアドバイスをしたつもりです。


 学校からは堀事務長も午後1番からの発表に間に合うように大学に駆けつけられ、科主任の藤崎先生、担任の城本・大森両先生も含めて皆で固唾を飲みながら見守りました。

生徒たちは、大きな声で抑揚をしっかりつけながら堂々と発表できたので、全体の発表が終わった段階で「何か賞は取れるのでは・・・?」と予測していましが、見事に「熊本大学工学部長賞」を受賞しました。生徒の皆様、本当におめでとうございます。


 話は変わりますが、私は釘と聞けば鮮烈に思い出すことがあります。その様子をあえて英語で表現してみました。


   You can
drive a nail with a banana.
 

"drive a nail"とは、「釘を打つ」という慣用的な言い回しで、「バナナで釘が打てる」という意味になります。


 もう何のことかお分かりと思います。薔薇の花も砕けてしまうマイナス40℃の世界でもモービル社の自動車オイルはサラサラだということを強調するために、マイナス40℃の環境下で、バナナで釘を打っている様子のテレビCMが昔ありました。衝撃的なシーンで見覚えがある人もきっと多いはずです。

いらないことを書きましたが、とにかく関係の皆様、おめでとうございました。

【校長】


driveには動詞として「(乗り物を)運転する」とか「駆動する」といったよく知られた意味の他に、(釘などを)「叩き込む」という意味があります。普通には「打つ」はhitが思い付きますので、"hit a nail" でも良さそうな感じがしますが、工業校長会が実施している工業英語に関するリスニング英語検定でも"drive a nail"で作問されているようですので、"drive a nail"のほうが言い回し(コロケーション)として普通なのかもしれません。

ただ、辞書には、hitnailを使った慣用句として、"hit the nail on the head"というのが載っています。うまく釘の頭を打ったということで、「まさにその通り」や「(あなたの言ったことは)核心をついている」といった意味なんだそうです。確かに釘をきちんと打つには、それなりに精神を統一して釘の頭を狙ってハンマーを振り下ろさないと、曲がって入ってしまいます。これはアメリカ人が好んで使う熟語と聞いたことがありますので、覚えておくといいでしょう。


 ついでに・・・、弓道部の人は、「正鵠(せいこく)を射(い)る」(正鵠=弓の的の中央)という言葉を日頃から耳にしているはずです。そこから、「核心をつく」という文脈で使われます。"hit the nail on the head"と同じ意味だと思いますが、釘の頭をうまく打つより、「正鵠」を狙うほうがはるかに難しいというのが弓道をしている人の実感かもしれません。

トーローのオノ

先日、久々に歩いて通勤していたら、北門前の坂道でカマキリに遭遇しました。速度が十分の一に落ちるわけですから、クルマに乗っている時には見えない風景が広がるのは当然なわけですが、たまに道を歩くと私、前世はカマキリなのかと思うほど頻繁に出会います。それもなぜか道のど真ん中にカマキリが佇んでいるというシチュエーションで。

「なぜわざわざ草むらから出てくるの?餌がなかったの?それとも居場所がなかったの?」とか言いながら、クルマに轢かれないように手近にある棒を探してきて、「助けてあげるからこれに乗って」と棒1を差し出します。すると決まってカマを振り上げて「Y」のポーズをとられてしまいます。カマキリにはカマキリの都合があるのかもしれませんが、これは一体何のメッセージ?ひょっとして威嚇してるの?・・・、心が通じ合わないことを残念に思います。

ムカデや毛虫などひょろ長いのをはじめ、虫全般が今ひとつ好きではありません。でも、カマキリの赤ちゃんだけは別で可愛いと思って見とれてしまいます。淡い緑色が何ともいいですし、体長1センチにも満たないほど小さいくせに、ちゃんとカマキリという形をしているところにも惹かれます。ただ、大きいカマキリ、特にお腹がぷっくりしたのは別で、正直、あまり関わりたくありません。というのも・・・

生徒の皆さんは、昆虫界の名ハンターと言われるカマキリ、その捕食シーンを見たことがありますか?私はあります。口でバッタの腹部をバキバキ食べている姿は、えげつないという形容詞がぴったりで、ここでその詳細を書くのはとても憚れます。また、共食い直後だったんでしょうか、頭が取れてなくなっている大きなカマキリから「Y」されたこともあります。それと・・・、メスがオスを食べているところを実際に目撃2して・・・、そんなこんなで、ちょっとしたPTSD症状になりかけたからです。

前足(カマ?)についているギザギザ、あれは捕らえた虫を斬るためじゃなくて、動かないように押さえこむための歯だというのをその時初めて知りました。数年前には、電線にとまっているカマキリを見たことがあります。彼らの飛翔能力は意外に高いのかもしれません。また、カマキリは身体全体をゆらゆらさせていることがありますが、あれは一体何の儀式?と思ったこともあります。ということで、彼らが自然の中でどう暮らしているのか、怖い物見たさかもしれませんが、興味はあります。


 話は変わりますが、生徒の皆さん方、カマキリに「螳螂」や「蟷螂」という漢字を当てているのは最近の漢字ブームもあり知っているはずです。(もし知らなかった人は、スマホ等で「カマキリ」を変換してみてください。一発で「螳螂」などと出てきて感動するはずです)

では、中国の故事に基づく言葉に「蟷螂の斧(とうろう の おの)」というのがあるのは御存知でしたか?カマキリだから「蟷螂の『鎌』」だったらしっくりいくのに・・・というのは置いといて、自分の弱さをかえりみず強敵に挑んだり、はかない抵抗をしたりすることを意味するもので、カマキリが前足を振りかざして向かってくる習性を、斧を振り上げたかのように昔の中国の人が見立てたことに由来する表現です。
 

 1学期の終わり頃、2年生の国語総合の授業で故事成語を訓読し、書き下し文にしているのを廊下越しに見受けましたので、ひょっとしてこの「蟷螂の斧」も学習するのかと担当の先生に伺いました。

「カマキリ関係では、『みずかまきり』という川上弘子さんの短編小説は学習しますが、『蟷螂の斧』は教科書にないので扱っていません」ということでした。でも、とても面白い物語なので、ネット上の漢文解説サイトから参考までに引用しておきます。(出典:http://shun-ei.jugem.jp/?eid=704)

斉荘公出猟。有一虫。挙足将搏其輪。問其御曰、此何虫也。對曰、此所謂螳螂者也。其為虫也、知進而不知却。不量力而軽敵。荘公曰、此為人而必為天下勇武矣。廻車而避之。


 (書き下し文)

斉(せい)の荘公(そうこう) 出(い)でて猟す。一虫(いっちゅう)有り。足を挙げて将(まさ)に其(そ)の輪(りん)を搏(う)たんとす。其の御(ぎょ)に問ひて曰(い)はく、此(こ)れ何の虫ぞや、と。対(こた)へて曰はく、此れ所謂(いわゆる)螳螂なる者なり。其の虫為(た)るや、進むを知りて却(しりぞ)くを知らず。力を量(はか)らずして敵を軽んず、と。荘公曰はく、此れ人為(た)らば必ず天下の勇武と為(な)らん、と。車を廻(めぐ)らして之(これ)を避く。

(現代語訳)

斉(春秋時代の強国の一つ)の荘公(斉の国王の名)は野に出て狩猟をしました。(荘公の乗った車の前に)一匹の虫がいました。足を挙げて今にも車輪に打ちかかろうとします。(荘公が)御者に尋ねました、「これは何という虫だ。」と。(御者は)答えて言いました、「これはいわゆる『かまきり』というものでございます。」「その虫は、進むことは知っていますが、退くことを知りません。自分の力量を知りもしないで、敵を軽く見るのです。」と。荘公は言いました、「この虫がもし人間であったならば、必ず天下に名をとどろかす勇武の人になるだろう。」と。車をぐるっとまわらせて、カマキリを避けて通りました。

一国の国王がカマキリの勇気を賞賛して、わざわざ車の向きを変えさせて道を譲ったというこの逸話が実話かどうか知りませんが、こういう故事成語ができたということは、太古の時代からカマキリは道の真ん中をヒョコヒョコしていたんだろうと思います。

よく見ると、あのぎょろ目の三角形の顔も、時折きょとんと首をかしげるしぐさも一風変わった愛嬌があり、昔から人の目をひいていたのかもしれません。700円という高額切手の図柄に採用されているのも納得です。


そう言えば、前任校の話ですが、就職受験報告書に「短文に『トーローのオノ』などを入れる四択問題」3とあり、何のことだろう??と思ったことがありました。暫く考えて、多分次のような問題で出題されていたんだろうと推測しました。

たかが一市民が増税に反対しても、【   】に過ぎない。

選択肢 ①塞翁が馬 ②漁夫の利 ③蟷螂の斧 ④背水の陣


 この問題は、「だから無駄だ」のネガティブな意味で作問しました。しかし、それは視点を人間に置いたときの主観であり、カマキリ自身ははかない抵抗どころか、必死の反撃を試みてるわけですから、実力差があっても勇猛果敢に向かっていくという意味合いで使ってあげないと可哀想な気もします。

国王が一匹の虫に道を譲ったこの故事は日本に伝来し、カマキリは勇気ある虫とされたようで、左のようなカマキリが羽根を広げた姿の立物を取りつけた戦国期の兜を大河ドラマなどで見たことがある人はいるはずです。

最後に・・・。かまきりは英語でmantis [マンティス]ですが、その前にprayingを付けてpraying mantisと綴ることもあります。prayは「祈る」という意味ですね。なぜprayingが付いているかというと、前足を曲げている感じがまるで神に祈っているかのように見えるからなんだそうです。カマキリが振り上げた前足が東洋の人には攻撃のように見え、西洋の人には祈っているように見えるというのも不思議です。

【校長】

1昔、素手で助けようとして、カマで攻撃され、結構痛い目に遭いました。それ以来、棒を使っています。棒が見つからない時は、早く逃げるように念じながら、後ろ髪を引かれる思いで立ち去ります。

2本では読んだことがありますが、実際に目にするとさすがに怖すぎます。カマキリに生まれてこなくてよかったと心から思う瞬間です。


3
受験報告書は採用選考が適切に行われたかを確認したり、来年度以降受験する生徒への参考にしてもらったりするために、就職試験から帰ってきてすぐ記憶が新しいうちに作成してもらっています。どこの学校でも作成を求めているはずです。

この報告を見て、「蟷螂の斧」は就職試験に出る程度の一般常識なんだと認識を新たにさせられました。この故事成語、読めても漢字で書ける高校生はさすがに少ないとは思われます。しかし、「トーローのオノ」はいただけません。後輩のためにも、やはり面倒くさがらずに辞書をひいて報告するように指導すべきではなかったのか・・・と思った次第です。

 

よかボス宣言

 

    唐突ですが、この度、「よかボス宣言」を行いました。

働き方改革が叫ばれている中、働きやすく働きがいのある職場環境の実現を目指して、本県では蒲島知事を筆頭に「よかボス宣言」が行われ、県教育委員会でも宮尾教育長をはじめ各課長、地方機関の所属長が相次いで行っています。

「よかボス」とは、自分の仕事も部下の仕事も、自分のライフも部下のライフも大切にするカッコイイボスのことです。「完璧求めず余裕を」が持論のくまモン生みの親・小山薫堂氏の命名によるもので、厚生労働省等が推進している「イクボス」の熊本県版ということです。


    ということで、遅ればせながら、私も下記のとおり宣言しました。

自分で自分のことを「よかボス」と言うのは、何となくヘンで、面はゆい気すらしますが、「くまもと教育の日」の取組の一環として、生徒会執行部の生徒たちに集まってもらってこの宣言の趣旨を説明し、工業科の主任、生徒会担当、普通科の代表の先生たちの同席のもと、玄関前で記念写真に収まりました。

【校長】
    


        「よかボス宣言」 熊本県立球磨工業高等学校長

私は、幸せな人生が実現するよう、自ら仕事と生活の充実に取り組むとともに、職員の仕事と生活の充実を応援し、以下の事項を約束します。

1 私は、教育的愛情を持って生徒たちと真剣に向き合い、充実した仕事をする教職員を誇りに思います。

2 私は、保護者や地域などの理解と協力を得ながら、家族を大切にし、家事や余暇などの生活も楽しめる教職員を応援しています。

3 私は、計画的に休みを取るなど、オンとオフのメリハリをつけるよう勧めます。

4 私は、教職員の結婚、子育て、介護など、それぞれのライフステージにおける希望や安心が実現できるよう、応援します。

5 私は、生徒たちがお互いに切磋琢磨する中で充実した学校生活が送れるように、人権感覚に満ちた職場作りに教職員と共に邁進します。


 

駅伝部の走りに期待

11月4日(土)に開催予定の第70回熊本県高等学校駅伝競走大会に出場する陸上部(駅伝部)の選手13人が今朝、校長室に挨拶に来ました。

凜とした雰囲気の中、主将の山崎君が抱負を述べた後、1区から7区それぞれを走る選手たちから自己紹介がありました。

 


    私のほうからは次のような趣旨の激励を申し上げました。

 

夏休み中は30キロほど走り込み、普段の日も10キロ位走っていたと聞きました。私も時々その様子を目にしながら、皆さん方が駅伝にかける意気込みを感じていたところです。決して楽なものではなかったはずで、途中でくじけそうになったり、嫌になってやめてしまいたいと思ったりしたことも何度かあったはずです。そういう苦しいことを乗り越えての出場ということで、大変素晴らしいことであり、尊敬されるべきことでもあると思っています。

1区から2区、2区から3区へと最善の頑張りと情熱を襷(たすき)に込めて最後までつないでいってください。襷には全校生徒の期待もつまっています。これまでの練習の積み重ねを信じて学校の代表として力一杯走ってください。

当日、私はアイディアロボット県大会との掛け持ち応援になります。走り終わった後、えがお健康スタジアムでお会いしましょう。いい結果の報告があることを楽しみにしています。

【校長】

総アクセス数 811811 → この数字に隠された秘密

月が変わり今日から霜月。今月は3日が文化の日、23日が勤労感謝の日で、祝日が2回あり、生徒の皆さんにとっては、何となく嬉しい月かもしれません。(「どうせ部活だし・・・」の声も聞こえてきそうです)

 今朝4時39分現在のHP総アクセス数は811811です。上3桁と下3桁が同じ数字で、しかも今日から始まった11月を祝福するかのように、「11」という数字まで入っています。怖いくらい凄い偶然だと思いました。

 80万代(800000899999)にある10万個の数字の中に、
811811のように上3桁と下3桁が同じ数はいくつあるのでしょう?

一番小さな数は800800、次は801801、その次は802802、・・(途中略)・・、一番大きな数は899899ですから、丁度100個あることになります。従って、そういう数字に遭遇する確率は、100/100000 1/1000 ということになります。本校のHPは、現在1日当たり約1200件のアクセスをいただいていますので、1日に1回以上は上3桁と下3桁が等しい数字が現れていることになります。


 ところで、このように上3桁と下3桁が同じ6桁の数字には面白い性質があるのを御存知ですか?
 
私は教壇に立っていた頃、授業が早く終わって時間を持て余したときなど、電卓を出してごらんとか言いながら、次のような計算をさせていました。
 
何でもいいですから、好きな3桁の数字を電卓に入れてください。

≪表示 811(例)≫

もう1回その数字を押すと6桁の数字になるよね。

≪表示 811811

それを7で割ってごらん。(生徒「え~?」 私「大丈夫、割り切れるから」)

≪表示 115973≫

割り切れなかった人はいないはずですよね。じゃ、それを11で割ってごらん。多分ちゃんと割り切れるから。

≪表示 10543≫

どうですか。割り切れたでしょう。(生徒「あ、なんで~?」)

それをさらに13で割ってごらん。大丈夫!割り切れるはずだから。

≪表示 811≫
 
結果はどうなりましたか?元の数字に戻ったでしょう。(生徒「うおぉ!」)

 どんな数でやっても、7で割り、さらに11で割って、さらに13で割ると元に戻ります。最初は騒然としたり、狐につままれたような表情を見せていた生徒たちも色々な数字で試して楽しそうでした。

不思議ですよね・・・。(7も11も13も素数というのが出来すぎという感じすらします)でも生徒の皆さんには、なぜそうなるのか考えてほしいと思います。(中学生の皆さんでも十分に証明できるはずです)

 話は大きく変わりますが、13で思い出しました。今夜は十三夜のお月見の日です。そもそも、十五夜の日以外にお月見をする風習があることはご存知でしたか?

「十三夜」、あまり聞き慣れない言葉かもしれません。(十三夜は「じゅうさんや」と読み、「いざよい」と読む十六夜みたいなイレギュラーさはありません)

私は高校生の頃は耳にしたことはありませんでした。高校教師になって3校目、百人一首部の顧問になり、月を詠む歌(「秋風にたなびく雲の絶えまより もれ出づる月の影のさやけさ」(左京大夫顕輔)など百首中12首もあります)が気になり始めた30代前半の頃知ったはずです。

日本文化について詳しく述べたあるサイトに、十三夜について次のように解説してありましたので引用しておきます。(出典:http://jpnculture.net/juusanya/

 十三夜とは十五夜の約一ヶ月後に巡ってくる月の事を言います。旧暦の913日頃の月の事を言い、新暦では10月の中旬から下旬ごろに巡ってきます。

今年2017年の十三夜は、111()です。

十五夜の事を「中秋の名月」と呼ぶのに対して十三夜は「後の名月(のちのめいげつ)」と呼ばれます。また、十三夜は十五夜の後に巡ってくるので「後の月(のちのつき)」と呼ばれたり、栗や大豆(枝豆)をお供えする事から「栗名月」「豆名月」とも呼ばれたりしています。

十五夜はあまりすっきりしない夜空が多いのに対して、十三夜は晴れる事が多いようで『十三夜に曇りなし』という言葉もあります。

十五夜のお月見の風習は中国から伝わってきて、平安時代の頃に広く伝わった風習ですが、この十三夜は日本固有の風習です。延喜19(919)に宇多天皇が十五夜の宴に加えて、913日にも観月の宴を行ったのが十三夜の月見の始まりとも言われています。また、秋の収穫祭の一つだったのではないかとも言われています。

十五夜の次いで美しい月と言われ、一般的に十五夜にお月見をしたら十三夜にも必ずお月見をするものとされていました。これは十五夜だけを鑑賞することを『片月見』と呼び、縁起がよくないと言われていたからです。

 
連日、学校は部活に加えて、フェスタの準備や出し物の練習で夕方遅くまで煌々と明かりがついています。
 
「釣瓶落とし」の言葉通り日が暮れるのが早いこの頃、蛍光灯の明かりの下で、協力しながら文化祭の準備をしている生徒の皆さん方の姿を目にするのは、高校総体前の活気があるグラウンドの様子に次いで学校の四季の中で好きな光景です。

           
       【↑顧問の車のヘッドライトの明かりも借りて練習】   【↑フェスタの出し物の製作に没頭する生徒たち】

 そんな忙しい日々を送る生徒の皆さん、帰りがけに、満月2日前の少し欠けた十三夜の月を見上げてみませんか。

これから満ちていく、あと少しで完全に満ちる、その寸前に美を感じながら、ものづくりもそういう心構えで臨みたいとか、そんなことを考えながら月を愛でる心の余裕があると、きっといいことがあるかも…?

【校長】



  ※
参考(略証)

3桁の数の100の位をa、10の位をb、1の位をcとすると、この数は100a+10b+cと表すことができるので、これを2回続けるということは、

100000a+10000b+1000c+100a+10b+c

  =100100a+10010b+1001c

  =1001(100a+10b+c)

  =7×11×13×(100a+10b+c)

  ということで、上3桁と下3桁が同じ6桁の数字は、下3桁の1001倍であること、そして必ず71113を素因数に持つということが分かります。

ちなみに、総アクセス数である811811を素因数分解すると、

811811=7×11×13×811 になります。

任意の3桁の数字を1001倍するということは、まず1000倍で3桁繰り上がり、残り1倍分を加えるわけですから、上3桁に引き続きその数字が現れる6桁の数字になるというのは当然です。でも、7や11そして13で割れるということを唐突に示されると、何となく不思議な感じが拭えないわけです。