徒然雑記帖

トーローのオノ

先日、久々に歩いて通勤していたら、北門前の坂道でカマキリに遭遇しました。速度が十分の一に落ちるわけですから、クルマに乗っている時には見えない風景が広がるのは当然なわけですが、たまに道を歩くと私、前世はカマキリなのかと思うほど頻繁に出会います。それもなぜか道のど真ん中にカマキリが佇んでいるというシチュエーションで。

「なぜわざわざ草むらから出てくるの?餌がなかったの?それとも居場所がなかったの?」とか言いながら、クルマに轢かれないように手近にある棒を探してきて、「助けてあげるからこれに乗って」と棒1を差し出します。すると決まってカマを振り上げて「Y」のポーズをとられてしまいます。カマキリにはカマキリの都合があるのかもしれませんが、これは一体何のメッセージ?ひょっとして威嚇してるの?・・・、心が通じ合わないことを残念に思います。

ムカデや毛虫などひょろ長いのをはじめ、虫全般が今ひとつ好きではありません。でも、カマキリの赤ちゃんだけは別で可愛いと思って見とれてしまいます。淡い緑色が何ともいいですし、体長1センチにも満たないほど小さいくせに、ちゃんとカマキリという形をしているところにも惹かれます。ただ、大きいカマキリ、特にお腹がぷっくりしたのは別で、正直、あまり関わりたくありません。というのも・・・

生徒の皆さんは、昆虫界の名ハンターと言われるカマキリ、その捕食シーンを見たことがありますか?私はあります。口でバッタの腹部をバキバキ食べている姿は、えげつないという形容詞がぴったりで、ここでその詳細を書くのはとても憚れます。また、共食い直後だったんでしょうか、頭が取れてなくなっている大きなカマキリから「Y」されたこともあります。それと・・・、メスがオスを食べているところを実際に目撃2して・・・、そんなこんなで、ちょっとしたPTSD症状になりかけたからです。

前足(カマ?)についているギザギザ、あれは捕らえた虫を斬るためじゃなくて、動かないように押さえこむための歯だというのをその時初めて知りました。数年前には、電線にとまっているカマキリを見たことがあります。彼らの飛翔能力は意外に高いのかもしれません。また、カマキリは身体全体をゆらゆらさせていることがありますが、あれは一体何の儀式?と思ったこともあります。ということで、彼らが自然の中でどう暮らしているのか、怖い物見たさかもしれませんが、興味はあります。


 話は変わりますが、生徒の皆さん方、カマキリに「螳螂」や「蟷螂」という漢字を当てているのは最近の漢字ブームもあり知っているはずです。(もし知らなかった人は、スマホ等で「カマキリ」を変換してみてください。一発で「螳螂」などと出てきて感動するはずです)

では、中国の故事に基づく言葉に「蟷螂の斧(とうろう の おの)」というのがあるのは御存知でしたか?カマキリだから「蟷螂の『鎌』」だったらしっくりいくのに・・・というのは置いといて、自分の弱さをかえりみず強敵に挑んだり、はかない抵抗をしたりすることを意味するもので、カマキリが前足を振りかざして向かってくる習性を、斧を振り上げたかのように昔の中国の人が見立てたことに由来する表現です。
 

 1学期の終わり頃、2年生の国語総合の授業で故事成語を訓読し、書き下し文にしているのを廊下越しに見受けましたので、ひょっとしてこの「蟷螂の斧」も学習するのかと担当の先生に伺いました。

「カマキリ関係では、『みずかまきり』という川上弘子さんの短編小説は学習しますが、『蟷螂の斧』は教科書にないので扱っていません」ということでした。でも、とても面白い物語なので、ネット上の漢文解説サイトから参考までに引用しておきます。(出典:http://shun-ei.jugem.jp/?eid=704)

斉荘公出猟。有一虫。挙足将搏其輪。問其御曰、此何虫也。對曰、此所謂螳螂者也。其為虫也、知進而不知却。不量力而軽敵。荘公曰、此為人而必為天下勇武矣。廻車而避之。


 (書き下し文)

斉(せい)の荘公(そうこう) 出(い)でて猟す。一虫(いっちゅう)有り。足を挙げて将(まさ)に其(そ)の輪(りん)を搏(う)たんとす。其の御(ぎょ)に問ひて曰(い)はく、此(こ)れ何の虫ぞや、と。対(こた)へて曰はく、此れ所謂(いわゆる)螳螂なる者なり。其の虫為(た)るや、進むを知りて却(しりぞ)くを知らず。力を量(はか)らずして敵を軽んず、と。荘公曰はく、此れ人為(た)らば必ず天下の勇武と為(な)らん、と。車を廻(めぐ)らして之(これ)を避く。

(現代語訳)

斉(春秋時代の強国の一つ)の荘公(斉の国王の名)は野に出て狩猟をしました。(荘公の乗った車の前に)一匹の虫がいました。足を挙げて今にも車輪に打ちかかろうとします。(荘公が)御者に尋ねました、「これは何という虫だ。」と。(御者は)答えて言いました、「これはいわゆる『かまきり』というものでございます。」「その虫は、進むことは知っていますが、退くことを知りません。自分の力量を知りもしないで、敵を軽く見るのです。」と。荘公は言いました、「この虫がもし人間であったならば、必ず天下に名をとどろかす勇武の人になるだろう。」と。車をぐるっとまわらせて、カマキリを避けて通りました。

一国の国王がカマキリの勇気を賞賛して、わざわざ車の向きを変えさせて道を譲ったというこの逸話が実話かどうか知りませんが、こういう故事成語ができたということは、太古の時代からカマキリは道の真ん中をヒョコヒョコしていたんだろうと思います。

よく見ると、あのぎょろ目の三角形の顔も、時折きょとんと首をかしげるしぐさも一風変わった愛嬌があり、昔から人の目をひいていたのかもしれません。700円という高額切手の図柄に採用されているのも納得です。


そう言えば、前任校の話ですが、就職受験報告書に「短文に『トーローのオノ』などを入れる四択問題」3とあり、何のことだろう??と思ったことがありました。暫く考えて、多分次のような問題で出題されていたんだろうと推測しました。

たかが一市民が増税に反対しても、【   】に過ぎない。

選択肢 ①塞翁が馬 ②漁夫の利 ③蟷螂の斧 ④背水の陣


 この問題は、「だから無駄だ」のネガティブな意味で作問しました。しかし、それは視点を人間に置いたときの主観であり、カマキリ自身ははかない抵抗どころか、必死の反撃を試みてるわけですから、実力差があっても勇猛果敢に向かっていくという意味合いで使ってあげないと可哀想な気もします。

国王が一匹の虫に道を譲ったこの故事は日本に伝来し、カマキリは勇気ある虫とされたようで、左のようなカマキリが羽根を広げた姿の立物を取りつけた戦国期の兜を大河ドラマなどで見たことがある人はいるはずです。

最後に・・・。かまきりは英語でmantis [マンティス]ですが、その前にprayingを付けてpraying mantisと綴ることもあります。prayは「祈る」という意味ですね。なぜprayingが付いているかというと、前足を曲げている感じがまるで神に祈っているかのように見えるからなんだそうです。カマキリが振り上げた前足が東洋の人には攻撃のように見え、西洋の人には祈っているように見えるというのも不思議です。

【校長】

1昔、素手で助けようとして、カマで攻撃され、結構痛い目に遭いました。それ以来、棒を使っています。棒が見つからない時は、早く逃げるように念じながら、後ろ髪を引かれる思いで立ち去ります。

2本では読んだことがありますが、実際に目にするとさすがに怖すぎます。カマキリに生まれてこなくてよかったと心から思う瞬間です。


3
受験報告書は採用選考が適切に行われたかを確認したり、来年度以降受験する生徒への参考にしてもらったりするために、就職試験から帰ってきてすぐ記憶が新しいうちに作成してもらっています。どこの学校でも作成を求めているはずです。

この報告を見て、「蟷螂の斧」は就職試験に出る程度の一般常識なんだと認識を新たにさせられました。この故事成語、読めても漢字で書ける高校生はさすがに少ないとは思われます。しかし、「トーローのオノ」はいただけません。後輩のためにも、やはり面倒くさがらずに辞書をひいて報告するように指導すべきではなかったのか・・・と思った次第です。