徒然雑記帖

校長室の新しい絵

   昨年11月の初めに校長室の絵を掛け替え、心なしか校長室が明るい雰囲気になりました。

それまでの絵は、寒村にポツンと立つ茅葺きの民家を描いたもので、晩秋の侘しい風情も相まって、寂しさが一層募るような風景画(油絵)でした。

今度の絵は、赤い薔薇など色とりどりの花が咲き乱れる中を2匹の蝶が舞うもので、真ん中に置かれた金色の懐中時計との取り合わせが奇抜なB1サイズの水彩画です。

画題は「縛りの中で」。美術部の河野堅君(機械科2年A組:湯前中出身)の作品です。河野君は美術部に所属し、県風景画コンクールで特選になるなどめきめきと力をつけており、将来が楽しみな生徒です。河野君によると、「限られた時間の中で懸命に咲く花の美しさを懐中時計と多くの植物で表現した」ということでした。

  花と蝶までは分かりますが、懐中時計がなぜ出てくるのか私には今ひとつ分かりませんでした。スペインの抽象画家サルバドール・ダリが懐中時計をモチーフにした絵を沢山残していることを思い出しながら、「どういう発想でそういうことになったか」と河野君に聞いてみました。しかし、本人も分からないということでした。まさに抽象的で変幻自在なシュルレアリスム(超現実世界)???


  「絵を描くことで、心の中が整理できる」と聞いたことがあります。「描く」ということは、心の中に澱(おり)のように溜まった感情を一つ一つかみ砕くように整理し、絵として外に出し、再び自分の中に取り込むという作業に他ならないということでしょうか?鏡に映った自分を見るように、客観的に絵の中の自分の内面を見つめることができるということかもしれません。きっと河野君の心象風景に懐中時計があったのかな・・・と勝手な想像をしました。

私自身は列車など乗り物や工作機械などをスケッチするのは苦になりませんが、絵心はなく、小中高を通して絵が上手な人が羨ましかったです。

だからでしょうか、生徒の入選作を鑑賞するために美術展に足を運ぶことはあっても、日展をはじめ有名な画家の展覧会に足を運ぶことは滅多にありませんでした。

また、天皇の前で二手に分かれて、交互に見事な絵を披露して勝敗を競う絵合(えあわせ)など、そういうバトルが古く平安時代から行われていたことを「知識」として知ったのも40代になって源氏物語を読んでからでした。

さらに、前任校の美術の先生から、「描いている画面に対して集中するので瞑想をしている時のような無我の境地に入ることがある」とか聞いて驚いたこともあります。絵心が欲しかったな・・・と今改めて思います。


  色々書き連ねましたが、校長室にしょっちゅう来られるお客さんの中の何人かが「ひょっとして絵が替わりましたか?明るくなりましたね」と気付いてくださいました。私たち人間は、本能的にこういう想像的な芸術の世界を必要とする生き物であるということを実感し、嬉しく思う瞬間です。

【校長】