徒然雑記帖

大きく変わりつつある高校入試

 

 ここで述べることは1月21日にアップした「大学入試が変わる」と関連があるというか、その続編になることを最初にお断りしておきます。

 

 私、教師になって以来、本校生は一体どういう問題を解いて入学してくるのかという観点から、高校入試の問題を毎年、結構時間をかけて眺めています。そして「最近、変わってきているな・・・」とつくづく思っていることが3つあります。

 

 1つ目です。統計を取って分析しているわけでは勿論ありませんが、「平清盛は中国の(  )との貿易に力を入れた」というような単なる知識・理解を問う穴埋め問題に代わって、記述式で「思考力・判断力・表現力」を問う問題が年々増加傾向にあることを実感しています。その記述量自体も増えているのは間違いないはずです。例えば、昨年度の社会科の問題では記述式が8問出題され、新聞に掲載された正解例に示された文字数の合計は、句読点まで含めて208文字にのぼります。過去数年分の5教科の総記述文字数は、一体どう推移しているのかグラフ化してみると、きっと顕著な傾向が見えるはずだと睨んでいます。

 昔から証明が定番の数学は勿論のこと、国語や英語だけでなく、最近では理科や社会科でも、因果関係を説明させるものや、資料やグラフ・図表などを読み取って記述させる問題などが盛んに出題されています。しかも、解答を引き出すまでに読まなければならない資料や問題文がとにかく長くて多く、短時間に的確に自分の考えをまとめるためには相当な思考力や表現力が問われます。日頃から授業に主体的に臨んでおくことは勿論、様々なジャンルの本や新聞等を読んで自分の見識を深め、社会の動きにも関心を持っておくことが必要だと痛感します。

 

 2つ目は、1つ目で述べた「思考力・判断力・表現力」を問う記述式の問題が多く出題されるようになっていることから当然言えることですが、難化傾向にあるということです。

 私は専門が機械ということもあり、数学と中学生の頃から苦手だった「月」の問題を除いた理科だけは毎年全ての問題に挑戦しています。数学で例年出題されている二次関数と一次関数を組み合わせた問題や図形の融合問題(B問題)の中には、片手間では解けず、自宅に持ち帰って考え込むような問題がこのところ必ず1問はあります。誰がこんな難しい問題を作ったんだろう、この問題が時間内に解ける受験生がいるんだろうか、ひょっとして宇宙人?と思うほどです。そういう超優秀な頭脳の持ち主を早期に把握して、次のステップに向けて入学後の指導計画を立てるというのも高校にとっての難問の役割なのかもしれませんが・・・。

 

 3つ目は、設問の中で「会話形式」で進めていくパターンが著しく増えているということです。「対話」の強調は、「主体的・対話的で深い学び」を求める次期学習指導要領を貫くキィ・コンセプトでもあるわけですが、具体的には、初めにある事象や実験が示され、これに対して数人が話し合いを進め、考察し、その過程の中に問題を組み込むパターンです。

 例えば、昨年度の理科の問題では、由香さんと卓也君の会話が次のように出題されていました。

 

 由香:・・・・の河原で安山岩が見えたのはなぜかしら。

 卓也:・・・・を考えるとわかるかもしれないよ。・・・・・も興味深いね。

 由香:・・・・についても、もっとくわしく調べたいね。

 

 「~かしら」って女性語?かなり無理をして作問したようで、思わず「かわいいな・・・♪」とニヤケてしまったのは私一人ではないはずです。(「俺は・・・」で始まる会話はついぞ見たことがありません)

 それはさておき、この手の問題は私たち教師に、「子どもたちに考えさせる授業をしていますか?」というメッセージを投げかけているように思えてなりません。

 昨年度の社会科では、授業の一場面を扱った会話を元にした問題が出題されました。それをよく読んでみると、「先生」は何も知識を与えていません。ただ話題を提供して、答がある方向に誘導しているだけです。少々知識のある大人であれば、子どもに解き方を見せたり、答を与えたりすることは簡単です。しかし、そんなやり方ではダメだと言っているようにも思えます。

 中国には、「飢えている人に魚を与えると喜ばれるが、その場しのぎにしかならない。それよりも魚の釣り方を教えてあげることがその人のためにはなる」といった趣旨の老子の言葉に由来する格言があります。確かに、人に魚を与えても1日で食べてしまい、釣りを教えれば一生食べていけるわけですが、この格言は教育の現場でもしばしば引用され、まさに言い得て妙です。授業も一緒。授業が単に勉強を教える場となってはいけません。こうした入試問題は、「人生の課題解決の知恵を子どもたち自身が獲得できるような授業が求められている」ということを暗示しているようで、厳粛に受け止めなければならないと思っています。

 

 話は変わりますが、1月21日の記事で触れた大学共通テストのプレテストでも、生徒と先生の会話、生徒同士の議論といった「会話形式」の中での問題がほぼ全ての科目にありました。次は、平成30年の数学Ⅱ・数学Bの問題です。

 

 花子: これは前に授業で学習した漸化式の問題だね。まず,・・・・の形に変形するといいんだよね。

 太郎: そうだね。そうすると公比が・・・・の等比数列に結びつけられるね。

 花子: 求め方の方針が立たないよ。

 太郎: そういうときは,・・・・を代入して具体的な数列の様子をみてみよう。

 花子: ・・・・となったけど…。

 太郎: 階差数列を考えてみたらどうかな。

 

 「こういう数学的会話が教室で本当に展開されるのかな?」「正直、こんなに物分かりのよい生徒はいねぇよ!」といった受験生の斜に構えたような感想も多数あったようですが、共通テストも高校入試も、形としては全く同じ傾向です。結局、大学入試が変化しているので、高校入試も変化していると考えるのがもっとも自然といえるでしょう。

 

 そのような思いで大学入試センターのHPに公開されているプレテストの問題を改めて眺めていて面白いことに気付きました。

 作問の在り方をつくづく考えさせられます。「超駄」かもしれませんし、少々長くもなります。お暇な方はおつきあいください。これは、平成30年のプレテストの国語の古文の問題の最後の設問です。源氏物語からの出題でした。以下に抜粋します。なお、○○や△△、・・・などは、それぞれコッテリした文言が入っていますが、この問題を考える際には全く関係ないので省略しています。

 

 二重傍線部の解釈として、会話の後に六人の生徒から出された発言のうち、適当なものを二つ選べ。ただし、解答の順序は問わない。

 

 生徒A: 私は○○だと思います。

 生徒B: そうかなあ。私は△△だと思います。

 生徒C: 私はAさんの意見がいいと思う。つまり・・・ということになるね。

 生徒D: 私もAさんの意見でいいと思うけど、✕✕に関してはCさんとは意見が違って・・・・。

 生徒E: いや、私はBさんの意見ほうが正しいと思うよ。・・・だから。

 生徒F: 私もBさんの意見のほうがいいと思う。でも、・・・だよ。

 

 「これって本当に対話だろうか?」、そのような思いはとりあえず置いておき、単純な組み合わせの問題と捉えると、で15通り(AとB、AとC、AとD、AとE、AとF、BとC、BとD、BとE、BとF、CとD、CとE、CとF、DとE、DとF、EとF)の組み合わせが考えられます。

 ここで、話の流れを吟味してみます。まず生徒Aと生徒Bが大きく2つの異なる見解を出して、それに対して生徒A側に賛同する立場から、生徒Cと生徒Dが異なる見解を補足しています。同様に生徒B側に賛同する立場から生徒Eと生徒Fが異なる見解を補足しています。そのことは、・・・等で本質的な所を抜いたこの会話からでも見抜けます。

 

 Aの意見に賛同しているのはCとDであり、Bの意見に賛同しているのがEとFであることを考えあわせると、まずAとBで大きな二者選択になってしまうので、AとBの組み合わせを即削除、そして、AとE、AとF、BとC、BとDの4通りも論理的にあり得なくなり、すぐに除外が可能です。

 同様に考えると、CとD、EとFも矛盾しているし、CとE、CとF、そしてDとE、DとFもヘンな組み合わせとして除外できます。

 結局、AとC、AとD、BとE、BとFの4通りのうちどれかという問題です。実際、この問題の正解は、BとFです。

 

 よ~く考えるまでもなく、二重傍線部の解釈を誤り、最初の選択であるAかBの選択を誤るとAとCやAとDを選択しかねず、その場合全滅してしまう可能性があります。この問題の配点は1問7点であり、2問で14点という今回の国語のプレテストの中では最大の配点になっていました。14点ゲットできるか0点か、この差は実に大きいと思います。こんなときは、「矛盾していることは重々承知でAとBを選ぶと7点は確保できるんじゃ?」とかやけくそ気味に考えた受験生がいたかもしれません。

 

 そういうことで、生徒たちが対話や議論する問題で思考力・判断力等を問う問題を作問するのは、難しい一面があると考えさせられたところでした。

                                        【校長】