徒然雑記帖

面接の練習が行われています

 

 1学期も残り1週間を切りました。蒸し暑い昼下がり、校内のあちこちから「失礼します」と大きな声が響いてきます。写真は機械科の面接の練習の様子です。

 

 本校の面接の練習は、各科ごとに専門科目の授業や実習等から少しずつ時間を捻出して行うものと、全職員に生徒数名を割り振って行う2系統で行っています。私がこれまで勤務した学校では、全職員が面接に関わる方式は経験ありません。本校だけの特色あるキャリア教育の取組かもしれません。

 

 ところで、面接の練習の功罪、色々と言われています。企業関係者からも「志望の理由など棒暗記してきたものをオウム返しに言うだけで、ちょっとイレギュラーな質問をすると返答に窮する」などと、面接の練習をやり過ぎて「面接慣れ」していることについて、時として厳しい御意見を伺うことがあります。おっしゃることは、私たちも前期(特色)選抜等で中学生受験者に面接をしていて、全く同じことを感じることがままあり、よく分かります。

 でも、だからと言って、面接の練習を全くせずに、就職試験に臨ませることは躊躇します。やはり、当日の緊張を和らげ、事前に会話の印象を確認できるなどのメリットも大きく、適度な練習は欠かせないと思っているからです。生徒の皆さんは、友人や家族に面接官役をお願いする、録画して確認する…などの方法も使って、客観的な意見をもらいながら練習を深めてください。

 

 建築科伝統建築コースの生徒たちの面接の練習は、午前中にあっていたそうです。宮大工希望の生徒もいるはずです。

 図書館にある菊池恭二著「宮大工の人育て」のp.212~216には、「採用では、一に真面目さ、二にやる気と覚悟」と題して次のような記述がありました。これを読むと、「面接は虚々実々だ!」とまで言ったら大げさかもしれませんが、採用側と受験生との一対一の真剣勝負であることがよく分かります。一部を引用します。

 

 弟子を取るときは採用面接を行います。工務店の子どもさん、公務員の子どもさん、いろいろな人がきます。学歴はいっさい関係ないし、ペーパーの試験をやるわけでもありません。弟子にするかどうかは基本的に面接のみで判断します。決めては何かといったら、一に真面目さ、二にやる気と覚悟、これに尽きます。それがどれだけあるかを基準にして見ます。あとは宮大工という特殊な職人の世界でやっていけそうかどうか、その適性です。・・・(中略)・・・

 やる気と覚悟を見るためにあえて突き放した厳しいことも言います。「宮大工になったって普通の住宅みたいに仕事があるわけじゃない。先々どうなるかわからないし、ある日突然、仕事が全然なくなるかもしれない。それでは彼女がいたって結婚もできやしない。それこそ結婚して子どもでもいたら、どうやって家族食わしていくんだ。早く一人前になって独立したいなんて夢を描いてるかもしれないけれど、そんな甘いもんじゃないぞ」

 その一方で、「やる気と実力さえあれば、いくらでもいい思いもできるよ」と大きな夢も語って聞かせます。「宮大工は、野球の選手や相撲の力士なんかと同じように、実力次第でいくらでも稼げるし、歴史に残るような仕事もできる。千年後の人たちに自分の名前を残すことだってできる。本人の努力次第で名のある棟梁にもなれるし、大きな工務店の経営者にだってなれる。宮大工にはそういう大きな夢があるぞ」

 厳しい現実と夢の迫で、子どもたちの顔には不安や希望の表情が微妙に交差しながら浮かんできます。それを見逃さず、読み取るようにしています。