徒然雑記帖

こめかみには夕日のうず

 

 学校は昨日から学年末考査が始まりました。1年を締めくくる大事な試験です。全力を尽くしてください。

 

 ところで、先日の3連休、寒い日々が続きました。生徒の皆さんは勿論、試験勉強に明け暮れていたはずですが、私は10日(日)に今年初めて金峰山(熊本市:665m)に登りました。南区島町の自宅から熊本西高校の横を通り過ぎて、河内町の手前から右折するコースで、片道17km位です。下山中の午後6時頃、雲仙普賢岳の横、島原半島に夕日が沈んでいました。あまりにも綺麗だったのでスマホでパシャリ。

 

 夕暮れは、古来詩情をかき立てるようです。百人一首には収められてないけど「三夕(さんせき)の歌」と呼ばれる名歌があると昔、カルタ部の指導をしていた時、何かの本で読んだことがあります。さっそく調べ直すと・・・

 

 さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ (寂蓮)

 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ (西行)

 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ (藤原定家)

 

 いずれも新古今和歌集に採られた歌で、三句目を「けり」(詠嘆)で切り、五句目を「秋の夕暮れ」(体言止め)で結んでいます。最初の寂蓮法師の歌は意味がちょっと取りにくいですが、下2つは口語訳がなくても、今を生きる私たちにも寂寥とした景色が思い浮かんでくるほど分かりやすいはずです。秋の夕暮れの美しさと侘しさを愛でる心は日本人のDNAなのか、今も昔も変わらないと言ってもいいかもしれません。

 

 とは言っても、夕暮れの捉え方も色々あるようでビックリです。「理系の人々」という理系へのイメージや偏見を面白おかしく描いたコミック本があります。本校の図書館には収蔵してありませんが、映画化もされているぐらいですから読んだ方がきっといるはずです。その中に「夕日」を巡って、太陽が沈むと、太陽光が通る大気の長さが長くなり、その結果、可視光線の青以外にも波長の短いその他の色も散乱してしまい、最終的に最も波長の長い赤色が目に飛び込んでくるという当然の現象が起こるだけで、なぜ文系の人たちがそんなに心を動かされるのかよく分からない・・・といった自虐?ネタで展開するストーリーがありました。私も理系の端くれのつもりですが、そこまで醒めた目で夕日を眺める人たちがいるとは…、いやはやです。

 やはり、秋の夕暮れに真っ赤な太陽が沈んでゆくのを眺めながら、その瞬間に自分の二度と反復できない生の一回性に深く思いを致すだろうし、もしその隣に大切な人がいなかったら写メを送ってでもその光景を享有したいという気持ちがわき上がる(これらが文系の人たちの一般的な思考パターンなのかよくわかりませんが)のは当然だと思うし、どちらかというと私はそういうタイプです。

 

 と言うことで、私にとって夕暮れは、中森明菜さんの名曲「トワイライト~夕暮れ便り~」が条件反射です。夕日を見るたびにタイトルに記したイントロ部を口ずさんでいた昔もありました。

私と同年代の方にとっては多分懐かしく思い出すであろうこの曲、大学を出て大阪の民間企業に就職した翌年、1983(昭和58)年にヒットしたもので、作詞が来生(きすぎ)えつこさん、作曲が来生たかおさんの姉弟による作品です。生徒の皆さん達にとっては、生まれる前の話ですから知らない人が多いかも?ぜひyoutubeなどで聴いてみてください。以下の話を納得してもらえるはずです。

 

 「三夕の歌」のついでに、なぜこの曲について触れようと思ったかというと、昨夜、学校から帰ってラジオをかけて寛いでいたら、バレンタイン特集を締めくくる最後の曲として流れてきたからです。本当に久々に聴きました。私、懐かしさで思わず、読みかけの本を落っことしてしまいそうでした。

 

 『や~はり あ~なたと 一緒に居たい 一言かきあぐね ・・・・・ 感じますか 届きますか この黄昏と恋便りまでも♪』

 

 私は以前から、山口百恵さんの「いい日旅立ち」など、静かに愛する人のことを思いつめるバラード系が大好きでした。この「トワイライト」もその一つです。twilightとは、本来、黄昏(たそがれ)時、日の出前や日没後の薄明かりを意味します。初めて聞いた時、曲想自体もしみじみとして涙が出そうになったのですが、詞に対して何と素敵なタイトルをつけたんだろう思いました。でも、印刷された詞だけ読んでも、どうって事ありません。「好きな人に自分の想いを届けるために手紙を書く」、ただそれだけのことを綿々と大げさに表現しているだけです。しかし、曲が詞とあいまって盛り上がる、この効果は絶妙です。また、「一筆書く、手紙を書き送る」を英熟語でdrop a line と表記することがすんなりと腑に落ちる曲でもあります。

 きっとこの曲の主人公は、恋も失恋も色々経験して、一人でいる時に美しい景色を見て、好きな人に思いを馳せることを何度もしたのかもしれません。一言一言がグッと胸に突き刺さるだけでなく、海辺の清涼感と黄昏の残照も感じさせる抒情的な名曲だと思います。もし、西行や定家が生きていたら、この曲をどう評するのか興味深いところです。

 

 話は大きく変わりますが、若い頃の私にとって、中森明菜さんはリリースする曲ごとに「ウ~ん」「エッ!」と、思いが交錯した不思議な歌手でもありました。

 デビュー曲「スローモーション」、来生姉弟の曲です。思春期のときめきを感じさせる清純なイメージ。その可愛らしさを打ち砕く「少女A」。これって不良賛歌?騙された!と思う間も無く、またしても来生姉弟の手による「セカンドラブ」。私の十八番。切ない系のバラードでやっぱり根はいい子だったんだ、とか思っていたら「二分の一の神話」で「いい加減にして〜!」と絶唱。これって突っ張りそのもの?そして「トワイライト~夕暮れ便り~」でしみじみと。どれが本当の明菜さんなのか、本校生の中にもこういう二面性を巧みに演じ分けることができる人がいるのでしょうか?

 

 最後に・・・、かつて大阪と札幌を結ぶ「トワイライト・エクスプレス」というJR西日本が運行していた寝台特急列車がありました。出発時の夕暮れと到着時の明け方のそれぞれの時の薄明かりのイメージが命名の由来と聞いていましたが、実際に乗車して、日本海に沈む夕日などを車窓越しに眺めて納得しました。大阪駅を出発してすぐの車内放送の出だしにかかる音楽が山口百恵さんの「いい日旅立ち」で、いやがうえでも旅情が高まり、そういう意味で凝った演出をしていた列車でした。

 もう一つ。明菜さんは私より6つ年下のはずだから今は何歳なんだろうかと指を折ったりもします。心の中では80年代のアイドルのまま(そういう意味ではこの記事の中で「明菜さん」は「明菜ちゃん」と表記したかった)です。でも、みんな平等に1年に1つずつ歳をとります。トワイライト(twilight)には、人生の黄昏即ち終末期の意味もあります。本を落っことすほど反応してしまったのは、心だけは若者のつもりでも、そ~っと人生の晩年が忍び寄ってきている証拠かもしれません。

【校長】