熊本地震から3ヶ月余り
あの日から100日、テレビは犠牲者慰霊祭の様子を放映していました。遺族代表が「夢であってほしかった」と穏やかに語り、故郷の復興を願って気丈に言葉を紡いでおられる姿を目にし、胸が一杯になりました。 人を思い遣る優しい気持ちを育んでほしいと、生徒会顧問に復興支援ボランティアを企画していただき、希望者を募って先日派遣しました。西原村に向かう途中、ブルーシートがかぶさったり、崩壊し傾いたりした家々を目にしたはずです。被害がほとんどなかった天草の子どもたちは、この厳しい現実をどのように受け止めたのでしょうか。帰校を出迎えはしましたが、炎天下の作業でぐったりと疲れ果ててバスを降り立つ生徒を見て、聞くことが憚られました。
「その直後には、誰もかれもがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、いささか欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、月日が重なり、何年か過ぎた後は、そんなことを言葉にする人もいなくなった」 人の性(さが)の常とはいえ、800年前の人たちもそうだったのだと思うと、身につまるものがあります。
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