日誌

金栗四三さんを知っていますか(校長式辞逸話)

 金栗四三さんを知ってますか。100年以上も前に玉名に生まれ。日本人初のオリンピック選手に選ばれた彼は、1912年の第5回ストックホルムオリンピックに出場した。しかし、当日は40℃を越える猛暑で、過酷なレースであり、彼は27キロで意識を失い完走できなかった。第6回は第一次世界大戦で中止、第7回は16位、第8回パリオリンピックでは途中棄権でとうとうメダルを取ることはできなかった。しかし、その間世界記録を3回樹立し、オリンピックで16年間走り続けたが、マスコミにはオリンピックの結果だけを取り上げられ、叩かれ続けた。

 それでも彼は、日本のマラソンの父と呼ばれている。グリコのマークのモデルは金栗さんである。今、「うまかなよかなスタジアム」は4年前には「KKウイング」と呼ばれていた。K(くまもとのK)K(金栗さんのK)だそうである。いまでもゲイトの一つは金栗ゲイトと言われている。大変尊敬すべき神様みたいな人である。

 金栗さんは「体力・気力・努力」と言っている。それにも順序があって、「体力がつくと気力がわく、気力がわくと努力する」だから、何よりも体を鍛えることだと言われた。3回のオリンピックに出場への練習量は25万キロ、地球を6周と1/4の距離で、ほんとうに努力の人だった。

 また、金栗さんは陸上競技を市民に広める活動にも熱心に取り組まれた。現在の箱根駅伝、○○走ろう会、市民マラソンなどは、金栗さんの功績である。

昭和42年76才の老人になっていた金栗さんに、スウエーデンオリンピック委員会から招待状が届いた。「ストックホルムオリンピック開催55周年記念式典準備中、あなたは行方不明となっている。棄権とはなっていない。まだゴールされていません、ゴールされることを待っています」との内容だった。金栗さんは半世紀ぶりに思い出のスタジアムのメインスタンド前の白いゴールテープをしっかりとした足取りでゴール。「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ケ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスが響き渡った。

 挫折しても挫折しても、ゴールを目指す人間の象徴として伝えられている金栗四三さん。最後まで走る体力と、気力と、努力が必要だというその言葉は今も輝きを放っている。