学校生活

2学期始業式

9月1日(月)は、2学期始業式が行われました。

以下は、校長講話の概要です。

熊本では8月7日~8日にかけて集中豪雨がありましたが、皆さん被害はなかったでしょうか。あるいは皆さんの御親戚等で被害に遭われた方々もいらっしゃるかもしれません。心よりお見舞い申し上げます。

さて、長い夏休みが終わりましたが、有意義な夏休みを過ごせましたか?1学期の終業式では、何かを「探」ってくださいとみなさんに伝えました。探ったら次につなげる。そこで本日は「究」という字を書いてきました。「究」めるの字にした理由についてお話します。

「人並み(人と同じこと)は、人並みぞ。人並みはずれんば、はずれんぞ。」これは、既に鬼籍に入っている私の祖母が生前よく言っていた言葉です。子どもの頃、一緒に住んでいたわけではなかったので、年に数回会う程度でしたが会うたびにこれを言っていました。下線部の「はずれんば」とは、「人並み以上の努力・何事も究める努力」という意味に解釈できます。子どもの頃は何となく聞いていたこの言葉の意味が、大人になってから「多分こういう意味で祖母は言っていたんだろうな。」と感じるようになりました。人並み以上の努力をしないと何事も成し遂げられないのです。

ところで先日、絶賛上演中の「鬼滅の刃」というアニメを鑑賞してきました。話題に上がっている作品はできるだけ視聴するようにしているのですが、アニメ作品をとおして人生論が語られている描写が多いことも鑑賞に行く理由です。

登場人物「我妻善逸」は、戦闘法「雷の呼吸」の中で、いくつかあるうちの1つしか体得できませんでしたが、その「我妻善逸」の師匠(じいちゃん)の言葉です。

「いいんだ、善逸。お前はそれでいい。一つできれば、万々歳だ。それを極め抜け。極限の極限まで、磨け。」 

字は違いますが、ここは「究める」とも解釈できます。 

また、バスケットの神様とも呼ばれている「マイケル・ジョーダン(1963~)」は、史上最高のバスケットボール選手です。以下は彼の言葉です。

You can practice shooting 8 hours a day,but if your technique is wrong,then all you become is very good at shooting the wrong way.

Get the fundamentals down and the level of everything you do will rise.

「基礎を身につければ、君がやることすべてのレベルが上がる」→「究める」

なんでもいい。一つでいい。 何かを究める二学期にしてください。

以上が校長講話の要旨です。

講話後は校歌斉唱、その後各部主任主事より連絡がありました。

式後は各教室に分かれてLHRです。久しぶりに会えて、皆さんうれしそうです。

「我妻善逸」の師匠(じいちゃん)と、マイケル・ジョーダン氏の言葉を励みにして、探究する力を育み、主体的な学びで夢(願い)を実現するための2学期であることを願います。