商業科の活動

暗渠排水 明治期の遺産発見

冨田甚平(とみた じんぺい) 明治〜昭和期の農業指導者

生年嘉永11130(1848) 没年昭和2(1927)33

出生地肥後国菊池郡水島村(熊本県菊池郡七城町)

 経歴生家は郷士で田畑5町歩の地主。同郡辺田村の筑紫宗甫に入門して漢学を修める。のち農業に従事するようになり、明治11年に劣等の湿田が多い同郡の農業改善のため、暗渠排水による乾田化の実験を行って冨田式暗渠排水法を考案。23年鹿児島県農商課雇となり、加納久宜知事の下で耕地の整理事業を担当。33年には山口県農事巡回教師に就任し、自身が研究した排水法の普及や農事改良の指導に当たった。さらに43年から大正3年まで秋田県で耕地整理に携わった。その後、朝鮮に渡り、長男の両助と共に同地の開拓事業に尽力。建野保との共著に「冨田式暗渠排水法」がある。 
 コトバンクより引用しました。

明治期の暗渠排水が残っているとの情報があり、玉名市、和水町、山鹿市、菊池市、鞠智城温故創生館など多くの関係者が集まりました。菊池高校商業科1年生も駆けつけました。
下の方は、素焼きの管でできています。

写真奥の方に向かって地中を排水管が埋め込まれているそうです。
この地域は以前水はけが悪く畑や水田に利用することができなかったそうです。

昨日まで快晴でしたが、今日は強風にあおられて大変です。

雨も降り出しました。

深さはちょうど1mありました。

土地割りの字名が不毛(ふけ)だそうです。
この区画では農作物が収穫できない状態だったことがわかります。

足を滑らせて田んぼに落ちました。

日本遺産に認定されたこともあり、これから更に調査を進めていきます。

2017/07/14 の熊日新聞に関連記事が載りました。