校長室からの風
西高周辺ぶらり散策(その2) ~ 小島地区
熊本西高の西門から直線の農道を南へ約400m行くと、県道28号との交差点があり、その南側に西区役所があります。赴任の挨拶に4月初旬に訪問したところ、甲斐区長さんから「西高の生徒の皆さんのアイデアと行動を期待しています」と温かい言葉をいただきました。防災、観光をはじめまちづくり全般にわたって高校生に参加の機会を与えて頂いており、感謝しています。西高としても、熊本市西区にある唯一の県立高校として、西区のコミュニティスクールでありたいと願っています。
さて、西区は、北は芳野(よしの)や河内(かわち)、東は鹿児島本線を超えて崇城大学のある池田までと広い面積を有していますが、区役所は最も南の小島校区にあります(小島2丁目)。「校長室からの風」ですでに紹介した、熊本市で最も標高の低い山(29m)、御坊山(おんぼさん)がこの「小島」(おしま)の地名の由来と言われます。西区役所から西方およそ500mのところに御坊山はあります。西高からいつも眺めていましたが、先般の大型連休中、「御坊山登山」をしました。麓の石鳥居をくぐり山頂の小島阿蘇神社まで100段余の急な石段です。まさに胸突き坂です。山の周囲(約400m)は遊歩道が敷かれ、地元の人々に親しまれていることがよくわかります。
御坊山からさらに西へ進み、南北に走る国道501を越えると、小島町の中心部となります。坪井川と白川に挟まれた三角州地帯と言えます。ここで見逃せない史跡があります。明治天皇行在所(あんざいしょ)跡です。明治5年、明治天皇が長崎から海路、熊本行幸(ぎょうこう)されました。有明海の沖合で軍艦を下船、艀(はしけ)に乗り換え、坪井川河口の小島港に到着され、ここで一泊された記念すべき場所です。木造2階建ての日本家屋と庭園が往時を偲ばせます。
明治天皇行在所跡のすぐ西側に小島小学校があり、児童の元気な声が響いています。小島小学校正門脇に、古色蒼然とした石碑が立っています。大津波の災害の歴史を伝えるものです。1792年(寛政4年)、島原半島の眉山が噴火、崩壊、有明海で大津波が発生し、対岸の肥後に押し寄せ、沿岸部で甚大な被害が生じました。「島原大変、肥後迷惑」と呼ばれる大災害の記録を後世に継承しています。この付近は海抜2~3mでしょうか。過去の記録を伝えることは、防災上、重要な意義があると思います。
小島町界隈を歩くと潮の香りがして、はっとします。有明海(島原湾)はすぐそこです。「西高は、海に近い学校」だと気づかされます。
御坊山の登山口 明治天皇行在所跡 「大津波」碑
西高周辺ぶらり散策(その1) ~ 城山校区から高橋校区
西高が位置する熊本市西区城山大塘(じょうざんおおども)は小学校単位で言えば城山校区に当たります。その城山校区自治協議会が5月12日(水)に城山コミュニティセンターで開かれ、私も出席しました。第1~11町内の自治会長さんはじめ社会福祉協議会、老人会、青少年健全育成、民政児童委員、消防団等の地域の各団体、西区まちづくり担当、保健子ども課の行政、そして城山小学校、三和中学校、西高と学校も集いました。
各団体の紹介や活動報告がなされましたが、西高への親近感、期待感を口に出される方が幾人もいらっしゃいました。「地域の行事に高校生が来てくれると本当に助かる!」、「わしの息子も西高を出たばい」等。あらためて、西高が地域の皆さんに支えられていることを実感しました。
西高には県内広く80余校の中学校から生徒たちが通学しています。しかし、学校の所在地であるこの城山校区、そして広げても西区こそが学校の拠り所(コミュニティ)になると思います。この1年あまりはコロナ禍で機会は減りましたが、ボランティア活動、就業体験(インターンシップ)、探究活動と地域に出かけ、関わる西高生は少なくありません。
城山校区のシンボルは、高橋稲荷神社です。日本五大稲荷の一つに数えられ、商売の神様として知られています。社の起源は室町期にさかのぼりますが、現在地に建立されたのは江戸時代前期です。背後の城山(標高47m)は中世には山城だったと伝えられ、校区名の由来の山です。傾斜地で高低差のある境内の清掃ボランティアに西高生がよく参加します。また、参拝用の階段沿いに、西高美術部が制作寄贈したパネル版の絵が並びます。その年の干支をテーマとしたものです。また、同社の北、坪井川を渡る高橋稲荷大橋は朱色で目立つものですが、現在、この橋から下流にかけて両岸を結び鯉のぼりが泳いでおり、初夏の風物詩です。この鯉のぼり設営にも西高生がボランティアで関わっています。
高橋稲荷大橋の両岸周辺は、高橋校区となります。城山校区に隣接し、面積は小さいのですが、歴史ある地域です。江戸時代、高橋は熊本城下の舟運物資の集散地で、坪井川の港町として栄えました。城下町(熊本)、菊池川河口の高瀬(玉名)、緑川河口の川尻、球磨川河口の八代と並び「肥後の五か町」の一つと認められていたのです。城山校区にありながら、「高橋」稲荷神社と呼ばれるのは、かつての高橋(町)の地名の威光だと言われます。
城山校区から高橋校区まで話が広がりましたので、今日はこの辺で風をとめたいと思います。西高の周辺は、近代に入り新しく造成された地域という誤解があります。そんなことはありません。地域を歩くと、地層のように重なった歴史や文化を呼び起こすことができる気がします。
二つの山にはさまれて ~ 金峰山と御坊山
「教室の窓から山々が近くに見えるのが新鮮です。山を眺めるのは大好きです!」
高校入学しておよそ一月(ひとつき)経った感想を1年生に聞いたところ、ある女子生徒がこのような感想を述べてくれました。市街地から通学しているそうで、熊本市内の高校でこれほど山が間近に迫って見えるとは思ってもいなかったと明るい表情でした。
熊本西高の北には金峰山山系の山並みが広がっています。1学年の教室棟は教室棟の中で最も北側に位置しているため、教室の窓から山々が近くに望めるのです。山々の若葉がまぶしい、新緑の季節を迎えました。
西高運動場から見て、ひときわ高くそびえるのが金峰山一の岳です。電波塔が立っていて、遠くからでもよくわかります。熊本市民に広く親しまれている山です。標高は665m。そして、西高からは見えませんが、北に連なる金峰山山系の二の岳685mが熊本市で最も高い山です。西高校歌に「朝夕仰ぐ 金峰の 雄姿に高き 希望(のぞみ)あり」との一節があります。金峰山は高きのぞみ、目標の象徴と言えるでしょう。
ところで、学校から南西の方角にこんもりとした森が見えます。運動場や西門からよく見え、私は赴任当初から気になっていました。この森は、御坊山(おんぼさん)と呼ばれる山です。標高29mの熊本市で一番低い山です。元々は海に浮かぶ島でしたが、白川と坪井川が運んできた土砂で周囲が埋まり、今の姿になりました。小さくても存在感があり、地元の人から親しまれています。御坊山がある地区を「小島(おしま)」と呼びますが、この地名は御坊山が由来だと言われています。小島地区は、白川の河口に当たります。
金峰山と御坊山。二つの山の間に西高ははさまれています。金峰山は高き目標を示していると思えます。一方、御坊山は、小さいものを見過ごさないことの大切さを教えているように感じます。あの森は何だろう、山かな?と疑問を持ち、気づく感性は大切です。
対照的な二つの山を通し、高き目標を持つこと、小さなことをおろそかにしないことを西高生の皆さんに伝えたいと思います。
金峰山 御坊山
「We are 西高!」 ~ 第44回西高体育大会開催
「We are 西高! We are 西高!」
プログラム最後の「全校応援」は圧巻でした。全校生徒が運動場に集結し、応援団リーダーの指揮のもと気持ちをひとつに声をそろえました。マスクをしていても声は響き渡り、計り知れない若いエネルギーが渦巻き、空に舞い上がっていったように感じました。全校生徒及び職員の力を結集し、体育大会を創り上げることができ、学校全体が一体感そして達成感に包まれました。
第44回熊本西高校体育大会をきょう5月8日(土)に開催しました。コロナパンデミックのもと、限られた練習・準備期間、平年より縮小されたプログラム、そして無観客という制約の中でしたが、「今年は体育大会をしたい」という生徒と職員の強い意志で成し遂げました。
西高の体育大会は私にとって初めてでした。予行(5/6)の日に、西高グラウンドにおいて、凹面鏡を使い太陽光から採火を行いました。オリンピックのギリシアでの採火式のように、生徒会の生徒が女神姿に扮しでのセレモニーに目をみはりました。この採火式は昭和63年の第13回体育大会から続いている伝統行事で、かつては金峰山山頂で行われていたとのことです。今日の体育大会開会式では、陸上部のキャプテンが聖火を掲げ走って入場し、点火台で点火され、生徒たちの士気が上がりました。
プログラムは8時半に始まり、午後1時の閉会式で終わりました。どの種目も見応えがあり、生徒の皆さんの一生懸命さが観る者に伝わってきました。体育大会の華とも言えるリレー競技(クラス対抗、団対抗)は、抜きつ抜かれつ、声援、歓声も一段と高まり、会場が大いに沸きました。また、体育コース演舞「天の舞・飛翔」(2、3年生)は、アスリートたちのきびきびとした動作、かつ流れるようなパフォーマンスに魅了されました。そして全校生による西高体操は、全員の気持ちが一つとなり、「西高体育スピリット」の伝統が受け継がれたと思います。
フィナーレの全校応援の中で、生徒会長の児藤さんが「体育大会を実施できたことの感謝」と「これからの高校生活への決意」を述べる姿は爽やかでした。
新型コロナウイルス第4波に社会が覆われている今、ここ熊本西高校から高校生の元気を発信できました。昨年の今頃、学校は一斉休校でした。今年、不完全ながらも体育大会を実施できた意義は大きいと思います。来年こそは、コロナが終息し、西高の体育大会を開放し、保護者、中学生、地域住民の方々へ広く発信したいと願っています。
採火式はじめ上3枚は予行の日の様子
以上6枚は体育大会当日の様子
思わず、深呼吸 ~ 体育大会全体練習
熊本西高校の遠景は、金峰山の山並みの麓に抱かれているように見えます。青葉萌え、山々の新緑がまぶしい季節を迎えました。有明海からの風が吹き抜ける広々とした西高運動場へ出ると、思わず、マスクを少しの間はずし、金峰山に向かって深呼吸したくなります。コロナ第4波の憂いを忘れられるひとときです。
5月8日(土)の体育大会実施に向け、今週は連日、運動場で全体練習が行われています。生徒たちはマスクを着用し、距離をとり、西高体操、行進、開会式、そして3団(黄・赤・青)に分かれての応援練習などが続きます。広い運動場に全校生徒が集い、全体で動く様子は活気あふれ、壮観です。西高生830人が「ここに、共に、在る」ということが学校の一体感を醸成するうえでとても大切だと思います。1年生はこの全体練習を通じ、「西高生」になると言えるのでしょう。一方、2、3年生は上級生としての意識が高まるのでしょう。
昨年度は、コロナパンデミックの影響で体育大会を中止しました。もし、今年度、体育大会を実施しなければ、来年度は体育大会を知っている生徒はいなくなります。西高の体育大会の伝統をつなぐためにも今年の体育大会開催は重要な意義があるのです。
全体練習の中で、私が引きつけられたのは、西高体操です。創立以来行われている独自のもので、一つ一つの動作に力強さと姿勢の美しさがあり、指導される体育科の先生の息が上がるほどです。「体操」と言うより「演武」と呼びたくなります。全体練習を見ていて、「西高体育スピリット」というものが具体的に伝わってきました。西高には高校スポーツ界で知られた体育コースがあり、各競技で活躍する高校生アスリートたちがいます。しかし、そのような運動能力に秀でた生徒だけでなく、西高生全員にこのスピリットは求められています。日々の体育授業の集大成である体育大会を全員で創り上げていく過程で、気持ちを一つにした行動、挨拶などが備わっていくようです。
西高の体育大会ならではのユニークなものとして、聖火入場・点火のセレモニーがあります。事前にグラウンドで太陽から採火し、代表の生徒が開会式において聖火トーチを掲げて走って入場し、運動場南側の特設の聖火台で点火するものです。生徒の気持ちに火を付けることになるでしょう。
西高体育大会を多くの方にご覧いただきたいのですが、コロナウイルス感染防止の観点から、開放せず無観客で実施することとしました。苦渋の判断です。保護者の皆様、どうかご理解いただきたいと思います。生徒たちの達成感、充足感を最大の目標(ゴール)として、体育大会実施に努めていきます。