校長室からの風
西高体育スピリットの発揮 ~ 県高校総体での活躍
2年ぶりに開催された熊本県高校総体は、サッカー競技など一部をのぞき無事に終了しました。コロナ第4波が収束しない困難なコンディションの中、「無観客」でしたが、各競技とも熱戦が繰り広げられ、高校生の部活動の集大成の場として教育的意義は誠に大きいものがあったと思います。
連日、熊本日日新聞の高校総体特集記事で、西高アスリート達の活躍が報じられ、胸が躍る思いでした。女子柔道が先駆けとなりました。女子団体3連覇を成し遂げた大野主将のコメントが頼もしいものでした。
「県高校総体は通過点と思っている。目標は全国制覇です。」
さらに高い頂を目指し、女子柔道部に慢心はありません。大野主将の気迫のこもった試合や団体優勝メンバー4人の笑顔の写真が掲載されました。
また、ウェイトリフティング主将の西田君が102㎏級で優勝。バーベルを力強く上げる姿が写真で紹介されました。西田君は全国でトップクラスの実力の持ち主で、全国高校総体(インターハイ)でも上位入賞が期待されます。
陸上部の躍進も光りました。走り高跳びの自己記録で優勝した2年生の杉山君の顔写真が載りましたが、その他にも三段跳びや投てき部門(やり投げ、砲丸、円盤)での優勝が相次ぎ、南九州大会には男女合わせ10人以上が進出します。インターハイに何人出場することになるのか期待がふくらみます。
西高伝統のなぎなた部は、女子個人優勝の内田さんの躍動感あふれる試合の写真が載りました。一瞬の動きを捉えるプロの記者の腕前はさすがです。
そうして、掉尾(ちょうび)を飾ったのがラグビー部でした。昨日、熊本高校との決勝戦を制し、今日の朝刊に「西高、4連覇」の見出しと共に劇的なトライシーンの写真が大きく掲載されました。強豪で知られる西高ラグビー部ですが、連覇を続けることは至難の業です。それは女子柔道部やなぎなた部にも当てはまります。西高を倒すことを目標に他校の生徒は努力しているわけですから、それを上回る努力、精進が求められるわけです。
努力が実り輝かしい結果を得た生徒達がいる一方、日頃の練習の成果を十分に発揮できなかった生徒達もいます。これが勝負の世界です。負けたこと、自分の目標に届かなかったことなどの悔しい思いが人間を成長させます。勝ったことより敗れたことからの方が多くのことを学ぶと私は思います。
正門脇に「文化 体育 両道顕彰」の石碑が立っています。西高が開校するや文化部体育部ともに特筆すべき成績を次々と残していったため、昭和59年に創立10年を記念し育西会が建立されました。この精神は令和の今日も引き継がれています。
体育の先生方が日頃唱えられる西高体育スピリットが存分に発揮された今年の県高校総体でした。
凛として ~ 県高校総体「なぎなた競技」開催
なぎなた部は熊本西高が誇る伝統ある部活動です。過去、全国高校総体(インターハイ)女子団体5連覇をはじめ、個人戦の日本一を幾人も輩出し、本県の「なぎなた競技」を牽引してきました。専用の道場を有している学校は県内に他にはありません。
コロナ禍の中で無観客という対応をとり、2年ぶりに熊本県高校総体が開催されました。「なぎなた競技」は5月30日(日)に5高校、22人の選手(女子19人、男子3人)が集結し、熊本西高校体育館で実施しました。なぎなた部の日頃の練習を見てきた私にとって、初めての試合観戦となりました。
長さ2m10㎝の木製の薙刀(なぎなた)を持ち、一見、剣道と同じ防具を着けますが、すね当てがある点が特色です。メン(面)、コテ(小手)、ドー(胴)、スネ(脛)を打突(だとつ)し、勝負します。なぎなたの動きは速く、目を離せません。一瞬で決まります。しかし、当たっているようでも、なかなか審判の旗が挙がらないこともあります。同席した熊本県なぎなた連盟副会長の一川治子先生が、「なぎなたは気・剣・体の一致が大切です」と解説されました。コロナ感染対応で、選手達はマスクの上にフェイスシールドも付け、その上に面をかぶり試合をします。試合3分、延長2分ですが、時間が立つに伴い、選手の荒い息遣いが伝わってきます。困難なコンディションでの試合となりました。
「なぎなた競技」には試合とは別に演技競技もあり、2人で型を演じます。防具は着けず、白い稽古着と黒の袴姿です。「この白と黒の組み合わせこそ我が国伝統の最もシンプルな色です。」と一川先生はおっしゃいました。背筋が伸びて姿勢が誠に美しく、礼に始まり礼に終わる所作は品格があります。なぎなたは、弁慶の薙刀でも知られるように元来は男性が扱う武器だったのですが、江戸時代に入り、武家の女性の武具として普及したそうです。幕末の戊辰戦争の時、会津藩の武家の女性たちが薙刀を手に官軍と戦った歴史があります。
一川先生は熊本西高の体育コース発足(平成3年)から20年間、西高なぎなた部を御指導いただき、多くの人材を育成されました。現在の本校なぎなた部の指導者である齊木教諭も教え子の1人です。インターハイや国体など数々の西高なぎなた部にかかる思い出やなぎなた道にかける熱い思いを語られました。
伝統とは精神の継承です。一川先生から受け継いでいる、心身とも凜とした姿勢で西高なぎなた部の生徒は試合及び演技に全力を尽くしました。
西高生の皆さん、勝負の時です ~ 県高校総体、県高校総合文化祭
「ぱーん!」と畳を手で叩く音が響き、札が飛びます。セミナーハウス2階の和室で行われている「競技かるた」部の練習は、張り詰めた緊張感があります。小倉百人一首を用いての競技かるたは、知力と体力、そして何より集中力が求められるものです。部長の児藤さん(3年生)によると、公式戦では一試合が1時間に及ぶこともあり、勝ち進むと心身ともくたくたになるそうです。「対戦型スポーツです」と笑って語ってくれました。
高校生の文化活動の祭典である県高校総合文化祭は5月28日(金)~29日(土)に開催されます。西高「競技かるた」部は、7月の「全国高等学校かるた選手権大会」(滋賀県大津市近江神宮)への出場をかけて出場します。児藤さんは先行競技で全国高校総合文化祭(和歌山県)への個人出場を決めていますが、「競技かるたの聖地である近江神宮へ団体で行きたい」と意欲満々です。県立劇場で開催される総合文化祭は、コロナ感染防止の困難さもあり、展示部門は中止、ステージ部門は無観客での発表となり、本校の文化部で出場するのは「競技かるた部」だけです。
一方、県高校総体は、無観客の方針のもと全ての競技が実施されます。すでに先週末に一部競技が先行実施され、西高サッカー部は1回戦快勝、好発進しました。多くの体育部活動にとっては明日5月28日(金)から30日(日)が本番となります(一部競技は31日まで)。今週、各部活動の練習を見て回りましたが、その士気の高さは観る者に迫ってきます。3年生の多くはこの高校総体を区切りに部活動を退き、進路希望達成に向かって学校生活のシフトを切り替えます。高校総体直前の今は、全員でのかけがえのない時間を惜しむ雰囲気があります。
梅雨の影響で水たまりが残るグラウンドで泥だらけになり迫力あるプレーをするラグビー部。屋根が付いているとは言え、水温は低めのプールで黙々と泳ぎ続ける水泳部。本番を想定した試合形式の練習をタブレット端末で動画撮影している剣道部。怪我で高校総体に出場できない部員が一生懸命選手達の練習をサポートする柔道部。
西高生の皆さん、勝負の時です。皆さんはこれまで厳しい練習を積み重ねてきました。そのことが試合に臨むにあたって唯一の拠り所となります。そして、楽しい時も苦しい時も連帯してきたチームメイトの存在が支えです。
コロナ禍の逆境の中、高校総体が行われることは、私たち高校教育関係者にとって、オリンピック開催と同じくらいの大きな意義があります。
県高校総体直前の体育部練習風景
科学的思考力があなたの身を守る
新型コロナウイルス感染症の第4波に社会が覆われていますが、目に見えないウイルスや細菌による感染症パンデミックに人類はこれまでも直面してきました。中世ヨーロッパでは、ペストが猛威を振るうと人々がパニックに陥り、魔女の仕業と思い込み、特定の女性を集団で迫害する「魔女狩り」が起こりました。病原菌の正体が肉眼で見えないため、人々は恐怖から理性を失い、偏見で判断が狂い、異常な行動に走った事例が歴史上いくつも確認されています。
しかし、困難に遭遇しながら人類も学習し、考える力が発達してきました。19世紀中頃、イギリスのロンドンでコレラが大流行しました。今でこそコレラはコレラ菌(細菌)で汚染された水で感染することが分かっていますが、当時の人々は空気を伝わる悪臭がなせる病と考えていました。その中で、ジョン・スノウという医学者が疑問を持ちます。同じ地区の住人で、コレラに罹患する人とそうでない人がいることに気づいたのです。同じ空気を吸っていてもコレラになる人とならない人の違いは何かとスノウは調査を進め、飲料水(井戸)が異なることを突き止めました。そして、コレラは空気から感染するのではなく、汚染された水で感染するという仮説を立て、汚染されている井戸を使わないという対策を提案し、感染拡大防止につなげました。
コレラ菌が顕微鏡で「発見」されるのはそれから30年も後のことでした。コレラ菌そのものは見えていなくても、スノウは論理的に考え仮説を立て、コレラ菌が井戸の中にいることを見抜いたのです。これが科学的思考力だと思います。
今、私たちの周りは「情報」であふれています。いったいどの「情報」が正しく、正しくないのか、不確かな「情報」の洪水です。そして、私たちは、自分が見たい、あるいは信じたい「情報」を選ぶ傾向にあると言われます。「情報」を比較し、体系化し、「知識」とすることで初めて判断の基となります。データや数字を基礎として自分で考える力こそ、情報過多の現代で求められるものです。科学的思考力は、文系・理系の枠を越え、全ての人に必要なものです。
この度のコロナパンデミックは20世紀初頭のスペイン風邪(インフルエンザ)以来、100年ぶりのものでした。感染症パンデミックや大規模な自然災害は一般の人間の寿命を超えるスパンで起きます。個人の経験では対応できないのです。自分の経験や好悪の感情など自己本位ではなく、情報を精選して根拠(エビデンス)をもって考え、判断する「科学的思考力」を高校生の時に培いましょう。
西高は、生徒の皆さんの科学的思考力を育てていきます。
* お薦めの本
『LIFE SCIENCE ~ 最先端の生命科学を私たちは何も知らない』(吉森保 著)
科学的思考力とは何かをわかりやすく教えてくれます。西高図書室の新刊コーナーにあります。
近づく高校総体
「コミュニケーション!コミュニケーション!」と部員同士が声を掛け合い、楕円のラグビーボールを回し、走っています。ラグビー部の練習は見ていて迫力があります。隣のサッカー部でも、シュート練習に多くの部員が交代で流れるように取り組んでいます。次々とゴールネットに突き刺さるボールは勢いがあります。また、柔道、剣道、なぎなたの各道場では邪魔にならないように隅で見るのですが、私の姿を目にすると生徒がパイプ椅子を持って走ってきます。「お客さんではないから、気を遣わないように」といつも言っているのですが、その迅速な対応は有難く思います。
体育部活動の練習を見て回ると、日ごとに熱を帯びてきていることがわかります。早朝、また放課後、自主練習として校内を走っている生徒の数も増えました。高校総体が近づいています。一部の競技は5月22日(土)~23日(日)に先行実施、そして本番は28日(金)から30日(日)です。
陸上競技の練習風景はチーム競技と異なります。トラックやフィールドの種目毎に数人が固まり、黙々と反復練習を行っています。本校はやり投げ、円盤、砲丸などの投てき種目を専攻している生徒が比較的多いのが特色です。中には、中学時代から取り組んでいるスペシャリストもいます。彼らは一投一投、確かめるように投げ、一定のインターバル(間隔)を置くトレーニングを行っています。小休止の時に言葉を交わすと、皆、高校総体そして南九州大会、さらには全国高校総体(インターハイ)への思いを語ってくれます。恵まれた練習環境がある西高で陸上競技に打ち込みたいとの気持ちで、球磨郡はじめ遠隔地から本校を志望してきてくれた生徒が幾人もいます。
高校3年間と言いますが、多くの生徒にとって部活動に専念できるのは2年数ヶ月です。大部分の生徒たちは3年の高校総体を区切りに部活動を退き、入試・就職の進路対策に移行することになります。3年生は今、「時間は有限だ」ということを実感していることでしょう。仲間と過ごす限られた時間の集大成が高校総体と言えます。
5月15日(土)に熊本県が梅雨入りしました。異例の早さです。雨天が続くと戸外での練習に大きな支障が出てきそうです。そして、より心配なことが新型コロナウイルス第4波の広がりです。5月16日(日)から本県は蔓延防止重点措置の対象となりました。この困難な状況の中、感染対策を取りながら、高校総体で実力を発揮できるよう、各部活動で創意工夫が必要となります。
2年ぶりの高校総体に向け、生徒たちをどう支援していくか、私たち教職員に大きな責任が求められています。
体育大会での部活動対抗リレーの様子
西高周辺ぶらり散策(その2) ~ 小島地区
熊本西高の西門から直線の農道を南へ約400m行くと、県道28号との交差点があり、その南側に西区役所があります。赴任の挨拶に4月初旬に訪問したところ、甲斐区長さんから「西高の生徒の皆さんのアイデアと行動を期待しています」と温かい言葉をいただきました。防災、観光をはじめまちづくり全般にわたって高校生に参加の機会を与えて頂いており、感謝しています。西高としても、熊本市西区にある唯一の県立高校として、西区のコミュニティスクールでありたいと願っています。
さて、西区は、北は芳野(よしの)や河内(かわち)、東は鹿児島本線を超えて崇城大学のある池田までと広い面積を有していますが、区役所は最も南の小島校区にあります(小島2丁目)。「校長室からの風」ですでに紹介した、熊本市で最も標高の低い山(29m)、御坊山(おんぼさん)がこの「小島」(おしま)の地名の由来と言われます。西区役所から西方およそ500mのところに御坊山はあります。西高からいつも眺めていましたが、先般の大型連休中、「御坊山登山」をしました。麓の石鳥居をくぐり山頂の小島阿蘇神社まで100段余の急な石段です。まさに胸突き坂です。山の周囲(約400m)は遊歩道が敷かれ、地元の人々に親しまれていることがよくわかります。
御坊山からさらに西へ進み、南北に走る国道501を越えると、小島町の中心部となります。坪井川と白川に挟まれた三角州地帯と言えます。ここで見逃せない史跡があります。明治天皇行在所(あんざいしょ)跡です。明治5年、明治天皇が長崎から海路、熊本行幸(ぎょうこう)されました。有明海の沖合で軍艦を下船、艀(はしけ)に乗り換え、坪井川河口の小島港に到着され、ここで一泊された記念すべき場所です。木造2階建ての日本家屋と庭園が往時を偲ばせます。
明治天皇行在所跡のすぐ西側に小島小学校があり、児童の元気な声が響いています。小島小学校正門脇に、古色蒼然とした石碑が立っています。大津波の災害の歴史を伝えるものです。1792年(寛政4年)、島原半島の眉山が噴火、崩壊、有明海で大津波が発生し、対岸の肥後に押し寄せ、沿岸部で甚大な被害が生じました。「島原大変、肥後迷惑」と呼ばれる大災害の記録を後世に継承しています。この付近は海抜2~3mでしょうか。過去の記録を伝えることは、防災上、重要な意義があると思います。
小島町界隈を歩くと潮の香りがして、はっとします。有明海(島原湾)はすぐそこです。「西高は、海に近い学校」だと気づかされます。
御坊山の登山口 明治天皇行在所跡 「大津波」碑
西高周辺ぶらり散策(その1) ~ 城山校区から高橋校区
西高が位置する熊本市西区城山大塘(じょうざんおおども)は小学校単位で言えば城山校区に当たります。その城山校区自治協議会が5月12日(水)に城山コミュニティセンターで開かれ、私も出席しました。第1~11町内の自治会長さんはじめ社会福祉協議会、老人会、青少年健全育成、民政児童委員、消防団等の地域の各団体、西区まちづくり担当、保健子ども課の行政、そして城山小学校、三和中学校、西高と学校も集いました。
各団体の紹介や活動報告がなされましたが、西高への親近感、期待感を口に出される方が幾人もいらっしゃいました。「地域の行事に高校生が来てくれると本当に助かる!」、「わしの息子も西高を出たばい」等。あらためて、西高が地域の皆さんに支えられていることを実感しました。
西高には県内広く80余校の中学校から生徒たちが通学しています。しかし、学校の所在地であるこの城山校区、そして広げても西区こそが学校の拠り所(コミュニティ)になると思います。この1年あまりはコロナ禍で機会は減りましたが、ボランティア活動、就業体験(インターンシップ)、探究活動と地域に出かけ、関わる西高生は少なくありません。
城山校区のシンボルは、高橋稲荷神社です。日本五大稲荷の一つに数えられ、商売の神様として知られています。社の起源は室町期にさかのぼりますが、現在地に建立されたのは江戸時代前期です。背後の城山(標高47m)は中世には山城だったと伝えられ、校区名の由来の山です。傾斜地で高低差のある境内の清掃ボランティアに西高生がよく参加します。また、参拝用の階段沿いに、西高美術部が制作寄贈したパネル版の絵が並びます。その年の干支をテーマとしたものです。また、同社の北、坪井川を渡る高橋稲荷大橋は朱色で目立つものですが、現在、この橋から下流にかけて両岸を結び鯉のぼりが泳いでおり、初夏の風物詩です。この鯉のぼり設営にも西高生がボランティアで関わっています。
高橋稲荷大橋の両岸周辺は、高橋校区となります。城山校区に隣接し、面積は小さいのですが、歴史ある地域です。江戸時代、高橋は熊本城下の舟運物資の集散地で、坪井川の港町として栄えました。城下町(熊本)、菊池川河口の高瀬(玉名)、緑川河口の川尻、球磨川河口の八代と並び「肥後の五か町」の一つと認められていたのです。城山校区にありながら、「高橋」稲荷神社と呼ばれるのは、かつての高橋(町)の地名の威光だと言われます。
城山校区から高橋校区まで話が広がりましたので、今日はこの辺で風をとめたいと思います。西高の周辺は、近代に入り新しく造成された地域という誤解があります。そんなことはありません。地域を歩くと、地層のように重なった歴史や文化を呼び起こすことができる気がします。
二つの山にはさまれて ~ 金峰山と御坊山
「教室の窓から山々が近くに見えるのが新鮮です。山を眺めるのは大好きです!」
高校入学しておよそ一月(ひとつき)経った感想を1年生に聞いたところ、ある女子生徒がこのような感想を述べてくれました。市街地から通学しているそうで、熊本市内の高校でこれほど山が間近に迫って見えるとは思ってもいなかったと明るい表情でした。
熊本西高の北には金峰山山系の山並みが広がっています。1学年の教室棟は教室棟の中で最も北側に位置しているため、教室の窓から山々が近くに望めるのです。山々の若葉がまぶしい、新緑の季節を迎えました。
西高運動場から見て、ひときわ高くそびえるのが金峰山一の岳です。電波塔が立っていて、遠くからでもよくわかります。熊本市民に広く親しまれている山です。標高は665m。そして、西高からは見えませんが、北に連なる金峰山山系の二の岳685mが熊本市で最も高い山です。西高校歌に「朝夕仰ぐ 金峰の 雄姿に高き 希望(のぞみ)あり」との一節があります。金峰山は高きのぞみ、目標の象徴と言えるでしょう。
ところで、学校から南西の方角にこんもりとした森が見えます。運動場や西門からよく見え、私は赴任当初から気になっていました。この森は、御坊山(おんぼさん)と呼ばれる山です。標高29mの熊本市で一番低い山です。元々は海に浮かぶ島でしたが、白川と坪井川が運んできた土砂で周囲が埋まり、今の姿になりました。小さくても存在感があり、地元の人から親しまれています。御坊山がある地区を「小島(おしま)」と呼びますが、この地名は御坊山が由来だと言われています。小島地区は、白川の河口に当たります。
金峰山と御坊山。二つの山の間に西高ははさまれています。金峰山は高き目標を示していると思えます。一方、御坊山は、小さいものを見過ごさないことの大切さを教えているように感じます。あの森は何だろう、山かな?と疑問を持ち、気づく感性は大切です。
対照的な二つの山を通し、高き目標を持つこと、小さなことをおろそかにしないことを西高生の皆さんに伝えたいと思います。
金峰山 御坊山
「We are 西高!」 ~ 第44回西高体育大会開催
「We are 西高! We are 西高!」
プログラム最後の「全校応援」は圧巻でした。全校生徒が運動場に集結し、応援団リーダーの指揮のもと気持ちをひとつに声をそろえました。マスクをしていても声は響き渡り、計り知れない若いエネルギーが渦巻き、空に舞い上がっていったように感じました。全校生徒及び職員の力を結集し、体育大会を創り上げることができ、学校全体が一体感そして達成感に包まれました。
第44回熊本西高校体育大会をきょう5月8日(土)に開催しました。コロナパンデミックのもと、限られた練習・準備期間、平年より縮小されたプログラム、そして無観客という制約の中でしたが、「今年は体育大会をしたい」という生徒と職員の強い意志で成し遂げました。
西高の体育大会は私にとって初めてでした。予行(5/6)の日に、西高グラウンドにおいて、凹面鏡を使い太陽光から採火を行いました。オリンピックのギリシアでの採火式のように、生徒会の生徒が女神姿に扮しでのセレモニーに目をみはりました。この採火式は昭和63年の第13回体育大会から続いている伝統行事で、かつては金峰山山頂で行われていたとのことです。今日の体育大会開会式では、陸上部のキャプテンが聖火を掲げ走って入場し、点火台で点火され、生徒たちの士気が上がりました。
プログラムは8時半に始まり、午後1時の閉会式で終わりました。どの種目も見応えがあり、生徒の皆さんの一生懸命さが観る者に伝わってきました。体育大会の華とも言えるリレー競技(クラス対抗、団対抗)は、抜きつ抜かれつ、声援、歓声も一段と高まり、会場が大いに沸きました。また、体育コース演舞「天の舞・飛翔」(2、3年生)は、アスリートたちのきびきびとした動作、かつ流れるようなパフォーマンスに魅了されました。そして全校生による西高体操は、全員の気持ちが一つとなり、「西高体育スピリット」の伝統が受け継がれたと思います。
フィナーレの全校応援の中で、生徒会長の児藤さんが「体育大会を実施できたことの感謝」と「これからの高校生活への決意」を述べる姿は爽やかでした。
新型コロナウイルス第4波に社会が覆われている今、ここ熊本西高校から高校生の元気を発信できました。昨年の今頃、学校は一斉休校でした。今年、不完全ながらも体育大会を実施できた意義は大きいと思います。来年こそは、コロナが終息し、西高の体育大会を開放し、保護者、中学生、地域住民の方々へ広く発信したいと願っています。
採火式はじめ上3枚は予行の日の様子
以上6枚は体育大会当日の様子
思わず、深呼吸 ~ 体育大会全体練習
熊本西高校の遠景は、金峰山の山並みの麓に抱かれているように見えます。青葉萌え、山々の新緑がまぶしい季節を迎えました。有明海からの風が吹き抜ける広々とした西高運動場へ出ると、思わず、マスクを少しの間はずし、金峰山に向かって深呼吸したくなります。コロナ第4波の憂いを忘れられるひとときです。
5月8日(土)の体育大会実施に向け、今週は連日、運動場で全体練習が行われています。生徒たちはマスクを着用し、距離をとり、西高体操、行進、開会式、そして3団(黄・赤・青)に分かれての応援練習などが続きます。広い運動場に全校生徒が集い、全体で動く様子は活気あふれ、壮観です。西高生830人が「ここに、共に、在る」ということが学校の一体感を醸成するうえでとても大切だと思います。1年生はこの全体練習を通じ、「西高生」になると言えるのでしょう。一方、2、3年生は上級生としての意識が高まるのでしょう。
昨年度は、コロナパンデミックの影響で体育大会を中止しました。もし、今年度、体育大会を実施しなければ、来年度は体育大会を知っている生徒はいなくなります。西高の体育大会の伝統をつなぐためにも今年の体育大会開催は重要な意義があるのです。
全体練習の中で、私が引きつけられたのは、西高体操です。創立以来行われている独自のもので、一つ一つの動作に力強さと姿勢の美しさがあり、指導される体育科の先生の息が上がるほどです。「体操」と言うより「演武」と呼びたくなります。全体練習を見ていて、「西高体育スピリット」というものが具体的に伝わってきました。西高には高校スポーツ界で知られた体育コースがあり、各競技で活躍する高校生アスリートたちがいます。しかし、そのような運動能力に秀でた生徒だけでなく、西高生全員にこのスピリットは求められています。日々の体育授業の集大成である体育大会を全員で創り上げていく過程で、気持ちを一つにした行動、挨拶などが備わっていくようです。
西高の体育大会ならではのユニークなものとして、聖火入場・点火のセレモニーがあります。事前にグラウンドで太陽から採火し、代表の生徒が開会式において聖火トーチを掲げて走って入場し、運動場南側の特設の聖火台で点火するものです。生徒の気持ちに火を付けることになるでしょう。
西高体育大会を多くの方にご覧いただきたいのですが、コロナウイルス感染防止の観点から、開放せず無観客で実施することとしました。苦渋の判断です。保護者の皆様、どうかご理解いただきたいと思います。生徒たちの達成感、充足感を最大の目標(ゴール)として、体育大会実施に努めていきます。