校長室からの風

私たちは「中間走者」です ~ 転・退任式

 人事異動は、私たち県立学校教職員にとっては「定め」です。この度の人事異動に伴い、下記の14人の職員が西高から転任・退任することとなりました。勤務期間の長短はありますが、私たち14人、西高生の成長に関わり、保護者・地域の皆様のご協力、ご支援を受けて西高で勤務できたことは大きな喜びです。

 私たちは「中間走者」の役割を担っていると思います。前任者からバトンを受け、次の走者へ引き継ぐまで走り切ることが使命です。皆様のご期待に応えられたどうか自信はありませんが、全力を尽くしたという気持ちです。

 令和6年に西高は創立50周年を迎えます。私たちの学校、熊本西高がさらに発展していくことを願い、転・退任の挨拶といたします。

(教科等・職名) 〔氏  名〕    (転出先等)

 

1  審議員      濵田 敏彦    八代高校・中学校(審議員)

2 主幹教諭    上渕 優     県立教育センター(主幹)

3 国語・教諭   森山 幹俊    北稜高校

4 地歴・教諭   寺尾 寛紀    菊池高校

5 数学・教諭   二子石 哲也   天草拓心高校(本渡校舎)

6 保体・教諭   西田 怜     高森高校

7 事務職員    木村 未佳    上天草市立湯島小学校

8 理科・講師   松本 肇     阿蘇中央高校

9 英語・講師   坂口 希     退職

10 公民・非常勤  本田 眞美    退職

11 英語・非常勤  山﨑 敬博    熊本高校(非常勤講師)

12 英語・非常勤  足立 桃花    退職

〔定年退職〕

13 理科・実習教師 松村 友美    熊本西高(再任用)

14 校長      粟谷 雅之

「校長室からの風」

  令和5年3月28日(火) 熊本西高校「転・退任式」(体育館)

3月24日、修了式 ~ 令和4年度修めの日

   3月24日(金)は、3学期の終業式であると共に令和4年度の修了式、修めの日です。そして、午後には合格者説明会が実施され、来年度の新入生約340人が保護者と共に来校してくれました。

 午前中、スタジオで表彰式と修了式を実施、それをオンラインで各教室と結びました。柔道部はじめeスポーツ部、ウエイトリフティング部、書道部など、そして成績優秀者(代表)、皆勤賞(代表)の生徒たちに賞状等を渡し、その努力を称えました。特に、女子柔道団体は全国選抜大会でベスト8の立派な成績を収め、念願の日本1への可能性が高まってきました。

 修了式での校長からのメッセージは、3年余りのパンデミックによって、一人一台のタブレット端末配備に象徴されるように学校教育のデジタル化が急速に進んだことをテーマとしました。私自身、まだ先の未来の教育と思っていたものが、一気に歴史の針が回りました。後戻りすることはありません。

 以前の学習は、まず暗記し、覚えることで大量の知識を身につけることが求められました。それが劇的に変化しました。人間の能力をはるかに超えたコンピュータの記憶力や計算力、情報量を利用することで、暗記や覚える学習はあまり意味がなくなりました。

 私は近視ですから、眼鏡をかけ、自分の身体の機能の弱い部分を補っています。これと同じように、タブレットやスマートホンは皆さんの身体の機能を拡張、強化してくれるもので、身体の一部のようなものです。体の一部の機能であるコンピュータに何をしてもらうのか、それを活用して、どんなことを探究していくのか。これからの学びは問われます。

 気を付けてほしいことは、学習がデジタル化したからといって、ひとりで内向きになってはいけません。一人でコンピュータゲームを楽しむのではないのです。ICTとは情報通信技術です。コンピュータで情報を共有し、多くの人とつながり、協働の学びを進めていくことです。すなわちチームワークがますます必要になってきます。コンピュータを使う基本的なマナーとモラル、そして相手を思いやる気持ちが大切になります。ネットの向こうに生身の人間がいるという事実を忘れないでください。

 デジタル化が進む社会だからこそ、スポーツをはじめ自ら身体を動かし、感受性や身体感覚を研ぎ澄ますことが必要となります。一人でスマホの画面を見て笑うのではなく、マスクを外し、学校の活動の中で友達と共に笑い合う場面が新年度は増えることを期待します。

 学校だからこそ出来る、お互いが認め合い、励まし合い、笑い合う時間が西高で広がることを願っています。

 「校長室からの風」

     表彰式、修了式、そして生徒会から新しい女子の制服モデル発表

なぎなた部と柔道部が全国選抜大会へ ~ 全国大会出場推戴式

 金峰山の山麓に霊巌洞(れいがんどう)と呼ばれる洞窟があります(西区松尾町)。江戸時代初期の剣豪、宮本武蔵がこの洞窟にこもり、兵法の書「五輪書」を著わしたことで知られています。二刀流の使い手、あるいは巌流島の決闘で有名な宮本武蔵は播磨国(現在の兵庫県)の出身で若いころは諸国をめぐったようですが、最後は熊本の大名である細川家に招かれ、61歳で亡くなるまでの晩年の5年間を熊本で過ごしました。武蔵は単なる武芸者ではありません。能を舞い、水墨画を描き、そして剣の極意を伝える書物を著わしました。文武両道という言葉はまさに武蔵のためにあるようなものです。強いだけの剣士から、高い精神的境地に達し、その精神を芸術や書物に表現できる達人になったからこそ、後の世の人にも尊敬されることになったのでしょう。武蔵の墓は北区の武蔵塚が有名ですが、実は西の武蔵塚と呼ばれる、もう一つの墓が、西区島崎にあります。霊巌洞や西の武蔵塚など、宮本武蔵はこの西区にかかわりの深い人物です。

 武蔵が亡くなって400年近く立ちますが、その文武両道の精神を受け継ぐのが西高だと私は思ってい

ます。西高の体育コースが平成3年に発足するにあたって、その専攻競技として、柔道、剣道、なぎなたの武道が選ばれ、熊本県の武道の拠点校となったことの歴史的背景には武蔵の存在があると思っています。

 あらためて、なぎなた部と柔道部が全国選抜大会に出場することを、全校生徒の皆さんと共に喜びたいと思います。

 なぎなた部は全国大会常連校で、熊本西高の名は高校なぎなた競技では広く知られています。他校からマークされ、重圧もかかるでしょう。しかし、伝統校の誇りを胸に、凛として戦ってください。

 柔道部は、3年ぶりの全国選抜大会への出場です。県大会では決勝で九州学院と対戦し、全員が攻めの姿勢を貫き、大将戦で劇的な逆転勝ちをおさめました。武道の聖地である東京の日本武道館が会場です。部員一丸となり、挑戦者として力を発揮してきてください。

 厳しい勝負の世界を生き抜いた宮本武蔵は多くの言葉を残しています。

 「心 つねに 道を離れず」

 「われ、神仏を敬い、神仏を頼らず」

 「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」

 「われ事において 後悔せず」

 武蔵の言葉をもって励ましの言葉とします。

「校長室からの風」

      なぎなた部        女子柔道部      西峰会(同窓会)から激励金

若人の旅立ちに立ち会える喜び ~ 熊本西高校第46回卒業式

  「朝夕仰ぐ金峰の 雄姿に高き 希望(のぞみ)あり ~ 」

 卒業生の校歌斉唱の声の大きさに驚きました。その声量、そしてエネルギーで会場の体育館が揺れるようでした。マスクを付けての校歌斉唱は卒業式のクライマックスとなりました。入学以来、コロナ禍が長期化し、学年全体で校歌斉唱する機会はこれまでありませんでした。昨日2月28日の卒業式予行では、歌詞カードを見ながらの生徒も多く、斉唱もぎこちない感じでした。それが一日で見違えるほどの変わりようで、若さの可能性を感じました。

 3月1日(水)、熊本西高校第46回卒業式を挙行しました。コロナウイルス感染症者の減少に伴い、ようやく規制もゆるみ、卒業生の入退場はマスクを外して行いました。着席中は個人の自由に任せ、校歌斉唱の時だけはマスク着用を求めました。新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)の始まりと共に入学し、その断続的な感染の波に高校生活が翻弄された生徒たちは、最後の卒業式においても完全にマスクを外すことはできませんでした。

 卒業生総代の濱﨑さん(前生徒会長)は、答辞の中で、普通の高校生活を送ることができなかった無念さを述べると共に、そのような困難な社会環境の中で、前向きな気持ちで工夫して自分たちで学校生活を創っていったと述べました。そして結びに、自分たちを励まし、支えてくれた家族、教職員等への深い感謝の気持ちを伝えてくれました。

 式が終わり退場する時、保護者席に向かって、「おとうさん、おかあさん、これまで有難う」とクラスごとに大きな声で挨拶する光景は、思わず胸が熱くなります。きっと保護者の方々の感慨はひとしおのことと思われます。

 パンデミックで大きな影響を受けた高校生活で、彼らは特別なものを学んで卒業していくと信じます。18歳の新成人として社会へ出ていきます。パンデミックが終わっても元に戻してはいけないことがあると思います。新しい生活様式のあり方、即ち未来を、この卒業生たちの世代が創っていってくれるのではないかと期待しています。

 若人の旅立ちに立ち会えることは私たち教職員の最大の喜びです。

 卒業おめでとう。

 「校長室からの風」

              熊本西高校第46回卒業式の様子

卒業生の皆さんへ ~ 同窓会入会式、表彰式、卒業式予行の実施

 卒業式を明日に控え、2月28日に同窓会(西峰会)入会式、表彰式、卒業式予行を体育館で行いました。表彰式では、「がんばる高校生」をはじめ高校生活で顕著な実績を残した皆さんに賞状を渡しました。受賞された皆さんの努力を称えたいと思います。

 さて、明日は、皆さん全員が高等学校卒業証書を手にすることになります。皆さんたちが考えている以上に、高等学校卒業は重要な資格です。普通自動車運転免許も大切ですが、その重要性は比較にならないと思います。運転免許は君たちなら1か月半から2か月で取得できるでしょう。しかし、高等学校卒業資格は最低3年必要です。定時制高校なら4年かかります。皆さんは日々登校し、授業に臨み、学習を積み重ねて3年間で96単位の履修科目を修得しました。そしてホームルーム活動、生徒会活動、学校行事に参加し、また各自の部活動にも取り組みました。その成果として熊本西高校の卒業資格を得ようとしているのです。このことを「よくやった」と自分で自分をほめてほしいと思います。大切なのは自己評価です。高校卒業後は、進む道は多様に分かれ、他人と比較することに意味はありません。自分はどんな生き方をしていくのか、自分自身に対して問い続けてほしいと思います。

 急速なICT化やグローバル化など社会が大きく流動化している現代において、学びが終わるということはありません。高校の教育課程が終了しただけです。生きるとは自ら学び続けることです。

 最後に一つ伝えたいことがあります。明日、皆さんが手にする卒業証書の一人ひとりの氏名及び生年月日は、書道の山下綾先生が一枚一枚、筆で墨書されたものです。手は心につながっていると思います。私たち教職員一同の祝福の思いを凝縮して山下先生が250人全員の名前と誕生日を丁寧に手書きされました。そういう意味でも、唯一無二の卒業証書なのです。

 皆さん、卒業おめでとう。

「校長室からの風」

            西高同窓会(西峰会)への入会式の様子

「eスポーツで壁を超える」 ~ 崇城大学eスポーツスタジオのオープン

 崇城大学IOT・AIセンター内にあるeスポーツスタジオに足を踏みいれた瞬間、未来空間にいるような感覚に包まれました。縦6m、横11m、高さ7mの部屋には放送・音響の最新鋭機材と共に、高性能のコンピュータが並び、壁面はスクリーンで、メタバース(仮想空間)と連動したスタジオが創り出されていました。現実空間の壁を超えるような、不思議な揺らぎを感じる空間です。

 2月10日(金)午後、崇城大学IOT・AIセンターに新しくeスポーツスタジオがオープン。「eスポーツで壁を超える」と銘打たれた、そのオープニングイベントに熊本西高eスポーツ部が招待され、6人の代表生徒と顧問の有馬教諭、そして校長の私が参加しました。本校eスポーツ部は県立学校として先駆けて令和元年度に発足。eスポーツのeとはelectronic(電子)の略であり、対戦型コンピュータゲームです。誕生して4年目となりますが、現在、約50人の部員が活動を展開しています。サイエンス情報科の生徒が多いのですが、普通科からも入部が増えており、「eスポーツ部があることが、西高を選んだ理由の一つです」と多くの部員が答えてくれます。

 今回のオープニングイベントには、eスポーツのまちづくりへの影響に関心を持ち、崇城大学情報学部と連携を深めておられる山鹿市議会から議員の皆さんが参加されました。そして、議員の皆さんと、崇城大学eスポーツサークルの学生、そして西高eスポーツ部の生徒の対戦から始まりました。今回は議員さんと大学生、あるいは高校生が2人組をつくり、2人対2人の対戦形式でした。少し練習されてきたとはいえ、中高年層の議員さんには、大学生及び高校生の迅速なコンピュータ操作にはお手上げの状況でした。しかし、世代の差を超えて協力し、共に戦うというゲームの楽しさに会場は包まれました。

 対戦ゲームで懇親を深めた後は、議員さんたちと大学生、高校生とのトークセッションです。eスポーツのこれからの可能性をはじめ、SNSを活用しての議員活動の発信のありかた、若い世代から見ての議員のイメージ、政治への興味・関心など話題は多岐にわたりました。

 eスポーツは新しい分野です。いま、競技としてスポンサーが付いた大会が増える一方、高齢者の認知症予防のためのゲームでのボランティア活動も広がっています。社会の急速なICT(情報通信技術)化に伴い、コンピュータリテラシー(活用能力)が重要になってきています。eスポーツを楽しむことは、このリテラシーの向上にもつながると私は考えています。令和の学校部活動でもあるeスポーツがこれからどんな発展をしていくのか楽しみです。

 「校長室からの風」

        崇城大学eスポーツスタジオオープニンイベントの様子

創立50周年に向かって ~ 実行委員会の始動

 「この城山(じょうざん)地区に県立高校ができると聞いた時は、みんなで大喜びしました。うれしかったですね。あれから50年近くなりますねえ。」

 昨年、西高に赴任し、城山地区の区長さんや自治会のお世話をされている人々に挨拶して回った時、ある高齢者の方が西高創立の際の地域の歓迎ぶりを語られました。JR熊本駅(当時は国鉄)より西方に県立高校はありませんでした。熊本市西部地区の皆さんの待望の県立高校誕生だったのです。

 私たちの学校、熊本西高校は昭和49年10月に創立されました。最初は職員4人だけで、生徒はまだいません。「清 明 和」の校訓をはじめ校旗、校章、教育課程などを定め、募集定員は普通科4学級で発足することが決まり、翌年の昭和50年4月に第一期生の入学を迎えたのです。今年で創立48年となり、令和6年度に創立50周年を迎えるのです。

 2月6日(月)午後、西高の会議室にて、同窓会(「西峰会」)から藤井会長はじめ役員7人、保護者会(「育西会」)から田畑会長はじめ役員9人、そして同窓職員5人を含めて教職員12人が集い、第1回の「熊本西高等学校創立50周年記念事業実行委員会」を開きました。関係者が一堂に会し、意見を出し合う場はやはり必要です。「50周年に向けての大テーマのようなものが必要ではないか」、「記念式典と創立記念祭を合わせて実施するスケジュールを検討すべき」、「企画段階から、生徒会など生徒を積極的に参加させた方が良い」等の貴重な意見が出されました。

 西峰会の藤井俊博会長に実行委員会委員長を引き受けていただき、育西会の田畑会長と校長の私が副委員長となり、企画委員会はじめ総務、財務、記念式典、記念祝賀、記念行事、記念誌、広報の部会を設けた組織が立ち上がりました。しかし、中身はこれからであり、この組織を動かしていく力、熱意の醸成が重要となってきます。私はその点は心配していません。同窓会の皆さんには、強い母校愛があります。また、保護者、旧職員の方たちからは、「西高がんばれ」という応援をいつも受けています。

 また、心強い動きが見られます。1年生の探究学習において、創立50周年に向けて生徒たちで何ができるかをテーマに取り組んでいる班があり、地域社会とのコラボレーション行事や記念植樹など具体的プランの検討を始めているのです。現在の1年生が3年生に進級した時、熊本西高は創立50周年を迎えます。私たちの学校をどんな学校に変化させていきたいのか、生徒たち自身に主役意識を持ってもらい、実行委員会をリードしてほしいと期待します。

                                     「校長室からの風」

          第1回熊本西高創立50周年記念事業実行委員会

「キャリア教育の推進」文部科学大臣賞

 キャリア教育の推進で顕著な功績があったと認められた全国の教育委員会、小・中・高校、支援学校の110団体が、1月19日(木)、東京都港区の三田共用会議所において文部科学大臣賞を受賞しました。私たちの学校、熊本西高校もその一校に選ばれ、栄えある受賞となったことを広く皆さんにお伝えしたいと思います。

 「キャリア教育」とは何だろうと思われる保護者、地域社会の方がいらっしゃるかもしれません。キャリア(career)はもともと職業、職歴などを意味する英語です。文部科学省によると、「子どもたちが将来、社会的・職業的に自立し、社会の中で自分の役割を果たしながら、自分らしい生き方を実現するための力」を育成することがキャリア教育となります。そして、キャリア教育は、産業界と連携して小・中・高校の各学校段階で推進する必要があると文部科学省は求めています。

 一般的に、中学校や専門高校(工業、商業、農業など)では、生徒たちが地域の企業や自治体で一定期間の就業体験(インターンシップ)をすることがキャリア教育実践の代表例と言えるでしょう。しかし、熊本西高の場合は、大部分の生徒が大学・専門学校等の上級学校へ進学する普通高校であり、生徒数が各学年で250~300人の大規模校のため、4年前に独自の取り組みを立ち上げました。西高アカデミック・インターンシップ(通称「NAIS」)です。

 「NAIS」は、県内の7校の私立大学と2校の私立専門学校にご協力いただき、1年生の2学期最初の一週(5日)に大学、専門学校を訪ね、半日または一日の体験入学を行うものです。内容については、例えば医療看護系大学では「看護の仕事とコミュニケーションスキル」、「言語聴覚士のお仕事とは?」といった実学を主とした講義と演習になっています。今、社会がどんな仕事を必要としているのか、産業界の動向はどうなっているのか、専門職となるためにどんな知識と能力が求められるのかなどを学び、職業観や自分の生き方の示唆を得る場となります。

 この「NAIS」を1年生の上半期に実施することで、高校卒業後の進路について生徒たちはより切実に意識するようになり、社会の中の一員としての自覚が芽生えます。面映ゆい気持ちはありましたが、本校の「NAIS」の実践を県教育委員会へ報告し、それを県教育委員会が評価され文部科学省へ推薦していただきました。深く感謝申し上げます。

 今回の受賞を弾みにして、西高はさらにキャリア教育を推進します。学校教育の究極の目標である、「生徒を大人にする」ために。 

 「校長室からの風」

「過ちすな、心して降りよ」(徒然草) ~ 3年生へのメッセージ

 1月13日(金)をもって、3年生の通常登校は終わります。14日(土)~15日(日)に約50万人が受験する全国大学入学共通テストが実施され、熊本西高から73人が挑戦します。一方、受験しない残りの約180人は家庭学習期間に入ります。

 進路内定者の皆さんにとって、3月1日の卒業式までは余裕のある日々となります。自動車学校に通う生徒も数多くいます。1月12日(木)の午後、進路内定者の生徒とその保護者の方々に対して、体育館で集会を開きました。この会で、鎌倉時代末期の随筆「徒然草」の第109段「高名の木登り」(こうみょうのきのぼり)の話を私はしました。

 木登り名人の親方が、大木に登って作業する弟子の様子を見守っています。高い危険な所で作業して いる時には何も言いませんでしたが、家の軒の高さくらいまでに降りてきたときに、「過(あやま)ちすな、心して降りよ」と声をかけました。弟子は、これくらいの高さなら地面に飛び降りることだってできる、どうして注意するのですかと問い返しました。それに対して、名人は「やすきところになりて、必ず仕(つかまつ)ることに候」と言いました。人は、気を緩めた時に失敗をするものだと名人は諭したのです。

 生徒の皆さんにも同じことを私は伝えたい。「過ちすな、心して降りよ」「やすきところになりて、必ず仕ることに候」と。進路も内定し、残り1か月半で高校卒業です。皆さんたちが考えている以上に、高等学校卒業資格は重要な資格です。普通自動車運転免許も大切ですが、その重要性は比較にならないと思います。運転免許は君たちなら1か月半から2か月で取得できるでしょう。しかし、高等学校卒業資格は最低3年必要です。定時制高校なら4年かかります。皆さんは日々登校し、授業に出席し、学習を積み重ねて3年間で96単位の履修科目を習得しました。その成果として高等学校の卒業資格を得ようとしているのです。

 卒業までの残り1か月半は油断大敵です。事故、事件に巻き込まれないよう、自らを律して生活してください。社会の急速なICT化、グローバル化など変化の激しい現代において、学びが終わるということはありません。生涯学習です。就職する人は、いきなり大人たちと一緒に仕事をすることになります。大学、専門学校など上級学校へ進学する人は、勉強内容が格段に難しくなります。4月から飛び立つために、3月までは大事な助走期間と考え、自分自身のために勉強してほしいと願っています。

 結びにあらためて呼びかけます。「過ちすな、心して降りよ」

「校長室からの風」

          大学入学共通テストを受験する73人の集会

「1.5℃の約束」 ~ 3学期始業式

   皆さん、新年明けましておめでとうございます。

 年の始め当たり、未来を担う皆さんに未来のことを考えてほしいと思います。「1.5℃の約束」という言葉を知っていますか? 最近、新聞やラジオ、テレビなどのマスメディアによく登場する言葉です。これは、世界の平均気温の上昇を産業革命前と比べて1.5℃に抑えようというキャンペーンです。昨年2022年、国連の広報センターが世界各国に提案し、日本では新聞社、放送局が一致して協力することとなりました。「気温上昇をとめるために、いますぐ動こう」と呼びかけています。

 コロナパンデミックに巻き込まれて、私たちは自分の体温にとても敏感になりました。人は通常一定の体温に保たれています。これを平熱と言います。しかし、コロナウイルスの侵入による体の変化は体温の上昇となって現れます。パンデミック初期には、37.5℃以上がその目安とされました。

 しかし考えてみると、私たち人間の生存にとって、体温と同じくらい重要な温度は、この地球の気温だと言えます。かつては、多種多様な生物と、水や空気、光などの地球環境のバランスがとれていて、地球の温度は安定していたと言われます。ところが、18世紀後半にイギリスで産業革命がおこり、19世紀に欧米諸国、そして日本などが続き、世界に工業国が増え、石炭や石油などの化石燃料を大量に消費するようになりました。これによって大気中の温室効果ガスは増加し、地球の気温は上昇し始めました。世界の平均気温はこの150年で1.1℃上昇、日本では過去100年の間に1.3度も上昇しています。地球温暖化というこの不気味な変化が何をもたらすのか。猛暑、豪雨、干ばつなどの自然災害から海面上昇など地球環境そのものの異変につながっています。

 私たちは未来を考えることが苦手です。それはまだないものであり、どうなっていくかわからないことと思うからです。しかし、人間の能力をはるかに上回るコンピュータの計算力によって、具体的な未来がシミュレーションできるようになりました。その重大な予測結果に向き合わなければなりません。

 私たちは、関心がある、ごく一部のものしか見えていません。見ようとしません。けれども、コロナパンデミックを体験することで、発熱している地球の未来に関心を持つことは人類共通の課題になったと思います。現在の生活の仕組みや価値観、行動を変えていかなければ、未来は来ないかもしれません。国同士が戦争している時ではありません。戦争は最大の環境破壊ですから。

 未来は大人になったあなたたちの現実です。未来を意識しながら、皆さんが一日いちにちを大切にして、成長していってくれることを期待します。

「校長室からの風」

柔道部の初稽古と鏡開き ~ 新春の部活動スタート

 新春は、光も空の色も空気さえも清々しく感じられるから不思議です。私たちにとって、正月は暦の上で新しい年になったという以上の大きな意味があります。それは再生とでも言うべき、新しく生まれ変わったような感覚が伴います。初日の出、初夢、初詣などすべてに「初」の冠をつけますが、これは初々しさにつながります。また、元日の朝に初めて飲む水を「若水」(わかみず)と称しますが、これも邪気を払うにふさわしい清新な語感です。

 1月4日(水)の仕事始めの日は、小春日和に恵まれました。風は多少ありますが、陽射しのもと校内を歩くと春が来たかのような気持ちとなります。そして、学校に活気が戻ってきました。多くの部活動が練習を今日から始めたのです。なかでも熱気を発していたのが、女子柔道部でした。

 柔道場には、大学や専門学校へ進学、または就職した先輩たちが十数人ほど来ていました。そのうち7~8人は柔道着に着替え、部員の練習相手になってくれました。高校生側は進路が決まった3年生全員も参加しており、卒業生も合わせるとおよそ30人が練習し、柔道場が狭く感じられました。環太平洋大学(IPU)、近畿大学、鹿屋体育大学、警視庁などで活躍するそうそうたる先輩たちの胸を借り練習できる貴重な場です。強い人と戦ってこそ、強くなります。1,2年生も実力の差はあっても、懸命に組み合って、投げられても先輩に幾度も挑んでいく姿にたくましさを感じました。

 そして、1,2年生の部員たちにとって、西高柔道部の伝統の絆を実感する機会にもなったと思います。貴重な正月休みに帰省した先輩たちがわざわざ母校の柔道場に集い、練習相手になってくれると共に、柔道の助言をはじめ大学や専門学校、職場の話を聞くことができます。あの先輩がいる大学に私も進もう、という進路目標も生まれます。

 また、稽古始めのこの日は、柔道部の保護者の方々が西高セミナーハウスの調理室で雑煮を作られ、練習後に部員や卒業生に振る舞われました。まさに鏡開きです。正月のお供えの餅(鏡餅)を割って雑煮や汁粉にして食べる風習を「鏡開き」(かがみびらき)と言いました。正月気分との決別も意味します。

 卒業生及び保護者の皆さんのご協力によって、柔道部の稽古始めはとても充実した、心温まるものとなりました。深く感謝します。

                                     「校長室からの風」

 

絵馬奉納 ~ 美術部の地域貢献活動

 小春日和の陽射しのもと、12月26日(月)、西高美術部が制作した大型絵馬が高橋稲荷神社に奉納され、社殿入口の正門に飾り付けられました。新年の干支は癸卯(みずのとう)であり、朝日の曙光を背景に兎の親子や縁起ものの松を描いた作品です。縦90㎝、横180㎝の木板上、色彩豊かな画面に仕上がっています。高橋稲荷神社に初詣に訪れる方を温かく迎える絵馬となりそうです。

 高橋稲荷神社(西区上代)は西高と同じ城山校区にあり、2002年(平成14年)から美術部が毎年の干支にちなんだ絵馬を制作し、奉納を続けており、今回で22枚目となります。美術部の恒例行事となっており、今年も部員の西田さん(2年)が全体のデザインを考え、部長の中山さん(2年)を中心に8人の部員で協力しおよそ2週間で制作しました。今回の奉納では、高橋稲荷神社の竹内宮司夫妻に出迎えていただきました。「高校生の手作りの絵馬を飾って、正月を迎えられることは誠に有難いことです。西高生の皆さんにはいろいろとお世話になっており、助かっています。」と感謝の言葉をいただきました。

 高橋稲荷神社の正月の巫女のアルバイトを西高の女子生徒が務めます。また、日ごろから広い境内の清掃活動には野球部はじめボランティアの生徒が訪れています。地域の公共の場である神社の美化に西高生が自主的に努めていることを誇りに思います。そして、美術部はその特技を生かしての美術部らしい地域貢献を長年行っていることを頼もしく思います。

 美術部員は放課後や休日には美術室に集い、いつも和やかな雰囲気で活動を楽しんでいます。奉納絵馬の共同制作の時は特ににぎやかな様子で、ほほえましく感じます。しかし、一人ひとりは創作に真剣に向き合っており、公募展では目覚ましい成果を示しています。「くまもと描く力2022」展では坂本君(1年)が大賞。第47回熊本県高等学校美術展では山口さん(1年)が優秀賞で九州総合文化祭(佐賀)出場、そして魚山さん(2年)は最優秀賞に輝き、来夏の全国高校総合文化祭鹿児島大会への出場を決めています。

 今年も年の瀬を迎えました。先週は寒波襲来でした。コロナウイルス感染の波も引きません。このような中でも、美術部だけでなく多くの部活動の生徒が登校し、練習に励んでいます。若さというものも有限です。いま、この高校生の時に、本当に好きなことに打ち込むことが大切です。そのことがこれからの人生を支えることになると思います。応援しています。

「校長室からの風」

希望の光を ~ 2学期終業式

 一年前、「来年こそは、世界のコロナパンデミックが終熄することを皆さんと共に願いたいと思います」と2学期終業式の挨拶をしました。その願いも空しく、今年もパンデミックは続きました。

 また、2月に勃発したロシアによるウクライナへの侵攻も長期化し、現地は厳しい冬が到来している模様です。ロシア軍の攻撃によって、電気、水道、ガスなど社会生活の基盤となるライフラインが大きなダメージを受けているウクライナ住民は過酷な寒さをどう乗り越えていくのでしょうか? 日本とウクライナは約8000㎞も離れています。しかし、遠い国のことと思ってはいけません。今のローマ教皇、フランシスコ教皇は、自然災害、内乱、戦争などの被害で苦しむ社会的弱者の人々を前にして、このような言葉を発しました。「Why them,and not me?」(なぜ彼らであって、私ではないのか?) なぜウクライナの人々であって、日本人の私ではないのか? 「平和な日本に生まれて良かった」で片付く問題なのでしょうか? 21世紀のいま、地球上で共に生きる人間同士として、フランシスコ教皇の言葉をかみしめ、自問自答したいと思います。

 ローマ教皇の言葉を紹介しましたが、今週土曜24日がクリスマスイブ、25日がクリスマスですね。世界で最も信仰する人が多い宗教のキリスト教、その創始者であるイエス・キリストの誕生を祝福する聖なる日です。けれども、イエスキリストという人物が12月25日に生まれたという記録はどこにもありません。聖書にも書かれていません。では、なぜ12月25日に生まれたことになったのでしょうか? キリスト教が成立し、最初に広まったのはヨーロッパをはじめ北半球です。日本も含む北半球はこの時期が最も昼が短く夜が長くなります。日本では冬至と呼ばれる日があります。今年は12月22日(木)が冬至で、1年で最も昼間の時間が短い日です。夜の闇に長く支配されていた北半球が光を取り戻し、一日一日、昼の時間が長くなっていく変わり目の時期なのです。そのような時に人々に光をもたらす救世主イエスキリストが誕生したのだとヨーロッパの人は考えたのでしょう。

 「冬来たりなば春遠からじ」と言われます。これから一日一日、太陽の時間が長くなります。新しい年を、希望の光をもって迎えましょう。皆さん、良いお年を。

 「校長室からの風」

              2学期表彰式・終業式の様子

「小さな世界」の愛しさ ~ 2年生修学旅行その2

「修学旅行でディズニーランドに行くのですか? 反対です!」

 20代の青年教師だった頃の私は、当時勤務していた高校の修学旅行実施検討会で反対論を唱えました。アミューズメントパークの体験は、修学旅行の趣旨から逸れると思ったのです。テーマパークは家族や友人と行って楽しめば良い所で、修学旅行では個人的に行かないような学びの場に連れていくべきだという持論がありました。私のような意見の教職員が当時は少なくなかったと思います。しかし、この時の修学旅行のクラス別自由研修で、生徒の圧倒的希望によって私の担任クラスはディズニーランドへ行くことになりました。

 東京ディズニーランドは1983年(昭和57年)に千葉県浦安市にオープンしており、20代後半だった私が引率者として初めての修学旅行で訪ねた時は、オープンして10年経っていなかったと思います。生徒たちと入園し、その来場者の多さと破格のスケールの施設・設備に驚かされました。「世界中の人々に夢を与える」という創始者ウォルト・ディズニーの精神が体現化されていると思いました。そして、キャストと呼ばれる働く人々(スタッフ)のきめ細かいサービスに魅了されました。小さなゴミでも落ちていると見逃さず素早く掃除して回るキャストの動きは特に印象に残りました。アメリカンドリームに日本のおもてなしの接客文化がミックスされていると感じました。

 絶叫系アトラクションは避け、あまり並ばずに体験できるものを選び、クラスの生徒数人と、「イッツ・ア・スモールワールド」というアトラクションに乗りました。ボートに乗って、各国の民族衣装の子どもたち(人形)が歌い、踊る様子を見ながら世界を周遊するものです。「世界中どこだって 笑いあり涙あり みんなそれぞれ助け合う 小さな世界」と子供たちの歌が響く中の世界一周はとても穏やかな気持ちとなり、幸福感を覚えました。

 あの日からおよそ30年。12月9日(金)、熊本西高2年生修学旅行引率で東京ディズニーランドを訪ねました。引率の先生2人と「イッツ・ア・スモールワールド」に乗りました。また、私が薦めたこともあってか、多くの生徒たちも乗ったようで、「平和の大切さを感じました」とある生徒が笑顔で感想を語ってくれました。テーマパークからも多くのことを学ぶことができます。

 今回の修学旅行体験が愛しい記憶となって残り、生徒たちのこれからの人生を根底から支え続けることになってほしいと願っています。

「校長室からの風」

       西高2年生修学旅行2日目 東京ディズニーリゾート(ランド・シー)

モノより体験を ~ 2年生修学旅行

 修学旅行は、高校3年間で一回の唯一無二の学校行事です。新型コロナウイルス感染症パンデミックが発生して以来、本校では体育コースのスキー研修を除いて修学旅行は実施できていませんでした。そして、ようやく今年度、2年生サイエンス情報科(1組)と普通科(2~6組)の合同修学旅行を実現できました。12月8日(木)~11日(日)の3泊4日、首都圏への修学旅行です。

 8日の朝、体育館での出発式の際、団長として校長の私は生徒たちに語り掛けました。

 「若い皆さんに必要なのはモノより体験です。旅行は大きな体験。そして旅行は、いつ、誰と一緒に行ったかが重要なのです。感受性豊かな高校生の時に級友たちと行く修学旅行はかけがえのない体験となるでしょう。」

 天候に恵まれた4日間でした。よく晴れ、暖かでした。そして、私たちの予想以上にどこの観光地も大変な人出で賑わっていました。外国人観光客も多かった浅草寺の仲見世通り。夕闇のイルミネーションが華やかで幻想的だった東京スカイツリー並びにソラマチ、平日にかかわらず人人人の「夢の国」ディズニーリゾート(ランド及びシー)、クラス別研修で訪ねた原宿表参道や横浜ベイエリアや中華街の混雑ぶり等。まだコロナ禍は終息していないにもかかわらず、旅行を制限されてきたフラストレーションの反動のような状況です。

 しかし、このような祝祭的ムードの中にあって、西高2年生は学びの旅の自覚をもち、節度ある行動をとり、頼もしく思いました。ディズニリゾートでは他県の高校生の乱れた制服姿に思わず眉をひそめたくなりましたが、西高生の制服姿は普段と変わらないものでした。羽田空港や熊本空港においても約200人が整然と並び、公共の場のルールを守りました。4日目の日本科学未来館(東京江東区)では、最終日の疲れも見せず、最新のテクノロジーや宇宙・生命の探究にかかわるそれぞれのコーナーで熱心に見学し、スタッフの説明に質問する姿がありました。そして、4日間を通して、生徒たちの笑顔、好奇心で輝く表情、いきいきとした様子が見られました。

 全国旅行支援の地域別クーポンを東京、千葉で得られたこともあり、生徒たちはたくさんのお土産を購入していました。家族や友達へお土産の品を渡す喜びもあるでしょう。けれども、「みやげ品」よりも「みやげ話」を家族は待っておられるよと私は生徒たちに言いました。モノより豊かな体験をしてくれることを願い、保護者の方々は旅費を出されていると思います。

 コロナ禍の修学旅行はリスクがあります。しかしそれでも実施することの教育効果は大きいと信じています。

「校長室からの風」

 

未来を創る ~ 福島県立ふたば未来学園高等学校を訪ねて

 「生徒たち一人ひとりが未来です。」

 福島県立ふたば未来学園高校の学校説明での言葉は深く胸に刻まれました。平成23年(2011年)3月に起きた地震、津波、そして福島原子力発電所の事故によって、福島県双葉郡内にあった富岡高校をはじめとする五つの高校は休校となり、多くの高校生は郡外、または県外へ避難しました。未曽有の自然災害と原発事故によって離散するという過酷な体験となりました。やがて次第に人々がふるさとへ帰還する中、平成27年に双葉郡の復興、創生の拠点として福島県立ふたば未来学園高校が開校されました。

 「自分自身と社会の変革者たれ」のモットーのもと、普通科教育、農業、商業、福祉の専門科教育、そしてトップアスリート育成のスポーツ教育の特色ある学びが展開されています。11月24日(木)、ふたば未来学園高校を体育科の先生方と訪問しました。令和4年度全国高等学校体育学科・コース連絡協議会総会・研究会が同校で開催され、それに出席するためです。福島双葉郡広野町の高台にある同校は、まさに未来の学園でした。バドミントン専用のアリーナはじめ新しく機能的な教育施設がそろい、ため息が出るほどです。また校舎の中にNPOやボランティアの人々が運営するカフェやコミュニティスペースもあり、学園に隣接して町のスポーツ・文化施設が広がり、まさに地域社会と一体となった学園でした。

 福島の高校生は、避難、コミュニティの崩壊、転校、そして帰還した時のふるさとの変景など混乱と動揺の体験を通じて、新しい生き方、新しい社会を創っていかなければならないという大きな課題に直面しています。ふたば未来学園高校の授業、学校生活の様子を見て、生徒たちは、それに向かって、使命感をもち、主体的に踏み出しているように感じました。彼らが福島の未来を担っていくと思うと、深い感慨を覚えました。

 3・11のあの日以来、激動の日々を生きてきた福島の高校生と比べることはできませんが、どこの地域の高校生にも未来を担うことが期待されています。生徒を育てる高校の役割は、未来を創ることだとあらためて実感しました。

 「合格が決まりました」と笑顔で推薦入試の結果を校長室へ報告に来てくれる3年生が増えてきました。「これからが勉強だよ」と励まします。生徒の笑顔に未来を感じる日々です。

(追記)

  令和6年度全国高等学校体育学科・コース連絡協議会総会・研究会は熊本西高が会場です。

                                         「校長室からの風」

           ふたば未来学園高等学校の様子

伝説の指導者 ~ 西高なぎなた部を創った一川治子先生

 「新人戦は、攻める姿勢が大切。たとえ相打ちになってもよいから、攻める。負けたくないという気持ちで防御に力を入れる選手は伸びません。」

 新人戦の見どころを尋ねた私に対して、一川先生は明言されました。また先生は、審判の姿勢に関しても次のように述べられました。

 「最後の高校総体ではないのだから、選手たちはまだまだ未完成。審判が考える理想の一本は遠い。多少、当たりが浅い、姿勢が不十分な面があっても、勢いがあれば一本取ってやっていい。そのことで選手を伸ばすのが新人戦です。」

 11月13日(日)、熊本西高体育館にて「令和4年度熊本県高等学校なぎなた新人戦大会」が開催されました。私は県高体連のなぎなた部会長として臨みましたが、このような県大会は県なぎなた連盟から審判のご協力を得ることになっており、同連盟副会長の一川治子先生には必ずご出席いただき、審判長をお願いしています。一川先生がいらっしゃることで大会が引き締まります。先生は、試合会場へいらっしゃると、本部席のところに必ずお香を立てられます。日頃、ご指導されている熊本武道館において武神に供える習わしです。この香りで、勝負の場が清められたような感じとなり、私たちも気持ちが落ち着きます。

 一川先生は、熊本西高なぎなた部を創った方です。平成3年の西高体育コース発足以来20年間、女子なぎなた部の監督として指導に当たられ、平成13年から平成17年にかけて全国高校総体なぎなた競技団体で5連覇、そして通算7回優勝という空前の偉業を成し遂げられました。この他、国体において熊本県チームを幾度も優勝に導くなど、なぎなたでは全国に知られた伝説の指導者です。

 西高の監督を退かれておよそ15年になりますが、背筋は伸び、声も張りがあり、なぎなた競技への情熱はいささかも減じておられません。現在も熊本武道館において子どもから高校生、大人まで指導をされ、生涯現役を貫いておられます。

 大会の度に一川先生とご一緒でき、長いご指導の経験談やなぎなたの奥の深さについてご教示いただくことが私にとってはかけがえのない時間です。

 「会場を整え、審判員がついた公式戦を用意することが大人の役割。選手は試合をすることで伸びていきます。ほら、見てください。初戦にくらべ、試合を重ねるごとに内容が良くなっているでしょう。」

 武道の、いや人生の達人の慧眼に感服しながら、初々しくもはつらつとした新人戦大会を観戦できました。西高なぎなた部の伝統はこれからも続きます。

「校長室からの風」

                全国高校総体なぎなた競技団体5連覇の記念写真

西高「朝の読書」

 西高では朝の8時30分から10分間、全校一斉の「朝の読書」時間となっています。学校全体が静寂に包まれ、落ち着いた時間で一日の始まりとなるのです。西高「朝の読書」の4原則があります。

 1 みんなで読む 2 毎日、読む 3 好きな本でよい 4 読んで知る

 多くの高校で朝の読書が実施された時期がありましたが、現在では少なくなったと思います。西高では、「朝の読書」を継続しています。

 西高は教育のICT(情報通信技術)化の波に乗り、県のICT特定推進校として学習活動をはじめ学校行事や職員の校務にタブレット端末などICTを率先して活用しています。社会の急速な情報化に主体的に対応できる人材育成のために教育のICT化は不可欠です。一方、学校教育はバランスが大切です。西高では伝統の体育的行事や地域社会の課題に取り組む探究活動など自ら身体を動かす実体験を豊富に取り入れています。ICTの進化に伴い、身体性や五感を豊かにしていくことが心身の成長に益々重要となっています。「朝の読書」もそういう観点から、大切な時間と思います。紙の本の手触り、自分と向き合うひと時、クラス全員で静けさを創り出す協調性など特別な時間となっています。

 長期化するコロナ禍の中、自宅にて一人でできる読書が再注目されています。読書は心の良薬とも言われます。不安、焦燥、失意などの動揺する気持ちが、自らの内面との対話で鎮まっていきます。また、本は読者をいろいろなところへ連れて行ってくれます。

 「読書の習慣を身につけるということは、人生のほとんどすべての苦しみから逃れる避難所を自分のためにつくるということだ。」(サマセット・モーム)

 情報が氾濫する今日、本当に必要なのは情報を体系化した知識です。そしてそれは本を読むことで初めて得られる場合が多いことを私たちは知っています。ロシアによるウクライナ侵攻に関して、連日おびただしい情報が様々な立場から発信されています。情報の渦中にあって、受け手の私たちは何を信じてよいのか、一つひとつの情報を整理する余裕がありません。しかし、一冊の書籍がそれを助けてくれることがあります。『物語 ウクライナの歴史』(黒川祐次、中公新書)はロシアの侵攻前に出版されていた本で、ウクライナの歴史や地理、地政学的問題について、元ウクライナ駐在大使の筆者が丁寧に著しています。私はこの本を読み、初めてウクライナの置かれた立場やロシア侵攻の背景が理解できたような気持となりました。私は西高の図書館でこの本と出会いました。西高生の皆さんにもぜひ読んでほしいと願っています。

 「ひと それぞれ 書を読んでいる 良夜かな」(青邨)

 かつての日本にあったこのような風景を取り戻せたらと思います。

「校長室からの風」

                 西高の図書館

みんなで歩く、ひたすら歩く ~ 西高チャレンジウォーク開催

「ゴールしたら、豚汁が待っている。頑張ろう」

 足取りが重くなった生徒に励ましの声を掛け続けました。しかし、それは私自身を奮い立たせる声掛けでもありました。11月2日(水)、爽やかな秋空の下、西高チャレンジウォークを開催しました。西高を出発し、本妙寺の加藤清正公銅像まで往復の15.6㎞を歩く行事です。

 体育コースの生徒は7時45分には出て、各ポイントに立ち、交通安全やコースの誘導をしてくれます。一般生徒は8時半から2学年、1学年、3学年の順でスタートしました。それぞれ4~8人のグループ別に歩くことになります。担任の先生はクラスの生徒たちと共に歩きます。私も昨年に続き参加しました。昨年は一番最後からゆっくりと歩きましたが、今年は最初にスタートした2学年の真ん中あたりで歩き始めました。

 坪井川の穏やかな流れ、高橋稲荷神社近くの朱色の橋、薄く色づき始めた金峰山を左手に見ながら谷尾崎の道、そして島崎の丘陵地からいよいよ本妙寺の坂へと向かいます。最後の石段はとてもこたえ、足をやっと持ち上げながら清正公銅像に到着。この高台からの熊本市街地の眺望が良く、疲れが癒されました。

 復路は、本妙寺名物の「胸突き雁木」と呼ばれる古い石段を下ります。6年前の熊本地震で損傷を受けた仁王門が、今年は完全に修復された姿を見せていました。現在、西区では金峰山山系の山麓を通過する「熊本西環状道路」の花園ICから池上(いけのうえ)ICの区間の工事が進んでいます。歩いていて、大型重機が動きトラックが出入りする様子が目に入ります。変わる風景の中に、変わらないものもあります。柿の実がなり、薄(すすき)がそよぐ秋の里山は変わりなく、歩く私たちを優しく迎えてくれます。足は重くなり、疲労を全身に感じてきますが、それでも、みんなで歩く、ひたすら歩くという営みはとても尊いと思えてきます。

 学校にゴールした時の達成感は何物にも代えがたいものでした。私は約3時間半で完歩。生徒たちも次々に笑顔でゴールしてきます。西高から本妙寺まで、自動車なら往復30分程度でしょう。早くて便利ですが、充足感はありません。自らの足で西区の道を踏みしめながら、クラスメイトと談笑し、励ましあい、歩き通したからこそ、かけがえのない体験となったのです。

 今年は3年ぶりに保護者の皆さん(育西会)によって豚汁がつくられ、歩き終えた生徒、職員に振舞われました。温かくおいしい豚汁の味は忘れられません。

「校長室からの風」

ゴールして豚汁をもらう生徒達

 

演劇部から突きつけられた問い ~ 県高校演劇大会

「59点と60点の間にラインを引くという指示を出しているあなたは、いったい誰なんですか!」

 この台詞(せりふ)が響き、熊本西高演劇部の「合格ラインはやってきた!」の舞台の幕は下りました。この最後の台詞は私の胸に突き付けられたように感じました。深いメッセージに気持ちが揺さぶられました。

 第71回熊本県高等学校演劇大会城北地区・熊本市地区大会が10月21日(金)~23日(日)に熊本市植木文化ホールで開催されました。コロナ禍によって活動を制限されてきた演劇部会にとって、3年ぶりに一般観客を入れての本格的な発表会となりました。演劇部の生徒たちは、感染防止のために思うように声を発することができず、言葉を奪われ、制約された活動に甘んじてきました。しかし、ようやく言葉が戻ってきたのです。マスクを外し思い切り声を出し、全身で表現する姿に熱い共感を覚えます。

 初日の21日(金)の午後、西高演劇部の「合格ラインはやってきた!」(作:加藤のりや)が発表されました。点数に自我が芽生え擬人化された不思議な世界の話です。「59点」(男子)と「60点」(女子)は隣同士で、お互い好意を持っている関係なのですが、ある日突然、二人を引き裂く「合格ライン」という存在が現れます。その結果、二人は合格と不合格という離れ離れの関係になっていかざるを得ません。その理不尽な運命に二人は抗い、葛藤します。さらに、何事にも動じない「零点」、淡々としながら本質を悟っている「百点」も加わり、この不条理な物語は進みます。「合格ライン」に対し、「59点」と「60点」の間にラインを引くように命令を出している黒幕の存在が次第にクローズアップされます。そして、冒頭の「合格ライン」のあの叫びでラストを迎えるのです。

 生徒たちの学習活動は本当にすべて点数化できるのだろうか? 点数以外では客観的で公正な評価はできないのだろうか? 一点刻みの点数の評価は絶対だろうか? その点数評価が前提で動いている社会のあり方に問題はないのだろうか? 見終わった観客は様々なことを考え、思いをめぐらします。

 古くて新しい普遍的な問題を、演劇という文化活動の力で見る者に突き付けた西高演劇部の力を心から称えたいと思います。優秀賞に輝いた西高演劇部は11月に行われる県大会への出場を決めました。

「校長室からの風」

        創立記念祭での演劇部のステージ(熊本市文化会館)